第2話 ダイニングに手足

 襖をさっと開けると、ぎょっとした。

 手足があった。まるで椅子に座っているみたいに足が二本と、その向こうのローテーブルに手が二本。

 手前の食事用の手狭なテーブルではなく、ノートパソコンが置いてあるテーブルにハの字になって置いてある。置いてあると言うより、構えていると言うように感じた。意思を持ってスタンバイしているように。

 ただそれらの、置くとか構えているとか言うのは、今のおれにはとりあえずあとにしておいてほしい情報だった。今、いっぱいいっぱいなのである。

 気持ち悪さを感じつつも、椅子に立てかけられている二本の足を持って、ローテーブル横の座椅子にそっと横たわらせた。


 パンをオーブンに入れる際、何度も手を滑らせて落としそうになった。スマフォを持つ程度なら問題ないのだけれど、オーブンのプレートなど、少し重い物を持つのは難しかった。まだ手の痺れが治っていないのだろうか。そう思って手に力を入れるが、痺れと言うよりはなにか別の使いづらさのようなもの感じた。手がかじかんだときのそれと似ていたが、別段寒さを感じているわけではない。最近にしては少しばかり寒い朝かもしれないが、薄手のパジャマ一枚で過ごせるような温かさはある。


 なんとか朝ごはんを用意して食べ始めた。温かいカフェオレが喉を流れると、胸の内からぽかぽかとしだして、ようやく人心地付けたような気持になる。

 トーストを持つ手は依然として生々しい透明さだ。よく見ると血管が見えていて少し気持ち悪いなと思った。


 ご飯を食べ終わり、仕事に行く準備を始める前にはっきりさせておきたいことがあった。おれは自分の手を改めて触った。両方ともがおかしな手なので当てにはならないが、やはり前よりもやわらかい気がする。爪を触るとふにゃふにゃとしていた。


 ああ、だから持てなかったわけか。

 と、妙に納得してしまった。


 これほどやわらかい爪ならば支えにはならない。

 いよいよもって、本当にこの手足は羽化したての蝉のように感じられてきた。


 ローテーブルと座椅子に向かい、手足を手に取ってまじまじと見た。先ほどのような嫌悪感はあまりない。と言うより、懐かしささえ覚える。有り得ないとは思いつつも、考えずにはいられない。これはもしかして、おれの手足だったものなのではないだろうかと。

 状況証拠的にそう考えるのは妥当かもしれない。朝起きたら急に手足の感覚がなくて、まるで羽化したての蝉みたいな生々しい透明度の手足があって、ほとんどサイズの変わらない手足が1セット部屋にあるのだ。とすると、羽化と言うか生え変わりのようにも思えるが。

 そもそも、逆にこの手足が他人のものと言う方が納得できない。もしも誰かが他人の手足をここに運んできたのなら、おれはなんらかの事件に巻き込まれている可能性があるだろう。そんなことをされる理由はない。

 結局、朝起きたときに感じた「おれの手足はどこへ行ったのか」と言う感覚は合っていたのだ。無意識的に生え変わりを感じ、古い手足がどこかに行ったことを知っていたのだ。事実がどうあれ、今のおれにはそのように納得するしかなかった。


 しかしこの古い手足はどうするべきだろう。このまま放っておくことは良くないことのように感じた。と言うのも、あれらは寝床で切り離されたあと、まさしく自分の意思で動いて隣の部屋に行ったように思えたからだ。仮に記憶がないほど寝ぼけていたとしても、立つことすら難しかったおれが、手足を持って隣の部屋に行くなどできるはずもない。とすれば、やはりこいつらが勝手に向こうの部屋に行ったと考えるのが妥当だろう。しかも移動したあとしっかり襖を閉めて。

 常軌を逸した考察だが、今さら勝手に手足が動くくらいなんでもないように思えた。トカゲのしっぽやタコの足だって切り離してからしばらく這い回る。今はすっかり静かだが、夜の間はきっと活発だったに違いない。


 とりあえずは袋の中に入れるか。


 透明のゴミ袋の中に両手足を入れ、口を閉じた。

 ビニール袋に入った両手足は、なんだか生ゴミのように思えた。このまま可燃ゴミの日に出したら怒られるだろうか。いや、怒られるだけじゃなく、警察を呼ばれてしまいそうだ。ともかくこれは、部屋の中から出してはいけない。


 家を出るとき、いつもはしない鍵のチェックをしてから外に出た。玄関の鍵も、掛けてから二度確かめた。

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