運転免許証の高齢者講習を終えて
@bingoyotaro
運転免許証の高齢者講習を終えて
70歳になるので、自動車免許更新の条件となる高齢者講習を受けるために自動車教習所に行った。動体視力、視野角検査、夜間視力を受けて、次がビデオなどを使った講習であった。そしてその後に実車指導というのがあった。その言葉通り実際に自動車を運転して指導を受けるというものである。私は教官の隣に座って車を走らせた。
コースは簡単なもので特にどうということはなかったし、教官とも雑談をしたりして比較的和やかな雰囲気だった。しかし、終了の時に教官が「ハンドルの持ち方がおかしい」と言い出したときに私はブチ切れしてしまった。実は最初から私は搭乗した自動車のハンドルに違和感を感じていたのだ。とにかく非常に重いのである。簡単なカーブでハンドルを切ろうとしても両手で思いっきり力を入れないときれいに曲がれない。私が普段乗っている車はこんなことはない。片手だけの動きでも簡単に曲がっていく。それに対して教官のこの注意である。
「あなたね、そうおっしゃるけど、このハンドルは明らかにおかしいですよ!整備不良じゃないんですか?こんなに動作の重いハンドルなんて見たことがない!こんなものを運転させるとはどういうことか!」
私としては比較的感情を抑えて言ったつもりだが、こちらの剣幕に圧倒されたのか、教官は何も言わずきょとんとした顔をして私の方を見ていた。目はうつろであった。
彼は40代後半ぐらいだろうか、そうすると私は彼よりも20歳以上年上である。
そういう人から少しきつい言葉を投げかけられると動揺するものなのだろうか?私自身も40代の頃は父親の世代に向かってやはりズケズケとものを言うことに困難さを感じていた。逆にそういう年代の人から何か言われると言い返すのは難しかったような気がする。
私は一瞬「しまった。言い過ぎたか?」と後悔したのだが、後の祭りであった。
なんとなくお互い気まずい雰囲気のまま、「ありがとうございました」と私はその場を去った。
先日も親戚の中高生の子ども達が集まる機会があった。その時私は冗談のつもりで彼らに向かって「君たちは俺の言うことが聞けないのか!」と怒鳴ったことがある。すると、何人かの子どもは顔に恐怖感を浮かべた。この時も私は戸惑った。以前はそんなことはなかった。ちょっと脅かすようなことを言っても「ハッハハ」と笑って喜んでくれたくらいであった。
あまりこういうことは考えたくないのだが、人は年を取るとそれなりに迫力のようなものが出てくるのかもしれない。そしてやっかいなことに老人の中には気が短くなってくる人がいる。辛抱が効かずにすぐ怒鳴り出すのだ。今回の高齢者講習でも、大声を張り上げたのは私だけかと思ったが、別の車両でも何か大声で教官に向かいそれこそ喧嘩腰でものを言っている老人もいた。こうしてみると日本各地の自動車学校の高齢者講習で似たようなことがしょっちゅう起きている可能性がある。
私はこの件についていろいろネットで調べてみた。
すると浮かび上がってきたのは教習所の方でも必ずしもこの制度を歓迎しているわけではないという事実であった。表面的には講習料を受け取って儲かるように見えるかもしれないが、その運営のためにかかる費用が馬鹿にならない・・・らしい。
まず、当然のことながら人件費の問題がある。実車指導のために指導員を配置しなくてはならない。本来のビジネスである自動車教習のみを行っている方がよほど効率的である。それなのに実車指導のためにわざわざ教官を割いて配置する必要が出てくる。そのスケジュールを調整するだけでも難儀なことだ。それにもかかわらず、ひとりあたり数千円のお金だけで車を維持したり教官のための手当を捻出したりするのは大変であろう。また、教習所内のコースの運用も難しくなってくる。
やはり警察というお上の決めたことだから逆らうわけにはいかないというのが本音ではなかろうか。
それにしても高齢者というのは教習所にとって扱いにくい。70歳を超えた老人ともなると、確かにボケたような人もいるが、社会的地位が高かったり、大金持ちの人も少なくない。威厳や迫力の面では初めて免許を取りに来るような若造とは比べものにならないような人もいる。中には政治家や有名人、怪しげな人脈を持つ老人だっている。まさに海千山千の怪物達だ。気に入らないことがあれば、警察、教習所、そして公安委員会の上層部に連絡ができるような大物もいるだろる。「おい、あの教官は若造のくせに生意気だ。何とかしろ!」そして時代はインターネットの掲示板の時代である。あることないこと何を書き込まれるか分かったものではない(これは無論老人に限ったことではないが)。
一騎当千の強者揃いを相手にするのは彼らよりも年少者に過ぎない教官にとっては辛いものがあるのではないか?威圧感のある社長さん風の人が生徒で来て、若い教官に向かい「あんた給料いくらもらうとるんだ?何だたったそれっぽちか。うちの社員の方がまだいい給料もらっとるぞ。うちで働いたらどうだ?」こんな強面の生徒を相手にしたのでは若手の教官などビビってしまう。どちらかと言えば、彼らは若くて初々しい生徒達を相手にしている方がやりやすいだろう。特に十代や二十代のうら若い女性が生徒で入ってくれば男性教官も内心大喜びではないか?「よろしくお願いしま~す」などと黄色い声を張り上げて可愛い女の子に頭を下げられたら思わずニヤリとなってしまう。翻って高齢者講習となれば、そこに来る女性は当然70歳以上である。絶対にピチピチのギャルが乗ってくることはない。そんな雰囲気の中で「指導」を行って何が楽しい?まるで飛行機のパイロットに憧れて国際線のパイロットになったはいいが、その配属先はスチュワーデスや女性客といった女っ気がまったくない貨物専用機であったというようなものだ。
しかも、年輩の女性特有の口うるささが伴ってくる。乙女の甘い髪の香りは失せたが、口の方はますます磨きがかかって達者である。気に入らないことがあれば彼女達は黙っていない。女房を持って長年が経過した男性諸氏にはよく理解いただけると思うが、彼女達が放つ嫌みな言葉はチクリチクリとこちらのハートに響いてくる。あの口うるささは物理的な暴力よりも威力がある。私のよく行くデパートでも店員に向かって文句を言っている年寄りのおばさんを時々見かける。彼女達は店員がひたすら謝っているのにもかかわらず延々と文句を言い続けている。周囲の視線などどこ吹く風である。どこにあんなパワーが残っているのかと思うほどだ。
ここまで書くと女性蔑視だと非難を浴びそうなので、高齢の男性の例についても書いておく。税金の申告の会場で男性の老人が大声で怒鳴っていた。勤めを辞めて長くなっているのだろうか、自分の本性をさらけ出して、相手が誰であろうがまったく遠慮というものがない。怖い物知らずとはこのことだ。
「あんた、今受付をしていると電話で言ったじゃないか?なんで俺の書類を扱ってくれないんだ?」
税務署の係員が「申し訳ございません。もう締め切りになりましたので」と弁解に努めているのだが、老人は容赦しない。あくまで「どうしてくれるんだ?責任者を出せ!」と詰め寄っていた。私が会場に入って出るまで30分くらいはかかったと思うが、その間もずっと大声を張り上げ続けていた。まるで壊れたテープレコーダーのように・・・。
病院でも似たようなことが起きる。老人が受付でいきなりわめき声を上げ始めた。
保険証を忘れてきたので対応できないと言われてかんしゃく玉が落ちたのである。
「何だと!そんな融通の利かない病院なんて聞いたことがない!どうしてくれるんだ?」しばらく押し問答があった後、結局病院側が折れて保険証なしで診察をすることにした。
私がこれらの例を通じて言いたいことは「老人というのはやっかいな存在であり、そしてさらにやっかいなことは老人が自分がやっかいな存在であるということに往々にして気づいていない」ということである。上記のような出来事は高齢者講習で今後も頻発するだろう。教習所にとって高齢者講習は金のなる木というよりは警察によって押しつけられたやっかいなお荷物に近いものがある。そうなると教習所はどうするか?無論、「うちではやりません」などとお上に楯突くようなことはしないだろう。かといって指導を熱心にやれば手強い老人からしっぺ返しを喰らう。勢い、できるだけ波風を立てず流すように高齢者講習を済ませてしまおうということになるのではないか?しかもやっかいなことに実車指導というのは試験ではない。これに落ちたら免許が取れないというものではない。あくまで教官が老人の運転を観察して問題点を指摘するというだけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない。あまり高齢者の事故防止に役立つ制度とも思えない。
では、この制度で誰が一番得をするのか?警察か、教習所か、老人か、それともそれ以外の一般国民か?答えは言うまでもなく警察権力であろう。手間のかかる仕事は教習所にやらせて、自分達はその上にあぐらをかいていればいい。もちろん高齢者講習の収益がそのまま警察権力に入るわけではないが、権益は広がり、天下り先の団体や機関も増やすことができる。それはとりもなおさず国家から予算をたくさんもらえることにつながる。
もっとも、この問題をそうあっさりと簡単な図式で取り扱うのもどうかなと思う。
実のところ、私の父親は警察官であったので、彼から苦労話や警察組織の内情についても小さい頃からよく聞かされた。だから、ここで少し警察権力の弁護もしておきたい。
私が中学生の頃、暴走族が流行っていた。今もその名残はあるが、当時はもっと凄かった。深夜の公道を爆音を立てながら改造バイクの集団がパララ、パララと警笛を鳴らし堂々と走って行く。父親はそうした騒動のあるたびに真夜中でも所轄の署から非常招集をかけられて出かけていった。そして、暴走族を取り締まろうとするのだが、野次馬が現場に集まって来て面白がって警察や暴走族の少年にワァーワァー声援を飛ばす。「オラオラ走れぇ!」「ぶっ飛ばせ!」「逃げろ!」「捕まえろ!」「何やってんだよ!」そして父親達警察官が少年達を抑え込もうと苦労するのを見てハハハと高笑いをし、喝采を浴びせるのである。何のことはないまるっきり見世物である。
警察としても正直な話こんなチンピラ相手に仕事はしたくない。私は父がそういって嘆くのをよく耳にした。彼らはただ警察をからかって面白がっているのだから挑発に乗らずに放っておくのが一番なのである。彼らは学校での成績もよくないし、馬鹿にされていることがしゃくにさわり、その意趣返しとしてこんな状況を作り出して目立ちたいだけなのだ。彼らのやることはせいぜい赤信号の時に交差点の中央に入り込んで来てクラクションを鳴らしながら回るくらいのことで、それが終わればまたどこかへ去って行く。一般市民で彼らと関係がない自動車を壊したりとか通行人や傍観者に鉄パイプで襲いかかるということはまずやらない。嵐のようなものでじっと下に潜んで強風が終わるまでやり過ごすのが一番なのだ。目を合わせたり嫌そうな顔を彼らに向けるのが一番まずい。なにしろ相手は10代の若者で体力はある。タバコはまだしも、シンナーを吸っている連中もいる。頭の中がラリっている状態でバイクを乗り回しているのだ。にもかかわらず悪知恵は働き、ちゃんと逃げ道を予め用意している。彼らを追いかけて捕まえようとすれば、狭い山道の中に逃げ込んでしまい、パトカーでは追跡もお手上げである。無理をして追いかけて事故でも起きると、さらに厄介なことになる。かといって、何もしないでいれば警察署の電話が鳴り響く。「うるさくて眠れない!どうにかしてくれ」という苦情だけではない。最後には「警察は何をしてるんだ!対応が生ぬるい!」「職務怠慢だ、もっと仕事をしろ、この税金ドロボー!」というような暴言を吐かれる始末である。
高齢者講習についても同様な状況ではないか?警察の天下りがどうのこうのという論調もある。私はそういう面があるとは思う。しかし、もっと根本にあるのは国民感情である。言うなれば老人バッシングである。不景気が長引き若者の給料は上がらないことによるストレス解消のはけ口として老人たたきが行われている。ちょっとでも老人が重大事故を起こすと「老人の運転は危ない!」「警察は断固たる処置をとれ!」「動作の怪しい老人の運転を許すな!」という過剰反応が国民の間に広がる。これは中世の魔女裁判あるいは第二次世界大戦中のドイツによるユダヤ人迫害に似ている。大衆は経済の停滞や生活の苦しさから逃れるためにスケープゴートを見つけたがる。要するに誰かのせいにしたいのだ。そして生まれるのが集団ヒステリーの現象である。最近の老人に関する自動車免許の問題はそうした現象を反映しているような気がする。
そのために警察権力は何かをしなくてはいけなくなる。この高齢者講習というのもいわば苦肉の策と言えなくもない。とどのつまり国民感情がこうした状況を作り出したと言っても過言ではないのだ。
だが、このまま老人が免許を持つことを禁じるような方向に進んで本当にいいのか?国民はもっと落ち着いて冷静にこの問題を考える必要があるのではないか?1人の老人が免許を返納すれば、確かに老人による事故の件数は減るだろう。しかし、裏を返せば、それは自動車を購入する人が1人減るということを意味する。現在我が国では国民の約3分の1が65歳以上であり、数にして4千万人近い消費者がいることになる。これはもの凄い数である。
極論かもしれないが、老人はある種の産業廃棄物である。年金を持っていくし、医療費を食い尽くし、働かない国のお荷物になっている。しかし、出生数の増加が望めない現況の中でこの老人達こそ日本に残された究極の人的資源ではないか?産業廃棄物の再利用の可能性は大いにあるのではないか?「一億総活躍」というスローガンを持ち出すまでもなく、彼らは人口衰退を止める最後の砦であって、どんどん消費をしてもらい経済の活性化に寄与していただく必要がある。なぜなら、彼らは若年層の人達と違い、子育てを終え、住宅ローンも終え、退職金をもらっていて比較的お金や時間に余裕のある人が多いからだ。見方を変えれば彼ら老人こそ現代の「金の卵」ではないだろうか?
国は少子化対策といって出生数を上げようとしているが、仮にその政策がうまくいったとしても、すぐに効果が現れるわけではない。生まれた子どもが大きくなって日本経済の発展に寄与できるようになるまで最低でもこれから20年はかかる。だが、今日本が置かれている状況を見る時、そんなに悠長に構えて待っているわけにはいかない。また、移民を受け入れるという議論もされているが、日本は建国以来ほぼ1300年間にわたり、大和民族だけ(一部例外はある)で運営されてきた。なので日本人の体質は異民族と協調して生活することに慣れていない。従って、この方策も実行に移されるまで時間がかかることを覚悟しないといけない。それくらいなら、今ここに存在する高齢者という巨大な年齢層の塊を活かす方法を考えた方が国の経済活性化という面でははるかに手っ取り早い解決手段になるだろう。
老人がもし自動車を買わなくなったら日本の経済はどうなるか?自動車が売れなければ、車検がいらない。自動車保険も自賠責保険もいらないし、自動車税や自動車重量税も払う必要がない。高速道路の通行料金からの収益もマイナスになる。それは保険会社や国庫にとって大きな損失を意味する。新しい道路や橋も造ることができなくなる。いや既存のインフラストラクチャですらその維持費を賄えなくなるだろう。
ただでさえ経営が苦しい地方銀行も稼ぎ頭のマイカーローンで利益を上げるのが難しくなってくる。石油会社も大赤字になるし、各地のガソリンスタンドも廃業に追い込まれる。観光地にドライブで出かける人もいなくなるし、土産物屋や旅館にお金が落ちることもない。自動車の生産台数が落ちれば、当然のことながら自動車関連のビジネスも成り立たなくなる。自動車部品の下請け会社もどんどん潰れていくし、自動車用品の店もやっていけない。免許返納をした老人に交通費の援助をする自治体もあるが、これも大きな負担になっていくだろう。
老人が自動車を手放すと聞いて真っ先に思い浮かぶのは毎年の自動車税が入って来なくなるということだ。自動車関連の保険も必要ない。自動車の販売台数が減る。こうしたことのしわ寄せは誰にかかってくるのか?それは今働いて子育てをしている現役世代だ。勤めを持って扶養家族のいる彼らはどうしても車が必要である。通勤や家族旅行などに自家用車は必須のアイテムである。だが、自動車税を払う人が減れば、自動車税の値上げがあるだろうし、自賠責保険や任意保険も値上がりする。自動車販売の落ち込みによりメーカーの工場の閉鎖も増えて失業者が増える。賃金はますます上がらないことになる。そうしたことのツケを払うための負担は老人ではなく若者に襲いかかる。
そうなってくると、金融関係の元締めである財務省や、製造業や流通業界を束ねる通産省なども苦言を呈するようになる。また、警察権力の外郭団体である交通安全協会などに入る会費も当然減ってくる。こうした組織が警察権力に対して面白くないと感じるようになるとは思うが、しばらくは警察側の高笑いが続くのはやむを得ない。
だが、果たして「してやったり」という状態がいつまで続くだろうか?このまま、老人を締め上げて行っていいのだろうか?ここで私が連想するのは特攻という言葉である。「トッコウ」と聞いて何のことかわからない若者も増えていると思うのでここに簡単に説明をいれておく。
(出典:インターネット)
ココカラ ------------------------------
生きては帰れない「特攻」
特攻とは、搭乗員が乗った軍用機や小型艇、潜水艇で連合軍の艦船に体当たりする攻撃です。太平洋戦争末期に日本軍が組織的に行いました。決して生きて帰ることのないこの戦い方は、多くの若者の命を奪い、攻撃を受けた連合軍の将兵たちに圧倒的な恐怖を与えました。特に航空特攻は、戦後77年たった今も「KAMIKAZE(カミカゼ)」として世界で語り継がれています。
1945年3月に始まった沖縄戦では大規模な特攻を繰り広げ、その出撃基地は鹿児島県、宮崎県、熊本県といった南九州に集中しました。
なぜ日本は特攻に踏み切ったのか
太平洋戦争は1941年12月8日、日本軍がイギリス領マレー半島とハワイ・真珠湾を奇襲攻撃して始まりました。しかし翌1942年ミッドウェー海戦やソロモン諸島を巡る消耗戦では、熟練搭乗員と航空機を数多く失い、工業生産力に勝るアメリカに軍事力で逆転されます。1944年6月のマリアナ沖海戦では400機もの空母艦載機と空母3隻を失い、日本軍は機動力をなくします。
軍上層部は、太平洋で優位に立った連合軍には通常の攻撃では対抗できないと判断。特攻による体当たり攻撃をするしかないと考えるようになりました。そして1944年10月、第一航空艦隊司令長官に着任した大西瀧治郎中将が、神風特別攻撃隊と名付けた部隊を編成しました。
10月下旬、マッカーサー率いる大上陸部隊がフィリピンのレイテ島に侵攻。同時に起きたレイテ沖海戦でフィリピンから出撃した神風特別攻撃隊は、護衛空母を撃沈するなど戦果を挙げました。その結果、軍上層部は、特攻をその後の攻撃の柱と位置付けるようになりました。
苛烈だった沖縄での特攻
1945年3月、沖縄に50万を越す連合軍部隊が押し寄せました。日本で唯一の地上戦となった「沖縄戦」の始まりです。
南九州を中心に奄美群島、石垣島、台湾の基地から沖縄本島周辺の連合軍艦艇に向けて、数多くの特攻隊が出撃しました。特に4月6日には、陸海軍合わせて300機もの戦闘機、爆撃機が体当たり攻撃を行ったのです。
沖縄戦で被害を受けた連合軍の艦船は200隻以上にのぼります。そのうち40隻以上の駆逐艦が撃沈されるか、終戦まで戦線復帰できないほどの被害を受けました。
軍艦は、通常の爆撃や雷撃なら戦闘機や対空射撃、操船によってある程度は防御できました。しかし搭乗員が最後まで操縦し続ける特攻は、容易に避けられませんでした。1隻の駆逐艦に、同時に5機の特攻機が体当たりしたこともありました。
出撃した若き特攻隊員の思い
出撃した特攻隊員の多くが20歳前後の若者でした。陸軍少年飛行兵学校や予科練習生を経た少年、学徒出陣で動員された大学生もいました。戦争の時代と言える昭和初期に育ち、"お国のために"戦争におもむくのは当然、戦場で命を散らすのは名誉なことだという価値観の中で生きてきました。
特攻隊員になることは志願制とされましたが、そこには命令や指名もあり、拒否することはできませんでした。そのなかで、万に一つも生き残る可能性のない特攻を前に、苦悩したり疑問を感じたりした若者も少なくありません。
慶應義塾大学から学徒出陣し1945年5月11日に戦死した上原良司さんは、当時の日本という国家に対する疑問を呈しながら出撃しました。
「自由の勝利は明白なことだと思います」
「権力主義、全体主義の国家は一時的には隆盛であろうとも必ずや最後には敗れることは明白な事実です」
「一器械である吾人何も云う権利もありませんが、ただ、願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです」
戦場になった南九州 空襲で小学生も犠牲に
多くの特攻基地があった南九州は、繰り返し空襲を受けます。特攻機が出撃する飛行場などの施設や工場が標的になり、大勢の市民が犠牲になりました。
鹿児島県は奄美群島から種子島、本土の各地に数十回に及ぶ空襲があり、3300人を超す犠牲者が出ています。宮崎市では、5月11日にB29の爆撃を受けて集団下校の小学生16人が犠牲になりました。熊本県は、7月1日にサイパンから来たB29による大規模な空襲で焼け野原になった後にも、米軍が占領した沖縄の基地から飛来した戦闘機と爆撃機の空襲を何度も受けました。連合軍は、11月に予定していた鹿児島・宮崎への上陸作戦の前に、徹底的に南九州の軍事施設とインフラを破壊しようとしたのです。
沖縄戦での特攻犠牲者は日本軍3000人、連合軍5000人
沖縄戦の特攻での日本軍の死者は3000人余り。一方、攻撃を受けた連合軍側は5000人にのぼりました。いずれも20歳前後の若者です。
4月6日、米掃海駆逐艦エモンズは、特攻機5機に体当たりされました。エモンズに乗っていたアンソニー・エスポジトさんは2021年、NHKの取材に対してこう語っています。
「私は直撃を免れましたが、海面に死体がいくつも浮かびあたり一体は火の海と化しました。特攻機のエンジンとパイロットの死体を見ました。人生がこれからだという若者がカミカゼのパイロットになるなんて。恐ろしさに、私は海軍を去りました」
命を奪われたアメリカ人女性たち
4月28日の20時45分、沖縄本島沖で負傷した将兵の治療にあたっていた米軍の病院船コンフォートに、特攻機が突入しました。手術室を直撃し18人が即死、その中に6人の女性看護師がいました。
米陸軍看護隊の看護師だったドリス・ハワードさん(当時25歳)は、外科治療室にいました。爆発で飛ばされたドリスさんは、背中と頭を強く打ち聴力を一時失いました。船内は機関が停止し大混乱に陥り、スピーカーからは船を捨てろという叫び声が流れました。
「ペニシリンの注射を打とうとした時に、経験したことのない激しい衝撃に襲われました。私も負傷していましたが、患者がいたので見捨てるわけにはいきませんでした。負傷兵と一緒に沈むつもりでいました」(ドリスさんの手記より)
その後、火災が収まったコンフォートはグアムに向かいました。死者・行方不明者31人、負傷者は48人に上りました。ドリスさんは背骨と内耳に後遺症を負いましたが、100歳を超えても戦争の体験を語り継いでいます。
"War is hell. I've seen the worst of it. War is never the answer."
戦争は地獄です。私はその最悪なものを見てきました。戦争は決して解決策にならないのです。
沖縄戦と特攻、その後
1945年6月23日、沖縄戦の組織的戦闘が終わりました。その後、広島、長崎への原爆投下、ソ連参戦もあり、日本はポツダム宣言を受諾。太平洋戦争、そして第二次世界大戦は終結しました。
連合軍は日本が降伏しないことを想定して、宮崎・鹿児島両県への上陸作戦、続いて関東への上陸作戦を計画していました。特攻と玉砕という自らの命をあえて投げ出す日本軍の戦い方に対抗するため、原爆や化学兵器の使用も視野に入れていたのです。
もし日本が降伏しないまま、本土上陸作戦が行われれば、まさに一億玉砕の事態になったかもしれません。
特攻は、命を落とした若者たちだけでなく、家族や友人、特攻機の製造のために動員された人々など、多くの人の心を深く傷つけ、今もその非情な出来事は語り継がれています。なぜ戦争をするのか、その中でなぜ命がこうも軽く扱われるのか、こうした事態が起きる世界の、社会の仕組みはどういうことなのか。そうした問いには、今も解が与えられていません。
ココマデ ---------------------------
あれから80年が過ぎたが、老人に免許を返納しろと迫るのは先の太平洋戦争で若者に特攻を命じた日本軍の状態に似ている。戦争末期、戦局の悪化に追い詰められた大西中将は日本海軍の戦闘機ゼロ戦が250キロ爆弾を抱き、パイロットもろとも敵艦に体当たりすることを命じた。最後の瞬間まで人間が操縦するのであるから命中率は無論高くなる。だが、飛行機も搭乗員もどちらもその後永遠に戻ってくることはない。「日本は神国である」と叫んで「神風特攻隊」と名付けたはいいが神風どころか損失ばかり多くて「そよ風」にしかならず(ある程度の恐怖感を米軍に与えはした)、とても米軍を屈服させるほどの影響力を与えるほどのことはなかった。ただ、戦争継続のための資源の消耗速度が早くなっただけのことである。しかも、米側は「このような狂気にも近い作戦を思い立つような民族は何をしでかすかわからない」という思いを強め、そのことがB29による日本全土の無差別大空襲につながった(最終的にはトルーマン大統領による原子爆弾の投下の命令)、という説もあるくらいだ。
昔は若者に特攻を命じたが、今は老人に特攻を命じる。特攻隊員の中には「何でこんなことをしなければならないんだ」と泣きじゃくる隊員もいたというが、そういうのでも無理矢理操縦席に座らせて飛び立たせた。これは「免許返納をしたくない」とむずかる老人から無理矢理免許証を取り上げるのと同じであろう。
老人に免許返納を迫れば特攻を行った時と同じ結末が待っているだけで、日本経済が行き詰まるのが早まるだけである。彼らに免許の返納をさせれば、その時は戦果にはなる。まさに特攻の時と同じ一撃必殺だ。交通事故の根本的原因のひとつを絶つのだからその効果に疑問の余地はない。しかし、それでおしまいであり、もうそれ以上の効果は期待できない。にもかかわらず、それによって生じる経済的損失は永続的であり計り知れないものがある。警察権力にしても所詮税金で動いている。税収が減れば自分達の立場も安泰というわけにはいかないのではないか?
仮に80歳の老人が免許を返納したとすれば、その時点で彼が運転手となって起こす自動車事故の可能性は0パーセントになる(ボケて無免許で乗り回すといった例外的可能性はここでは除外する)。だが、彼がその後仮に90歳まで生きるとした場合に自動車関連で使うであろう数百万円のお金は消費されることはなくなる。それも100パーセントの確率で。
加えて注意すべきは、彼が免許を持っていたとしても事故が起きない可能性もあるということだ。それに対して失われる消費額は数百万円単位であって、これは100パーセント確実である。最近の免許返納者数は毎年おおよそ数十万人前後であるが、これは自動車事故の可能性が減ったということを意味すると同時に自動車関連の出費が1年あたりで数百億円減ったことを意味する。そして、その額は今後雪だるま式に増えていくだろう。また、言うまでもなく老人を締め上げていき、免許返納を強制すれば、それはとりもなおさず教習所のお客様がいなくなることに直結する。商売を熱心にやればやるほど、自分で自分の首を絞めていくことになる。こんな馬鹿なことをまともな神経のある人がするだろうか?どこの商売人が喜んで自分の商品をぶち壊していくか?こんなのはまるで田植えの終わったばかりの水田をトラクターできれいにするようなもので、田んぼはキレイになるかもしれないが、成長の芽はなくなってしまう。
これはまさに、特攻のもたらした結果に酷似している。「万歳、万歳。あなた特攻隊員は救国の英雄だ」と送り出したのはいいが、それで勝てる通りもなく米軍による容赦ない無差別爆撃を蒙ることになり、それこそ何十万人という一般市民までが犠牲になっていった。
「万歳、万歳。免許返納をした老人は英雄だ。これで道路が安全になった」と喜んだのも束の間、どうしようもない経済の悪化が待っていることは間違いない。
加えて、免許返納による副次的効果も見逃せない。詳しい統計は知らないが、免許返納をすると老人はボケやすくなるということを聞いた。現に私の義兄も74歳くらいで免許返納をしたが、途端にボケが始まった。78歳になった今は介護施設に入っている。現役時代は大手企業の部長をしていて年収も1500万円あったので年金額も多い。退職金も3000万円あった。裕福な老人の部類に入るだろう。車を運転していた頃はゴルフに行っていたし、遠くにドライブにも出かけていた。ハワイ観光や世界一周のクルーズ船を使った旅行もしたし、飲食店などで美味しい物を食べたり酒を飲んだりしていた。だが、それは今はない。施設に閉じこもりテレビを見るだけの毎日である。そして、自分で自分のことがうまくできなくなり、介護保険の世話になっている。お金を国の経済のために落としていた人が、今では国民経済に負担をかけるだけの存在となっている。彼の銀行口座に入る多額の年金は病院と施設のために使われるだけで日本経済の成長に何らの寄与もしていない。
私も人生最後の車として何か高級車でも買おうかなとついこの間まで考えていた。しかし、年寄りにとってこうまで免許の更新が難しくなってくるとその考えも放棄せざるを得ない。むしろ「車を持たない方が楽かもしれない」とすら思う。交通の便が悪い田舎と違い、私が住んでいる場所は市内の中心部で、バスや電車の便利が非常に良い。家から5分も歩けばバス停があり、数分単位でバスが来る。ICOCAのカードを使えば乗車の手続きも簡単で、後は座席に座っていれば目的地につくので楽ちんだ。タクシー会社も私の自宅の電話番号をデータにしているので、電話をかけるだけでこちらの住所も何も言う必要はない。すぐに来てくれる。隠居生活で会社勤めもしていないから通勤の足として車を使用することもない。毎日家にいるだけの暮らしである。スーパーやCoCo壱番屋、マクドナルド、モスバーガー、すき家などファストフードの店も近隣にある。セブンイレブン、ファミリーマート、ローソンも自転車ですぐの距離内にある。クロネコヤマトや郵便局、くら寿司などの回転寿司店もある。ブックオフは少し遠いが自転車で行けない距離ではない。電動自転車を買えば楽勝だ。新刊書はアマゾンのまとめ買い(送料が安くなる)で決まり!都市部の地価は高めではあるが、やはりそれには根拠があるのだろう。
私はもともと意味もなしに自動車を走らせたりすることは嫌いなので、ただ走ってみたいからというような曖昧な理由でドライブに出かけるというようなことはほとんどしない。雨が降ったら晴耕雨読の精神でいく。家電などの大型商品が欲しければネットで注文すればすぐ配達してくれる。重い灯油でも家の前まで売りに来てくれる。病院も近い。内科、胃腸科、呼吸器科、整形外科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、市民病院等々、いたれりつくせりでどの病院も自転車で簡単に行ける距離内にある。その上、自動車を持たなければマイカーローン、車検、保険、税金、ガソリン代、オイル交換、高速代、駐車場代、洗車、ワックスがけ、等々面倒で金のかかる生活とは縁を切ることが可能だ。こう書いているうちに自動車のためにどれだけ余計なお金がかかっているのか腹が立ってきた。私の知り合いに金持ちの人が何人かいるが、中には車をまったく持っていない人もいる。彼の移動手段は常にタクシーである。その方が経費として落としやすいし、会合などでお酒を飲んだ時に帰宅するのに都合がいいからだと語っていた。お金持ちはお金の使い方も上手い。
高齢者講習に関して注意すべきことは、『元戦艦大和の乗組員の一生涯』でも取り上げたのだが、相手が弱者だからといって利用しつくしてしまうと後で必ず強烈なしっぺ返しを喰らうということである。私が自動車免許を取った頃は高齢者講習などというものはなかった。そんな小細工を労しなくても生徒は掃いて捨てるほどいたからだ。当時の教官達は高圧的であったし、威張っていた。「ふん、生徒なんかいくらでもいるんだからな・・・」
何しろベビーブーマー世代である。あの頃は文字通りボウフラが湧くように自動車学校の校内は生徒で溢れかえっていた。生徒を物のように扱って平気な態度をしていた教官もいたくらいだ。自動車学校は左うちわで儲けが増え、生徒はそのための資源でしかなかった。
ところが時は流れ、あのときの若者達がモンスター老人となり再び教習所の門を叩く。そして、今回は彼らが強い勢力を保ちながら大きな負担となって教習所の背中に乗りかかろうとしている。
話が少し飛んでしまうのだが、これは米国の黒人奴隷の制度とも似たようなところがある。白人が便利だと思って米国南部に連れてきた黒人奴隷が今や米国において大きな勢力となり、国の命運を左右するような強力な存在になっている。その扱いを間違えるととんでもないことになるので、かつての白人支配者階級も戦々恐々の有様である。
さらに現代の米国では高額な医療費が問題になっているが、あれも元を正せば医療過誤に対する高額な賠償請求が裁判所で認められたことに根本的原因があると思う。患者が死亡した原因にちょっとでも病院側に落ち度があれば懲罰的損害賠償といって何百億円もの賠償金の支払いが原告となった病院に求められる。英語にアンビュランス・チェイサーという語句がある。意味は「救急車追っかけ人」という意味で、何か病人が発生したら病院を訴えるためのチャンスとみて弁護士が後をついてまわる様子を揶揄した表現だ。まさに米国の弁護士というのは病院を食い物にするハゲタカのような存在である。これも一種の集団ヒステリーに似たようなところがあり、「病院は悪い。ひどいことをする。お灸を据えてやれ」というような国民感情が広がって、その動きに弁護士が乗ったために、医療費が暴騰を始めた。仮に病院に過失があったとしても何もそこまで賠償金を求める必要はなかったはずなのに、そういう過度な攻撃をしたために、そのための対策費として医療機関が医療費を値上げした。結果として多くの米国民が満足な医療を受けることができなくなり、盲腸程度の入院でも何百万円もの治療費を請求されるようになった。結果アメリカ人の中には歯の治療のためにわざわざメキシコまで出かける患者もいる。
極めつけは1920年代の禁酒法である。「酒は悪魔の飲み物だ」と酒を追放する団体の動きが活発になり米国議会が禁酒法を可決してしまった。だが、それによって地上の楽園どころかギャング達が密造酒の利益を巡って血で血を洗うような抗争劇が始まり、アル・カポネのような大物が出現した。これも集団ヒステリーのもたらした悲劇の一例である。
第二次世界大戦中、ドイツはユダヤ人を迫害し強制収容所に送り込みガス室で「処分」した。ロシアに侵攻した時には大勢のロシア人やユダヤ人を虐殺した。そして、英国のロンドンに対して市民を標的にした無差別爆撃を強行した。やがてそのしっぺ返しとして起きたのがドイツ本土に対する何千機もの英米戦略爆撃機からなる絨毯爆的であった。大小を問わずドイツの都市という都市が焼き払われ、特に戦争末期のケルン大空襲ではドイツの敗北が決定的になっているにもかかわらず、情け容赦のない大爆撃が実行され何の罪もない一般市民が多数犠牲になっている。その数は数万とも言われるが、現在に至るも正確な数字は分かっていない。ドイツは戦後戦勝国のひとつロシアによって東西に分断され、哀れ東ドイツの国民は共産主義の独裁政党下において約40年間もの長く苦しい不自由な生活を凌がねばならなかった。
もって他山の石とすべき事例ではないか?
余談だが、教習所はこれからむしろ高齢者向けの高機能車を販売する場所として機能するようになったらいいと思う。実車指導もいいが、それよりも高齢者の適性を調べて「あなたにはこうした自動車が適していますよ」とアドバイスをするような組織になったらいい。自動車メーカーと一体になって高齢者向けの高規格自動車を開発していったら面白いだろう。そして高齢者にもっともっと車に乗ってくださいと勧めるような場所になればウィンウィンの関係が築けるかもしれない。
運転免許証の高齢者講習を終えて @bingoyotaro
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