まだ子供

「今から足首を手前に引っ張りますね。痛かったら言ってください」


「う~、ちょっと痛いかも~」


「もう少しだけ我慢してくださいね……。はい、終わりです」


 訓練の授業中に桃さんが足首を痛めてしまい、今は整備室で応急処置を行っています。ちなみにさっき行ったのは『前方引き出しテスト』と呼ばれるもので、靱帯が切れていないか確かめる試験です。


「骨折や靱帯損傷はなさそうなので、捻挫でしょうね。数日は安静にしてください」


「はい、分かりました~」


「ひとまず患部を氷で冷やしつつ固定しておきますね。それから足を少し高い場所に置いておきましょう」


 捻挫の応急処置はRest(安静)・Icing(冷やす)・Compression(圧迫)・Elevation(持ち上げる)が効果的とされていまして、それぞれの頭文字をとってRICEと言われます。ただし安静にするのは受傷後数日までとし、出来るだけ早期に運動を再開すべきとされています。

 このあたりは魔法少女に限らず、一般人の捻挫と同じですね。


 ――キーンコーンカーンコーン♪


「桃さん、大丈夫ですか? あ、久美さん……」

「桃っちー! 大丈夫?! 久美ちゃん、桃っち大丈夫なの?!」


 ちょうど応急処置が終わったタイミングでチャイムが鳴り、程なくして瀬奈さんとアヤメさんが駆けこんできました。


「うん、大丈夫だよ~」

「ちょっとした捻挫ですので、数日でよくなりますよ」


「そうですか、それは良かったです」

「はー良かったぁ……。すっごく痛がってたから不安だったんだよー!」


「あ、そうだ。この後お時間はありますか? 念のためにお二人からも受傷時の状況を聞いておきたくって」


「はい、大丈夫ですよ。終礼には出ないと伝えておきましたので」

「私も問題ないよー」


 こうした情報を集める事は事故を未然に防ぐのに役立つので、積極的に聞くことにしています。



 そして情報収集がひと段落ついた後は、普通におしゃべりすることになりました。


「あ、そういえばー! 昨日のお昼休みの事、聞いたよー。久美ちゃん、めっちゃ怒ったんだって?」


「昨日のお昼休み? ……ああ、アレですか。なんて聞いたんです?」


「えっとねー。瀬奈っちが『どうしましょう、私ったら久美さんに嫌われちゃいました……』って何回も何回も言ってたよー!」

「ちょっと、アヤメさん?!」


「あはは、まさか。嫌いになったりしませんよ」


 むしろ瀬奈さんを助けるために声をかけに行った訳ですからね。


「だってさ! 良かったね、瀬奈っち!」

「そ、そういうのじゃないですから!」


 なるほど、瀬奈さんって結構繊細な方なんですね。ちょっと注意しただけで、そこまで不安がるなんて。

 次からはもう少し優しく注意することにしましょう。


「それにしてもいいなー! 私も見てみたかったー!! なーんでこういう時に限って先生に呼び出されるかなぁ。はあぁぁぁ」


「ええと? 普通そこは『居なくてよかった』じゃないですか?」


「だってー、お怒りモードの久美ちゃんってすっごいカッコいいじゃん! 普段のドライな感じもいいけど、情熱的になる久美ちゃんはとってもステキだからさ! 私も怒られたかったなーって!」


「ちょっ、彩芽さん? 何言っるんですか? そんな風に言われると恥ずかしいです///」


「あ、恥ずかしがってる久美ちゃんはかわいいー!」


 そう言ってアヤメさんは私のほっぺをちょんちょんと突いてきました。

 そうこうしていると、瀬奈さんがアヤメさんをグイっと後ろに引っ張りました。


「ちょっとアヤメさん! 怪我人が傍にいるんですわよ、あまり騒がない方がよろしいのではなくて?」

「あー、また変な口調になってる! 瀬奈っちったらひょっとして妬いてる? でもまあ、そうだよねー、大声を出すのは良くないよねー。あ、そうだ。ウチら、桃っちのカバン取ってくるよ」


 そういって二人は整備室から出ていきました。私は桃さんの方を向き直り「騒がしくしちゃってすみません」と謝ります。


「うんん、楽しそうなのは好きだから、全然いいよ~。……あのね。昨日、ありがとうね。やっぱり先生はさすがだな~って改めて感動しちゃった」


「そんな褒められるような事じゃないですよ。立場を利用して注意したにすぎませんし」


「そんな事無いよ~。先生はただ辞めさせるんじゃなくて、『何が悪いのか』『どうして悪いのか』を情熱的に訴えてて……。だからみんな素直に反省出来たんだろうなあ~って。対して私は何も出来なかったのが、ちょっとショックなんだよね~。嫌な気分になってる子がいるって分かっていたのに、私は何も言えなくって……」


「それは……」


「先生は昨日『大人になると注意してくれる人が減っていく』って言ってたよね。そうなったら、友達同士で注意し合う必要があると思うの~。だけど、私、そんなの出来ないんじゃないかって思って……」


 そう言って桃さんはしょぼんと俯いてしまいました。

 桃さんは……ほんと大人びていますね。そこまで考える事が出来るなんて。


「桃さんは優しい人ですから、大人になる頃には出来るようになってますよ。ですから、安心してください。そして自分を攻めないでください。まだまだ桃さんは子供で、まだまだ桃さんは成長できるんですから」


 私はベッドに腰かけ、桃さんの隣に並びました。そしてぎゅっと彼女を抱きしめました。


「せ、先生?」


「以前は私がしてもらいましたから、そのお返しです。よーしよし。今日は桃さんが甘えてください」


 びっくりして体に力が入っていた桃さんでしたが、次第に力を抜いて私に体を預けてきました。


「ありがとうございます、先生」


 そして訪れる静寂。窓の外からかすかに聞こえる喧騒をBGMに、私達はゆったりとした時間を過ごし……。



 ――ガラガラ!



「遅くなってすみません! 荷物、持ってきました……よ?」

「途中で先生に話しかけられてさー。って、ありゃりゃー。ひょっとしてお邪魔だった?」


「「あ」」



 さっきまでの静寂から一転、大騒ぎになってしまいました。

 結局、誤解を解くのに30分ほどかかりました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る