1.5


 数分経って、和田の爺さんが、4本のマレットを持って戻ってきた。


 ユージは、生まれ変わった愛しいマレットに視線を奪われていて、背後にいる俺なんてお構いなしだ。まぁ、いつものことだけど。


「やぁ、春一はるいちくん。久しぶりだねぇ」


 ユージの態度に少し不貞腐れた俺は、ユージの肩に顎を乗せたまま口を尖らせ「よぉ、爺さん」と返す。


 ユージのマレットを包装している和田の爺さんの口角が上がっているように見えて、爺さんは、なんだか喜んでいるようだった。

 


「和田の爺ちゃん、ありがとう」


「佑二くん、いつもありがとう。この前、君のお父さんにも法事に来てもらって助かったよ。よろしく伝えておくれ」


「わかった、伝えておくよ」


「そういえば、春一君のところのピアノは、そろそろ調律の時期じゃないか? また連絡してくれよ」


 俺のピアノ騒動を知らない和田の爺さんが、ごく自然に地雷を踏んできた。


 咄嗟にユージの顔色を確認しようとしたら、いつものヘラっとした顔のユージと目が合った。


 たしかに、和田の爺さんには、まだだったな……。


 チラリと壁に掛けてあるカレンダーを見ると、仕事から孫の授業参観まで、びっしりと用事が書き込まれているにもかかわらず、今度の土曜日、ちょうど1年前の春に頼んだときと同じ週の土曜日だけぽっかりと予定が空いていた。


「あー…、わかった。というか、今度の土曜お願いできる?」


 俺の言葉のあと、ハッとした様子のユージと再び目が合う。

 そんなに驚くことないのに。


「今度の土曜か……、どれどれ」


 和田の爺さんは眼鏡をずらし、壁にかけてある月めくりのカレンダーで予定を確認する。


「春一君、空いてるから大丈夫だ。時間はいつもどおりでいいかね?」


「あぁ、それで頼むよ」


 俺の依頼の通り、和田の爺さんは、カレンダーに予定を書き込み始めた。

 もう、いいか、と思ってユージに声をかけようとしたら、ユージはポカンとしていた。


「おい、ユージ。用が済んだなら行くぞ」


 ポカンといていたユージが少しびくりとした気がした。


 俺は、和田の爺さんが書き終わるのも見届けずに、ユージを置いて、一足先に店の外に出て行く。


 背後で、カウベルが何も知らずにいつもどおりコロンカラン鳴る。




 ちょっと、ハル。

 辞めたのに調律頼むって、どーゆうこと?


「爺ちゃん、いつも、ありがとう。ハルが素っ気なくて、ごめん」


 春一の行動に混乱して取り残された佑二は、和田の爺さんにお礼を言って、急いで春一を追いかけた。


「ハル、ちょっと待ってよ!」




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