第63話 未来予想図 II(1989年)DREAMS COME TRUE

 平成2年(1990年)4月1日

 早稲田大学戸山キャンパス 体育館(現37号館 早稲田アリーナ)


 早稲田大学のたくさんの入学生の中にわたし(原智子はらともこ)はいた。


 高田馬場駅から早稲田通は学生や父母で多くの人があふれ、白い服をきた怪しげな宗教団体が学生を勧誘している。

 数年後にあの教団が、オウム真理教だったことを知り、大事件を巻き起こすとはその時は誰も思っていない。


 わたしは失意のまま上京してきた。


 カレシというか男友達というか、罍秀樹もたい ひできは浪人して、長岡市にある新潟予備校に通うという。

 福島江の前に建っているその予備校の前のサクラは、もうすぐ満開になるだろう


 わたしは最初に高校で出会った橘恭平に思いがあった。わたしが親友の星夏美に、通学の電車の中で彼を紹介したばかりに、あの二人は恋人同士になってしまった。


 それがわたしには叶わぬ恋となった。


 わたしは、ゆくあてもなく、この大学に来たようなものだ。


 きっと東京では新しい出会いがあるだろう。

 恭平よりもっとイイ男はいるはずだ。

 そう思うしかなかった。


 しかし、早稲田大学の入学式会場に入ると、どこもかしこも地方から出てきた、似合わない、あか抜けないスーツを着た男ばかりだった。


 東京のイイ男もいるだろう。

 しかし、ここに来るような男は男子高出身ばかりで、高校時代は女の子の「お」の字もしらず勉強してきたような男ばかりだと、すぐに知った。


 早稲田大学の付属校は男子高校しかなく、女子はいないのである。


 東京オリンピックのバレーボール競技が行われた大体育館は、とても地方の学校では見たことのない大きさであった。


 総長や大学のお偉いさんが、ガウンを着て、頭に「ハカセ」が被っている帽子で登場したときは思わず吹きそうになった。

 あんな帽子、ホントにこの世にあるのか。外国の学生が卒業式に被るのだろ?

 なんで教員が被っている?


 それにこの大学の学帽が、漫画の「フクちゃん」の帽子だということも、その日に知った。



 西原総長の長いあいさつ、退屈な祝辞、そして校歌を聞いて、やっと早稲田に入ったことを実感した。


 父は記念撮影をしたいと自分から言った。


 父は工業高校を卒業して就職し、大学というものをぜひこの記念に見たかったのだ。

 戸山キャンパスから歩いて10分くらいのところに本部がある。

 その大隈講堂の前で記念撮影したいと言う。


 穴八幡宮の交差点を渡って、三朝庵のそば店から講堂までつづく道のりは、多くの人と人でごった返していた。


 この通りには定食屋とか古びた食堂が並んでいて、

 父は「食事には困らなそうだね」

 と言っているが、このような油の匂いのするような外食ばかりでは体に悪いだろう。


 案の定、大隈講堂の前では、多くの人が記念撮影をしていた。

 なかなか他の人が映らないように写真を撮るのは難しい。


「お父さんも撮ってくれ」と言われ、大隈講堂をバックに父の写真を撮ることにした。 講堂から、本部キャンパスをのぞくと、もう原宿の竹下通と思うかのようにたくさんの人がいる。


 父は工業高校の技術屋である。でも早稲田大学は憧れの大学だったという。

 理由はよく知らない。


 父と昨晩、これから下宿する、下井草の6畳一間、小さなユニットバス・トイレ付のアパートに一緒に泊まった。


 この狭い部屋で父親と一緒に並んで寝るのは何年ぶりだっただろう。

 ホントに小学校低学年以来ではないか。


 父と娘で布団で並んで長い会話をした。


 工業高校を出て集団就職をして東京に出たという。


 長岡駅から列車に乗り、上野駅について、葛飾区の町工場に住み込みで働いたという。旋盤を使い金属部品加工の仕事に就いたそうだ。


 だがしばらくして、越路町塚山に残してきた父と母と、農作業のことを考えて帰郷した。

 そして地元で仕事を探して、バイクの計器を作る仕事を見つけた。これからは自動車の時代だと。その予想は当たったのだ。


 今は、フォーミュラーカー、F1のレーシングカーに搭載されるタコメーターを提供するまでに成長したのだ。その様子を嬉しそうに語った。


 いままで頑固オヤジで、家ではバイク好きで、ガレージに入っていつもバイクをいじっている父親だった。こんなに会話をしたことは無かったし、仕事のことも始めて聞いた。

 「いいか、夢を持ち続けることは大切だ。諦めたら終わりだ」と。


 最後に「お前は本当は何をやりたいんだ?」と聞かれた。

 自分には即答できなかった。


 この大学受験は失恋の失意の結果でしかなかったのだ。


 入学の目的は「男を見つけるため」。わたしにはそんなもの。


 父親がなぜこの学校に憧れていたのか、ついぞ聞けなかったが、

 成績がよいからって人間は立派は訳じゃない。


 父親に比べたら自分なんて大したことない人間だ。


 わたしの父親はF1カーの計器を作って、世界の頂点で闘っている


 そして翌朝の、入学式の日の朝食は、父とコンビニで買ったパンと牛乳で済ませた。あっさりとした父と別れの朝食だった。


 父は卒業式が終わったらすぐに長岡に帰って行った。

 写真を撮り終え、地下鉄東西線の早稲田駅で別れた。



 これから初めての一人暮らしになる。

 わたしは、はじめて自立する。自炊して家計のやりくりをする。

 高校のみんなも18歳。いったいどうしてるんだろ。


 科目履修申請の届けは後日となっていて、街の散策を兼ねて、大学から高田馬場駅まで歩くことにした。本部キャンパスの見学は後日だ。


 早稲田通とグランド坂の交差点で信号待ちをしていると、

「あれ、智子じゃね?」

 と呼ぶ声を聞いた。


「あ、五十嵐いからし(和彦)久しぶり……ん、真水しみずさんも一緒に」

 社会科学部に入学が決まった高校同期にバッタリ会った。


「あ、彼女の入学式が別の日だから、俺の入学式に誘ったんだ」

 彼のスーツは高校の卒業式に来ていたものと同じだ。


「智子もスーツなのか。卒業式は袴だったもんな。スーツも似合ってるよ」


 コイツは口が上手くなった。真水さんと付き合いはじめてからだ。


「でもなんでアンタ、彼女を入学式に同伴させるのよ!同伴者は保護者と書いてあったでしょ!」


「彼女は保護者みたいなものだ」


「そりゃ、アナタはこの子のオッパイを吸ってれば、母親も同然だろうけどね……わははは」


「相変わらず、智子は毒舌が絶好調だな……はは」


 真水さんも笑っている。表参道の美容師専門学校に通うと言っていた


「一人でぶらぶら馬場(高田馬場)まで歩くの退屈だから、一緒に駅まで行く?あんた、どこに住んでるの?」


「鷺宮(西武新宿線鷺宮駅)だけど。」


「え、西武線?同じじゃん。彼女は?」


「……同じとこ」


「もう同棲してんの?」


「いやアパートは別だけど、同じ駅で近くに住んでいるんだ」


「やっぱりね……あなた達、彼女の母親公認だもんね……」


 そういいながら、早稲田通りを高田馬場まで3人で一緒に歩いた。

 アーケードがあるところが、長岡の雁木の街を思い起こさせる。


 古びた通りである。

 たくさんの古書店がある。もちろん新書を扱う書店もある。

 おじいさんが一人で店番しているような古書店がたくさんあって、本が好きなわたしには面白そうな通りだ。

 

 ひとつひとつ書店を覗いて見てみたいが、多すぎてキリがない。


 この早稲田通り書店街が、まさしく文化都市「東京」だ。

(※現在は早稲田通の書店街の本屋は激減して3分の1以下の数になっている)


 神田の書店街にも行ってみたい。


 高田馬場駅まで着くと、駅周辺は地下鉄工事が行われていて、道路には鉄板が敷かれていた。


 五十嵐の彼女の真水さんが、

「あ、そこのウエンディーズでなにか食べない?最近いつも行ってるの」と言った


「夕食の手間も省けるから、そうしよっか?」


「俺もそれでいいと思うよ」

 3人でその店に入っていった。


 このウエンディーズのクラムチャウダーとミネストローネが、わたしが東京で最初に気に入ったメニューだった。

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