第59話 Easy Come, Easy Go! (1990年) B'z 

 平成2年(1990年)4月 慶応義塾大学日吉キャンパス



 東急東横線の日吉駅を降りると、すぐ目の前に慶應義塾大学日吉キャンパスがある。


 駅の前から続く銀杏並木は、春の陽気で少しずつ青々とした葉をつけはじめていた。


 昭和33年に建てられた古びた日吉記念館

 多くの新入生で溢れている、入学式の日

 建物正面には塾旗が掲げられていた。


 明るい色のスーツ姿の新入生たちが、ワイワイとこのキャンパスで賑わっている。


 この日吉記念館の近くに、旧海軍の連合艦隊司令部があったということを忘れ去れるくらい、今は平和な場所である


 わたし(星夏美)、は高校担任に言われた「キチンと勉強して、わが校の名誉を傷つけるな」という言葉がいまだに胸に突き刺さっている。


 それよりも、いまだにこの場にいることが信じられない。


 周りにはあか抜けた都会の子たち。


 翻ってわたし自身を見れば、新潟の田舎から出てきたイモ娘……


 恭平きようへい(橘恭平)と長岡で別れて、小出(北魚沼郡小出町)の実家の電話番号を聞いていたのだが、受話器を取って、プッシュホンを押して、最後のボタンを押す手前で手が止まる。


 いままで平気の「へ」の字でカレの官舎に電話していたのが、ウソのように勇気がない。カレは今、どうしているのだろう。


 実は、1回彼の家に電話をしたことがある。母親が電話に出て、慌てて「すみません、間違えました」と切ってしまった。


 なんてひどいことをしてしまったのかと……


 彼の実家には留守電がないようだ。黒電話である。


 そして今はカレは大学の寮に入っている。カレから聞いた話だと、寮の部屋には電話はなく、寮の廊下や食堂にテレホンカード専用電話があって、カレはそこから掛けるしかない。

 寮の舎監の電話は緊急時用という話を聞いていた。


 大学のオリエンテーションを終え、単位の履修届を出さなければならないのだが、長岡大手高校から慶應義塾大学に来たのはわたし1人だけ。


 友達がいるわけでもなく、周りの女の子たちは附属高校から上がってきたのか、友達同士で仲良く話しながら、どんな科目を履修するのかを話し合っていた。


 わたしは孤独だ


 サークルの勧誘も耳に入らず、誘ってくる男性はいかにも都会の男子という感じで、「あんなチャラチャラした男にはひっかからないぞ」とおもいつつ、

「結構です」と言ったり、無視をしながらサークルの勧誘を振り切っていた。


 京王線のつつじヶ丘から電車に乗り、新宿方面ではなく、逆方向の京王相模原線に乗って通っていた。最初は渋谷まで出ていたのだが、こちらのルートの方が朝のラッシュを避けられることに気がついた。


 入学式を終えて数日過ぎたある日


 いつもどおりサークルの勧誘を振り切りながら歩いていたときに


「もしかして、星さん、星夏美さん?」

 という女性の声がした。


 わたしにはこのキャンパスには知り合いはいないはずだ。


「わたし、ほら、覚えている?長岡高校の鷲頭祥子わしづ しょうこ


 鷲頭、鷲頭……?

 長岡高校?


「ほら、星さん、橘クンのカノジョだった人でしょ?紅ジャケ団のイベントにわたしも出てたじゃない!」


「あの時の……ワシヅさん?」


 鷲の頭という、なんかアメリカ軍みたいな名前で、この名字は越路町の人だなと思っていたが、中学校と高校が違ったので面識があまりなかった。


 鷲頭さんは、知っている人に会えてうれしそうだ。

 わたしも見覚えのある人に会えて、孤独から解放された気がした。


「うれしい……やっと知っている人に会えた。ここ、みんな内部進学の子たちばっかりで」

「わたしも。鷲頭さんはどこに住んでいるの」


「都立大学」


「東横線なんだ、家賃高いでしょ」


「メッチャクチャ高い……あなたは?」


「京王線のつつじヶ丘」


「京王線?なんでまた?少し遠くない?渋谷経由?でも、よかった。あとで一緒に自由が丘に行かない?渋谷に出て帰れるでしょ」


「ええ、いいわよ」


 わたしとカノジョで日吉キャンパスで立ち話をしながら、

「ねえ、星さんサークルとか決めた?」


「知り合いもいないし……六大学野球の慶早戦も行きたいから、なんか適当なテニスサークルにでも入ろうかなと思っているんだけど。わたし高校で庭球部だったし」


「テニスサークルはね、内部進学、付属高校から大学に来たお坊ちゃん、お嬢さんたちのお金持ちのサークルと、地方から来た人たちが多いサークルに分かれるらしいよ。高校の先輩が言ってた」


「そうなんだ。やっぱりね。この大学はそれっぽいよねー笑」


「そうそう、わたしのような田舎から来た連中は、そういうお嬢ちゃま、お坊ちゃまサークルに入ると地獄を見るわよ」


「言えてるーそれ」


 ちょうどそんな話をしていた時だ。


「ねえ、カノジョたち、サークル決まってる?」


 絵に描いたような慶應ボーイが声を掛けてきた。


 わたしは京王線の京王ガールか?


「どんなサークルですか」


「テニスのサークル」


 いま話をしていたばかりだ。


 それも二人連れ。一人は先輩風だが、一人は新入生ぽい感じである。

 これは、内部進学の先輩後輩か?


「ねえ、君たち、可愛いじゃん」


 鷲頭さんが

「そうかしら?」


 おいおい、今言ってた、お金持ちサークルっぽいじゃん、この二人連れは!

 可愛いいといわれてマンザラでもない雰囲気……


「君たち、ぜひウチのサークルに入ってよ。慶早戦のチケットも手配するから」

「え、そう?ほんと」


 おいおい、鷲頭さん……


「あなたたち、ナンパですか?」


「違いますよ!れっきとしたサークル勧誘です!あ、でもキミ、カワイイね」


 コイツら口がうますぎる……

 彼らは、バインダーに罫紙を挟んで鷲頭さんに渡した。


「ここに住所と名前と電話番号を書けばいいのね」

 おいおい。鷲頭さん、いま気をつけろと言ったばかりなのに!

 名前と電話番号を書いているし……


 さっきまで「都会の男に気をつけろ」と言ってたじゃん


 あっさりナンパサークルに陥落かよ?

 やれやれだわ……


「ねえ、そこのカノジョも……キミ、身長高くて……モデルやってた?服のセンスいいし」


「そんなことないけど……ここに名前と電話番号を書けばいいのね」


 結局、わたしもか……(笑)ハメラレタ……


 住所を書いていた時


「あれ、キミ、調布?つつじヶ丘?俺ン家と近くじゃん」


「はい?」


「俺、成城だけど」


 でたー!金持ちだ、コイツらやっぱり

 二人連れの後輩っぽい男の子がそう答えた


「キミと家が近いし……高校は?」


「私は地方から出てきたんです」


「そ、そう?なんかそんな風には見えないけど。そうだ、俺からキミに電話するからさー……」


 なんか、私たちヘンなのに引っかかったぞ……

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