第44話 Take My Breathe Away(1986年)Berlin

 

 平成元年秋


「いけね!7時30分! 夏美、何で目覚ましを止めてんだよ!」

「あなたが起きないのが悪いのよ!」

「クソー!朝食食ってるヒマがねぇ!」

「長高(長岡高校)の前のマルシャン(パン屋)で買えばいいでしょ」

「電車は?遅れるぞ!」

「あなたのバイクがあるでしょ」

「またかよ!とりあえず7時50分の長岡行きに間に合うかどうか……」


 わたし(星夏美)の父は西ドイツの支社に赴任してデュッセルドルフに住んでいる。越路町こしじまちの家には私しかいない。おじいちゃんは亡くっていて、祖母は時老人ホームにいて時々しか帰らない。

 母は夜勤などで、時々いない時がある。

 


 恭平の父親が秋の初め、中風ちゅうふう(脳梗塞、脳卒中などのこと)で倒れ、片麻痺になって小出町こいでまちの実家でリハビリテーションで住んでいる。中学校の音楽教師の母親と一緒に。


 恭平は大学受験を控えており、小国町おぐにまちの教員住宅にそのまま年度末まで借りられることになっていた。

 年度途中であったので、町の教育委員会に頼んで年度末まで教員住宅に住まわせてもらっていたのだ。


 恭平は、一人暮らしということもあり、私がひとりの時に泊まりに来ていた。一緒に越路町のAコープ(農協のスーパーマーケット)で買い物をして夕飯をつくり、ふたりで受験勉強をしていた。

 そして、夜は時々……であった。


「ほら、早く着替えろ」

「髪が……」

「ヘルメットを被るから同じだよ!」


 わたしの高校も私服になって、制服のスカートから解放されたので、ジーンズを履いてもかまわない。

 彼も同じ。シャツを羽織って、ブルゾンを着て、そしてわたしの部屋から階段を駆け下りた。


「バイクのエンジンを掛けとくから、鍵しめろ」

「わかってるわよ」


 彼はスズキの250ccのバイクのエンジンをセルモーターで掛けようとするが、なかなか掛からない。


 セルモーターがキュルキュルと、か弱い音をたてている。

「バッテリーが弱ったかぁ。年季が入っているからな。肝心な時にかからん。そろそろバッテリーを、変えないとか……」

 キックレバーを出して、何回か蹴っている。


 わたしはガレージのシャッターを閉めて鍵をかけて、彼のバイクの後ろに跨がって、ヘルメットを被った。


 ドロン……ドロドロ……

 やっとエンジンが掛かったようだ。




「塚山駅まで間に合うか。しっかりと捉まってろ」

「ええ」


 わたしは彼のお腹の前で手を結んで、ギュッと体を寄せた。


 ガチャッと変速レバーを踏み込む音とともに、急いでバイクは庭から公道に出る。

 しかし彼のことだから安全運転。


 カーブを曲がって、上り坂になっている塚山踏切が見えた。

 その瞬間、踏切のランプが赤く点滅を始めた。


「しまった、間に合わない。長岡行きが来る!」

「ええええ!」


 坂を上る途中に遮断機が下りて、その前にバイクは停車した。

 白地にブルーと赤の線が入った電車が目の前を早いスピードで通り過ぎていく。


「間に合わなかったか……」

「あーあ、遅刻か」

「バイクで君の高校に送るから!」

「月曜の朝から、カレシのバイクで登校?どんな女子高生だよ!」

「まあ、やばいヤツだな。ヤンキー女だ」


 塚山駅前の国道で、電車が発車していくのを、私たちは走るバイクから見つめていた。


 もう9月も半ば。

 涼しいを通り越してジーンズに当たる風が冷たい。

 越後岩塚駅方面の道に入ると田園地帯で、道路は線路と並行している。

 田んぼは稲刈りの真っ最中で、農家は稲刈りを始めようとしていた。


 越後岩塚駅で電車が停車して、私たちのバイクはそこで電車を追い越す。追い着いたり追い越したりである。


 そして越後岩塚駅を過ぎ、すぐにバイクの後ろから電車が迫ってきた。電車は時速80キロくらいか。

 電車が私たちのバイクを再び追い越すその時、電車の窓には原智子の顔があった。

 彼女はいつも定位置に立っている。


 智子は恭平のバイクに気がついたようだ。

 そして後ろで二ケツ(2人乗り)している私の姿も。


 彼女は大魔神のような、すごい表情をした。

 そしていつものように、私に向かって中指を立てた。


 ふんっ!

 わたしはヘルメットのバイザーを開けて、智子に人差指と中指で敬礼のジェスチャーをした。

 電車は私たちを追い抜いて去って行った。


 ◇◇◇


 その日の学校で、

 わたしは教務室(職員室)に担任に呼び出された。

 放課後に生徒指導室に来いと言われた。


 クラスで呼び出しされたとき、クスクスと周りの生徒が笑う声を聞いた。

 やっぱり。

 今朝、バイクでカレシに送ってもらったことを注意されるのか……


 トントントン ドアをノックする。

「星君か、入りなさい」

「はい」


 担任は帳面のようなものを持って、机の前に座っている。


「なんで呼び出しされたと思う?」

「怒られに…」

「ははは、まあ、これからは目立たないように注意しなさい。実は違うんだ」

「え、なんですか?」


 目立たないようにって?何?


「先日、お父さんが西ドイツから帰国しただろ」

「はい」

「先生はその時にお父さんに会ったんだよ」

「そうなんですか、なんで?父は何も言わなかったけど」

「進路のことで話をした」

「進路?」


「指定校推薦の枠に空きが出てね…」

「推薦?」

「慶應義塾大学文学部への推薦予定者が辞退した」

「それがなにか」

「君を推薦しようと思う」


「え!遥が辞退……いや、どうして」

「キミは桜井良子櫻井よしこさんみたいなジャーナリストになりたいと言っていただろ。ちょうどいいじゃないか」


「だって、先生、あれだけ新潟大学人文科学部を薦めていたのに」

「気が変わった」

「気がかわったって!?」

「指定校推薦にウチのような学校が穴を開けたくないんだ。成績で該当するのはキミとあとひとりくらいいるが、志望動機が一番良いのはキミだから」



 私が慶應義塾大学!そんなバカな!


「お父さんに話をしたのですか?」

「ああ、お父さんは来年、会社が本社を移転して東京勤務になるって話だし、なんだって慶應や早稲田はお父さんの憧れだと言ってたぞ。ちょうどいいじゃないか」


 椛澤遙が指定校推薦を辞退した!?


 たしかに、以前から彼女はそのような口ぶりだった。

 父親から医学部でなくてもいい、医短(旧新潟大学医療技術短期大学部)に行ってくれないか、と言われていたと。


 恭平は新潟大学工学部を第一志望に変えていた。

 それはわたしのせいでもあった。

 カレに志望校を変えさせて、私は東京へ行くって?


 そんな……彼は父の病気のこともあり、東京の学校は生活費などもあり、すでに断念して、彼は担任にも話をしている。


「星君、たのむ。キミしかいないんだ。あまり時間がなくて。それに君はホントは長岡高校に行ける成績があったと中学校の先生から聞いている。長高でもなかなか慶應の推薦はもらえないんだから、大逆転だと思って」


 ああ、遥はあれほど行きたがってたのに、諦めたのか…慶應!?なんで?

 

 「ちょっと考えさせてください」

 「来週月曜日まで。というか、決心して欲しい。志望動機や願書の書き方は去年の人のコピーを渡すから参考にして、この前の進路希望調査の通りの内容で書けばいいから…」


◇◇◇


 3年生の2学期は部活も終わり、わたしは放課後は早く家に帰っている。

 週の中ごろの電車で、この週末、土曜日の授業が終わった午後に、恭平からバイクの後ろに載せるから、ツーリングに行こうと誘われた。

 彼は晩秋になる前に、合格祈願に行こうというものだった。





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