第6話
セイラの言葉が、雑然としたワンルームに広がる。
「いや、それは知ってるが……」
「違うんです、本当に魔法が使えるんです」
「では使ってみてください」
といったのは、ツカサも気がつかない間に、拘束を脱したイズモ。彼女のまっすぐな視線に、セイラはたじろいだように震えた。
「つ、使えたの。本当に。魔法の世界にいたときは」
「魔法の世界」
ツカサはイズモを見た。イズモもツカサの方を向いていた。その流水のように透明度の高い瞳は「なにいってだコイツ」と訴えているように思われた。
「まあまあ。アンタが本当に魔女だとして」
「ホントなんですっ」
「……どうして魔法は使えないんだ?」
「それを研究してたんです……。私、王立魔法研究所ってところで魔法の研究を行ってまして」
「魔法に研究所。何かのジョークですか」
「ひ、ひどい。そっちだって、ジョークグッズみたいなフォルムしてるくせにっ」
女性陣の視線がぶつかって、火花を散らす。
まさに、売り言葉に買い言葉。今にもキャットファイトがはじまってしまいそうで、ツカサの心は落ちつかない。
「それで?」
「最上級魔法の研究をしてたんです。二つの地点を一瞬で行き来できる魔法なんですけど」
「ワープか」
セイラが頷く。
「この世界ではそう呼ばれているみたいですね。その魔法を使ったら――」
「この世界にいたと」
「そうなんです。魔法も使えないわ、住所も戸籍もないわで大変でした。最近やっと、配信者として食っていけるようになってきたのに……」
セイラがイズモを睨みつける。おそらくは、隣に座るAIのせいで壊れたパソコンのことを言っているのだろうが、イズモは涼しい顔をまったく崩さなかった。
(そうか……)
ツカサは、目の前の女性に対して、親近感にも似た感情を抱いた。
(この人は自分と似ている)
最後の地球人となったツカサと、独り別世界へワープしてきたセイラ。――ひとりという点で、二人は共通点を有していた。
「あの魔王様、という存在について、なにか知っていることは」
「たぶん、私の知っている世界の存在なのかも? 研究職だったので、見たことはないんですけど、あんな顔をしていたような覚えがあります……」
「なるほど。この女性と同じ世界から、魔王城はやってきた可能性があると」
「わ、わかりませんよ? でも、この映像の魔法は、見たことがあるような気がするんですよ」
でもどうして魔法が使えてるんだろ、私は使えないのに……。
としきりに首をかしげながら、セイラがいう。魔力が足りないのかな、とか術式が変なのかな、とか。
それを聞いていたイズモが不意に口を開いた。
「だとしたら、あなた、魔法が使えるのでは?」
イズモに言われて、セイラはきょとんとした。そんな可能性にははじめて気がついたかのように。
そんな彼女に対して、イズモは畳みかけるように言葉を続ける。
「魔王城がやってきてからというものの、未知なる物質の濃度が増しています。今は濃度が薄いので、こちらの技術に影響は与えていませんが、これがアナタの言う魔力だとしたら」
「な、なるほど。魔法が使える」
セイラは、手のひらを広げる。
彼女の口が動く。呟いた言葉は、ツカサにもはっきりと聞こえた。だが、その意味を理解することはできなかった。というより、脳そのものが理解を拒んでいるかのように、言葉を言葉として認識できなかったのだ。
(グッアってなんだ。アヒルの鳴き声か……?)
としか、ツカサは思えなかった。イズモも似たような感じらしく、理解不能、と声を出していた。
次の瞬間には、ポッと、セイラの小さな手のひらのうえに炎が灯った。ちいさなちいさな、握りつぶせそうに頼りないものではあったが、火には違いなかった。
「で、できた。できましたよっ!」
「ああ、俺にも見えてるぞ。イズモはどうだ」
「ワタシも確認。可燃材もなしに発火するなんて、理解不能」
「これが魔法ですよっ」
ぶいっとピースサインを突き出してくるセイラを前にして、ツカサは頭をポリポリかいて。
「いや、その魔法をどうすればいいのかを聞きに来たんだが……」
あっ、というセイラの声が研究所に響いた。
「ダメですね……」
そんなセイラの声が、シンと静まりかえった魔法研究所に響く。
ツカサとイズモの前には、それぞれ嫌いなものが置かれている。ツカサの前にはパクチーに似た香りの香草が、イズモの前には紙。
山をふっくらとして逆さまにした、小学生がかきそうなお下劣なマークがA4紙にデカデカ書かれている。どことなく、ディック号にも似ていた。
「本当にこんなんで燃えるのか……?」
ツカサは、わたされた杖で空中に五芒星を描きながら、そう言った。もちろん、セイラを信じていないわけではない。だが、
(こってこてすぎやしないだろうか)
というわけである。杖振れば魔法が飛びだすだなんて、簡単やしないだろうか。
「燃えます。火の魔法を教えましたので。えっとイズモちゃんはどうですか……?」
「燃えない。全然燃えない」
その視線は、イズモの前の紙ではなくてツカサの股間を向いている。
「な、なんだよ。俺ばっかり見て」
「艦長を見ているのではありません。あなたについているという男性器をイメージし、ワタシをバカにしてきやがったやつらのものが発火するところを想像しているのです」
ツカサはイズモを見た。あいかわらずの鉄面皮である。感情が見えないからこそ、能面のように空恐ろしかった。
「ば、バカっ。俺のが燃えたらどうするつもりなんだよっ」
「確かに。それは思いつきませんでした」
と言うが速いか、イズモは紙に向かって呪詛のようなものを呟きはじめた。
(燃えなくてよかった……)
ツカサはため息をつく。
「どっちかというとイズモちゃんには、藁人形とかがあっているのか」
「そっちの世界にも藁人形あるのか」
「ええ。というか、ツカサさんって日本人ですよね?」
「まあ、そうだが。もしかしてアンタも……?」
「私はそうじゃないんですけど、こっちの世界にも日本というか地球がありまして」
手のひらで火の玉を躍らせながらセイラが語った話は、ツカサもよくネットで聞いたことのあるようなストーリーであった。
地球と異世界が繋がってうんたらかんたら。
(異世界ファンタジーってやつだろうか)
もっとも、セイラは異世界人ということになる。彼女の話を聞くかぎりでは。
その地球は、いまだ火星にも到達していないと聞いて、ツカサはおどろいた。こっちの地球だったら、冥王星までたどり着き、へんてこりんな生命体と出くわしているというのに。
「あ、そっちの世界にさ、ディック号みたいなやつはあんの?」
ふと気になった質問をツカサは投げかけた。セイラは少し考えるように顎に指を当て、
「ありますよ。ドンガラドーンって音を上げる、魔法兵器なんですけど」
「そいつも、同じような、アレのかたちを……?」
「してます。もっとも、神様のアレとかいって、お祭り騒ぎになるくらい大人気で、なんでこっちでは嫌われてるのかわからないんですけどね」
パキリと音がした。
隣のイズモが、魔法の杖(仮)をへし折った音だった。
「あの人、本当に信用できるのでしょうか」
とイズモが言った。
プンと溶剤の臭いが鼻をつく宇宙港に、ツカサたちはいた。
目の前には、ディック号が鎮座している。その真っ白で、汚れをしらない砲身を眺めているのは、セイラだ。その手には刷毛が、足元には塗料がタケノコのように並んでいる。
「あんなので魔法が使えるようになるとは思えないのですが」
「…………」
ツカサは何も言わなかったが、
(しょーじき、同じ気持ちだ)
と思っていた。だが、口にはしない。
「ほかにアイデアあるか?」
「他の戦艦の力を借りて、防御魔法の耐久性以上の攻撃をすれば」
「どの戦艦の力を借りるんだよ」
そうですねえ、とイズモが呟いた。その瞳は、見えない文章に目をとおすようにぎょろぎょろと動く。
「『サセックス』と『エセックス』という航宙母艦のエンジンは出力が高いですから、それを連結すればあるいは」
「んなことしたら、砲身が融けるんじゃねえの」
イズモがムムムと唸り、考え込んでしまった。
ツカサは立ち上がって、セイラに近づいていく。
「どうにかなりそうか」
「あ、ツカサさん。まだ何とも」
セイラはぺこりと小さく頭を下げ、それから、ディック号を見上げた。
ツカサも同じようにディック号を見る。見慣れたとはいえ、ディック号は、変なかたちをしていると思わずにはいられない。偶然とは思えないほど、アレに似ている。
「とりあえず、書いてみますね」
「そんなので魔法が使えるようになるのか……?」
「少なくとも私の世界では、ですけど。紙に書いて――」
セイラは、ポケットから紙を取りだし、刷毛で星をかく。彼女がふうっと息を吹きかければ、紙は閃光となって燃えた。
「こんなふうに」
「だが、船が燃えないだろうな」
「その可能性はあります」
「あるんかいっ」
「ま、万に一つの可能性はあるかもしれないんですけど。めったに起きることじゃないんです」
魔法の回路があーだーこーだとセイラは取り繕うように言ったが、ツカサにはなんのことだかわからない。
「信じるよ。それしか方法がないんだからな」
「すみません。この世界の方々には、魔力がないみたいで」
セイラが申し訳なさそうに言うものだから、ツカサは首を振った。
ディック号そのものにマジカルな文様を描くことになった経緯には、ツカサたちが魔法を使えないことが原因としてあった。
魔法の杖を使っても、紙を燃やすことはできなかった。ほかにも、カエルをほかのものに変える呪文や、動物と話せるようになる呪文を教えてもらったが、どれもダメ。
その理由をセイラはこう話す。
「魔力を操る回路的なものが、この世界の人々には存在しないのかもしれません」
と推察したのを、ツカサは聞いた。
魔力が、魔王さまによって運び込まれたとしても、それをうごかすエンジンがなければ動かないように。
そのため、その疑似的な回路となるものを、今からセイラに書いてもらおうとしているわけなのだが――。
「ツカサさんは、どんなのがいいと思います?」
「え、俺が決めてもいいわけ?」
「ええ。決められた文様以外は、どのようなものを書いてもいいので」
ツカサは考える。……考えてみたが、思いつかない。そもそも、もとのデザインが特殊すぎる。「ヤシの木いっぽん実がふたつ」と子どもたちから指さされるかたちに、どのような模様が似合うかわかるやつがいるだろうか。
「おまかせで」
「そうですねえ『色即是空、空即是色』とでも書いてみましょうか」
「……セイラって、魔女ってより巫女さんって感じだよな」
「ど、どうして」
「だって、口から出てくるの、割と和風なのが多いから」
「そりゃあニホンが大好きですからっ」
そんな異世界の日本に感化された魔女が描いた文様。
ツカサが想像するのは、曲線を中心とした幾何学模様。ピンク色のハートやらなんやらが描かれている様は、同人誌にありがちな淫紋とやらを連想せずにはいられない。
(とはいえ、男性器に書かれてるのはねえだろうなあ)
と思いつつ、格納庫へと戻ったツカサが見たのは、耳なし芳一のようなディック号だった。
そのいやらしい船体には、うねうねとした文字か線かわからない模様が幾重にも刻み込まれている。それはまだいい。天井から降ってくる光に照らされて、金に輝く文字は、神々しかった。
だが、何より目を引くのは、砲身側面に書かれている文字だ。教科書で読んだことのあるそれは、
『南無八幡大菩薩』
としか読めなかった。
入り口で唖然としていたツカサのもとへと、イズモがやってくる。
「あれ、なんという意味なんでしょうか」
「俺が聞きたいくらいだよ……」
二人がそんなやり取りをしていれば、ペンキで金色に汚れたセイラが近づいてくる。
「……どうでしょうか」
「いや、なんつーか。すげえよ」
「そ、そうでしょうか」
困惑を好意的に受け止めたのか、セイラの頬が赤くなる。ツカサは頷く。
「あの文字ってあれだろ、那須与一の」
「ええ! ご存じでしたかっ。平安時代のものすごい弓兵(アーチャー)だったそうですね。私、彼がすごく好きでして」
「それで、有名なセリフを記した、と」
「どういうことなのですか、艦長」
「平家物語っていうのがあって……」
ツカサがイズモへ説明すれば、ポンとその手にホログラムの本が現れる。タイトルは『AIでもわかる平家物語』。それをイズモはパラパラめくり、
「なるほど、理解」
「まあなんだ、神様に祈ってるわけだが……こんなんで本当に魔力を生み出せるのか」
「文字の方はおまけなのでっ」
「おまけて」
思わずツカサは突っ込んだ。
(でも、おまじないみたいで、なんだか頼れそうだな)
なんて思うのは、その言葉と摩訶不思議な文様と神様のブツみたいなものの取り合わせが、なぜかマッチしているからかもしれない。
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