第8話 綿墨事務所 16:50
スナックやバーがごちゃごちゃと入居した、繁華街にある雑居ビル。
4階の突き当りにある一室の前で、僕は深呼吸をする。
シルバーのプレートに線の細い明朝体で刻まれた会社名。控え目に2回ノックをしてからドアを開けると先客がいた。
僕は見付からないよう物陰に隠れて、耳に意識を集中させる。
「『相手陣営の弱みを掴んできて欲しい』て、うちは探偵事務所じゃないんすよね」
「そこをなんとか。あちらの公設秘書さんと親しいのは分かってるんですよ。今、うちの先生に落選されては党の今後に関わるんです」
「それはそっちの事情でしょう。お断りします、どうぞお帰りください」
「依頼料でしたらこれぐらいはご用意出来ますので」
「おい、お前いい加減にしろよ」
あぁ、声のトーンが低くなった。綿墨さんを怒らせるとは、何と命知らずな。
「俺はジャーナリストだぞ。俺のペンは自分の心を揺さぶるモンにしか動かねぇんだよ。弱み掴んで勝とうとするようなヘボ議員にゃ1ミクロンも興味ねぇわ。わかったらその金持ってとっとと帰れ」
金属製の何かが派手にぶつかる音と、「ヒッ!」と叫ぶ声が同時に室内に響く。逃げるように扉から出て行く男の背中に向かって「でもって、依頼料じゃなくて原稿料だかんな!」という声が覆い被さった。
僕に向けられた怒りじゃないのに、ビリビリとした空気のせいで居たたまれない……などと思っていたら、柄の悪い口調にそぐわない整った顔をした男と目が合った。
「よ。待たせたな」
「Wさん。お気付きでしたか」
「いつまでその呼び方してんだ」
「だって綿墨さんが名前出すなって言うから」
以前、イベントで配布する資料を依頼した時、「実名を出すと面倒だから」と言われてイニシャル表記をしたのだ。
その時に「名前を出したらヤバイ奴みたいだな」と盛り上がったことから、自分たちをイニシャルで呼び合う癖がついた。
Wさん即ち綿墨さん。
「アイツのこともそう呼んでんの」
「そうですよ」
「
N氏即ち先輩イコール直さん。
僕らにしかわからないものがあることが、なんとなく嬉しかったのだ。
「そうだ。この間はアロマの人、紹介してくださってありがとうございました。めちゃいい人でした」
「だろ。軸持って仕事してる人っていいよな。ああいう人だと力になりたいと思うわ」
まぁこっち来て座れよと、パイプ椅子を勧められる。そばにもう1脚転がっているが、さっき綿墨さんが蹴り飛ばしたものに違いない。僕は追い返された男が座っていたと思しき椅子に腰掛けた。
「ん」
綿墨さんは伸びた髪を後ろでひとつに縛ってから、右手を差し出す。
「見せてみ」
僕がここに来た目的。
綿墨さんに企画書を認めてもらうこと。
今日は企画会議のある金曜日だが、恐らく先輩は現れないだろう。先週僕の目の前で姿を消してから、オフィスではわずかな気配すら感じとれなくなっていた。
何としてでも企画書を通してイベントを実現させなくては。
綿墨さんは受け取った紙に、さっと目を走らせる。
ペライチで作成。
目的は3行以内。
一文は短く、端的に。
先輩の教えを守りながら作成した。この類の書類など腐るほど見ている綿墨さんに、僕が初めて作った企画書はどう受け止められるのだろうか。
緊張しながら審判を待つ。
「これ、中身はお前が一人で作ったのか」
こちらを見ずに尋ねる。
「はい」
何かを思案した後、綿墨さんが口を開いた。
「年が明けてすぐぐらいだったか、俺のとこに直が出た」
オフィスに先輩が現れたのは、2月頃だ。
僕よりも先に綿墨さんのところに行ったのか。
「何で出てきたのか、知りたいか」
目だけでチラリと見やる。僕は頷いた。
「直のヤツ、『あいつを独り立ちさせたいから手を貸せ』て俺に頭下げたんだよ」
「え」
確かに先輩から「お前もそろそろ独り立ちする時だよ」とは言われたけれど、まさか綿墨さんに助力を仰いでいたとは。
「もしかしたら、諦めかけてるんじゃないか。生身の身体で戻ってくることを」
何だよ、それ。
「お前さ、見舞いには行ってんのか」
僕は下を向いたまま、首を横に振る。
「行ってません。行けませんよ」
「あいつ、まだ意識戻ってないぞ」
「色んな人から聞いて、知ってます」
「お前のせいじゃないだろ」
「いえ、僕の責任です。僕がちゃんとしていたら」
そうだ、僕がもっと注意しておけば。
「先輩は巻き込まれずに済んだんです」
去年の秋。
週末から始まるイベントに向け、設営準備を手伝っていた先輩と僕。
時刻は金曜日の午後7時。
セットしたままだった僕のスマートフォンのアラームが鳴り響く。
両手に資材を抱えながらアラームを止めなければと焦った僕は、足場を組むための鉄パイプが倒れてきていることに気付かなかった。
背中を押されたと思った次の瞬間、金属と金属、金属と床がぶつかるすさまじい音が会場に轟き、止む。
うわんうわんと耳鳴りがする。
ほんの数秒の静けさの後、一斉に駆け寄ってくる人々。
ついさっきまで僕がいた場所に、散乱する鉄パイプ。
パイプ。
パイプ。
パイプ。
先輩。
呻き声。
血。
血。
血。
騒然。
呆然。
愕然。
「あの場にいたスタッフにも後から話を聞いたけどよ、あれは完全な事故だ。お前が悪い訳じゃない」
「僕のせいですよ!」
アラームの設定を外していたら。
横着していなければ。
状況に気付けていたら。
あの日から、僕はいくつの「たら」「れば」を考えただろう。
僕みたいな人間を庇わなければ。
「僕が悪いんだから、毎日でも謝りに行くべきなんです。そんなことは分かってます。意識が戻ったら、きっと先輩は僕に『無事で良かった』って言うんでしょう。自分は大ケガしたのにそんなこと全く気にもしないで、相手のことを最優先で考えるんですよ、あの人は。でも違う。それは間違ってる。僕は許して欲しくない。まだ何も先輩に返せてない」
先輩。直先輩。
「だから、絶対にこの企画を実現させたいんです。先輩が僕に『作るぞ』と提案してくれたこの企画を綿墨さんが良しとしたなら、きっとどの企業、どの団体にも僕は自信を持ってプレゼンできます」
そう、先輩への手土産は、花でもお菓子でもない。
「僕はこの企画書を手に、先輩に会いに行きたいんです」
だから、とっととOK出しやがれ。
綿墨さんが、ニヤリと笑う。
「お前、いっぱい喋れるようになったんだなぁ」
「いや、感心するとこそこじゃないです。先輩に対する僕の忠義の心に注目して欲しいんですが」
「餌付けされた野犬って感じ」
「否定できない」
「……お前ら、似てないけど似てるのな」
綿墨さんはぽつりと呟くと「いいぜ」と言った。
「何がですか」
「企画書。ちょっと手直しはいるが、そんなもん体裁の話だ。中身については認めてやってもいい」
「本当ですか。僕の理由に絆されました?」
「ちげぇわ。安く見んじゃねぇよ。客観的に評価して良かったからだよ」
綿墨さんが認めてくれた。
先輩に褒められるのとはまた違う意味で嬉しい。
と思っていたら、前のめりになる僕の目の前に綿墨さんは右手の人差し指を立てて突き出した。
「ひとつだけ条件がある」
「出たー。やっぱ素直に攻略させてはくれないか」
「ヒトを乙女ゲーのキャラみたいに言うなよ」
「難易度激ヤバだけど攻略後はめちゃデレてくれるタイプっぽい」
綿墨さんに胸倉をグイと掴まれる。
「直を叩き起こして来い」
……ミッション、そう来たか。
「この企画書の責任者は直なんだろ。なら絶対必要な存在だろうが。何としてでもアイツを連れて来い。そしたらどんな相手にも口利きしてやるよ」
「『僕はこの企画書を手に、先輩に会いに行きたいんです』てついさっき宣言しましたよね。忘れたんですか。まだ満点は貰ってませんよ」
「少なくとも90点は取れてるよ。それに」
綿墨さんの手に力がこもる。
「多分だけど、あいつはお前を待ってる」
そう言って、掴んでいた僕の服から手を離した。
僕は腹を括る。
「わかりました」
とはいえ、僕が行ったところで今日まで意識の戻らなかった人をどうこう出来るのだろうか。
「アホだな。出来るか出来ないかじゃない、やるんだよ」
締切を一度も破ったことがないという、綿墨さんらしい発破の掛け方だった。
「じゃあ僕、行きます」
時計を見る。午後5時半。
面会時間にはまだ間に合う。
「あ、ちょい待ち」
綿墨さんはノートパソコンに手を添えてカタカタと動かす。数秒後、僕のスマートフォンが反応した。
「病院行くんだろ。移動の間、それ読んどけ」
「何ですか」
届いたデータを開く。
「イベント会社社長、31歳……綿墨さん、これ」
「あいつが俺に喋ったことをその場でまとめたヤツだ。今までいろんな人間相手にインタビューやってきたけど、生霊相手は初めてで面白かったわ」
はっはーと笑いながら綿墨さんは嬉しそうな顔をする。
綿墨さんにとっても、先輩は必要な人なんだな。
「引き留めて悪かった。おら、行けよ」
「ありがとうございます」
お辞儀をして、僕は綿墨事務所を後にする。
先輩。待たせてすみません。
今行きます。
エレベーターを待つことなく、僕は地上に向かう階段を駆け下りた。
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