第7話 オフィス 19:00

 誰もいないオフィスにセットしたままのスマートフォンのアラームが鳴り響いて、僕はビクリとする。


「19時か」


 キーボードに手を置いたままモニターを前に固まっていたのは、誰あろう僕だった。

 そろそろ作り始めなければ。

 頭では分かっているのに『企画書』とだけ入力して以降、一文も書けていない。

 資料だけはどんどん増えていくものの、どうやって企画内容をまとめればいいんだ。何から手を付ければいいのかもわからず、正直なところ僕は焦っていた。


「企画内容は『違和感』をテーマにした恐怖イベントの提案だったろ」


 驚いて振り向くと、N氏がいた。


「なんだ先輩か。お久しぶりです」

「お化けかと思ったか」

「いや、そんなことは……」


 目を伏せる。いつものようなやりとりを繰り広げる気にはなれなかった。


「いやはや、先輩かつ社長相手にワイワイ楽しく出来るって、いい社風だな、ここ」

「そうですね」

「俺、バウムクーヘン食べる時、一枚一枚めくりながら食べちゃうんだよな」

「層ですね」

「いっそのこと出家してイチから修行してくるか」

「僧ですね」

「漢字で会話してワイワイ遊ぶ余裕、まだあるじゃんかよ」


 しまった。つい、いつもの癖が。全然そんなテンションじゃないのに。


「結構煮詰まってんな。クラブで自分の世界にいないタイプの人間に当てられたのも影響してる?」

「そっちについてはここで働くようになってから耐性ついたと思ってたんですけどね……。何考えてるのかわからない人がいっぱいいるところは、まだダメかもです」

「まぁまぁ。人が苦手な癖に俺の言う通りちゃんと足運んでネタ拾って来たんだから、お前はえらいよ」


 N氏の労いの言葉は、慰めになるどころか胸に重く沈む。僕は本当にN氏の役に立てているのだろうか。不安な気持ちを追い払うように口を開いた。


「体験者さんから話を聞く度に『いや、そんな訳ないだろ』て毎回思っちゃうんですよね。こんなことが現実に起きるはずがないって。だって神様くっつけてクラブに来る21歳とか信じられます? 僕にあの男の子を紹介してくれたフロアのバイト君、ボコられてたらどうしよう。ていうか絶対エグいことされてそうで申し訳なさ過ぎる。単に自分がやりたい放題したいから神様とかいう居もしないものを持ち出して言い訳に使ってるとしか思えな」


「ストップ」


 N氏は僕の口元に手をかざすと「そこをスタートラインにしたら、いつまで経っても企画書は書けないぞ」と言った。


「お前の理屈を体験者に当てはめて、無理やり自分の中で落とし所を作ろうとするのは止めな。わからないならわからないままでいいんだよ。だからこそ不安や恐れが生まれる訳だし、得体の知れないものをもっと見たい、知りたいという欲求も湧くのさ。そういう心理を突く企画を考えるって話だぞ。お前頭いいのに、本当もったいないな」

「……褒め1、貶し9なコメント、あざます」

「礼には及ばん、精々頑張れ。じゃあそういうことで」

「ちょちょちょ、待って待って待って」


 思わずN氏の腕を掴みかける。

 なんとかして引き留めなくては。

 僕の舌は滑らかに回り始めた。


「本当なら先週企画会議をするはずだったのに、時間になっても現れなかったのはどこの誰ですか?」

「……俺でーす」

「最近あんまり顔も出さないし、一応社長なんですよね?」

「あれ。もしかして怒ってる?」

「怒ってますよ。ごりごりに怒ってます。僕まだ半人前なんですからね。やり方は見て盗めとか思ってるんだったらやってる姿をバーンと公開して下さい。フルオープンで堂々と見せて下さいよ」

「期間限定ならいいぞ」

「ケチ臭い! とにかく、台風並みに先輩風吹かせてもらっていいんで、天才的な頭脳を活かしきれていない残念な僕に、どうか企画書の作り方を教えてください」


 我ながら全く可愛くないお願いの仕方だと思ったものの、案外N氏の反応は悪くなかった。


「はは。なんか調子出てきたみたいで良かったわ」

 N氏は目を細めてひとしきり笑うと、言った。

「いいぜ、教えてやる。最大風速秒速54メートル以上で吹かせてやるからな」

 えぇ……猛烈な台風クラスの先輩風は望んでないのだが。でも、これでN氏を留めることに成功したのなら良しとしよう。

 僕はパソコンを手に、ホワイトボード前に移動する。

 イレギュラーの企画会議が始まった。


「企画書の作り方が知りたいんだったな。一回しか言わないぞ」

 聞き洩らすことのないよう、気合を入れて構える。


「ペライチで作れ! 目的は3行以内で収めろ! 以上! ということで解散!!」


「突風が過ぎる!」


 一息で言い切ってスッキリした顔をしているけど、いやこれ、どこからツッコんだらいいの?


「『企画書』『書き方』で調べたら、そんなもんじゃ済まないんですけど」

「真面目な書き方指南を俺に求めるなよ」


 確かにそうだけども、僕の企画書はどうなるんだ。


「一般的な作り方など知らんが、いっぱい枚数作ったって結局は最初の1枚が肝だし大概そこしか見ないんだから、それなら無駄にページ数増やして『内容あります』風にしなくとも一枚に全部ぶっこんだらいいじゃん。あと、目的とか概要とかだらだら書くほど意味不明になるからな。一文は短く、端的にしろよ。『これはどういう企画ですか』と聞かれた時にスパッと言えるように」


 1枚でいいならサクッと書けそうじゃないか。


「言っとくけど『1枚でいいならサクッと書けそうじゃないか』と思ってるなら大間違いだからな」

「ひえ。『さとり』がいる! 心を読まないで」

「誰が妖怪だ。いいか、ペライチに収めるってことは全体の文字数が少なくなる訳で、その分一文字にかける責任が増すんだよ。中身に説得力を持たせるために、必要な資料は全部読み込んで噛み砕いた上で反映させろ。書き終わった頃には頭ん中パンパンだけど、いつでもプレゼン出来る程度には自信も覚悟もついてるよ」


 自信と覚悟。

 今の僕に足りないのがその2つだということぐらい、分かっていた。


「お前なら出来るよ。だってこの俺の後輩なんだから」


 N氏はニッと笑って僕の肩を叩こうとしたが、その手は触れることなく僕の身体を通り抜けた。

 僕は青ざめる。


「そうだ、先輩。Wさんにまだ話が出来ていません。エピソードだってもう1本ぐらい必要ですよね。企画書の進捗も見てもらいたいし、これがどこかで通って実現することになったら会社の代表として先輩に動いてもらわないといけないことがたくさんあります。だから」

「悪い。ちょっと限界だから、今日はもう戻るわ」


 N氏の姿が少しずつ薄くなる。


「明日は? 明日も来てくれますよね?」


 もうぼんやりとしか見えなくなってきた。


「来週は企画会議ですからね。必ず来てくださいよ」


 待って。


「先輩!」


 手を伸ばした瞬間、N氏の気配は消えた。 

 僕はまばたきをして、誰もいないオフィスを見渡す。 

 きゅうきゅうと心臓を締め付ける苦しさが、僕の脳に「現実を見ろ」と告げていた。


 そうだ。

 僕は知っていたじゃないか。

 

 

 思い出せ。

 N氏はパソコンもドアノブも、初めからオフィスのものには何も触れていない。

 あの身体では、触ることなど出来なかった。

 僕は知っていたのに、わからない振りをしていたんだ。


 ここ最近はオフィスに現れる頻度も下がっていたのに、「先輩はいる」と認知を歪め続けて本当のことを見ようとしなかったのは僕だ。


 落ち着け。深呼吸しろ。

 スマートフォンの画面を見る。

 通知は何も来ていない。


 大丈夫。 

 あの人の本体は、まだ生きている。

 

 必死で言い聞かせながら、僕は再びパソコンに向かい、キーボードを叩き始めた。

 手の掛かる後輩でごめんなさい。

 僕の頭に「いい加減本気出せ」の言葉が響く。


 先輩。

 絶対、まだ逝かせませんからね。

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