第6話 アロマセラピスト(41歳・女性)
Wさんはお元気ですか。
以前、うちのサロンにローカル雑誌の取材でお越しいただいた時、凄く丁寧に対応していただいたんですよ。載せていただくスペースもそんなに大きくないのに、細かなところまで質問してくださって。きっと捨てるお話の方が多かったと思いますが、うちが大事にしていることをギュッと凝縮して書かれた記事だなぁ……なんて、いただいた雑誌を読んで感じました。
へぇ、そんな売れっ子さんなんですね。でも何となくわかります。人当たりいいですし、アロマのこともたくさん予習した上で来てくださったんだなぁって思いましたもん。ああいう人を“仕事の出来る人”て言うんでしょうね。
あ、この香りですか。
お電話の声がお疲れでいらしたので、カルダモンのオイルを使ってみたんです。
カレーのスパイスなんかでお馴染みですけど、オイルは種子から抽出するんですよ。スパイシーだけど爽やかさもあって、ちょっと気持ちが疲れた時なんかにオススメです。リラックス効果もありますし、集中力を高めたい時にもいいですよ。
ちなみに、あまり眠れていないですか? 目の下、クマが出来てます。
イベント会社のお仕事なんて私には想像もつかないですけど、きっとすごくハードなんでしょうね。ご自宅でも気軽にお試しいただける方法とか、良ければお教えしましょうか。
て、ごめんなさい。アロマのことになるとつい喋り過ぎちゃって。
あのこと、お聞きになりたいんですよね。
前に何かの雑談ついでにWさんに言ったなぁぐらいの記憶でしたけど、本当よく覚えていらっしゃって。思い出して楽しいことでもないんですが、Wさんのご紹介ですもんね。
お客様のプライバシーに関わることでもありますので、ここだけの話にしていただけますか。お願いします。
私、以前はチェーン展開しているお店に勤めていたんです。セラピストとしていずれは一人でサロンを経営したいと思っていましたので、経験を積むつもりで入社しました。
お店は基本的に予約優先なんですが、その方は飛び込みで来られました。
ちょうど私以外のセラピストは全員施術中だったので、私が担当させていただくことになったんです。
40代中頃の女性で、とても細身のお客様でした。
初めての方にはまず簡単なアンケートにお答えいただくのですが、気になる箇所の項目には『首』とだけ記載がありました。
「1週間ぐらい前から首が重だるくて。ツラすぎて息をするのも苦しいのよ」
とにかく首を楽にして欲しいとのご希望でしたが、店には首のみのメニューがなかったので、頭から首にかけてを施術する『ヘッドコース』を30分間行うことにしました。
楽な服に着替えていただいて準備が整ったところで、まずは状態を確認させていただこうと首に手を当てた瞬間でした。
ぞわっと、私の腕に鳥肌が立ったんです。
咄嗟に手を引っ込めそうになったのですが、お客様を驚かせてはいけないという一心でなんとか堪えました。でも触れ続けるほどに指先から肌を伝って何かよくわからない、得体の知れないモノが這い上がってくるようで。
私たちセラピストは、雑談の中からお客様の普段の生活の癖やお仕事的に疲れが出やすいところがどこなのかを探りつつ、ツラいと感じていらっしゃる気持ちに寄り添って施術を行っています。時々波長を合わせ過ぎるあまり、こちらも同じような痛みを感じることがあるのですが、触った先からこんな風に肌から気持ち悪さを覚えるなんて初めてで。
私の直感が訴えていました。
これはマズい、と。
比較的短いコースでまだ良かった、ここはひとつ耐えるしかないと思い、状態確認もそこそこにしてタイマーをスタートさせました。
仰向けの体勢から両手の指を使って頭をほぐしていくんですが、この時はそこまでおかしな感じはありませんでした。というか普通です。
さっきの鳥肌は何だったんだろう……と思いながら進めていたら、それまで閉じられていたお客様の目が突然開いて、私を睨みつけました。
「頭はもういいから首をやってちょうだい」
そう言われましても、まだ始まって3分も経っていません。頭の凝りをしっかりほぐしてからの方が良いですよと申し上げたものの、とにかく首をやれの一点張りです。
あまり一カ所を集中してやり過ぎるのも良くないのですが、お客様の要望ですから仕方ありません。私は首の施術に取り掛かることにしました。
うつ伏せに寝転んでいただき、そっと首元に手を当てようとすると、なんだか妙な圧を感じました。
嫌がられている。
どうしてかわかりませんが、何となくそう思いました。
お客様は「早く首を楽にしてくれ」と訴えてらっしゃるのに、まとっている空気からは「近付くな」という印象を受けました。
ちぐはぐな状況に戸惑いつつも「それでは、お首、やらせていただきますね」と告げて指が触れた途端、来ましたよね。
指先から手の甲、手首を経て肘へと、はっきりと意思を持った何かが這い上がってきました。
ぞわりぞわりと撫でるようにゆっくりとうねりながら這ってくるソレは、私の腕を搦め取ろうとしているようにも感じました。
もうひたすら気持ち悪いのに施術時間はまだまだあるし、どうしようと思いましたが、ひとつ気付いたことがあって。
首が重くて怠いと仰る割りには、さほど凝っていないんです。普通に生活していたら出てくるだろうなぁといった程度の凝りで。
症状のレベルとお客様の痛がり方のギャップが凄くて、そこがまた気味の悪さに拍車をかけている感じでした。
変だなぁ……と思って、お客様に「お首、そこまで凝りはひどくないんですが、気になるのはどの辺りでしょうか」と聞いてみました。
いやもう、完全に失敗しましたよね。
残り時間、地獄でした。
「どの辺りって、あなたプロなんだからそれぐらい触ってわかるでしょう。私はもう1週間も前から首が怠くて怠くて仕方がないの。湿布も塗り薬もマッサージも針も色々試したわよ、でもどれもダメなの、全く効かないの。先の堅いものでぐりぐりやり続けるのも限度があるし、いっそのことこの首をもぎ取ってくれたらどれだけ楽かと思うぐらいよ。でもそんなの出来ないじゃない。無理じゃない。だから試しにこちらに来てみたのよ。なのに凝ってないってそんな訳ないでしょう、どうなってるの、あなた。このしんどさが分からないの? ねぇ、もうこれ何をやっても無駄なのかしら。最近じゃ息をするのもツラくて。首の周りが締め付けられるようにギュッと苦しくなるのよ。でも首のことだけ考えてる訳にはいかないじゃない。私だって生活しないといけないの、働かないといけないの。こんなことあなたに言っても仕方ないけど……」
今日会ったばかりの私への文句と、首の痛みから来る愚痴のオンパレードでした。途中で切りあげたくても私が言葉を差し挟めないぐらい隙間なくひたすらねちねちと繰り返していらっしゃって。
耳では吐き出される不満を受け止め、腕には見えない圧と肌を這いずり回る訳のわからない何かを感じ続けて、申し訳ない話なんですがもう吐きそうでした。
終了時間を告げるタイマーが鳴った時は、心の底からホッとしたものです。
なんとか会計を終わらせて、外までお見送りをしたところで店内に戻ると、受付に立っていたオーナーが目を細めてこちらをじっと見ていました。
ちょうど良かったと思い一部始終を話すと、さもありなんという顔でオーナーは言いました。
「あの人、首にヘビが巻き付いてたよ」
その後、私はしばらくしてからお店を辞めて独立しました。
今のサロンは一見さんや飛び込みのお客様は受け付けていません。もうあんな体験はこりごりです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます