第4話 オフィス 18:58

「『僕は幸せだなぁと思います』と。保存してから共有ドライブに移して……よし。すみません、今アップロードしました」


 大学の先輩であるN氏が代表を務めるイベント会社のオフィスでは、これから企画会議が行われようとしていた。

 メンバーはN氏と僕だけ。

 会議の時間まで、あと2分。なんとか資料をまとめ終えたが、ギリギリだった。


「おせぇよ。資料は遅くとも10分前までに用意しとけっていつも言ってんだろ」

「さーせん」


 適当に謝ってバタバタと準備をする。と言っても、作業デスクから打ち合わせデスクへノートパソコンを手に移動するだけなのだが。


「今日カツカツだったんですよ。16時半に会う予定が先方さんの都合で17時になって。まとめる時間を考えたら18時には切り上げないとだったんですけど、サクサク聞いたって深いとこまで話してくんないじゃないですか。なので僕の中の合いの手ラインナップを駆使して、これでもきっちり時間内に終わらせてきたんですから。メーカー勤めの営業マンから聞き上手の称号も貰えて、僕頑張ったなぁ。ほら先輩、ここ褒めるとこですよ」

「はい、場も温まったところで会議始めまーす」

「後輩の頑張りを前座扱いしないで」


 仕方がない。誉め言葉を貰うのは諦めよう。僕はマーカーを手にホワイトボードへ向かうと、今日の会議で決めなければならないことをザッと書き出した。


「こんなとこですかね」


▼体験談の状況

▼企画書を持ち込む先

▼企画書の内容


「まずは体験談についてか。集まり具合はどうだ」

「正直言って芳しくないです」


 2週間前にN氏から業務命令が下ってから、友人はもちろん、その知り合いや普段あまり交流のない親戚にも連絡をして「不思議な体験について思い当たることや、知り合いでそういった経験のある人がいたら教えて欲しい」とひとまずメールでお願いをしたものの、そこから返事が来たのは片手にも満たない。


「資料にある『言霊』の話と『耳の声』の話以外で来てるのは?」

 メールボックスを開いて、僕は答える。


「『テレビと冷蔵庫と電子レンジが1カ月の間に全部壊れた。こんな偶然ある?』という話と、『ぬいぐるみの位置が朝と夜で違っている。うちにはネコしかいないのにどうして?』という話の2つですね」

「うん。前者は寿命、後者はネコだな」

「正解。先輩に100ポイント進呈!」

「やったー。て、それ何ポイントで優勝なんだ」

「天井はありません」

「ノーリミット!」

「さ、場も盛り上がったところで、本題に戻しますね」

「速攻仕返ししてくるじゃん」

「今日の仕打ちは今日返す主義なんです」


 会議を再開する。


「あれですかね、この『不思議な体験』っていうのがざっくりし過ぎてるんでしょうか」

 一口に不思議な体験と言っても不思議の概念は人それぞれ違う。

 例を挙げるなど、もう少し具体的に尋ねる方が良いのかもしれないと思っていたら「根本はそこじゃない」とN氏が言った。


「率直に言わせてもらうけど、このエピソード集めは企画書の軸を作る上で大事な作業だってことは分かってるよな。だったらなんでメールで済ませちゃう訳」

「時間もあまりないので、とりあえず片っ端から撒いてみようと思って」

「お前もさっき言ったよな。不思議の概念は人それぞれだって。だったら俺たちにとっては不思議と思うことでも、本人はそうじゃなかったら?いくら情報をくれと言ったところで自分が意識していない、当たり前と思っていることは出てこないぞ」


 言われて僕はハッとした。確かにその通りかもしれない。


「情報の取捨選択を相手に任せるな。内側から浮かび上がってきたものが、こちらの求めるものに合っているのかは、お前自身が見極めろ。自分の足で出向いて、顔を合わせて直接話すんだ。気持ちの面で警戒が緩めば、思いがけず拾えるものもあるからさ」


 普段ふざけてばかりのN氏だけに、直球のアドバイスは真面目な人が言うよりも3割増しぐらいで響く。


「僕、先輩の口からまともな話を聞くの、初めてかもしれません」

「俺の発言は全て啓示と思え。という訳で、お前はこの会議終わりで駅前にあるクラブに行きなさい」


「は」


「お姉さんたちがいる方じゃなくて、若い子たちがウェイウェイやってる方のクラブね」

「どういう展開」

「で、普通に生きてたら絶対知り合いにならなそうな子を捕まえて、話を振ってみな」

「いやいやいやいや無理無理無理無理。そんなことわりは無いと書いて無理ですよ。僕が人見知りなの、知ってるでしょう」


 N氏は僕の目を見て言う。


「前にも言っただろ。この仕事、大切なのは人だって。知り合いの幅は広ければ広い程いいんだよ。得意なんだろ、話聞き出すの。もっとゾワッとするような不思議な話を引きずり出して来い、やり手営業マン」

「苦手なことを無理強いさせるなんてパワハラだ」

「聞き上手って褒めてんだろ」

「褒めハラだ」

「何と言われようが行け。経験は全て今後のお前の力になるから」


 一度言ったことは取り下げない。N氏の良いところであり、悪いところでもある。が、こうなったら仕方がない。


「ちなみに先輩、ウェイウェイしてる若者ってどんな若者ですか」

「時間差でイジるな。イメージだよ、イメージ。ほら、とっとと次のテーマに移るぞ」


 少しでもやり返せたので良しとするか。僕は2つ目のテーマに気持ちを切り替える。


「企画書を持ち込む先については、いくつかこちらでピックアップしてみたんですが」

「あ、悪い。それなんだがWのところに持って行ってくれないか」

「Wさんって……先輩の同期で性格に難があって面倒臭くて、年上でちょっと頭と顔がいいからって上からえらそうにあれこれ言ってくる言葉足らずで有名な、あのWさんですか」

「まぁまぁ嫌いじゃん」


 Wさんはフリーのジャーナリストだ。取材で色々なところに出入りをしているので顔が広い。基本的に一人で何でもやれてしまうし、3割話せば10割理解するところがN氏とそっくりだ。二人がやりとりを始めると少ない口数で意思の疎通が成立してしまうので、長年連れ添った夫婦を見ているようだと言われていた。


「先輩、Wさんと気が合いますよね」

「アイツと喋るの楽だもん」

「僕との会話はダルくて申し訳ない限りです」

「あ、拗ねた。そういうところ、本当可愛いなお前」

「褒め言葉、あざす」

「Wは財界のお偉いさんや代議士みたいな大層な肩書のある奴らはもちろん、地元に根差して商売をしている会社や団体にも顔が利く。アイツを攻略出来ればそれなりのところに話を通せるから、こっちとしては大助かりなんだよな」


 N氏が悪い顔をしている。こういう強かなところは見習うべきなのかもしれないが、僕にはまだ難易度が高い。


「自分が良しとしたことに対しては力を惜しまないタイプではあるが、逆を言えばWを納得させられないような企画じゃダメだってことだ」

「そんなの、先輩が話せば即OKでしょ」

「残念。今回プレゼンするのはお前な」

「無理無理無理無理」

「お前今日『無理』って9回言ってるぞ。あと1回で罰ゲームな」

「甘んじて受けます」

「早いわ。諦めたらプレゼン終了だぞ」


 さすが名言、アレンジ自在だな。

 こうなったら、Wさん攻略についてはしっかり策を練ってなんとかするしかない。


「アイツには俺が軽く話を付けとくから、日程調整とかの細かいとこは任せるわ。あと企画書についてはお前が一人で作れ」

「ヒュッ」

「びっくりして思わず息を吸った時みたいなオノマトペを声に出すヤツ、初めて見た」

「それぐらいしないと僕の驚き具合が伝わらないんじゃないかと思って。どうしてですか、いつもなら僕が下調べで企画書を作るのは先輩の役目なのに」


 N氏は僕の顔をじっと見る。


「お前もそろそろ独り立ちする時だよ」


 ニッと笑ったその顔は、学生の頃と同じだった。


「僕はいつまでも先輩の庇護のもと、何かあったら先輩に責任をなすりつけられる平社員であり続けたいんですが」

「アホ。俺はお前の能力を買ってるんだよ。いい加減本気出せ」

 人のことを上げたり下げたり。お陰でこちらは気持ちが忙しい。でも、この人には「俺の見る目がなかった」と言わせたくない。


「……わかりました。アドバイスは貰えるんですよね」

「可愛くおねだりしてくれたらね」

「今背筋に寒気が走ったので、一発で完成形の企画書作ります」

「はは。頼もしくて何よりだわ。じゃあ今日の会議はこれで以上だな」


 そう言うとN氏は立ち上がる。


「じゃあ俺、そろそろ帰るわ。お前も早くクラブ行けよ」

「先輩」

 僕は呼び掛ける。

「明日も来ますよね?まだ作業がバリバリあるんですから」

「気が向いたらな。ほんじゃお疲れ」


 ヒラヒラと手を振って、N氏は扉の向こうに消えた。僕はデスクをザッと片付け、身支度を整えてから部屋の電気を消す。

 大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせたところで、よし、行くぞ。


 いざ鎌倉ならぬ、いざクラブへ。

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