第3話 営業(27歳・男性)

 わかります、何かをイチから作るのって大変ですよね。

 僕の場合は企画書なんてそんなすごいものじゃないんですけど、営業先にプランを提案する時は下調べとかめちゃくちゃやっておかないと、相手からツッコまれて返せなかったらもう終わりなので。

 でも、いいプレゼンが出来て、こちらの提案を採用してもらえたら凄く嬉しいです。その気持ちを知ってるからこそ、多少無理してでもいいモノを作りたいって思う訳ですし。

 なので僕の体験談も企画書をお作りになるときのヒントみたいなものになったらいいなって思ってます。


 僕が体験した不思議な出来事ですが、きっかけはピアスの穴を開けたことでした。

 大学4年生の春ですね。


 自分で言うのもなんですが、結構真面目な学生だったのでその頃にはもう就活も終わっていましたし、単位もゼミ以外はほぼ取り終わっていたので、めちゃくちゃ暇だったんです。サークル活動も特に熱心なタイプじゃありませんでした。

 

 毎日家でゴロゴロしたりバイトに行ったり、時々友達と遊んだりといった感じであまりにも同じ日が続くから流石に飽きちゃって、何か新しいことをしようと思い立ったんです。どうせやるなら社会人になったら出来ないことをしようと色々考えた末に、ピアスの穴を開けることにしました。


 就職先の会社がそういうのに結構うるさくて、髪の色が明るすぎるのはNGだし、とにかく少しでも派手な印象を与えるのは注意されると聞いていたので、やるなら今しかないと思って。ほら、ピアスの穴って使わなかったら塞がるって言うじゃないですか。


 開けるのは病院でやってもらいました。

 抵抗ですか? 

 正直言うとちょっとありました。痛いのは苦手だし、親に言ったら反対されるのはわかってましたしね。

 とはいえ、あの時の僕は本当にやることがなかったし、続けられるような新しい何かを探すほど前向きでもなかった。手っ取り早く変えることが出来て、ちょっとした刺激になりそうなことをしたかったんです。


 開けるまでは勝手に痛さを想像してめちゃくちゃ緊張しましたけど、やってしまえば何ということもなかったなという感じでした。ちょっと耳たぶがジンジンするとは思いましたけど、案外平気だったなと拍子抜けしたぐらいです。


 ピアスホールがいい感じに安定したのは夏頃でした。

 

 小さな穴の開いた自分の耳を鏡で見ながら、これからどんなピアスを付けて楽しもうかと思っていたその時、何かの声らしきものが聴こえました。部屋には僕ひとりしかいなかったので、窓の外から聴こえたのかもしれない。

 そう思ってまた鏡に向き合ったら、今度はハッキリと耳に響いたんです。


 「さむい」って。


 え? と思いました。

 だって夏ですよ。冷房は入れてましたが、寒いほどではありません。

 何より、誰の声なんだろうと。

 繰り返しますが、その場所にいたのは僕だけです。

 でも確かに声が聴こえるんです。


 「さむい」と呟く声が。


 もう軽いパニックですよね。どこから聴こえるのか、誰の声なのか全然わからないのに、しっかりと耳に響いているんですもん。めちゃくちゃ怖かったですよ。意味もわかりませんし。


 でも何回かその声を聴いているうちに、怖さが落ち着いてきたんです。


 だってね、その声、すごくだったんですよ。


 高くもなく低くもなく、女性らしい柔らかさもありつつ、包み込むような男性的な優しさもあって。


 声がする場所も最初は耳のすぐそばからと思っていたんですが、よくよく聴いてみるともっと奥の方、耳の中にある色んな器官を通って、ダイレクトに頭に響いているのに気付きました。

 なんていうか、僕の脳の内側に声の主が蜘蛛のように糸を張っていて、その糸を細かく震わせて伝えている、みたいな。


 声が話す言葉はひとつだけです。ただただ「さむい」とだけ。

 どうして「さむい」と言ってくるのか考えていたんですが、理由がわかりました。


 ピアスホールです。


 耳たぶに開けた小さな小さなピアスホールが原因だったんです。


 というのも、僕がピアスをつけると声が止んだんですよ。

 一切、何も聴こえません。

 逆にピアスを外してしばらくすると、あの心地の良い声が「さむい」と訴えてきました。つまり、声を聴くことも消すことも、僕次第だということがわかった訳です。


 えぇ、僕は迷うことなく、声を聴く方を選びました。


 色々と買い集めていたピアスは全部棚に入れて、僕はただただ自分の耳を触っていました。


 ぐにっとした耳たぶの手触り。こりこりとした軟骨。そっと触れるとサワサワとした産毛の存在も感じられました。


 両手で耳を塞ぐと頭の中に「さむい」と告げる甘やかな声が響いて、僕は一日中布団の中で目を閉じて丸くなっていました。


 「さむい」と聞くと普通は今ある状況について文句を言っているように感じますが、不思議なことにその声には不満だとか嫌だとか、そういったマイナスな印象はありませんでした。「そう思ったからそのまま口にしてみました」という感じで、とてもフラットなんです。


 例えるのが難しいんですが……強いて言うならオーケストラって音合わせをする時に「ラ」の音を出してチューニングしますよね? 

 あの感じです。

 これ、伝わってます? 

 いや、わかりにくくてこちらこそ申し訳ないです。

 こう、温度がないというか、事実をただ述べているだけで他意はないというか。


 そんな風に「さむい」という言葉と向き合い続けて半年ぐらいでしょうか。

 大学も卒業間近となった時、ピタリと声が聴こえなくなりました。


 理由はわかりますよね。

 ピアスホールが塞がったんです。


 鏡に映った耳たぶには名残があるだけで、穴はもう開いていませんでした。

 もっと聴いていたい。そう思ってまた穴を開けに行こうとしたものの、もうすぐ社会人になるという事実が僕をためらわせました。

 半年間ずっと聞き続けていた「さむい」というあの声を、僕は二度と聴くことが出来ないんだ。僕にしか聴こえなかった声は、もう帰ってこない。そう思うととてつもなく寂しい気持ちになったものです。


 今、社会人5年目ですが、仕事に関してはそうですね……最初に言いましたが、やっててよかったなと思う時もありますし、自分には向いてないから辞めようかなと思う時もあります。

 気持ちが後ろ向きになっていると、辞めたところで次に新しい仕事にすぐに就けるのかとか考えなくもないですが、不思議と深刻な気分にはならないんですよね。

 「仕事がなくなったらまたピアスの穴を開けてあの声を聴いて過ごせるから、それはそれでアリか」とか思ってるからですかね。


 二度と会えないと思っていた相手ともう一度やり直せるかもしれない。

 もしそんなことが起きたらぎゅっと抱き締めて、二度と離れていかないよう僕の中に閉じ込めるんだ……なんて思っていることがバレたら頭がおかしいと思われるので今まで誰にも言わないでいたんですけど、流石ですね、聞き上手なのでついつい喋っちゃいました。

 お兄さん、営業の才能ありますよ。

 なんにせよ、そんな楽しみがある人生を送ることが出来て、僕は幸せだなぁと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る