第2話 スーパー販売員(36歳・女性)
……もうレコーダー回ってるんですか。すみません、こういうの初めてで。
企画書のためにこんな調査をしないといけないなんて、イベント会社の人って大変なんですね。
私ですか。2年前に離婚して、今はM筋沿いにあるスーパーでパートをしています。子どもはいません。
結婚するまでは世の中的に老舗と言われている文具メーカーで、役員の秘書をしていました。
1日の予定をパズルみたいにパチッとはめて、ほぼ時間通りにイレギュラーなく消化されていくのがとても楽しかったですし、お仕えしていた方にもよくしていただいたので秘書の業務に不満はありませんでした。
でも、これから一番身近な存在になる人とは出来る限り穏やかに優しく過ごしたいと思っていたので、辞めたんです。
もったいないって、周りの人からいっぱい言われました。
私の母は私とは逆に結婚後も仕事を続けて、私を産んだ後も仕事が生きがいみたいな人で。家でもよくパソコンに向かって作業をしている姿を見ていましたし、急ぎの仕事をしている時などは私が話し掛けると面倒そうな顔をしたものです。
母のメーターはいつも仕事に振り切っていたので、掃除や料理、私の面倒を見ることなどは父の担当でした。
父と母は職場で出会ったと聞いています。
バリバリと仕事をこなす母の姿を恰好好いと思って結婚を申し込んだそうで、家庭内のことは任せて欲しいと父の側から申し出たみたいですが、いくらなんでも片方にだけ負担がかかり続けるとどうしたって不満がたまりますよね。
私が小学校に上がる頃には母が作業をしている隣でわざとらしく掃除機をかけたり、洗い終えた食器をあえて音を立てて置いたりと、家の中の空気はいつもイライラでいっぱいでした。
その苛つきの矛先が初めて私に向けられた日のことは、今でも忘れられません。
夕食の時間になりテーブルに着いた時のことです。
苦手だったゆで玉子がサラダの上に載せられていたのを見た時、「これ、イヤだな」と思ったことをそのまま口にしてしまったんです。
父は無言でサラダの器を手に取ってシンクに叩きつけると、呆気に取られている私に向かって「死ねよ」と吐きました。私は突然の強い負の圧に動けなくなり、耳から入ってきた「死ねよ」という言葉の塊が、鼓膜のあたりでバウンドしているような感覚になりました。
身体の中に入りこもうとするのを無意識のうちに拒否していたんだと思います。
父からそのような言葉を投げられたのはそれが最初です。憎しみの言葉というのは一度放ってしまうと堰を切ったようにどうどうと流れ出るようで、それからは些細なことに対しても「死ね」と言われるようになりました。
歩くのが遅いから「死ね」。
消しゴムのかすが机に残っているから「死ね」。
風邪で学校を休んでも「死ね」。
あまりに何度も何度も言われるので、「これは私に対する叱咤激励なのではないか」とすら思うこともありましたが、子どもを応援する意味で「死ね」なんて言う親、常識で考えたらいませんよね。
今だから言えることですが、私はとてもショックを受けていたんだと思います。
そしてそんな状態に自分が陥っていることから目を逸らすことに必死だったのではないかと。
私は誓いました。
「人の死を願うような恐ろしい言葉を思うことはもちろん、口にすることも絶対にしない」と。
そんなこともあって、私の結婚生活は母と真逆にしようと思ったんです。
料理や掃除はもちろん、夫がいつも機嫌良く過ごせるように心掛けました。
感謝の気持ちはきちんと言葉に表しましたし、言葉だけで足りない時は身体を使いました。そんな私に夫も同じように言葉を尽くしてくれましたし、贈り物もたくさんもらいました。
今目の前にいるこの人のことを大切にしたい。
だから、子どもをどうするのかという話は先送りにしていました。
だって子どもがいたら夫だけに集中することが出来なくなるじゃないですか。
私はとても幸せでした。
2人でいられたらそれで十分と思っていました。
でも夫はそうじゃなかったみたいです。
人は2種類に分けられる、なんて言いますよね。
犬が好きな人と苦手な人。
ピーマンを食べられる人と食べられない人。
私思うんです。
人って、今の幸せをそのまま維持したい人と、更に欲張ろうとする人に分けられるんじゃないかって。
私はただただ同じ日が続けばいいと思っていたんですが……。
夕食を終えて食器を洗っていたら、夫から離婚を切り出されました。
職場の女の子が妊娠したから別れて欲しいと。
私、洗剤の泡を流す水の勢いが良すぎて何を言っているのか聞き取れなくて、2回も聞いちゃいました。それでも何を言ってるのか理解できなくて。
だってさっきまで私が作った夕食を「美味しい」と言って、食べてたんですよ?
私を褒めたその口から私を切る言葉が出てくるなんて、思いもしないじゃないですか。
もう本当びっくりですよね。
全然気付かなかったし、気付けなかった。
毎日毎日夫だけを見ていたのに、とんだ節穴です。
目の前にいる夫がどうしたら喜ぶのか、何をしたら笑顔になってくれるのか、私以上に考えてくれる人なんていないのに。
私から離れて今よりも幸せになれると思っているのならバカとしか言い様がないですよ。
子は
出て行く夫の目は優しかったけれど、その優しさは私が欲しい優しさではありませんでした。
あんなに想い合っていたのに。夫のことだけを思って毎日生きてきた私よりも、この世に出てくるかどうかもわからない存在に負けたことが悔しくて仕方なかったんでしょうね。
閉められた扉の向こうにいる夫に向かって「死ねよ」と呟いていました。
あれだけ口にしないと決めた言葉だったのに案外スルッと出てくるんだな、そりゃ父も息を吐くように言うよね……なんて思ったものですが、同じ言葉でも父と私で違ったことがありました。
夫が本当に死んだんです。それも職場の女と一緒に。
覚えていますか?
数年前にC市で割と大きな火事が起きたんですけど、規模の割には2人しか死人が出なくて不思議だって言われていたあの事件です。多分ネットで検索すれば出てくるはず……あ、それです。その亡くなった2人が夫と相手の女です。
もちろん、私は火なんてつけてないですよ。私を切り捨てた相手のために捕まるなんて、もったいないことはしません。警察にもそう答えて、アリバイも確認されていますから。
なんか言霊みたいでしょう。
そんな訳ないのに。
だって言霊が実際にあり得るなら、私は何回死なないといけなかったんですか。
だから夫と女とその子どもが死んだのはただの偶然です。
私の親はどうしているのか、気になりますか?
父は私が高校生の頃にあっさり病気で亡くなりました。母はまだ生きています。
もう長いこと顔も見ていないですが、どこで何をしているのかは把握していますよ。産んだだけで私の世話などほぼしなかった人ですけど、働いていたお陰でお金の心配はせずに済みましたし、大学も卒業させてもらいましたから。
とはいえ、父の暴言から守ってくれなかったことについて、全くしこりがないと言えば嘘になります。
死ぬ間際でもいいから一言謝って欲しいなって。その言葉を聞くために、私は母と付かず離れずの距離を保っているのかもしれません。
母にはもっともっと長生きしてもらいたいんです。
仕事も何も出来なくなるぐらい散々年をとって、社会から不要と言われるような扱いを受けて働くこと以外は何も出来ない愚かで無能な自分の存在を腹の底から感じてもらいながら、私に縋りついて欲しい。私の目を見て「ごめんね」と言って欲しい。
私はその手を払いのけて、「死ねよ」って言ってやるんです。
その瞬間がいつ来るのかはわかりませんが、私が今も生きている理由なんてそれしかありませんから。
こんな話でお役に立ちますか。そうですか、なら良かったです。ふふふ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます