君の黄昏と僕らの選び
……あの子の、イスティの身体の中にいた時に。まずい、と。このままではまずいと思った。彼女の中にいる私がもはや聖女どもに叩きのめされて、木端でしかないのはどうしようもなく真実で。それでも普通の人くらいならば蹂躙できたろうが、力を手にした聖女のクローン相手では分が悪い。
そして何よりもまずい事は、彼女が死ぬ気だったということ。イスティに閉じ込められたまま彼女が死ねば、私まで死ぬ。ちょうど動物に憑いた寄生虫のように。
だから私は一世一代の賭けに出た。
彼女の中から意識のみを、たましいのみを飛ばして別の身体を探す。私が生きる未来はただこれしか無かった。
力は彼女のものとされて。ただ、意思のみ。
身体が見つかる望みもさしてなかった。
生き物すらまともに存在しない世界だ。
そうして見つけた身体は、手脚の健を切られて、そして喉笛を食いちぎられた小さな小さな幼女のダークナイトの遺体。よほどの事では死なないダークナイトが死ぬまで魔物に外傷を与えられ、それでいて不味いからと吐き捨てられた跡。
その身体を、ちょうどいいと私は乗っ取った。
喉のパーツを埋めることはできたはいいが、話すこともできず、何かしらの力を行使することもできない、貧弱な身体。
(私をからっぽな貴女程度が、返せる訳がないでしょう)
イスティに言われたこと。そう、言われたからには。私はこの身体で記憶と情景を積み立てて、空っぽでなくなる必要があった。
ウィズ、などという仮初の虚な名前ではない。
もっと他の…
………
まともな生き物すら居ない、この世界。
その世界で、出来損ないの死体を乗っ取って。
そうして、私を満たしてくれるヒトに会ったとき。そうして、私を閉じ込めた因縁の黒騎士にそっと手を引かれてしまった時に。
私がこうなるのは決まっていたのかもしれない。
…
……
「いいなあ、いいぞお!誰かを騙すためではない、暴いて殺す為でない!復讐の為でもなく、ただ自分が手助けしたい仲間の為の闘争がどれほど気楽で、身体が軽いことか!ククーククク!クハハハハ!」
耳障りな叫ぶ声ががんがんと耳を叩く。このダルクの身体は、耳が良すぎてこうした声や銃声音が非常にうるさく感じる。
だが、その程度だ。所詮は蘇ったとて、武装も薬もない女。持っている銃の中にも限られた数の弾しかない。
景気良く、気持ちよさそうにパンパンと撃っているその銃弾は、そもそも当たらず、当たったとしても何の意味も無いものだ。
ぐるり、と近づいて腑をえぐろうとする。それを予測してかこの不愉快な女医はおどけたように距離を取った。徹底的に距離を詰めようとするにも、足先や脳を貫いて初動を削いでくる。
全くもって、不愉快だ。
「おいおい、無粋じゃないか『暴食』?
私とのダンスは気に食わないか」
『…この苛立ちは、あなたを嫌いだったこの子の、ダルクの身体を乗っ取ってるからかしら、ねぇッ!』
この身体の持ち主が既に持っている魔力の、ルーンの形を魔女の力で染め上げて私の力として利用する。
…私のやってることは、寄生虫だ。
1度、2度も叩きのめされて段階的に力を削ぎ落とされて、私としての、魔女としての恐怖を撒き散らす事もできない。
いいや、違う。
私はそもそもが、そういう存在だ。
初めに意思を持った私というルーンの塊。それが恐怖されるように、遥か昔昔から言い伝えられている魔女伝承を模した存在になっただけ。魔女伝承が私だったのではなく、私が魔女伝承という絵空事を真似ただけ。
私には元々の形というものが、ない。
元々の形も人格も性格も存在はしていない。
ならば私とはなんだ。
今の身体のダルク・アーストロフでも前の身体のイスティ・グライトでも『暴食の魔女』ですらない。
これまではそんなことを考えることすらなかった。
私は私を存続させられるならそれで良かった。
どんな形であれ恐怖されることが目的で。
その為なら何をしてでも良くって。
それが『魔女』になった私だった。
『消えろ、消えろォォッ!』
「…ク。流石にこれは、まずい…」
褐色肌の喉が内側から発する声に振動する。その自らのものになってる身体をどこか三人称的に見ていた。この苛立ちすらこの身体のものならば。『暴食の魔女』としてですらない。『私』を成り立たせている感情は一体何があるのだろうか。
その答えがただ一つだけ、ある。
私の中に確かなものとして残っている。
私は。既に死して残った意思もなく、脳髄もダークナイトとして置換されて残っていない、たぶらかす喉も千切れて壊れ、ただ愛想を撒き散らす愛嬌も残っていない、そんながらくたの少女の身体のときに。
私はあなたのあたたかい腕に引かれて歩いたんだ。
ただそれだけが『私』だったのだ。
『私』はそこで『ロア』になれたのだ。
「グライト嬢ォ、少ねェん!そろそろいいか!
流石に一人だけじゃ足止めすらもう無理だ!
いい加減に君らも加勢し給え!」
目の前、銃の弾すら無くなり、疲労困憊で避けることもままならず足をもつれさせたドクター・ハイレインが叫んだ。
そうしてから私は初めて彼らの方を見た。
そこには、健康的な桃色の頬をした少女。
幾日も休まず歩いた、瘴気と砂埃と汗に汚れた見窄らしい姿のはずの少女は、放つ力と髪の色、そしてその眼のまっすぐな光にその見窄らしさを全て相消されて、むしろ余りある綺麗さだった。
そして、横にいる少年。
彼は、彼は。
私が与えた、私の呪いの証である破片の剣を向けながら。私以外が作った光の義手で私以外と手を繋いでいた。
ぐしゃっ。
いいなあ。
歯軋りをした。
いいや、光の当たる場にいる彼の憧憬や羨望ではない。私が目を向けていたのはヴァンよりその隣にいる桃色の聖女にだった。
どうしてあなたが
横に並んで、手を繋いでいる。
そこは私の場所だったのに。
嫉妬。限りのない嫉妬だった。
私は私が繋いでいた筈のその手が、私以外と結ばれていることがもう何にも我慢ができないほどに悔しかった。それがとっくにもう、埋まっていたものだと知っていて、尚。これが私の横恋慕でしかないと知っていてそれでも。
『この……浮気者…』
怒鳴り散らすつもりだった声は踏み潰しすり潰したように細々とした声しか出ず、怒りと黒い感情は彼らの私を真っ直ぐに射るような4つの目の光にびたりと止まってしまった。
「終わりにしましょう…ウィズ!」
『うるさい、うるさいうるさい!
私は、違う!私はそんな名前じゃないッ!』
『私は、ロアだッ!それすら、そんなささやかなことすら、奪おうとするなぁぁぁッ!』
光を、蝶を纏って私に悠然と歩を進める二人。
闇色の蝶と桃色の蝶を同時に放つその姿とは裏腹に、きっとただ実力だけならばこの二人と私との実力はこれでようやく対等。いいや、こちらの方がまだ優勢ではあったろう。
だけれど私はもう自分が勝てないのだとわかってしまった。瞬間に私はもうこの二人にただ倒されるのだと思ってしまった。
何故だろうか。何故か。そうだ。
私はその光に、目を細めてしまったのだ。
「イスティ。そのまま、前に進め。
オレが絶対に守る」
ダークナイトの剣が、黒蛇の攻撃を防ぎ裂いていく。
一つの攻撃も漏らさずに弾き飛ばしていく。
聖女に付き従う、騎士として。
ただそれに頷きすらせず前を向きこちらに向かう少女はただ、その手の内に光から作られた小さな木槌を持っていた。聖力の光で作られてるのだから『木』槌というにはおかしいかもしれないけど。
そうして、目の前に立った。
「……すぅー…」
「……はぁーーっ!」
かぁん、こぉん、きぃん。
何度も何度も、槌に叩きのめされた。
攻撃の速度に追いつけなかったわけではない。
私だって反撃をしなかったわけではない。
だけれど、その傷をすら見ないでイスティは私を叩きのめした。こちらから一時も目を逸らさないで。
『ぎゃあっ…!』
「おお、やったかグライト嬢!」
どうして私がこうも負けている。
どうして貴女はそっち側に立てている。
どうして、どうして。
どうして、私の隣にはヴァンがいてくれない。
「いえ、まだです!」
………
…ならば、こそ。
私は、渇望する。飢える。乾く。
あなたのそれを私が奪えばいい。
私にはもうそれが手に届かないなら。私の握って欲しい手がもうこいつに奪われてしまったのならば。
その貴女そのものになってしまえば、いい。
ならばそれは、私のものだ。
「なっ…!」
ぞるり、最早動かないこの身体を捨てる。
そうして私はたましいを飛ばす。
この先にある宿敵に向けて。
私から全てを奪おうとする貴女そのものを。
「下がれ、イスティ!」
「なっ!?ヴァン、だめっ…!」
……そして、それを守るヴァンを!
愛しい人、そのものを!
それそのものになってしまえば、それでも!
…
……
「そうは、させねえぜ」
ロアが奪おうとした身体とその暗影の間に一人がぶわりと遮って。その中に、魔女は入り込んでしまった。勿論、すぐに抜け出そうとしていくそれを意図的に食い止める男。
「ぐう…っ、そう、何度もとっかえひっかえってのは良くねえなあ、魔女さんよお!もう逃げることができるのは、俺の身体にだけだ!」
「この、限界ギリギリの俺のなぁ!」
「っ…!テッドさん!?」
「ははっ、正直バケモンどものぶつかりあいすぎて、こっち来てからなーんも出来てなかったが…だが、こんくらいなら…ッ」
一瞬、躊躇して足と手を止めたヴァンとイスティを、テッドがぎろりと睨んだ。その視線が言っている意味は否応なしに分かった。『このまま、やってしまえ』ということ。
「………ヴァンよう。俺ぁ結局なんも出来なかった。もう、身体もよう。あとは死ぬだけしかできねえくらいだ。だから、できるのもこれくらいだ。だからそんな面しねえでくれ」
「嬢ちゃん…いや、イスティさんよ。ずっと謝りたかったんだ。ラウヘルのこと、ごめんな。ちっと、遅すぎたがな」
はっと、イスティは目を剥いた。
彼は第二世界のテッド。だからラウヘルのことも知らず、そして彼女のことも何一つ知らないはずだ。だが今の彼はそれを知っていた。それが示すことはきっと、あの冥界の門からもう一人だけ、こちらに来ていたのかもしれない、ということ。第一世界。何も分かり合えないまま狂ってしまったテッドが。
その二人はまた混じり合って、ここに立った。
だからこそ、魔女を閉じ込める大役を合い成った。
ぐ、と目をつぶった。
覚悟を、決めた。テッドの覚悟を無駄にしないように。
「…ヴァン!」
「ああ!」
破片の剣を掲げ、その剣に纏わっていた黒色が剥げて落ちた。魔女のかけた最後の呪いまでが消えて、男の中でロアが悲鳴をあげた。そうしてそれを柄にしてその先に大きな、大きな槌が作られる。
光の巨大な槌。
その柄をそっと二人で握った。
「「はああああああっ!」」
ずううん。
砂埃とともに、振り下ろされた。
…
……
「…おお、遂にやったのか、二人とも」
後ろから話しかけてくるその声で、オレはようやくはっと正気を取り戻した。この場で動いているものは、3人しかなかった。
「…まずは、礼を言うよ。
私の代わりに、魔女を狩ってくれてありがとう。
そして、おめでとう。少年、グライト嬢。
キミたちはついに、目的を達したな」
目的。
そうだ。最初の最初の目的はそうだった。
魔女を倒して、聖女となる、そういうことだった。
随分と、遠い過去のことのように感じる。
「…だけど…だけど、ダルクが…
私は、友達を失わない為に、戦っていたのに…
結局、それは私には叶えられなかった…」
「…ククー。
そうでも、なさそうだぞ?」
くい、と指を示す。
その先にいるのは、打ち捨てられたダルクの死体。
…否、その身体は、むぐりと動き始めた。
「黙れ、ハイレぃぃン……」
「!?ダルク…ダルク!?ダルク!
生きてる、生きてるのですか!?
よかった、よかったあ…!
でもどうして、どうやって…!」
「…まったく、ボクも恥ずかしいよ。あんな、華麗に散って今生の別れって雰囲気を出したって言うのに。ボクを呪った竜が、妙に我儘でね。せっかく、よーやく想い人と通じ合うことができたんだから、もっと一緒にいなさい、って聞かなかったんだよ」
そう、身体を立ち上げてぱん、ぱんと払う。砂埃、固まった血の汚れがぱらぱらと落ちながらオレたちの方に歩いていく。
そして、通り過ぎた。
まだ喜び合うには一つだけやることがあると言うように。
ダルクが向かう先。依代になっている肉体が無くなりただ黒い粒子になってさらさらと外に出て来たルーンのカケラは、一つの形になっていた。それは小さな小さな、ダークナイトの姿。
喋ることのできなかった、小さな。幼児の…
ずくん、と胸の奥が傷んだ。
「フム、まだ生きていたか。
ならば私が止めをさしておこう」
「待てハイレイン。どうせ、虫の息だ。
それにボクが聞きたいことがある」
そう言って、す、としゃがみ込む。それはただ普通の子どもが泣きじゃくる姿に、視線を合わせてやるように。
「魔女…いや、ロア」
『……なに』
「嘘をついたな。葉っぱにしかすぎないとかほざいていたが…嘘だな。出来たはずだ、あの場のボクを殺してイスティも殺して、もっと早くお前のその計画を行うことも。ボクがこの成功をするという、薄氷の前提を待たずとも、だ」
「…それに、ヴァンのせいで串刺しになったボクの身体も、わざわざ治してから乗っ取った。その治療が無ければ、薄まっていた竜の呪いではボクは蘇れなかったろう。それは、お前の宿としてそうしたほうが居心地が良かったからそうしただけか?」
「…!?」
『質問は一つずつにして頂戴。
本当に、品が無いわねえ…』
驚くイスティを尻目に、ただ虚空を見つめながらロアは一人ごちる。ただ、その虚空に手を伸ばしながら。
『…私は…』
『私は…愛に殉じた。それだけで後悔はないわ。
私を作ってくれた、愛を信じた。
私を私にした愛の味を信じた。
…あなたを、信じた』
「………ロア…お前…」
『この子達、死んだら貴方悲しむでしょ?』
「…お前、は…」
虚空を掴む手を、握ろうとした。
その手がするりと、すり抜けた。
もう、実体化すら出来るほどの力も残っていない。
最早ただの、ルーンの残滓でしかないのだろう。
オレは、彼女が理解できない存在だと、戦う直前に決めつけた。その狂ったオレの増殖計画を聞いて、そういう存在だったのだと。
だけど、そうではなかったのではないか。
まだ、何も知らなかっただけ。そんな事は、ただの思い込みだったのではないか…
『……愛、愛ね。ふふ。お前が奪ったそれらにも、愛があったのだ。それを奪っておいてのうのうと。とか、言わないのね』
「…言えませんよ、ウィズ…いえ、ロア。
それを言うには、私たちも奪いすぎた」
『ふふ、確かに。でも私は言って欲しかったわ。だったら、なるほどって、納得が行くもの。私が、ヴァンと一緒にいれなかったこと…』
『虫が、良すぎたのかもねえ、って……』
そうして、黒い粒子は粉々に消えていった。
『暴食の魔女』は、ここに、死んだのだ。
オレはその粉を掴んで、ただその手の中をじっと見つめ続けた。
…
……
しばらく、して。
「…ドクター・ハイレイン。もし良ければあなたもこのまま、その、ここに…」
「ン、ンー…いや、遠慮しておこう。私は最早、ただの死霊だ。ここに長く居座りすぎるのも良くないだろう。それに…」
ちらり、とヴァンを見る。
そうしてからマスクの下でくつくつと笑った。
「ククー。まさか、魔女までたらし込んでいる、なんてな!少年はとんでもない女たらしのようだ。だから、私もたらされてしまう前に退散することにするよ。おお、怖い怖い」
なるほど、とダルクとイスティが頷く。
別にたらし込んでなんかない、とあわあわとするヴァンを見て、ハイレインは、今度はたた静かに微笑んだ。
「…ただ、そうだな。一言だけ…少年」
「む、なんだよ」
ハイレインはただそうして近づいて。
ゆっくりと、彼の頭を撫でた。
小さな子どもを、あやすように。
えらい、えらい、と。
「かっこよかったぞ」
そうしてハイレインはその身体を、青白い影の塊にして、どぷりと消えてしまった。来た時と同じようにただ呆気なく消えて、呆気なくいなくなってしまった。
残されたのは、マスクと中身が空の銃のみ。
もう二度とそれは、使われることはない。
…
……
「これから、どうする?」
「どうしようか。迷った時は、いつもこれだ」
「ああ。…久しぶりだな、これも」
そうして、私たちは誰もいなくなってしまった空っぽの玉座で全員でどかりと座った。疲れもそのままに、それでも話さなければならないことを。私たちはいつも、こうしてきた。話がまとまらない時、これから先どうするかわからない時。こうしていた。
それはつまり、そう。何回めかはわからない一団会議だ。
今回のテーマは、つまり。
『これからの話をしよう』
「…理由はあった。人相手でもない。
だけどそれだから殺しが許されるわけではない。実際に、オレがダークナイトだろうと沢山殺してきたのは確かだ」
「それならば私も同じことです。
私は、魔女としてたくさんの罪の無い人を殺した。
…これは、ロアが、ではない。私自身が背負うべき罪です」
「えー?そんなら、ボクだって沢山ヤッたからなあ…正直キミらみたいに真面目じゃないから、ぶっちゃけどうでもいいってのは本音ではあるんだけどね」
三人が三人、全て罪を犯している。
そしてまた心に残っていることがある。
消えて去った、『魔女』の、ロアのこと。
だからそうして、というわけではない。
だけど皆、言わんとしてることは決まっていた。
「だからオレは…
オレは、ここに残るよ」
そうして彼は、展望を語り始めた。
彼の語るその、贖罪の先の話を。
私たちの未来の話を。
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