胡乱なほどに完璧に
「………ダルク…ヴァン…」
「……っ」
…私は、何を思い上がっていたんだろう。
涙は流さない。そう、している暇すら愚かしい。
なまじ、力があったから。あって、しまったから。自分だけで何かができると思い込んでいた。この聖女と同じ身体ならば。魔女として持ってしまった力があるならばと、自惚れていた。
自らが死んで終わりならば良いと思っていた。
その挙句がこれだ。
ただ一人で前のめりに倒れようとして、誰も幸せにならず終わろうとして。そして、私が命を使ってまで幸福を保たせようとした友人を、失った。串刺しになってまで私たちを止めてから、その身体を利用されて。
(私は、ばかだ)
何をのぼせあがっていたんだろう。
私は、みんながいたから今まで歩いてこれたのに。私は皆が支えてくれなければ、ここまで歩いてこれなかったのに。
そんな簡単なことを忘れていたなんて。力の有無など関係ない。ただ、それが私の1番の幸福だったというのに。
彼が、ヴァンが連れ去られた王城に向かおうとする。
ぐったりと、身体が重い。
どうにも力が湧いてこない。
その理由も分かってはいたが、足を止める理由にはならない。私の目標は何一つ変わってはいないのだから。
命を賭してでも、私の友人に幸せになってもらう。
もう、手遅れかもしれなくても。
それでも私は、前に進まなければならない。
どんなに辛くて絶望的でも。
一度も、心の折れなかった彼のように。
へこたれなかったように。かく、ありたくて。
そう向かう私の肩を、ぐいと止める手。
弱々しい力と共にそう引き止めたのは、私も一度見たことがある顔。テッドさん、でした。
きっと私が知ってる第一世界のテッドさんではなく、第二世界に生まれていた彼なのでしょうが、それでもその目付きは何一つ変わらず、ラウヘルの時のままで。
「……俺にゃあ、正直何がなんだかわからねえよ。だが多分だが、もうアンタは魔女じゃねえんだろ?」
「…過去に犯した罪の所在という意味では、そうではないと言いたいのですが。ここは物事をややこしくしないように『はい』とだけ言っておきます」
「おうさ、事情はとりあえず無視さ。で。どうすんだ、嬢ちゃんアンタ。今からそのままあっちに行くのかい」
「はい。行きます」
「死ぬぞ」
「承知の上です」
「そうかい。なら、俺も行く」
「!…死にますよ?」
「承知の上だ」
互いに、ノータイムでそう言った。
それを見て私はただ、ほころんだ。顔も、という意味であり、ただあの頃のようで凝り固まっていた心がほころぶ。
「ふふっ、ふふふ」
「な、なんだよ急に笑って。気持ち悪ぃな」
「いえ。テッドさんは私の知ったテッドさんなのだなって」
「ああ?…俺、アンタに名前言ったことあったか?」
きっと、そうなのだろう。
生まれ持ったものはそう変わらない。
何かで表に出るものが変わるかもしれない。だけれど、世界が違かろうと、性別や生い立ちが様々に変化していたとしても、その人間の秘めたるものはつまりそう変わることはないのだ。
私たちは、互いによれよれのままに王城に歩き始めた。もう二人とも、戦うなど到底できなさそうだ。周りに動いている影も一つもない。それでも、先に進む。
…
……
「……」
剣を向けたままに、全く動かない。
勇壮に、悲壮に剣を構えたままにそのままになっていた。魔女はそんな彼を見て、ただ横に首を振った。
『意外と奥手なのね』
「そりゃ、そうさ」
『私に一人で挑んでくれないの?
私には、一人じゃ勝てないって?」
「そうだ。オレだけじゃ君には勝てない。
これは絶対のことだ」
『ふーん。ちぇっ、つまらないの。私、ヴァンのこともうちょっとおバカでどうしようもない人なのかと思ってたのに。そんなとこが愛しかったのに』
「なら愛想を尽かしていいさ。君の愛したオレは君の中だけの妄想だ」
『……悲しい事言うのね。
私は、そのまま全部の貴方が好きなのに』
ロアはそうして、彼の友人の顔で心底寂しそうな顔をした。その会話にどれほどの意味もない事をわかりながら。
これがただの時間稼ぎであることは、とうにばれている。後ろから、遠くから近づいてくる彼の仲間をただ待っていることが目的なことも。
『あの子を待つの?イスティを、ただの力の抜け殻を。
いいわ、ヴァンがしたいならそうしてあげる。
そうしてから、全部食べて無くしてあげる』
「…いいや。
オレたちにはもう一人、頼り甲斐のある仲間がいる」
『?ああ、あの頼りない髭面の事?随分汚く儚い希望ねえ』
ただ、黙して。彼は待った。
もう一つの仕込みと、彼にしか出来ない事はもう終えてきた。だからこれが成功しなかったのならどうしようもない。
その、綱渡りの中で。しかし失敗は予感していなかった。
それは彼の中に初めてできた確信。
自分ならば、必ずできるという自負。
彼の中には、3つの己があった。
2つはつまり、それぞれの世界の彼。ただダルク・アーストロフという友人の為に黒騎士となることを選んだ『僕』と、それと共に混じった格好つけたがりの『オレ』。
そしてもう一つ。記憶を失い、そうしてからここに来て生まれた自己認識。生きる意味を求めて彷徨い続けた、抜け殻の亡霊。それでも自己というものがあるのはつまり、ほんの少しでも。小さな魔女との旅がそれに足るものだったから。彼の中に事故を生み出すに足るものだった。
三人、寄れば。
ヴァンは、彼は到底天才とは言えず、秀才とも程遠い。だからこそ三人の己が合わさって唯一、彼らは天なる才に届いた。
ルーンを読み解きルーンを見出し、メモライズの既製とは遠く別にあるものと呪文をルーンで作り出す。ただ一つの、一つしかできない魔術。新たな呪法を作り出す天才の次元に、指先を浸した。
ただ一つの仕込み。それが上手くいくと確信してやまなかったのは、彼の中にある3つの己のそれぞれが全て、確かな自分があったからだ。ただ仲間と共にいた記憶とそれまでが彼に力を与えていた。皮肉にも、それを与えたのは目の前にいる魔女でもあるのだ。
「…オレが、僕が、オレたちが望むままに。
一つの門をこじ開ける。作りは、しておいた。
だからそろそろ出てこい。その扉を開け」
「何を…?」
初めに、何を言ってるのかと訝しみ。
そうしてから、は、と気づく。
その羅列は、詠唱だった。
彼が望むままに、出力を作る祝詞。
『新たな魔術』の。ルーンの動きの。
「開け。──の門」
…
……
ずる、ずる、と。足を引き摺り王座に。
身体がどんどんと重くなっていく。
途中、片腕のないテッドさんの肩すら借りる始末だ。
そうして、相対する二人の近くに来た。
玉座に横座りになる、魔女の姿。
それを遠回しに眺める黒騎士。ヴァン。
私はその後ろから、そっと近づいた。
懐に、手を入れながら。
『……不発、みたいね?ヴァン。
これであなたたちの望みも尽きたのかしら』
『もう、とっくに気付いているでしょう?イスティ。貴女にはもう、力は無い。私が目覚めてから、貴女の中にある力は聖女としてのそれじゃなく、魔女の力に変わった。それを使うことこそはできていたとしても…』
『…私が、魔女が目覚めて。
このダルクの身体を貰う際に全部持っていった。
だから貴女にできることはない。
武器も折れて力も何もない貴女に用は無い。
こんな哀れな子が、ヴァンの最後の希望なんてねえ』
そうだ。私の身体が重い理由もつまりそれだ。
私の中にある力は、もう無くなってしまった。
空っぽの器だけで、私は歩いている。
そうだ、武器も、メイスは折れてしまった。
蝶ももう一体も出せはしないだろう。
だから、一つだけしか武器は無い。
それは、それだけはずっと手放さなかったもの。
一度渡されてからずっと持っていたもの。
銃を、構える。
これはいつかのこと。
ハイレインが、私が正気を失った時に殺してくれ、と。私が持ち、あなたが正しい道に戻ることを信じてこれを渡すと嘯いて持ち続けたもの。
「…ええ、確かに。私にはもうやれる事はない。
この弾が当てることも難しい、でしょう。
だけど、だけれどね」
「それは諦める理由になんか、なるもんか。
私が、私たちが諦める理由になるもんかっ!」
「よく吠えた。それでこそ、だ」
ぽん、と。私の肩に触れる手。
そうしてから私の手を取るその細長い腕。
テッドさんのものでは、ない。
声も、テッドさんのものでは。
では聞き覚えのないものだったか?
いいや、違う。声に、聞き覚えはある。
だけどそれは絶対に、あり得ない声なのに。
だけどそれは、今、幻覚で無く聞こえたもの。
「ただもう少し肩の力を抜きたまえ。力を込めても銃弾の軌道は変わりはしないからな。…よし、そうだ。そのままゆっくり向けるのだ、『グライト嬢』」
「……え」
その呼び方をする者は、一人しかいなかった。
だけれどそれはありえないはずだった。
だけどその冷たい指と声は確実に存在した。
まるで死人がそのまま、そこにいるように。
「そこだ、シュート」
があん。
銃声が轟いてロアの胸元を貫いた。
そのダメージになんの意味があるだろうか。だが、物理的な損傷とは別に、その魔女は動揺を露わにした。
『お前…お前は…!見覚えがあるぞ!』
「あ、あああ…!あなた、あなたは!」
「…遅ぇぞ、魔術が失敗したかと思ったじゃねえか。なあ!」
「「ドクター・ハイレイン!」」
仮面の無い、無機質的な美貌をぎしりと歪ませて。
彼女は笑った。
「ククー。随分と気安く名前を呼ぶじゃないか。
まあいい。それも、『仲間』の特権だものな」
…
……
「え…あ、あ。なんで、なんで…?」
「…ふむ。グライト嬢。君にはその銃は似合わない。君が使うべきはもっと牧歌的で優しくて、そういう武器であるべきだ。君は、聖女になるのだろう?」
「違…!わた、私は、あなたに殺されるべきのひとで…!」
「クク!笑えない冗談だな。私が狩らねばならないのは、魔女だ。君のような麗しい少女はその対象ではない」
銃を取り上げて、くるくると芝居がけて回してからびしりとロアの方へと照準を向けるハイレイン。そうしてまた、こちらに近づいてきたヴァンから手渡されたマスクを手に取って自らの頭部に付けて。
「…さあ、行きたまえグライト嬢。そろそろ君たちにも、屈託のない、感動の再会があるべきだ」
そうして、ハイレインが魔女に向かう。
自らが狩るべき相手を前にして、爛々と。
それを尻目に、近づいてくるヴァンに私は目を奪われて。
ぎゅっ、と。
二人で確かめ合うように抱き合った。
どちらが先にしたかは覚えていない。
どれくらいしていたかも覚えてない。
だけどそこまで長くはなかったと、思う。
「これは、ヴァンの仕業なの?」
「ああ。オレの魔術だ。
オレが作った、ちんけな技」
どこが、ちんけなのだろう?
そう言おうとしたのを見越したようにふ、とヴァンは笑った。あなたに逢えたことが嬉しくなる笑み。
「3人分の力があろうともオレにはこんな程度しかできなかった。必死にルーンを紡いで出来たのは、『冥界の門』。門を作るだけまでしかできなかった。そこを通るかどうかってのは、そこにいるやつの自由意志だし、だからここに来て戦いを選んでくれたのはオレの力じゃない」
「そうさ。ハイレインも、『そこにいる子』も。ただ、縁の深い君を助ける為だけに来てくれたんだ」
私の周りをいくつもの小さな光がぽうと囲んだ。薄桃色の小さな光たちは私にそっと寄り添って、そして暖かく私たちを照らす。
その薄桃色にはどこか見覚えがあった。
それは追憶の中。いいやもっと、もっと身近に。
自分の見た鏡の中で、幾度も見た…
「あなた、たちは…」
光に目を凝らせば、『彼女たち』が見えた。
見覚えはない。いいや、あっても覚えていない。
でもそれが何かはわかった。わからない筈が無い。
この子達はつまり、クローンとして生まれて、そしてそのまま廃棄されてしまった『私たち』。私が、私として生きていたように、この私の姉妹たちもきっともっと、ちゃんと自分であり続けていたのだ。
『ル、ルー、ル、ル──』
透き通るような鼻唄が私を包む。それぞれの個性の生まれた声。それらの音。
そうだ。つい、さっきも思ったことだ。産まれなどでは決して人やそのものは変わらない。ただ一人がいるだけでは、末路も道も何も変わりはしない。だから姉妹たちも私も、意思を持った。
だけどどうやって生きたかは、自らになる。
どう人生を歩んできたかが、自分となる。
どの人を愛したかが自らを作る道標になる。
どんな仲間と一緒にいることができたかが。
私たちの、存在になるんだ。
そしてそんな、存在を作った仲間たちに目を向ける。私は、私しか見ていなかった。私の中に押しつぶされるあまり、私が殺めた人にすら目が向いてはいなかったのだ。
そうだ。
(誰も私に命を持って贖え、なんて言わなかったじゃあないか!)
ただ、死ぬ事だけを考えていた。
そうしなければこの罪は最早精算できないと。
この罪を、魔女としてを雪ぐ事が出来る為に、ただ命を捧げねば、と。
だけれどそれはただの、逃げだ。
贖いとは、そういうものではない。
死んだら許されるなんて、ただ責任から逃げてるだけだ。
ハイレインは言った。君は魔女ではない。
ダルクは言った。ずっと友達のままでいたい。
ヴァン、言った。君は、オレの聖女だと。
私を作ってくれた皆が私を生かすならば。
私は、聖女として。生きて償わなければならない!
その答えに辿り着いた瞬間。
薄桃色の光の中に一際大きく、そして強い光がまたたいた。こちらを眺めて、そして撫でてくれたその感覚にはいつか覚えがあって。
わけもなく、涙がぼろぼろと流れ出た。
初代聖女。私たちの、元。
私たちの、かあさん──
「あ──」
光が、ぱぁんと弾けるように消え去る。
その光が私の中に入ってくる。暖かい力。
すう、と髪の色が桃色に染めあげられた。
真白になっていた髪が、再び変わり戻った。
元々、一つの力だったもの。
それが姉妹たちに届けてもらった。
不出来な妹で、ごめんなさい。
でも、もう迷わない。私は。
「グライト嬢ォ、少ねェん!そろそろいいか!
流石に一人だけじゃ足止めすらもう無理だ!
いい加減に君らも加勢し給え!」
「…っと、空気の読めない奴だな」
「ふふっ。確かに。
ドクターはそういうところ、ありますよね」
くすり、と笑って二人で向かい合った。
「だけど確かにそろそろ行かないとな。
もう、完璧だろ?」
そうだ、もう完璧だ。
私の中には、わたしたちがいる。
私の隣には、みんながいる。
私を信じるあなたが、いてくれる。
だから、頷いた。
一緒に並んで、手と足を一緒に踏み出した。
「ああ。オレも、完璧だ。
だってオレの隣には、きみがいる」
ヴァンには片方の腕が無い。
それを補うように、私は光の蝶を糸にして編んだ。そうして彼の無い腕にまとわり、彼の光の腕とした。
ヴァンがその腕で、破片剣を構えた。
そして、もう片方の腕で。
私と彼は、手を繋いだ。
「行こう、イスティ。オレの聖女さま」
「はい。貴方となら、どこまでも」
そう言って、共に駆け出した。
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