ホーカス・ポーカスの恋情




「……ダルク、ダルクッ!」


一拍子、置いて。

イスティ・グライトは串刺しになった、無惨な友人の前に駆け飛んだ。久遠にも思えた想起の時間はその実ただ数瞬で、その口付けの感触に呆然としていたヴァンもまた、その大声で気を取り戻した。



「嘘、嘘だ!嘘でしょう、あなた、あなたがこんな、こんなぁっ…!」


「オレ、は…」


眼を大きく開き泣き叫び、取り乱すイスティを、またその傍のダークナイトがふらふらと立ち上がって見る。

彼は不思議な状態にあった。

記憶が、全て戻り。二つあった彼はイスティの事も勿論、思い出している。ただそれまでの、ここに来てからの憎悪もまだ少し残り、3つの記憶と感情が相反してしかし同居している。


憎悪と怒りが、まだある。

だがそんなものは自分自身に向ける不甲斐なさと迷走に向ける、自己嫌悪の怒りに到底掻き消されるもので。

そしてまたその中で何よりも。

その中のうちの一人が強く強く、発した感情があった。

『彼女を、泣かせてはいけない』。


「……イ、スティ」


「!」


「…謝るのとか、自己嫌悪とかそういうのは後にする!まずやるべきはこいつの、ダルクをどうにか助けないと」


「は、はい!待っててください、私が傷を…!」






『これこれ』


『これが欲しかったの』


『器。『聖女』の器。

彼に、ヴァンに愛されている器!』




どぐり、と、熱を失い、だらんと影の刃に突き刺さったままだった褐色肌の身体が急激に作動した。力無く開けたままだった瞼は意思を持って動き、手を取り合い近づいてきた元聖女と黒騎士にずるりと視線を向けた。瞬間。はっ、とイスティとヴァンが互いに互いを突き飛ばした。敵対を表すものではない。ただ瞬間に、『まずい』ことが分かった為だ。


このまま動かなければ確実に死ぬ。と。





びしり。

王都、そのものに黒い刃がとんだ。

全ての生き物に向けて。

ここに居る、全ての生きた物に。うごくものに。


『じゃッ』


間抜けた掛け声が、針山じみた黒い塊から発せられて、そしてその棘はヴァンとイスティと、それ以外の全てを貫いた。

唯一一人、それにかろうじて反応したのは雑兵に応戦をしていたテッド。その、心の臓に突き刺さることは避けたが、ただ左腕に突き刺さる。


そしてまた、次の瞬間に。

その針は棘や針でないことがわかる。突き刺さった先から、黒色をごくん、ごくんと胎動させながら、放った者へと運んでいく。

抽送のように、飲み込むように音がして。それが刺さったものがみるみる内に真っ黒に無くなっていく。

これは、『管』だ。足りなくなった栄養を、啜る為の。



「うおおおおおおおッ!」


テッドが、咄嗟の判断で管が突き刺さった腕を根本から切り落とした。落とした腕はそのまま、地面に当たることすらなく粉になって消えた。それはつまり、その判断ができなかったもの。心臓に直接、それを刺された者たちは全て、生き残ることは出来なかったということ。



何が、起きたのか?目の前の動作と、直前の声が聞こえた二人にのみ分かった。最悪の事態が起きてしまったことが。

管の根本、こんがらがって、見えなくなったところからぶちぶちと引きちぎって内側から出てきたのは紛れもなくダルクの姿。


だが、その視線は違う。動作が違う。

ダルクの視線は嘲るように歪んでいたが、こうも残酷に全てを見下してはいなかった。ダルクの動作は大胆ではあったが、このように全ての都合を無視するような傍若無人ではなかった。


『ふふ、うふふふふふ』


『……あっはははははは!貰っちゃった、もーらっちゃった!やったやった、これ欲しかったのよねぇ!あはははは!』


『あははは!はは、はーあ…』



しきりに高笑いをして、天を仰ぐそいつにイスティは奥歯を割れん限りに噛み締めて恐ろしい憤怒の形相で飛び掛かった。背に生える、暴走したような蝶の花じみた奔流は全てを破壊せんほどの推進を産んでいたが、しかしその攻撃は大きな大きな、蛇の鱗に妨げられていた。

ごぉおん、という巨大な鐘じみた音と、周囲の全てが吹き飛ぶような衝撃を伴い。それでも二人の表情は変わらない。



『ほんと、無粋な子ね。だからあなた駄目なのよ』


「黙れ、その口で何かを語るな。お前が、お前のような存在がダルクの口で、声でそんなことを、言うな、言うな、言うなぁァッ!」


「…これ以上!

その口から一言も発するな、『ウィズ』!!」


『だぁからその名前やめてって。…あら、これは貴女に言うのは初めてだったかしら?あはは、ばっ』



どす、ずぱりと連続で黒い剣が喉元、心臓、そして手足を切り裂いた。聖女と魔女が話し合う間に、ダークナイトはその背に回り込んでそうした。親友にこれ以上死の罪を犯させんために、迷わずに貫いた。



「同感だ。そのまま一言も発さないで貰えると嬉しい」


『…ひ゛どいまね゛を゛ずるわね゛ぇ』



しかし、死なず。代わりに貫かれ切られた部位からはリボンのような黒紐がずるずると溢れ出して彼を縛った。

リボンではない。これは、蛇の舌だ。


ずる、り。

そのまま、結んだままのヴァンを連れてその『ダルク』は遠くに走り出す。連れて進む先は、この世界の王城。馬鹿みたいに、みせかけの威容を作り出すことに躍起になったはりぼての王城だった。



「な…ッ!まて、待てッ!」


灰色の聖女はただ走り、追いつかんとする。

その肩を、何者かの手が叩いて押し止めた。

待て、と。

そう言ったのは──






……




『さあ、動いてみて。私もあなたを傷つけるのは本意ではないから…そんな、痛いようにはしてないと思うの』



『ダルク』が空っぽの玉座で宣う。

そうして黒い拘束を解いて、ヴァンを目の前に立たせて。またその身体に優しく抱きついた。その足元には、もはや灰色の粉をまぶしたようにしか見えない豪勢で瀟洒な服が落ちていた。



『ね、すごい違いじゃない?あっちの世界では愚民を先導し私を足止めせしめた賢王が、こっちでは私欲のままに民を切り捨て、生き汚なさ全開でこの世界の未来を貪り尽くした』


『生き物なんて、そういうものよ。

周りにある人、環境、言葉と気分に欲望。そういうのに振り回されれば、本質が同じでも幾らでもねじ曲がって変化するもの』



「持ってまわった言い方はやめろ。

……それとも、ダルクのフリのつもりかよその軽口は。つまらないし似てもいない、不愉快だ」


『……え。ごめん、なさい』


「…!?」



少し、面食らった。

揚々と話す彼女に心から苛立ち、しかし一人で立ち向かっても勝てはしない。何か突破口を探すべく時間稼ぎの悪態に、この目の前の存在は驚くほど素直に落ち込み、謝罪したからだ。


「…まあ、いい。

なんで、オレをわざわざここに連れてきた。

お前の目的はオレを殺すことじゃないのか?それとも、生かしたままに苦しみを味合わせて顕現の邪魔をした復讐でもするのか」


『そんなことしない。だからここに連れて来たのは…どちらかと言うと副次的目的、かなあ』


「だから、何を…!」


『ヴァン。私の事は、わかってくれない?』


わからないわけが、無いだろう。

お前は『暴食の魔女』だ。ただそうだと、言いかけて。その言い出し始めた食い気味に、否、食い散らかす勢いでがしりと手を掴みそれをやめさせた。



『あはははは!違う!違う違う、違う!』


『あなたが私を、『暴食の魔女』じゃいられなくしたのに!酷いわ!あははははははは、ははは!』


ぞっと、笑い続けながら握ってくる目の前の怪物に恐怖した。それは笑みの意味がわからなかったり、目の前の親友と同じ見目姿であるのに異なるからではない。その握る手の感触に覚えがあったからだった。

さあ、と蒼ざめる。感触から得た答えを、認めたくはなかった。であるのに熟慮すればするほどその手の力と握り方は一つの答えを提示してきていた。



「……ロア」


『ああ、やっぱり分かってくれた!

信じてた、信じてた!』


ダルクの肉を器とし利用し、魔女としての力を使いこの王都に身を寄せた生き物をつい先に殺した。そんな存在が、ああ。手を掴んで、ぴょんぴょんと幼い動きをしている。くるくると可愛らしく全身を駆動させるようなそんな動きを見て、それはもう本当にそうなのだと。


『だから、もうわかるでしょう?貴方をここに連れてきたのは、あの時あの小汚い集落であなたと共に祈っていたことと全く同じ。一緒に居たいから。ふふ、ふふふふ!』


「待て。オレは…君に何もしてやれてない。

ただ、振り回した挙句に死なせただけだ。それに合って、数日も無い。そんな奴と居て、どうするつもりだ」


だからそれなら、意思を疎通できるのではないか?そう少しでも考えた自分がどれだけ愚かなのかということを思い知らされることになる。



『うん。たった数日の逢瀬。たった数日の愛。それは、そうね。だけどだからといって、それが浅くて薄いものってわけでも、無いでしょう?それはむしろ、死んだ私の為にあの子を殺そうとしていた、ついさっきまでのあなたが証明してくれているじゃない』


「!それは…」


『それにね。ただ数日も無い、なんて言わないで。私にはあの何日が一番美味しかったの。なんにも知らなかった私には、何よりも何よりも色濃くて最高に刺激的な愛だったのよ』



『だからね。貴方の全てを『食べ』たい』


「……何?」


『さっき言ったことの繰り返しになっちゃうけどね…そこの王様を見て、常々思ったの。環境によって、生き物は本当に全くもって違う姿になる。それはこの二つの世界って意味でもそうだし、その周囲の環境と染まった状態、そしてあなたのような混じった存在』


『それを味わって全部食べたいけど、あなた一人を食べちゃったらそれはもう無くなってしまうし、何より一つの『ヴァン』しか食べれない。今ここにいる、こうなったあなたしか』




『だからあなたを『養殖』しようと思ったの。

ここに連れてきた副次的目的はそれ。ここならこのバカ殿が作ったクローン装置や黒化を変える装置もあるだろうし。若いままのヴァン、今のそれから少し成長したヴァン、お年寄りになったヴァンに赤ん坊のヴァン。女の子のっていうのもいいわね!そういうのを色々育てて作って、一緒に死ぬまで暮らして暮らしの全てを味わって食べて、その死体も私がたいらげる。そうすれば、きっと、きっと!』


『…う、ふふふふふ、美味しいだろうなあ…!幸せで幸せで、きっとおかしくなりそうなくらい』



「…………」



言葉が、通じる。

だからきっと話が通じるのではないかと思った。

あの時、あの数日。聾唖の彼女とボディ・ランゲージで伝わり合うことができていたつもりだった。だから分かり合えるのではないかと思った。


何のことはない。勘違いだ。

同じ言葉が通じようと、分かり合えない存在。

それこそがこのルーンの化物であり、魔女だ。

ただの勘違いだ。

触り合ってわかりあっていたその気持ちは、彼らのそれぞれと少しずつ違く、理解してたはずのその感情の重さを互いに測りかねて致命的な差になっていた。それに、聾唖だったから気づかなかっただけだ。



目の前にいるロアに、ヴァンはただごめんと呟いた。何の意味もない、何に向けたかもわからない謝罪。

そうして、改めて剣を向けた。


自らの生きた意味がこんな回天をするなど、到底思わなかったことだ。記憶のないままならば、ああ、絶望をして膝を折っていただろう。もう何を信じていいのかもわからない。この目の前の圧倒的怪物に何をしてももう無理なのだ、と。そうなっていたはずだ。


だが、今は折れない。

へこたれない理由は、彼の親友がその命を引き換えに彼に記憶を取り戻させてくれたから。守りたい存在を思い出させてくれたから。

自分が、どうしたいひとなのか。それを。

だから戦う。


一人では絶対に敵わないだろう怪物。

しかし、突破口は近づいてきていた。

一人ずつではきっと、足りはしない。

だが二人ならば。

そう、確信してやまなかった。


それはつまり、彼と、彼女。

ダークナイトと、彼の聖女ならば。




だけどただ一つ。

身を抉られるような苦しみと共に一言言った。



「…ロア。オレはお前を止めるよ」



決別を、露わに。

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