悲劇のアポトーシス


つつが、なく。

それは当然のことだ。彼らを邪魔する者たちすらもうこの世界には存在しなくなっている。彼らを目的があって討滅しようとする者はいない。無差別に、動くものを殺そうとするものすらいない。


王都到着。

ヴァンはその楼閣を見て鼻を鳴らした。この王城すら綺麗ですらない、老朽化と瘴気で黒ずみはじめている現況を見て、ああ、本当にこの世界はもうだめなのだと。そう、常々思った。

入った城下では、確かに気配を感じる。しかし何かここに希望があるから、ではない。ただ死なない為にここにいるといった風情だ。きっと最初こそは死にたくなかっただろうが、今はどうだろうという程に。



「ちょうどいいな。…オレが、今からやろうとすることに罪悪感を抱きにくい」


そうして、ヴァニタスがずるりと破片剣を抜いた。

瞬間、テッドも腰からダガーを引き抜く。

そうして。ダガーを少年に突きつけた。

少年はそれに、一度ゆっくり瞬きをする。


「…こんな時はくると思ってたよ。

あんたは、いい人だからな」


「いいや、俺ぁただの偽善者さ。こうまでお前さんが追い詰められるまで何もしなかった」


互いが納得と諦めをしたような口ぶり。

だが互いともに、刃を下ろしたりはしない。


「だけど、だからここでせめて、これ以上、戻れなくなるほど道を踏み外すのを止める。それが俺の責任だ」


「わかってるよ。…オレがやろうとしてることは最悪だ。相手が全てを喰らう厄災であったとしても、この世界に生き延びてる人類を全て殺し、侵食しようなんて、許されるわけがない」


身勝手に止めに入ったテッドは、裏切り者だ、と言われるようなことに備えていた。もしくはそのまま、襲いかかってくるかと。しかしそのどちらでもなく少年はぽつりと一人ごちはじめる。ただ、ぼおっとしたような納得したような顔で。


「何が、いいてぇ」


「ただの自己分析だ。この世界に於けるオレは、あの魔女となんら変わらない。いいや、ダークナイトを選んで殺してるあっちと比べればオレの方が酷いかもな」


沈黙。ならば、と言う資格はない。だけれど、分かっているならばやめればいいと、そう言わんとする沈黙を、それでもヴァンは喋ることによって否定した。



「…ならどうすればいい」


「オレはどうすればいいんだよ。

オレは、奴を憎いと思っている。それまでに呪っていた想いよりもずつと明瞭に。それが、それこそが嬉しいんだ」


「…なに?」


「オレは、抜け殻だ。何をしたいのかも分からないし何をすべきなのかもわからない。分不相応な実力だけ残って、それ以外の何もかもがわからない。元々あったはずのそれらはもう何処にもない。新しくそれを得ようとした瞬間に無くなった。生きる意味が、一つもない。見当たらない」


「…ただの、抜け殻だ。

虚無ヴァニタスなんだよ、オレは」



剣を振り下ろす。

突きつけられていたダガーを弾いた。

だがその力は随分とやわいものだった。


「オレがこうなってから、それを初めて満たそうとしてくれたのはロアだった。彼女がここで与えてくれた意味の、どれだけ嬉しかったか。だからそれに殉ずる。彼女が与えてくれた温かさと、憎しみを、オレは全うするんだ」


「そんなこと、嬢ちゃんは望んで…」


「わかってる。

それがおかしいことも、わかってる。だから…」



「だから、『邪魔をするな』とは言わない。

だけど、オレの生きる意味を、否定はさせない」



「いやはや、感動的だなあ!」



ぱち、ぱち、ぱち。

大仰な拍手と、人を小馬鹿にしたような嘲る声が上方から聞こえてくる。ばっと、見れば彼らの近くにある民家。その屋上にある一人の人影がある。褐色の肌に、身幅のある服。木製のステッキを膝の上に置いてこちらを見下す。男子なのか女子かもわからない、その中性的な美貌が、何処か不気味だった。


「誰だ」


「……そうか。キミが『そう』なってからは初対面だもんな。だけどボクはずっと前からキミを知ってる」


「お前は誰だ!」


「ふふ、必死な顔。いやぁ、最高の気分だね。高いところから愚か者の面を見下すのは」


「なるほど、お前が誰かは知らないが、そんなとこにいる理由はわかったよ。馬鹿と煙は高いところが好きなんだろ」


「あっはっ!言うねえ、ヴァン!

前より随分口達者になったみたいだ!」



だから、お前は誰なのだ、と。

再三言おうとした、その瞬間。

その中性はばっと杖を支えに立ち上がる。

そして劇をするかのように空へと手を向けた。


「ボクは、ダルク。ダルク・アーストロフ!

キミを愛して…キミがまた愛した者。

生きる意味がない、と言っていたね?

ならばボクがキミの生きる意味になってあげよう!」



ひゅう、と風が吹く。

しばらく、誰も反応しない時間があり。そうしてからヴァンは無言で自らの無い腕を裂きはじめた。作戦を、始めようと。


「ははは、無言でスルーか。傷付くなあ。

なら…協力者に頼もうか。『テッド』」



ダルクが、そう指示をした途端。

短剣の刃が何回か煌めく。それを避けられなかったのは、不意をつかれ、そしてまた驚愕をしたからだろう。



「…テッド!?お前ら…グルなのか!?」


「そういうことになるねぇ。クク、可哀想に。信用がないなあ、ヴァン。そこの髭面をこっち側に引き摺り込むのは簡単だったぞお?」


「ええい、無駄な事言って煽んじゃねえダルク!俺ぁまだてめぇも信用しきったわけじゃねえんだ!」



そう彼らが言った瞬間、ダルクの懐から光色の蛇がずるりと、屋上の配管に入り込むのが見えた。奴の、あの過剰なまでの挑発と動作はおそらくあれをカモフラージュする為の罠だ。ヴァンはそう、認識した。そう、目を配りながら改めて破片剣をテッドに向けて問う。


「…あんた、あいつに騙されてるってことはないのか?あんたお人よしだし、利用されるだけ利用されてんじゃないか」


「いいや、そんなことぁねぇな。

もしそうだとしても、だ。

少なくとも、オメェを止めるまでは同じよ」


(………)


まず、洗脳の線を疑った。だがテッドの目はそんなものを受けているような目ではない。そんな濁ったような眼ではない。

では、どうやって?

あの蛇が気がかりだ。

相手の全容が分かったわけではない。

何より、既にこの近くにもうあの魔女が来ているかもしれない。ならば、ここで様子を伺っている暇はもう無い。



「……なら、そうだな。早速だが…

切り札を出させてもらおうか」



ぞぶり、と影を剣で編む。

そうして紐糸を切り刻むように作り出した影色の空間は、彼が忘れているはずの魔術の、その一体系だった。

メモライズや口上が必要な筈のそれを、彼はいつからかそれを無くして使えるように、なっていた。ダルクの誤算とはまさにそれだったろう。


影の空間は、地面にとぷりと沈む。

そうして地面がどんどんとその闇色に代わり。そこかしこが黒色の地となって、それらが全て入り口となった。

そしてその闇の中から現れたのは…



「…はぁ!?なんっだよこの魔術!?いやでも、ここに来てから『作った』兵隊ならさしたる数がある訳…って……な、ぁっ…!」



ダルクが、愕然と口を開けた。

そうして、髪をがしがしと掻きむしる。


それは、侵食されたダークナイトたちが、その闇色から出てきたことではない。それよりも、もっと、もっと。

巨大で蔓的な怪物のシルエットが見えてからの事だった。





……




イスティは、立ち止まっている

横には一人の人影。

彼女らは既に王都に辿り着いていた。しかし、一度ここで策を練ろうとある酒場の廃墟を前に彼女らは待機していた。


「やあや、お待たせ。

お手洗いまで機能が停止してなくて助かったよ」


じっと、イスティはダルクを見つめる。

少し前までとは、立場がひっくり返ったように。


「おや、なんだい、ポーズでもとるかい?」


「…ダルク。何を隠してるんですか?」


「隠し事はお互い様だろう?

きみもボクに、いろいろを隠してる」


「……?…あなたは…

いや、お前は誰だ?」


そう出し抜けに問われて、どきり、と肩を震わせる。どこで分かったのだろう、と聞いてから、その『ダルク』ははぁとため息を吐いた。


「はあ、ほんと不愉快。

だけど協力するって言っちゃったものねえ」


見た目は、その褐色のまま。

ただしその中身はもう嘘をつく必要がないと、表情を変えた。その表情を、イスティは見た事が無かった。無いが、内側から見た事があった。


「……お前は…ウィズ」


「その名前やめて。本当にダサい」


「何故お前がここにいる。どうやって、ここにいる?


魔女が、その質問に答えんとした瞬間。

地響きが空間を支配した。

ごおん、ごおんと連続して鳴る地響きの方へ顔を向けると、そこにあるものは強大な魔物の姿。四つの脚とそれに纏わりつく蔓がずるずると前に進む歩く、葉まみれの魔物。それは苔むした、などではなく体内から出ている植物の名残り。黒色に染まり切った、紋章の獣の姿が、そこにはあった。


なぜ、あんなものがここにいるのか?

何故急に現れたのか?

そう言った疑問は、ある一つの事実の前に消し飛んだ。

あの黒色が表すものは何か。それはつまり。


あそこに、彼がいる。


そうして、猪の如く走り出した彼女を『ダルク』、つまりロアは止める事は無かった。仮初めの、実体ですらないこの身体ではそもそも止めることも出来ない。何よりもまず、パワーバランスがもう、魔女よりもあの少女に大きく大きく傾いてるのだから。



『まあ、どうせ、止められないもの。

よくやった方だって思ってね。

ごめんなさいねー、ダルクちゃん』






……




「出て来い…ドライアド!」


彼がそう口にして、地から、地を埋め尽くした影から引っ張り出した存在は強大な魔物。すこし、前に。彼が侵食して乗っ取った紋章の獣だった。それが、彼の切り札なのだろう


「いいいいっ!?なんだそりゃ!

この世界そもそもまだ紋章獣いたのか!?」


あたあたと動揺を露わにしてしまう。そうした直後に、はっと、更にまずいことに気がついた。このような、大きい怪物が現れてしまったのならつまり、ここに何か異常があるのなんて誰でも気づくだろう。そうして気づけば、向かってくるはずだ。

そう、あの、もう一人が足止めしていた彼女は…



「ダルクっ!」


「……!イ、スティ…!

来てしまったのか、来ちゃうよな、そりゃあ」



そうしてボクを心配そうに一瞥してから。ドライアドの足元に、魔力の消費に喘ぐ男の姿を見つけた。

チカッ、と。火花が互いの目に走った。

喜び、怒り、瞬き動き、割れて消える。

感情に変わってそれぞれがそれぞれしか見なくなる。


彼らの間には、誰も割り込めなかった。

ただ、一つ。

言葉や警戒を理解しない紋章の獣はそれに割り込んで。



「「邪魔を!」」


「「するなッ!!」」



同時に、二発の攻撃がドライアドを『撥ね飛ばし』た。二人の攻撃にそんな質量があったわけではない。クルマなどを出したとかいうわけでもない。ただそれでも、ここでは撥ね殺したという表現が一番近しいと思ったのだ。

そんな風に紋章の獣は、ひしゃげたんだ。

軍隊があっても敵わないような、存在をただ二人が。


「一撃で、かよ…」


恐怖よりもただ呆れ返って、テッドが呟く。その横から、ダークナイトが襲ってきて慌てて身を避けながら応戦していく。とても彼には、あの二人の殺し合いを止める余裕がなさそうだ。



「…クソッ!畜生、チクショウ畜生!なんでいっつもボクの作戦はうまくいかないんだ!?計画構築能力が低いのか?いや、運が悪すぎるんだよ全くもって!」


作戦は省略、いや全略。

なんかもう大失敗だ!本当はもっと色々細かくしなければならなかったし、そうしなければ上手く行く保証は無いのだけど。そんなことを言ってる場合じゃない。

もう、どうしようもなく失敗だ。

もうここからはアドリブで、全部やっていく。

成功の確率のほうがずっとずっと低いだろう。


(だが、もう諦めない。

もう、諦めるのはこりごりだ。

もうへこたれて、泣き喚くのにも飽きたんだ)


そうして、ただ彼らを見る。

ヴァンは、イスティをじっと見つめる。

イスティもまた、ヴァンをじっと見る。

彼らの間には今度こそ、何も無い。

ただ彼らだけがある。いや、そもそも…


…妬けちゃうよなあ。

互いに、互いしか見えてないんだ。間に何があろうともきっと、ただ彼らは彼らしか見なかっただろう。


彼と、ヴァンとずーっと居たのはボクだった。

イスティとも戦って、旅をして。なにやら離脱期間が長かった彼よりもずっと長く旅したはずだろう?

なのに二人は二人ともしか見ていない。

互いしか、見ていない。

ボクのことなど、眼中にない。


かちーん、と来るよね。

この言うに事欠いてこのボクを。

無視する、なんて!このボクをだぞ?

容姿端麗で、天才で、心優しいボクを!


「……すう…」



息を、吸う。

もっと、彼から見られたかった。彼の生きる意味になる。断られると分かっていても、心の少し奥で頷いてくれないかな、なんて思っていた。どちらもそうはなれなかった。それでいい。

どうせ叶わぬ恋ならば、ボクは女の子を捨ててもいい。あなたが幸せでいられるなら、ボクの全てを、生贄に捧げよう。

だからせめて、ボクは彼の見る方向を正す。

こんな関係性は間違っている。

そんな歪んだ愛しあいなんて、馬鹿馬鹿しい。間違ってから泣き叫ぶ愛なんて、間違う前に正してやる。


道を踏みはずしたら、怒ってやる。

それが、『友だち』だろう?


だから二つの過ちを、ここで正す。

イスティのそれは、ボクにはできないかもしれない。だけどここでせめて、ヴァンと…

ボクの。ダルクの、一生の過ちをここで正させてくれ。



(…蛇よ、ボクの身体をなんとか動かせ)


とん、と屋上から飛び降りる。

普通ならここで落ちてしたたかに足を折って再起不能、というとこなんだけれど、今はそうはならない。聖力で練った蛇がなんとかそれをカバーしてくれてる。そうして、叫ぶ。



「二人とも、少しくらい!

こっちを、見やがれええええええっ!」


何よりもまず。

記憶を取り戻させなきゃならない。だが彼の記憶はもはや存在しない。思い出させる、という事はどうやっても出来はしないだろう。だから、荒療治しかない。ボクの記憶を流し込む。

それが、まあ粗々しいボクの勝算。


目くばせ。

テッドが、ほんの少しだけ時間を作り、持っていたダガーをヴァンとイスティ両方に投げた。どちらも、一瞥もしないでそれを避ける。だがその回避の一瞬は、予測できた動作だ。ボクの絶叫にも微塵も二人は反応をしないつもりだったろう。だがほんの少しの心の隙間が出来た。

よし、行ける。


配管に繋がった溝水の中から、光の蛇が出る。

つい先に、ボクが仕込んでおいたもの。

回避をした瞬間に蛇を忍び込ませる。

彼のその身体に。その、力を!



「わかってた」


「その蛇が、お前の本命なんだろ?

ならそれだけを警戒しておけばいいんだ」



影の剣が彼の周囲から飛び出した。

それはボクが放った光の蛇を串刺しに、した。

そうしてただ光の粒子になって消えていった。

止めとばかりに、光の蛇の頭部を、突き刺して。



「………な…」


「……なんで……」



どうして、何故、と。

疑問を呈す声。

愕然と、肩を落として顔がこわばる。

こんなつもりじゃ、無かったのに。




……ふふ。


あはははは。

気分が良いなあ。ようやく、二人がこっちを見た。

疑問を呈したのは、ボクではない。

動揺の声を上げ、愕然としたのはイスティ。

狼狽した顔を向けていたのは、ヴァンだ。



「……信じていたよ、ヴァン。

ありがとう、やっぱり、キミはキミだ」


「キミなら絶対に、ボクの悪巧みを見逃さないと信じてたんだ。キミならば、きっと見てくれると。信じていた」



これはキミの負け、ボクの勝ち、じゃない。キミとの間にきっとまだあると思ったなにかを信じた、ヴァンとボクの勝ちだ。


蛇を彼まで通す瞬間を、本気で、出来るだけ見られないようにした。あえて見えるようには断じてしてない。本気で隠した。それを彼が発見してくれなかったのなら、このボクの計画は全て失敗だった。

それを警戒してくれた。

ちゃんと、目敏く見つけてくれた。

そしてそこで…

それが本命だと、思考を止めてくれた。

そうだよねえ。キミはいつもそうだった。思い込みが激しくて。一つそうだと思うと、それを疑わない馬鹿だった。



「……鬼さん、つぅか、まえた」


突き刺され、光の粒子として消えた蛇の代わりに、浅黒い人型が姿を現した。そう。それはつまり、『ボク本体』。

ダルク・アーストロフの本物が破片剣に貫かれ、影の棘に串刺しになって、首まで貫かれて。だけれど不敵に笑っている。


こうして、目の前に来れた。

キミの顔が眼前にある。

剣を突き刺したその腕が、ボクの掌の触る距離。



「…ッ、ダルク…やめて!やめろッ!」


おっと。イスティがとんでもない勢いでこっちに迫ってくる。だけど残念、流石にその距離だと手遅れだよ。

そこで指を咥えて見ていな。



ボクが動きを止めた、少年の唇を見る。

そうしてボクは、ヴァンの口付けをした。



残念ながら。

イスティの口付けの記憶は上書きされてしまいました──と、ね。






……




…さっき、ボクは彼にボクの記憶を流し込むと言った。これは、正確に言うとだいぶ違う。

彼はボクに、こちらの世界と繋がっているボクに対して、色々なものを捧げた。呪いへのリスクとリターンによる、魔術由来の底上げ。捧げたものの、その際たるものが、彼の中の『もう一人のヴァン』。


だからそれを、そのまま返す。

一度捧げられたものをそのまま返す、なんてことは前代未聞だろうし、しようと思ったものも歴代聖女にも呪いの巫女の中にも一人もいなかっただろう。だけれど、やるんだ。やれるんだよ。



ボクは、彼を愛しているんだから。



そっと、彼の中に全てを流し込む。

記憶も、愛も、聖力も、献身を。ボクの全てを。

キミが忘れてしまった、ボクらの旅を。


…ボクの、罪を。ボクらの、過去を。



さあ、見てきてくれ。

今までの全てを。

それらを知ってきておくれ。それがこのくだらない悲劇を、アポトーシスさせてくれることを、ただただ、切に、祈る。




………



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