昏い世界
「う、わああああ!」
「きゃああああ!」
「あはははは!今の淵の出口がまさかこんな上空にあるとはね!このままじゃボクらぁ木っ端微塵だあ!」
「笑ってる場合ですかダルク!?
一応聞いておきますが、貴方自力で着地は…」
「あはは!でぇきない!だから助けておくれイスティ!」
「もう!それ!
もうちょっと早く言っておいてくださあい!
…『ウィズ』、力だけ寄越せッ!」
瞬間、イスティの背から黒い大力が発現した。
ウィズというのは、彼女の中にある力を呼称したものだろうか。なるほど名称と使役と隷属による詠唱の破棄。それを意識はしてないようだけど結果的にそうなっている。さすが、天賦の才がある。
黒翼が急激に大気を掴み減速していく。ボクを受け止めて、ずしりとまた落下速度が加速したが、まあなんとか軽い打撲で済む程度までにはなった。下に雑木林があってくれたのも、幸いした。
ぱきぱきばき、と木枝の折れる音。
そして、どすん、と一対の落下音が響いた。その痛さと言ったら、折れる音の音源がボクらのお尻の辺りじゃなかったことに、感謝すべきだったね。
「ひぃ、ひぃ…い…いててて…たしかに、私自殺するとは言いましたが、こんな早くにはする予定はまだないんですよ…」
「いやあ、波瀾万丈なスタートだね。
ま、ボクらにはこういう方が似合ってるさ」
「また、そうやって良いように言って!」
土埃を払って立ち上がるイスティ。
さっきまでの風圧で初めて、目深に被ったフードが取れ、彼女がどうなっているかが見えた。薄桃色に綺麗だった髪色は老婆のような白となり所々線が入るように黒色が入る。ピンク色だった頬もまた真っ白に、血色が悪くなり隈まで残っていた。
そうじろじろと見られていることに気付いてイスティは恥ずかしげに身をすくめてまたフードを被った。
なんだよ、別に気にしなくていいのに。
「…おほん。
まあ、無事で済んだことですし!早速ですが…」
「けほっ!けほっげほっ!」
「!すみません、すぐに瘴気の中和を!」
「げふっ、大丈夫…大丈夫だ。
それくらいならば、ボクもできる」
ああ、少し前までは呪いがかかってる時は聖力は使えなかったが…うん。無くなった今ならなんとか使えそうだ。全くもって、使いたくはない力ではあるんだけれど。
「…唆し、嘯き、欺く幸福の蛇。
お前が追われた楽園の癒しを盗んでこい」
「絡み付け、『誘惑の蛇』」
ああ、どれほどぶりの詠唱だろう。そう呟くと聖力で作られた白蛇がボクの身体に絡みついてから解けて、瘴気を中和する粒子になった。さすがにイスティの蝶ほどではないけど、まあ十分だろう。
「…ふう、お待たせ。キミみたいにスマートにはいかないから、ちょっとずつ足止めされるけどそれは勘弁してくれよ」
「え…ええ。それは勿論。
ですがダルク、あなたその力は…」
「まあそこらの説明は歩きながらしようよ。幸いと言うべきか、ボクらには手がかりが一つもない。時間はどうしても沢山あるのだから」
「…そのことについてなのですが…あなたと私の目下目標はヴァンの捜索。それで間違い無いですよね?」
「ああ。ともかくとしてまずはそれだ。何か別の目標が後に出来るにせよ、あいつを探さなきゃ話は進まない」
「ならば私、分かるかもしれません」
「何?」
「それについても歩きながら話しましょう。
ひとまず着いてきてください」
「ああ、そうだね。とりあえず任せるよ」
そうして、歩き始める。
平坦な道のりだ。それは道が舗装され、車が通れるようになっているからというのもあり、何とも遭遇することがなく平穏退屈という意味でもある。全く準備をせずにここに飛び込んできてしまったボクらにとっては、何とも遭遇しないというのはとても問題だ。主に、食料事情的に。そう思いながら懐に残っていたビスケットを出す。
この世界は、暗い。それは物理的に、瘴気やガスが日の光を遮っていて暗いという事でもあり、そしてまた終末的な空気が漂うというどちらの意味でも。技術体系は圧倒的にこちらが優っている。
であるのに、この世界の人の発展が第一世界とさして変わらないのはつまり、営みに使われていたこの世のエナジーというべきものが、全てこんな無生物と侵略に使われていたからなのだろう。そんな悪環境を耐えるべく、ここで体調を崩すのはよくない。食欠もよくない。
「これお食べ、イスティ」
「いえ。ダルクがどうぞ」
「ボクはもう…お腹いっぱいなんだ。
だから遠慮しなくていい」
「……食べたくないんです。何も」
「…そうかい。
ふふ。お互い、少食になったもんだね」
「ええ、そうですね」
くすり、と寂しげに笑う彼女を横目にそっとまた懐に仕舞う。これにカビが生えるまでは温存できそうかななんて、思いながら。世界と共にそうして変わってしまったものを互いに知って。
「なるほど…ダルクが、魔女を名乗ったのは…私の覚醒を遠ざけ、自らが魔女として殺される為だったのですね」
「…そうだね。ボクがただ一人死ねばそれでいいと思った。そうすれば、全ての犠牲は無くて済んだんだから。だけどヴァンはそれが気に食わなかったらしい。いいや、きっと誰にとっても受け入れられるものじゃなかった。だからこれは結局、ただの独りよがりさ」
「それを…私に言っても意味はないですものね。あなたの覚悟も、理解はしました。私はそれでも、あなたの行動を誇り高いものだとおもいます」
「ありがとう…何も変わりはしないが、少なくとも救われた気分だ」
「それでも一つだけ、いいですか?」
「?なにかな?」
「…それにしても敵対した時あそこまで私をボコボコにする必要ありました?」
「………」
「…あんなに執拗に言葉責めする必要ありました?」
「…いや、それはその、だねえ。ちょっと、ボクも追い詰められてパニくってたというか…もうどうしたらいいかわかんなかったというか…なんかこう変なテンションになってたというか…」
「件の呪いのせいではないんですね」
「あ、そうそう!呪いのせい!」
「……」
「…はいごめんなさい。正直言ってヴァンに明らかにメスの顔をしているのにわりとイラついてる節がありました…だいぶ憂さ晴らししてました…」
「あー!本音を出しましたね!
というか誰がメスの顔ですか!」
そしてその上で変わらず、そうやって笑い合える関係性と距離感。変わるもの、変わらないもののそれぞれを噛み締めながらボクらは先を進む。何もかもが失い果てた中でそうやってあれたこと、敵対をするその前関係のままでいられたことは喜ばしい。全ていらないと願ったはずのその先で、彼女との関係は素直に嬉しいものだった。
「それで、イスティ?さっきキミの言ってた、ヴァンの場所が分かるかもという根拠はなんだい」
「ええ。これは一度、魔女として彼の一部を喰らったからでしょうか。その彼の感覚がわかるようなんです。何かの理屈というよりは、ただ本能に従っているようではあるんですが…」
「へえ。いいじゃないか、本能。下手な魔術やルーン力よりずっと信じられる。何よりボクがキミのそれを信じたいよ」
その廃村は、それまで見た街よりも栄えてたであろう村だった。車輪が泥で泥濘まないよう舗装された道に、高く聳えてただろう家。それは崩れて久しい。それを壊した者はつまり、街を保護したり治安を守るべき存在をも超越したということで。
「反応は近いです!」
「お、これは黒血だよ!
本当にいるのかもしれない!」
「…ヴァン!」
ただそんな街の有様などボクらにはどうでもよくて。彼の痕跡らしいものが見つかるや互いの顔を見合わせて、目を輝かせて奔った。イスティは、半身とはいえ彼を殺した。ボクもまた彼を欺いた。合わせる顔がないものだとわかっていても、尚それでも会いたい感情に陰りは微塵も無い。
「…ここです!私が、私の中で言ってるのは…
……しかし、あれは…?」
「……なるほど」
だけれどその目的地に辿り着いた時、ボクらがしたのは恐怖でも喜びでもなく、失望の顔だった。
そこに居た黒づくめの男は、ボクらが知っている少年の立ち姿ではなく、もっとごつく、認識阻害の仮面をかぶってはいても、確実に違う存在だとわかる存在だった。何より、倒れていた人を無表情に、無意味に刺し殺している姿を見て確信させられた。
「……なるほどね。イスティ。キミが魔女として彼を喰らった時に身に付いた感応能力はつまり、一番近い『ダークナイト』の反応を表すものだったらしい。一度身体に取り込んだ血の、生態の反応の新たなものを喰らうために」
「……」
「大丈夫だ、キミが気にする事は無い。
力の種類としては確かに正しいわけであって、何より全くのハズレというわけでも無い。何も手掛かりがない時よりはずっとずっと」
「ダルク」
びくり、と。
肩を震わせてしまったのは何故だったろう。
何の変哲もなくボクを呼んだだけの彼女の可憐な声。それが、明らかな感情のもとに震えていただろうか。それともその中に含まれたどす黒いもののせいだったのだろうか。
ぱきぱきぱきぱき。
蝶々が彼女の内側から湧いて出る。
白色から黒に、黒から白色に変わりながら。
白黒マーブルの蝶模様は次第に研ぎ澄まされる。
それは比喩ではなく、物理的に。蝶は形を変え、砕かれた結晶のような、荒削りな石のナイフのような鋭い形になって宙に浮いている。
全てがただ一つの方向を向いて。
「ならば、ハズレのダークナイトを虱潰しにしていけば問題はないということですね」
「……あ、あ。そういうことになる。
ダークナイトはもう一つの世界を侵略するためだけに作られた存在。それがこっちの世界の人々を襲ってるということはつまり、暴走を起こしているのかもしれないし、一石二鳥かもね」
「そうですか。なら…」
「いいですよね?」
いいですよね。という質問。それには、何がと問い返すことは出来ないほど明確な意思がこもっていた。心の底に少し残ったまともな良心がそれは、と止めようとした。そうしてから、今更いい子ぶるなと自分を嘲って、目を閉じた。きっと求められてるだろう言葉だけを吟味した。
「…ああ!ダークナイトは基本、会話はできない。そんな知能を取られるからね。だから話を聞くこともできないだろうよ!」
「だからいいよ。殺しちゃえ」
その返答を、待っていたように。行動の最後のタガを外したように蝶の刃は全てその匿名のダークナイトへと飛んで行った。一発、二発当たって初めてこちらを認識して、外敵として見做した時にはもう遅かった。その二乗の数がどすりと刺さる。それを反射的に引き抜こうとした腕が背後の廃墟に磔になった。そのまま四肢が縫い付けられ、動けない胴体を串刺しにして。
そうしてから、ようやく刃の雨は止んだ。
「…洗礼の刃とでも名付けるべきかい?その技」
「いいえ。これはただの、魔女の暴力です。
だからそんな、取り繕った名前は必要ない」
死ににくいはずの黒騎士が、どうあっても立ち上がれないほどにずたずたになり地面に落ちる。磔にしていた刃が光になって消えたからだ。もし殺人をするなら完全犯罪が出来るな、なんて現実逃避をしていた。
ぐしゃっ。
メイスがその死体にさらに振り下ろされる。
何度も、何度も。人の形を成してなかったものがさらにもっと、もっと細かくつぶれてペーストになってく。
恥ずかしいことに。
ボクはさすがに、それには動揺を隠しきれなくて。
「…イ、イスティ?」
「私は…彼以外のダークナイトなど受け入れない。否定する。その役職名をお前が騙るな、使うな!彼を貶めるな!二度と生きているなッ!お前なんぞが、お前みたいな者がッ!」
いつしばらくまで、そうしていたか?
本当は体感より短かったかもしれない。そうし終えた後、イスティはメイスの黒いシミを服の裾で拭き取ってから背中に仕舞った。
「すみません、お待たせしましたダルク!さあ、こいつを倒したので次の反応がわかるようになりました!そちらに向かいましょう!」
何も、変わらない笑みをこっちに向ける。
ああ、と生返事をしたのだと思う。だけれどボクはここでようやく『こうなった』彼女の違和感について気づくことができた。
彼女そのものが変容したのとは少し違う。今の彼女はスイッチが入ったように、二面が生まれたのだ。
性善的で、優しく、ひたすら純粋な少女。
残酷で独善的な魔女の、瘴気の女王。
彼女の聖力による白色と黒色の蝶のどちらもが存在するように。そのどちらもが存在してイスティ・グライトとなっている。
それが混じらず、それでいてシームレスに変わる。
おそろしきはそういう事だ。
そんな視線を向けていたのだろうか。
彼女は一度恥ずかしそうに顔を背けてから。
ああ。後者の笑みをボクに向けた。
「…私は魔女です。
魔女で、そのままでいい。それでもただ、ヴァンだけは言ってくれたんですよ。『オレだけの聖女』だって。
だから私の夢はそれでもう達成されてしまった」
「私、彼にとっての聖女であれるならもうそれでおなかがいっぱいです。だからその達成した夢を壊すならば、それ以外のものはどれだけだって殺します。どれだけだって死んで構いません。なんであろうと殺してしまって、いいでしょう」
「……一つだけ聞いておくよ。
愚問だと、聞き流してもらっても構わないけど」
「はい!なんですか?」
「キミは、『イスティ・グライト』でいいのか?」
「ええ。それはもう、間違いなくそうですよ?」
そう楽しげに笑う彼女の眼には、昏い世界が広がっていた。そう言われてしまえばもう何も言うことはできない。というより、今や戦闘能力のないボクには、彼女がどうあろうと何もすることは出来ない。
だからこの先はただ、闇の中だ。
「さあ、ひとまずの目的は決まりましたね。
ダークナイトを皆殺しにしましょう。彼以外を皆殺しにすれば、私たちの世界が侵略されることは無くなる。この世界の人たちも救える。なによりヴァンに会える!一石、三鳥ですね?」
……暗い、昏い世界を歩き続ける。
ただ魔女は、喰らい尽くすように。
この先にあるのは何があるだろう。
まあ、少なくとも。
これ以上の喜劇はあり得ないはずだ。
旅を続ける。
旅を、続けていこう。
そこに少しでも救いがあると信じて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます