ダークナイトはへこたれない




「ハイレインも、死んだよ」


「…ああ。だめだったみたいだな」


「ああ。もう、だめだよ。この世界は終わりだ。もうどうしようもない。だから逃げよう、ヴァン。もう終わりだけれど、それでも少しでも長く二人で生きようよ」


全てを諦観して、涙を力なく垂らして震える声で懇願するダルク。服に頼らなくしがみつく、完全に心が折れた親友を少年はそれでも抱き留めず。代わりに肩を掴んで顔を見合わせさせた。

光の失った瞳と、真っ黒でそれでも希望を失わない眼が相対した。


「なあダルク。

本当に、この旅は楽しかったな」


「…でも、無駄だった」


「無駄じゃない。

この旅を無駄になんか、させるもんか」



そっと、親友の手を離させて立ち上がる。

ヴァンはそのまま剣を肩に掛けて仮面を付けた。

認識阻害の仮面。今は誰も見ていなく、つける必要のないそれを付けた事は、彼のどういう感情を表していたろう。



「一つだけこの終わりを、どうにかする手段がある。ここで奴を止めることだ」


「無理だ」


ダルクは即答した。

立ち上がる余力も無いまま、ただ首を横に振る。不敵に笑って、いつでも不遜に前を見据えていた姿はもう無い。


「…確かに、彼女は哀れだ。

偽の記憶、偽の人格、作られた身体。全てが紛い物で偽物の存在。それなのに一つのアイデンティティを作ってしまったそれは、悲劇だと言っていい。だからボクだって助けたかったさ。彼女をただの友人として、そうしたかった。本当だ」


「だけれど、もう無理だ!これ以上彼女を救うことはできない!彼女の為にしてやれることなんてない!彼女を斃す手段なんて、ハイレインが死んだ今もう何一つ無いんだ!」


どうやっても倒せはしない。そう、まるで見てきたように語る姿をヴァンはじっと仮面越しに眺めた。


「これが彼女の終わりだ。これが世界の終わりなんだよ。キミがなにをどうすることではない。どうやっても彼女を負かすことは出来ない!

前も、その前もそうだった…!」


「それが…ダルク、お前の見てきた光景か」


「……」


「お前は、いつも大事な時になると口をつぐんで何も言ってくれないな。少しだけ悔しいよ」


「そんな事、後でどれだけ責めてくれてもいい!だから一刻も早くここから逃げよう!もう、少しだけでもいい!キミとボクで逃げ…ッ」


縋りつき泣きつき叫ぶその頬に、ヴァニタス=アークはそっと仮面を上げてキスをした。

親愛だったろうか。愛だろうか。

その感情は認識の阻害に隠れてわからない。

口元から覗く笑みはただ優しい笑みだった。



「…お前の言ってる事は正しいんだろう。

ダルクは、ガキの頃からずっとそうだった」


「それでもイスティは魔女になりたいだなんて一度も言っていない。聖女でいたいと、彼女は望んでいたんだ。だから彼女がそう望んでる限り戦う。彼女を殺す為ではなく、取り戻す為に。彼女の騎士でいると、誓ったんだ」


「だから行ってくるよ」


「いやだ。行かないで。

いやだよ、ヴァンまでボクをおいてかないで。

もういやだ、いやだよ。何も失いたくない!」



「…『僕』はさ。別に彼女の為に、なんてそんな押し付けがましいことなんて考えてない。自己犠牲なんて事を言うつもりもない。オレはべつにそんな大層な人間じゃないよ」


一人称に、はっと顔をあげる。

戦闘の前、彼の一人称はいつもオレになっていた。それは彼の中にあるもう一つの彼自身の証座。だがそれが今はなっていない。


「でもさ。ここで相手が強いからって我が身可愛さに逃げたらさ、すっごくダサいだろ?」


「ああ、そうさ。僕は好きな子の前でかっこつけたいだけなんだよ」


「………まさか」


ダークナイトは、自らの存在を瘴気とそれに準ずるものへ捧げることによって実力の底上げを出来る。二度と戻らない生贄とすることを、引き換えに。魔女に逼迫するにはどのようなほどの犠牲がいるだろうか。そしてヴァンの中には、彼女に恋をした、『僕』がいる。


「大丈夫だよ。僕の中には『オレ』が残っている。

だから、『僕』を捧げても何とかなる。

ヴァニタスは、続けてくことができる」


「やめろ」


「だから、これが終わったら『オレ』を探しにきてくれよ。きっと、かっこつけたくて馬鹿やってるだろうからさ」


「やめるんだ」


「僕は、これでいい。

…ああ、だけどそれでも、ただあれだな」


「頼む」


「……みんなに逢えなくなるのは堪えるなあ」



何を捧げても足りないのなら、かくあるべく。

全てを捧げよう。

僕の記憶、命を。その、全てを。


「やめてくれええええッ!」


剣が少年の脳髄を貫くと同時にダルクから蛇色の影が溢れ出した。そして裂帛の悲鳴と共に生贄は行われる。そしてその場の、全ての意識が瞬間途絶えた。







……





「方陣前へ!魔力が尽きた物は下がれーッ!ファランクスだ、止めろ!一匹でも絶対にこの城壁を通すなよッ!瘴気祓い!まだ生きている瘴気祓いはいるか!?この槍襖の山を祓え!」


「エルシオン様、エルシオン様!お下がり下さい!

御身が危険です!」


「喧しい!こんな状況で下がって何になるッ!どうせあの蝶と黒い魔物が一匹でも入ってくれば我も我らも同じ末路になるだけだ!ならば少しでも指示をする者を多く!」



王都の城壁の最前線。

都中の聖職者も魔術師も、兵士も戦士も、そしてアルターを探索する探索者たちも全てが一つの目標に向かって防壁を作っていた。それは目を向ければすぐに見える存在。黒い山々がそのまま動いてくるような災厄。ぞわぞわと蟲塊が這い寄るように近寄る暴食の化身。

ケタケタケタと、その上で笑う何かを、目を凝らせば見つけたかもしれない。だがそのような余裕すら無い。蝶が触れた生き物は、人は、全てその全身を貪り食われて真っ黒の死体に成り果てるのだから。


「蝶に少しでも喰われた者は下がれ、足手纏いだ!奴に養分をくれてやる前に後ろへ行け!少しでも長く耐え延びろ!

耐えて何になる、だと?知ったことか!それでも、無抵抗のまま殺されるようなやわな王都では無い!我らではないッ!」


激励、鼓舞、そして魔女の存在をシュミレートしていたからこそ出来る指示。物狂いだと噂されることをそれでも受け入れて魔女を調べていた王は、それでも諦めはしなかった。

圧倒的な絶望を前に、へこたれない人物がただ一人。エルシオン・グラントーサその人のみだった。



「……なに?蝶が止んだ?

なんだ…何が起こっている?いや…」



否。もう一人。

ただ、この厄災に心折れない人物がいた。

絶望と闇を前に、絶望をしない少年。

へこたれない、もう一人がいる。


「我は…知っているかもしれない。

どうやってかは分からないが、誰がしているか。


誰かが城壁の上で魔女の方を見た。

その先ではその厄災は足を止めている。

蝶を集めてそれを眺めている。

黒い服と仮面を被った騎士の姿。


それは、たった一人の少年。

一体の、小さな黒いナイト。

王が、それでも折れないのと同じように。







……





記憶が無くなりかけていく。

火に焼かれていく写真のように、記憶が褪せて消えて散っていくような気がする。そしてそれらを忘れていくことも忘れるから、特段別に辛くはないというのが、何より怖い。

だけどそうした贖罪と罪を払う事で、この濃度の瘴気に入る事が出来る。歩を進める魔女の前に立つことが初めて出来るのだから。


「…よお、オレたちの女王様。

先に一人で行くなんて、随分おてんばだな」


『ああ、あなたは。ダークナイト…

…いいや、違うわ。私は覚えてる。あなたのことだけは覚えてる。覚えてるわあ、ヴァン。ヴァン、ヴァン!』



ケタケタ、笑う音を立てる。

嘲笑でも哄笑でもなく、ただ嬉しそうに。

まるで、恋する乙女がはしかにかかったように。


『ええ、ええ。

あなたのことは忘れない。覚えてるわ!

私はずーっとあなたのことだけ想ってた!

あなただけを見てた。あなた以外要らなかった!あなたさえそこに居てくれるならって思っていたわ!』


『私、ずーっと、ずっと!

貴方を、⬛︎⬛︎たいと思ってたの!』


『⬛︎べたくって、食べたくって!

仕方なかったのおぉぉぉぉっ!』



びたり。

蝶を、黒を、蟲を集り猛らせる魔女に黒剣を突きつける。ただ一人のダークナイトは、仮面の下で会心の笑みを浮かべた。



 ・・・

「違うな」


「これでようやく、確信できた。

お前は、『暴食の魔女』なんだな」



『…?なあに?おかしくなっちゃったの?

大丈夫よヴァン、あなたがどれだけ狂っても私美味しく食べてあげる。それが、私の騎士になってくれた貴方への礼儀だもの』


「オレはお前の騎士になってなんかない。オレが忠誠と剣を誓ったのは『イスティ・グライト』。彼女にだけなんだ。…お前じゃあない」


ドクターに撃ち殺される直前に見せていた、イスティとしての顔。そうして、ああ、と感傷に動きを止めてしまったハイレインの愚か。だがそれこそがこの光明を見せてくれた。ただ、それだけが唯一にして、絶対的な希望。


「そうさ。お前だって生まれたての存在のはずだ。他人のフリをして、そしてすぐに引っ込めるなんてそんな器用な真似ができない。そうだろう?」


「だから、そうだ。

まだお前の中には『イスティ』がいる。

暴食の魔女。お前とは、別にな」



ああ、なんと簡単な事かと少年は心の中で嘯いた。

確かに、このような化け物に勝つ事自体は絶対に出来ないだろう。それは、それに挑んだ者は誰一人戻らなかったはずだ。むしろ、これを相手取り致命傷を与えた初代聖女はなんだったのだろう、と。

だけど、今はそうじゃ無い。

彼がするべきことは、斃すことではないのだ。

やるべきことは、ただ。

彼女からを連れ戻すだけ。


「手を!」


「手を伸ばせ、イスティ!君が君として生きたいのなら、生きたいと言え!オレの手を掴め!」


声に反応するようにひゅう、と風が吹いた。誰も声を出さず、その沈黙を破ったのは暴食の、黒いため息。失望を露わに興醒めをしたように肩をすくめる魔女の音だった。



『くだらない』


ぞ、わり。

蝶が、大罪の蝶が列挙を成して少年を襲う。

その動きは生き物より大河や津波のようだった。対価を支払ったダークナイトはその力でそれの大半は、避けることができた。

だがその上で、蝶は身体を蝕んでいく。

その口だけでない。鱗粉が、羽ばたきが、翅の全てが存在する世界の全てから肉を平らげていく。


跳ぶ。

跳んで、剣を叩き付ける。

渾身のそれを片手で防がれ、剣を持つ腕ごとばくり、と食べられる。恍惚の表情を浮かべた魔女に、腕に練り込んでいた魔術を体内から爆散させる。それもまた、全くもって効果はない。襲ってきた魔物達を、血を撒き散らして自らの存在として乗っ取るが、瞬間に黒蝶に全てを食い尽くされる。


ぞぶ、ぞぶ。

何をしても、どうしても。

身体の至る所が貪られていく。

次第に立ち上がる事も、難しいほどに。

だけれど、それでも。


「まだだ…!」


「オレは諦めない。へこたれない!この出来損ないのダーク・ナイトは!へこたれないのだけが、取り柄なんだッ!」


認識阻害の仮面が、びきぴきとヒビが入りついには割れ果てる。その下にあるあどけない少年の顔は、まだ戦うには到底相応しくない幼い顔付きだ。それが、ただ希望を見据える。



「そうだろう…ハイレイン!」


新たな仮面を懐から取り出すヴァン。

いいや、仮面というよりはマスク。

それは最期の最期までドクター・ハイレインが付けていたマスク。最期に、彼に渡されたマスクだった。その口先には、ある薬の、空の薬包が残っていた。


それは、魔女殺しと名付けられたあの薬。身体の寿命を引き換えに、身体能力を極めて高める劇毒だった。ダーク・ナイトの、まともな生き物でない身体にどれほど効能があるかはわからない。だがそれ故に、身体の蝕まれる速度も遅いはず。彼はそれを事前に嚥下していた。そして、その嚥下はつまり、魔女を殺す為ではない。



「……どうだ。

そろそろ、効いてきたんじゃないか」



どくん、どくん。山のような黒い蟲の塊が、キャタピラのように魔女を王都に押し進めていた怪物がぐらりと揺らいで崩れそうになっていく。暴食の魔女はただ、ようやく異常に気が付く。その不遜と絶対的な力と絶望故に、ようやく女王はその酒杯に盛られた毒に気が付いた。


「『魔女殺し』の薬、その真髄はこれだ。

ただ魔女に届き得る力を得られるものじゃない。薬品汚染された肉を喰らったお前の、ルーンの動きを阻害するものだ…」


『……あの、不味い医者…ッ!』


まるまる一人分と、少年の部位。

それを食べた魔女はようやく毒に崩れる?

ならば最後の力を振り絞れ。

全身が喰らわれようとも身体を動かす。命も記憶も、力も感情も全てをここで使い尽くしてもいい。そうするために捧げた。

ただ、この一瞬のためだけに。

この、唯一のチャンスを手にするためだけ。



「…うおおお、おおおおッ!!」



暴食の魔女へ、ヴァンが走る。彼の残った片方の腕が、ヒトの形をしている魔女のその脳天に突き刺さった。ずぶ、ぐしゃりと沈んで千切れていく。そして、更にそれの奥底の、底の底にあるヒト型実体を見つけた。実の体積はどうなっているのかとか、どういう空間なのか。そんなものはどうでもいい。

失われていく記憶。何もかもが曖昧になっても、ただ一つ。目の前の彼女への記憶だけはまだ残っている。

ただ、ただ。彼が望むのは。



「…手を伸ばせェッ!」


「イスティ!君は君だッ!君が望んだ通りの聖女でいい!なりたくないものにはならなくていい!それでも、魔女であることを望むなら!そんなものオレが否定してやるッ!」



「イスティ・グライト!

オレの聖女よッ!再びオレの手を取ってくれ!」


「もう一度!

オレたちと一緒に旅をしよう!」



手を伸ばす。

手を、伸ばして。



『………ぐあ、あああっ…

なん、で……』


小さな手と、手が繋がれる。

弱々しい力で繋ぐ少女の手。

それを掴む、少年の手。



『わたし、が…わたしは…』


「…わたしはっ…」


「私は、まだ、あなたと…ッ!」




刹那。

魔女の居た場所に黒い爆発が起こった。

黒いルーンの力が暴発を起こして全てを黒く包む。

それがそうで居られなくなった、魔術の爆発。

それは周囲の全てを巻き込んで。


そうして、破壊の跡を残して全ての姿を消した。

『暴食の魔女』という厄災も。

それに付き従う大罪の蝶も。

手を伸ばし続けた、一人の少年の姿も。








……







……少し遠くの村。

小さな子供が行き倒れに声を掛ける。



「ねーちゃん、大丈夫?

このパン、食べる?」



「………」


「えーっと、生きてるよね?

なら、食べたほうがいいよ」



「……なにも、たべたくない……」


そう言うと、その行き倒れに興味を無くしたか、はたまた誰かの助けを求めに行ったか。子供はその場から去っていった。力なく座ったままのその行き倒れの瞼に蝿が止まった。

その、羽音に。

どくん、どくんとフラッシュバックをする。

びくり、と全身を揺らして息を荒げる。



「はっ、はっ、はっ…!

あ、ああああっ…ああっ!」


「ああああッ!あああああああッ!

わたしが…私が…っ!」



「私が、殺したッ!

ハイレインも、みんなも!

全部、全部!ヴァンまで殺した!

あはは、あははははっ!あはははっ…

おえ、っ、え゛えええっ…」



何も胃袋には入ってない、黄色い胃液だけがとめどなく吐き出される。全て溶かしきってしまったことを表す、その空っぽの臓器は、どれほどここに来てから時間が経ったことを示しているだろうか。

嘔吐は、止まらない。液すらなくとも、えづきつづける。自分が食べたその感触に。その、罪に。



「…は。はははは」


(イスティ・グライト!瘴気祓いとしてこの地を訪れました!夢は、聖女となることです!宜しくお願いします!)



「何が、夢だ。なにが…」



(ヴァン。私は、この村をこうした魔女を倒す。

魔女を倒して、聖女になります。

それに、力を貸してもらえませんか)



「なにが誓いだ!なにが聖女だッ!」



少女はただ、髪の色も真白になり。

黒色を纏いながら叫ぶ。

ただ、現実を。




「…私は、ただの魔女だッ!」








……





…少年たちは、全てを失った。

復讐を願う医者は家族と命を。

友の無事を祈る術師は友と安寧を。

気取ったナイトは記憶と自分自身を。


そして聖女を目指した少女は何もかもを失った。



それでも、だけれど。

それはしかし諦める理由にはならない。



「……まだ………」


「まだ、私にはやる事が、ある」



そうだ。

彼女の騎士は一度も諦めはしなかった。

だから、それでも。



「私も、かくありたい…

私はまだ、歩き出さないとならない…ッ!」



置いて行かれたパンを掴み、食べる。

全身がそれを拒否してそれを吐き出す。

反吐すらを啜って、それでも前に進む。


へこたれない。

まだ、前に進む。


まだ残った、やるべき事のためだけに。

彼女たちはへこたれない。

ダーク・ナイトたちはへこたれない。




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