真実のその先で
「…あれ?」
ふと。
私は真っ白な花畑にいました。
一面に白花だけがあって、足場もない程に。
そこを歩いていると、居たのは泣いている子ども。白みがかった桃色の髪に、それよりも更に強く輝く桃色の目。涙を浮かべた顔を空に向けて、泣いていました。
どうしたのですか?
と、声をかけるとびくりと驚いたようにその子はこっちを見る。その子は、驚くほどに似ている。誰かに、ではない。私に、イスティ・グライトに。そしてその子は私の手をぎゅっと握って、叫んだ。
『だめ!はやく…って…』
『早く、戻って!
まだ、こっちにきちゃだめ!』
その言葉を聞いて私はハッと思い出した。
さっきまで私はどこに居たのか。
何をしていたのか。
私は今、どうしているのだ。
そうだ。そうだった、私は…
「……がはっ、あッ!」
…今際の際だ!
「チッ、今の避けるか。タフだなあ」
ごおん、と耳元で音がなる。
直前に覚醒して、横に転がり回避をする。なんとか私の頭部を目掛けてのストンピングは外れました。代わりにダルクの足は地面にめり込み、地を割った。あれが当たれば、私の頭は…
「…ッ、蝶よっ!」
「またそれかよ。ワンパターンだなイスティ。
ま、それしかやれる事がないのか」
簡易詠唱で生み出した免罪の蝶はダルクに向かい錠として捕えようとしましたが、しかしあっさりと避けられる。そして代わりと言わんばかりに、ダルクの手から食卓用のナイフが首筋を目掛けて飛んでくる。
「!」
直前に横に逸れて、避ける。
ただ首筋にはつうと赤い線が垂れました。
それでも少しの間だけ隙が出来た。
だから、その間に。
肋骨と右手指の骨折、全身にくまなくついた打撲と首の出血、それらを目掛けて私の神力を纏わせる。
数瞬でそれらの傷は治すことはできました。
「…ふうん。まあた、振り出しかい。
イスティ。キミのその目がすごくいい。何度も何度も叩きのめしても懲りず、諦めなく、折れずにこっちを睨んでくるその目。とてもかっこいいよ。さすが未来の聖女さま」
「ダルク。私は、あなたを信じます。
だから一度、ぶん殴って、気絶して貰います…!」
「アハ、あはははは!いいねぇ!絶対、諦めないぞーって感じだ!あははは、ははははは!ふぅー…」
「ならその心を完膚なきまでにへし折ってから殺してあげるよ。二度殺してあげる」
破顔一笑、そして一転してから何も感情が読み取れない顔になる。鉄で出来たようなその表情。から、何が繰り出されるかと冷や汗が垂れる。だけどダルクは、何かを構えてから明後日の方向を向き。
そうしてから、壁を抉った。
「『喰え』」
見えない何かが、土壁を喰らっていく。
その先の土に隠れていた鉄扉も、扉以外が岩に閉ざされていた壁も全て無制限に無差別に食い散らかしていく。土に汚れて、その透明な何かの
シルエットが見えたような気がしました。それは、牙が絶えず生えた、巨大な巨大な蛇のような。
「じゃあ〜ん。どうだい、これ。
これはキミの心を折るための材料になるかなあ?」
だけどそれは、そんなものはどうでもよくて。その食い散らかされた部屋の先の光景こそが私の視線を釘付けにして仕方がなかった。
そこにあるものは、地面に散らばった沢山の肢体。
横にある、巨大な試験管じみたガラス細工。
それが割られて、中から飛び出している身体。
既に死んで、腐敗が進んでいる。
唯一腐らず、それでいて体液に汚れた桃色がかった白い髪の毛は、私が常に、身だしなみを整えようと鏡を見るたびに見るような色で……
「ボクの唯一の天敵になりうる初代聖女。それはとっくに死んだんだけど、なりふり構わずその複製を作ろうとする輩がいてねぇ…
万が一にでも敵にならないように先んじて潰しておいたのさ。だけどまさか、魔女狩り教団の生き残りがいたとはね。懲りずに、まだ複製を作ろうなんて、馬鹿げた話さ。どうせバレるのに!」
ダルクは指先でつまみあげ、手から取り落として、その腐った頭部を踏み潰しました。何度も、何度も執拗に。腐った血が放つ臭いと私と全く同じ顔だったものが潰れる視覚の暴力に吐気がしても、それでも口をつぐみ耐えて、両手でメイスを握り続ける。嘔吐などすれば隙になる。そうすれば、更に不利になるから。
「何が、言いたいのです」
「イスティ。キミも所詮この作られたクローンと同じに過ぎないってこと。はは、ここに転がってる有象無象の蛆の餌と、ねぇ!」
…それを聞いて、動揺しなかったと言えば嘘になる。だけれどそれで惑う心よりも、目的に向けての集中が上回った。
ここに来ての初めての試み。
完全詠唱の免罪の蝶を、『黙読』する。
心の声で詠唱をしてその声をルーンに伝える。
蝶よ、花よ。
楽園の白めきを、無垢の翼に。
かのじょの罪禍を背負っておくれ。
「キミの聖女にならんとする夢は、このいくつもいくつもある身体に引っ張られただけのただの刷り込みだってこと。不完全な聖女のクローンとして生まれたから、そうなりたいだけってことだよ」
その蝶の煌めきを、メイスに纏わせる。全身に纏わせる。身体中に神力が纏わって、意識が光に溶けていきそうな錯覚に囚われるけれど、まだ意識を保つ事が出来る。私は目の前の友達を救わなければならない。
そして、そうして。ここで耐えなければ。
私はヴァンの隣に立つ資格がないから。
「ならば、イスティ・グライト。
キミという人間は、どこにいるんだろうね?それすらも複製で生み出された、偽物の人格じゃないのかい?んん?」
背に、光の翅が生えた。
部屋の中は狭いけれど、ただ前に飛翔する為に。
今ここにある光をダルクに当てる事ができれば、ダルクの周りにあるあの穢れた力を解き放つことができるはず。
あの蛇のような邪悪な呪いを。
私の全てをここで賭けて、ダルクを倒す!
「それを聞いたら、ヴァンはどう思うだろうね?」
「…っ」
「彼が憧れた君の勇壮さは、ただの刷り込みだったなんて知ったら、ねえ。彼はどうだろう」
「失望、するかも、ね?」
それは、明らかな挑発だった。
そう、わかっていたはずなのに。
煌。
ヴァンが私に失望するのではないかと、言われた途端に。お腹の奥のどこかがぐる、と激しく熱を帯びて、激情を抑えきれなくなった。
免罪の蝶の力を身に纏う、私の新たな力。十全に振るえば、彼女に克てたかもしれない。だけど挑発に乗り、直線的で、タイミングも容易に読めるような、それは。
ぱしり、と。
私の攻撃はただ受け止められた。
そのまま私に手を向けてから、ただ一言。
「さあ。『喰え』」
「…ひっ…ああああああッ!!」
ぶちぶちぶち、と千切れていくのは肉体ではない。
神力で作り出した、光の蝶の翅と纏った力の奔流。だけれどそれと強く一体化していた私には、それを食いちぎられ飲み込まれていく感触が詳さに伝わってきて。
「…まだ気を失わないのは大したもんだよ。
だけどさぁ。お前みたいな偽物が。
こんな穢れた魔女に負けるキミごときが。
讒言にすら惑わされるキミが」
「ヴァンの横にいるだと?
おこがましい。恥を知ったらどうだいイスティ。
恥知らずの売女が」
「く、うう、あああ…!」
意識は、確かに保っていた。
まだ這いつくばることは出来ていた。
だけれど言い換えれば私はただそれしか出来ず。呻き声をあげて、メイスを拾おうとして、手のひらを踏み潰される。腐頭と同じように。
「………さようなら、イスティ。
約束を守れなくてすまなかったね」
刹那。
がぁん。
銃声とともにダルクと私の間に挟まる黒い影。
黒いたなびきが、倒れ込んだ私を姫抱きに庇った。
そこにいるのは当然のように、貴方だった。
「…ダルク」
「ちぇっ、結局ハイレインと共闘する流れになったのか。
一番つまらないな」
「ダルク。オレの目を見ろ」
「見てるとも。キミの眼はいつだって綺麗だ」
「………お前はそれで、いいのか?」
「ああ、これでいい。
これでみんな仕合わせになるだろう。
だからこれがいいんだよ!」
がぁん、がぁん。
今度は連続で鳴り響く、銃声。
一発一発が、凄まじい毒なのだろう。打ち込まれたダルクはその度に苦痛に顔を歪めていた。
「…チッ。うるさい羽虫が…興が削がれるなあ。
また別の場で決着はつけようかな」
「ダルク!オレは…」
「静かにしてくれ、ヴァン。
今生の別れはまた今度にしよう」
そうしてから、彼女はまだ芋虫のように這い回ろうとしてそれを抱き止められている私に視線を向けました。
その視線に含有された感情はきっと軽蔑や嘲りだと思ったのに。だけどそこにあるのは、それらではない。
ただの、柔らかな微笑みで。
「せっかくだ、イスティ。
キミが育った場所でケリをつけようか。
この先にある孤児院でキミを待とう。
まさか欠席はしないでくれよう?
あはは、あはははははは!」
そしてその直後に浮かべた歪んだ笑み。それと一緒にダルクは両手を天井に向けて、上を喰い進み、地上の道を作ったところまでをかろうじて認識して。
私はようやく、苦痛により気を失った。
…
……
「…ハイレイン。イスティは?」
「まだ掌がひどく折れてはいるが小康状態と言っても差し支えはないだろう。少なくとも肉体の傷はな」
「そうか、ありがとう」
ハイレインはそうしてから彼女の横から離れていく。そして代わりに、他のものに歩いて近づいて行った。
教団の罪の証、初代聖女グラントーサの複製の現場ではなく、その前の部屋に雑巾のように横たわっている肉片。
うわごとを言いながら、まだ動いているほんの数十センチのカケラ。身体の形状を変えようとしているそれの様子で、初めてそれがなんだったのかが、わかった。
「……ロウ…
随分と、変わり果てた姿になったな」
そっと、抱き上げるハイレイン。
憎しみが篭っていたはずの邂逅。
まだ、それはあるようで。それでいて今そこには、彼女たちの間には旧知にあったような朗らかさがあった。
「…ああ、ハイ。ひさしぶり!元気だったか?
そういえば紹介がまだだったな!
わたし、おれにも家族ができたんだよ!義理だけどさ、本当に娘として受け入れるって、そう言ってくれたんだよ、こんなおれを!」
きらきらと輝いた眼をしている、ローラウド。
その顔に既に、正気はない。彼女の目には最早、脳裏の都合のいい幻影しか見えてはいない。
「そうか」
「それにな、弟もできたんだ。馬鹿だけど、かわいくて、かっこつけしいでさ。いい子なんだ。本当に本当に、食べたいくらい可愛くて…
よかった、ずっと紹介したかったんだ。わたしの自慢の弟を、お前にさ」
げぽっ、と力のない喀血。肺から吐き出されてないから、厳密には喀血ではないか。そんな意味のないことを思いながら、ちらりとハイレインの様子を覗き見る。
彼女は、大仰に首を横に振るった。
「…もう長くない」
その言葉に、含まれた意図がわかる。
今のうちに、とどめを刺せという事。
このまま放置をしておけば、ローラウドはまたその超人的な再生能力で傷を治して、そしてこのまどろみのまま暴れ回ることだろう。そうなれば、こいつは罪人ですらない、害獣だ。
剣を構えて、一歩進み出る。
震える腕を、もう片方の手で抑えながら。
「ああ、ヴァン!ね、ヴァン。
一緒にかえろう。あの家に、さ。
おねえちゃんと、いっしょに」
「うん」
「おれ、わたし、お前の作るパンがすきなんだ。
うふふ、代わりに、てぶくろ編んであげるからさ」
「…うん」
「ごめんね。忙しくて、会いにこれなくて。
でも、げぽっ。そう、拗ねないでよ」
口調も見た目も最早不安定な中、それでもそうしてかつての幻影を都合の良いまま見続けて、僕をヴァンと呼びかける。
何も変わらない、ロウ姉さんのまま。
「少年。…頼む」
「…わかってる」
どす。
頭を一突きに、命を止める。笑顔のまま。昼寝の前のまどろみのような心地よさのままに生き絶えた。
もう片方の腕で彼女の目をそっと閉じさせた。
「…ロウ姉さん。
悪い夢は、もう終わりだ」
くう、と口の中に残った空気が抜けて甘えた音が出る。僕はその音にどうにも胸を抉られて、記憶の奥底をほじられた。
格好のつかない、小さい時の情けない記憶を。
「ハイレイン。
少しでも、早く発つべきとはわかってはいる。
いるんだけど、さ」
「ああ」
「……少しだけ、休ませてはくれないか」
「…ああ」
…
……
…ドクター・ローラウド。
魔物を使役し、変形する身体を用いて幾百の無辜を殺した大罪人。『彼の世界』から死を連れてきた咎人。
彼女はその、犯した罪の数とは裏腹に。薄氷のまどろみと温い幻想の中、愛した家族の腕の中、その命を閉じた。
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