聖女として立ち上がりて



ぐっ、ぱっ。

掌を握って、開いて。

イスティ・グライトは自らの手のひらを眺めていた。

包帯を取ってから、暫くまた、ぼうと。


「おーい、イスティ!準備ができたぞ!」


「っ!は、はーい!今そちらに行きます!」


「いやそこで待っていてくれ給え!

私達が今そちらに向かってる!」


大量の荷を、どすと置いて器用にもマスク越しに汗を拭うハイレイン。その横でまた休憩しながらヴァンが苦笑していた。


「やれやれ、私のような貧弱な女性に力仕事はさせるものじゃあないよ少年。王都男児たるもの君が全部運ぶくらいの気概を見せてくれ」


「嘘つけあんた紋章獣素手で殴り殺したって聞いたぞ。それに、オレは王都生まれじゃないから王都男児じゃないんだよ」


「あのう…やっぱり、私も運ぶの手伝って…」


「いや。万が一でも悪化したら嫌だ。

君はゆっくりしててくれ」


「はあ…ただ正直身体がなまってしまって…」



この世界の回復魔術は主に3種類ある。

1つはその傷と周囲を擬似的に老化させることにより、自然治癒を前借りするもの、アペイス。

1つは、欠損したパーツを外から補うことによる物質的補完、レストア。

そして最後の1つは、最初のものとは真逆の考え。その傷の時間を『巻き戻す』ことによる怪我の存在の否定、リワインド。

パラドックスすら生みかねないその治療法は圧倒的に前二つよりも身体への負担は少なく、そして当然のように、術者への負担と技術の要求は激しい。

イスティは、最後のそれを使える一握りの術師だ。だが、それを自らに使用しながらのダルクとの戦闘は彼女に重い負担と力の枯渇を産んだ。あの戦いが終わって以降、彼女は、一つたりとも魔術も聖力も使うことができなかった。


「ここの近隣の方々にも感謝しなければですね。

快く、私たちの滞在を許してくださって」


「あ…ああ、そうだな」


「ク、ククー」


ダルク・アーストロフが『魔女狩り教団』を去って後、暫くの期間が経っていて。その間に消耗と大怪我で気絶したままであったイスティの為に二人は、このあたりにいたごろつきに交渉をして、世話を願い出た。

それはもう、快く受け入れてもらったものだ。

寝ている間に、ぼろぼろの恨みの視線を感じるほどに。


「ただ、もうこれ以上ゆっくりとしている暇はありません!私の傷も消耗も治りました!今こそ、出撃の時ですっ!」


「ああ、その通りだ。

これ以上は、あいつを待たせる訳にもいかないしな」


「ええ。きっと、お腹を空かせて待ってるでしょう。

迎えに行ってあげないとですね」


くすり、と二人で笑い合う。

あれほど殴られ、徹底的に痛めつけられた後であっても。イスティはダルクに対しては悪い感情を持ってはいないようだった。


「了解した。私の…薬砲の補充もまあぼちぼちだ。ベストのコンディションとは行かないが。それでは出るとしよう」


「ああ…目指すは、イスティが育ったという孤児院だ。

道案内は頼んでいいよな?」


「はい。…しかし、何故ダルクは、あの孤児院を知っているのでしょう」


「イスティが教えたんじゃないのか?」


「それが…存在と出自こそは話して教えましたが、座標や名前などは知らないはずなんです。だからこそ、ダルクはただ知っていたことになります。そしてまた、そこにする理由があった…」


「……ふむ。因みに位置は私が教えた。

そこについては申し訳ない」


「ちょっ…ドクター!」


「いやすまない。ただ、あくまで、目的地としての座標を地図で纏めていた時にアーストロフ少年に聞かれたからであって、それ以上のものは何も教えていないし、私もそもそも知らないのだよ」


「…うーん。これは、久しぶりにあれが必要かな」


「おや、あれですね。歩きながらは初めてですが」


「時間も無いのだ、仕方のないことだろう。

それなら初めて行こうか」


三人は、歩きながらそうした奇妙な会話を続けて。そしてまた、ハイレインが二人の前に立って後ろ歩きを器用にしながら語り始める。


「さて、これで何回目だったか?まあいい。変則的ではあるが、一団会議を始めるか。進行は…ふむ、立候補するアーストロフ少年がいないと張り合いのないものだ。まあともかく、このハイレインが行う。異議は無いだろうから続けてしまおうか?今回の議題は…」


「疑問の共有と解消、それに伴う知識の一律化だ。オレたちはどれがわかって、どれがわからないんだ?」


そうだ。

彼らには、今は謎が多すぎる。

そしてそれは、それぞれが持つ知識を動員すれば幾つか解消するであろうものもあるのだ。それを、無くし。

そして今残る謎は何かを考える必要がある。



「それでは私からいいですか?

…ええと、魔女狩り教団はいつに滅びたのでしょうか。そしてまた、ドクター。あなたしかもう、教団員はいないのですね?」


「ああ。私しかいないが、私は残っている。

だから魔女狩り教団は存在している。

私が教団であり、教団が私だ」


「…そう、ですか。

ならば、地下にあったあの実験の事についても」


「ああ。君は…

いや、あなたは。

初代聖女、グラントーサ様の複製体です。

それについては、私が続けていた実験。

故にこそ私は貴方を守る為に旅に着いていた」


「よしてください、ハイレイン!

…私はイスティ・グライトです。成り立ちこそが初代さまの複製であろうと、それだけは変わりませんから。

だからいつも通り、敬語なんて無しで!」


恭しく、頭を下げかけたハイレインを静止して笑うイスティ。それを聞いて、そう答えてくれると確信していたかのようにハイレインはすぐに顔を上げて、ククーと含み笑いをして再び話し始める。


「感謝するよ、グライト嬢。

…教団が滅びたのは、『暴食』が来た時だった。

その時は…嵐のようでな。黒い瘴気をドレスのように纏い、その正体などわかりもしなかった。理解することなど到底。」


「それであんたは、初代さんのクローンを作ってそれを戦わせようとした訳か?ハイレイン」


「……ドクター、をつけてくれ少年。

ただ、大まかにその通りだよ。

私は罪を幾つも背負っている。そのひとつがこれさ」


そういった衝撃的な事実を横目にして。

むう、とイスティは脳内で擬似的に大きな紙とペンを取り出すイメージで、大まかな時系列を並べてみた。


・魔女狩り教団が既に発足していたところに、暴食の魔女が襲来。

→教団は全壊。それでも魔女打倒のために複製を作ることに。

→そうして生まれたのが私。おそらくは魔女に気取られないよう、私はあくまで孤児として孤児院に預けられることに。

→幾年も経ち、私は『瘴気祓い』としてラウヘルへ…

ここからは、この旅そのままの筈だ。

そう書いてから首を傾げる。


「…むう、ううん?

それだと、ダルクとドクターは幾つなのですか?」


「そう、それだ。

オレはそれを聞きたかった。

ドクター・ハイレイン。あんたは、何歳だ?…いや、この質問は的確じゃないな、もっと別の聴き方をしようか」


「あんたがただのドクターなわけがない。

あんたは、何者なんだ?」


「……そうだな。もう、これ以上隠す意味もない。

また、話した所で何が変わる訳でもないか。

私は、そうだな」



「………私は、『彼の世界』から来た。私はそこで、母さんに…グラントーサ様に拾われた、ただの肉塊だった」






……




…会議を、終えて。

ハイレインの過去の話が終わった時には既に彼らはくたびれ果て、それでいて位置も悪くなかった。翌日の明朝に出れば、疲れも最低限に孤児院に着くことができる位置。故に彼らはその近くにあった廃城をいい風除けに使って野宿をした。


イスティは近くに水浴びをしていっている。ケガは治ったが、それでも不衛生で膿んでなどしてしまったら一大事だからだ。

そうして薪の準備とをしている内に、そっとヴァンの横にはハイレインが現れた。


「…な、なんだよ」


「とぼけなくてもいい。

グライト嬢がいるとしにくい話があるだろう。

それを、今少しだけしようじゃないか」


「…」


選択肢を出す、という体裁を取ってはいるが、これは強制だ。このドクターはそういうタイプの人間だ。物腰はやわらかだが、絶対に自分の意見を譲ろうとしない。


「話は2つ。1つは、魔女狩り教団での事だよ。君と休戦したのは、グライト嬢が危ないからと言っていたはずだ」


「そうだ。それで、あんたもそれを分かってオレとの戦いをやめた」


「なぜその危険がわかっていた?

君は、アーストロフ少年の動向を知っていたのか?」


「……結論から言えば、イエスだ。

オレはあいつから、別行動の旨を伝えられてた」


「…ふうむ。

ならば、もう一つの、質問だ」



そのもう一つ、とは。何かはわからない。

だが言うのを迷っているようだった。

それはまさしく、失言になり得るとわかっているからこそ。それでも、彼女にとっては、聞かなければいけない事だったのだろう。



「君は、ダルク・アーストロフをどう思っている?」


「大切な、大切な…親友だよ。

オレのたった一人の、唯一の」


「そうか。

……ここからは、ただの事実と推論の話だ。魔女が、追い詰められ。「ただ一人」にのみ、偽の記憶を植え付けることができるという事実。それは先程共有したはずだ。そうだろう?」


「ああ、それはそうだな。

それが、どうか、し……」



何が、言いたいのか。分かった。分かって、しまった。瞬間に全身の血が煮立つような怒りが全身を染めた。絶対に口にしてはいけない事を、口にしてしまうほどに。


「…おい。何が言いたい。

この人もどきが」


「…ほう。それ私に言ったのか?少年。

ならばそこから先は発言に気をつけろよ」


「質問をしているのはこっちだろ。

何が、言いたいって聞いたんだよ。

そこから先は発言に気をつけろだと?

こっちの台詞だハイレイン」


「ダルクは!オレの親友だッ!

植え付けられた偽の記憶だとか、そんなものの筈がないだろう。冗談のつもりでも、もう一度でも言ったらあんたを敵と見做すぞ」


逆鱗に触れる。

その言葉がシンプルにして、ふさわしい言葉だ。基本的にダウナーで、穏やかな気質のこの少年が怒髪天を突くようなその怒りを、ドクター・ハイレインはこの時に初めて見たのだ。


「…ふむ…失言がひとつずつ、か。

ならばそれで失敗を相殺させるとしようか。

感謝したまえヴァニタス。

私が分別のある、『人間』だということに。」


強調するように、自らを人間と言い放つハイレイン。どんよりと、空気が悪くなったことを誤魔化すようにヴァンは外に出た。

怒りが収まりながらも、それでもまだ胸糞が悪そうに。



「……フ、ム……」



ただ一人残された空間。

ハイレインは頭を抱えた。

それは今、ヴァンとの会話の内容というモノではない。それはつまり、彼女の脳髄を悩ませることが、証明されてしまったということ。


魔女は、一人の記憶を改竄できる。

それは確かなこと。

だから、ダルク・アーストロフはヴァニタス・アークを洗脳し改竄して都合のいいダークナイトにして自らを守らせた。


『そういう筋書きが間違っている』という証明。



はあ、と呟いて。

頭をがりがりと掻きむしった。

マスクを外して、衰弱し切った顔のままに自らに栄養剤を打ち込み。そうしてから何かを忘れようとせんばかりに、酒を飲み、煙を吹かした。


「ああっ、クソッ。神様、もう少しだ。もう少しであんたを好きになれそうなんだ。だから、ふざけるな。そうであっては、ならないでくれ…」


頼む、頼む、頼む。

何にもいない廃城で、一人。


苦悶の顔でハイレインは祈っていた。





……



身体を清め終えて、なお。

私はぼうと何もせずに川の近くに佇んでいました。

すっかり暗くなり、星明かりが水に反射する中。

私に近づく足音にも鈍感なままで。



「……横を失礼」


「わっ…!?ヴァ、ヴァン!?

ちょっ、ちょっと待ってください、あわわ!

まだ髪がボサボサで、あ、あと服も…」


「戻ってくるのが遅かったからさ。

大丈夫かな、と思ったんだけど…大丈夫そうだな」




「…行かないで、ください」


苦笑して、踵を返そうとするヴァンを、自分でも出したのかわからないくらいな弱々しい声で、呼び止める。冷たい水で清めた筈なのに、顔が燃えそうなほど熱い。喉がからついて、張り付く。

ヴァンは、それを分かってかわからないでか。私の横に、ゆっくりと腰を下ろしてくれました。

私は、手を取ろうとして、また手を引っ込めてから。



「その…戦った時は、すみませんでした」


「謝らないでくれよ!

あれは、オレが裏切ったのが悪いんだ。

ただ…手脚を折って持ち帰るだっけ?

あれは…はは、本当に怖かったな」


「わ、忘れてくださいぃ…!」


顔を真っ赤にしてそう言う私を、ヴァンはからからと笑いました。そうしてから、首をくい、と浮かせて。

私の言葉を、待ってくれました。

真夜中の、光を通さない海のように。

全てを受け入れてくれる、水の中のように。

聞き入れる体勢になって。



「私は…私は」


「実は分かっていたんです。

自分がきっと、そういう存在なのかもしれないと」


「そう、なのか」


きっかけは、王都の時。

初めて来たはずのあの場所に、何かわからない既視感があった。そしてグラントーサ像を見て私は、理由のない、焦燥感に襲われたのです。あの時、私が生まれてからずっと持っていたこの異常の力に、心当たりがあったような、気がして。



「…私は怖いんです。

ドクターに言ったことは嘘ではないのです。

私は、『イスティ・グライト』。それは変わらない。

だけど、だけどそんなことじゃなくて…」


脳裏にずっと残っていた呪いを吐き出す。

あの時、叩き付されながらダルクに残された呪い。

脳裏にずっと張り付いたままだった、ことばを。


「…私が、聖女になりたいなんて願いは、それはただの刷り込みでしかなかったとしたら。ヴァンが私に思ってくれた、私への尊敬は。

全部ただ、私じゃない私のものだったら…

私は、それが怖くてたまらない。

ヴァン、あなたは…」



「あなたはまだ、私の騎士でいてくれる…?」



臓腑がねじ切れるように苦しい。

肺が張り付いて、動かないように。

なのに、答えは、あっさりと帰ってきた。



「なんだ。

案外くだらないことを気にするんだなイスティ」


「…え?」


「……オレがイスティの騎士でありたいと思ったのは君が聖女の力を持っていたからでもない。君の美しさや夢の崇高さでもない。ただ…」



ぽちゃん。

照れ隠しに、ヴァンが投げた小石が川の水面に波紋を作る。



「ただ、君が立ち上がる姿と。

僕に笑いかけてくれたその笑顔に。

イスティ・グライトを、想ったからだ。

あの時、ラウヘルで。

君が僕に道を聞いたあの時から。

僕はずっと、君の騎士でいるつもりだったんだ」



「……なんて、かっこつけすぎたかな。

さすがに、きもかったかな?

だから、あー…そんなに泣かないでくれよ」



私の呪いが、消えていく。

ぽろぽろと流れる涙とともに溶けてなくなる。


私は、私はなんて果報者なのだろう。

ヴァン。あなたが、そう言ってくれる限り。

私は幾度でも聖女として立ち上がります。

私の、騎士。


そして…



「……ありがとう、ヴァン。

私の騎士。私のともだち。そして…」




─私の、愛した人。



…私は、彼の頬を取って。

そっとキスをした。




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