咎人よ、集まりて



私たちが、産まれる前。

私たちが、私たちとなる前のこと。


私たちは肉塊であって、次点で、魔物と呼ぶのに近しい存在達だった。そしてまた、それでいてそれらと言うのにも遠く及ばない。二つの出来損ないであり、何かのなり損ない。

そんな紛い物にしかすぎない私たちを、あなたが初めて抱きしめてくれた。私の、子どもだと。


何者でも無かった肉塊を人にしてくれた。

人間として、名前を付けてくれた。



『貴女たちは今日から私の家族です。

…まあ。二人とも女の子なのね。

なら、あなたはハイ。あなたはロウ。

今日から、それがあなたたちの名前ですよ』


『ただ、働かざる者食うべからず。

貴女達にもちゃんと働いてもらいます。そうですね…ずっと人手が足りない、ドクターになってもらいましょうか』


何にもなれなかった肉の塊を、何かにしてくれた。ドクターという存在に、してくれた。その役職が私たちにどれだけ特別なものだったか。それが、私たちにはどれだけ嬉しかったか。

私たちの母は優しかった。

血はつながらなくても、母だったのだ。


母は優しく、そして烈しく、激流のような人だった。

何よりも優しく、それでいて誰よりも恐ろしい。

感情深く、全てに情がある人だった。


それは、役割、存在、言葉という意味だけでない。

家族としての団欒。

穏やかな感情。

何かから受け取る感謝。

あなたが初めて、私たちを人にしてくれたのだ。


私は、私たちは──



『あら。自己紹介がまだだったわね。

私はイスタルテ・グラントーサ。

気楽に、そうね。『イスティ』と呼んで頂戴?』






……




「『シャドウ』、『クリエイト』」


「ッ!」


闇夜に潜む月光の影から、影が蠢いて刃のように鋭く、尖槍となって少女と医師を狙う。片方は予測からそれを避け、片方はそれを反射の神経による超人的な反応で避けた。

剣を地面に刺してのダークナイトの口上。それはただの格好付けではなく、この魔術の攻撃の準備だった。


イスティとハイレインは、前述の通りにそれを回避した。だが、それぞれが別の方向に避けた。

それを見逃さずにダークナイトの少年、ヴァンは翔ける。剣を振るおうとする先はイスティだ。


何か言葉を放とうとして、イスティは口をつぐんだ。そして代わりに手に持ったメイスを思い切り振り下ろした。


「はあッ!」


「!?」


ど、ごおん。外れたその一撃は地に当たり。そしてそのまま、地響きを引き起こすほどの衝撃だった。

ヴァンは少女の超人的な膂力を甘く見た訳では無かった。だがそれでも、想像を超えてのその怪力に、一瞬動きが止まる。


そこを狙撃が捉える。ハイレインの銃撃がヴァンの剣を持つ腕に命中。針に用いられた毒が身体を蝕んだ。

だが瞬間にダークナイトは患部の腕を切り裂き、黒い血をばら撒いた。それは接触による侵食と毒を抜く防御を両立した攻防一体の行動だった。


「『ブラッド』!」


回避された黒血が、更に結晶化してハイレインを襲う。銃底である程度を捌き、しかし1発、2発が直撃をした。


「ぐおっ…」


「ドクター!」


咄嗟に、そっちに顔を向けるイスティ。

その背後から凶刃を煌めかせるヴァン。

メイスを握る手を狙っての斬撃。なんとか切られる事を防ぎこそせよ、彼女のメイスが取り落とされた。


それでも怯まずに、イスティはその素手になった手をヴァンの剣を握る右手の手首に締めつかせた。思い切り、ただ握るだけのそれだったが、地響きを起こし廃墟を揺るがすほどの力によるそれに。

手首が、ひしゃげた。

黒剣もまた取り落とされて、地面に突き立った。


だがダークナイトに苦痛を介する様子はない。

代わりに潰れていない左腕で、イスティの頭を掴む。


「おやすみ、イスティ。

次目覚める時は、オレなんぞいないでいい」


そうして、ズィーズの魔術を唱える直前の発言。そこには、無感情を装おうとした仮面の下の、微かな寂しさがあった。眠りの魔術を与える前に話さずにはいられなかった感情。

イスティ・グライトはそれに、はっと気づきを得て。

そして一つの賭けに出た。


ぐい、と首の力で掴んでいるヴァンごと引っ張る。

だがそれは魔術攻撃に何一つ支障はない、筈だった。

そう。筈だったのに。

イスティは自らの首を無理矢理、先ほど取り落として地面に突き立ったままの剣に、思い切り突っ込ませたのだ。



「〜〜ッ!?『チェイン』!『ノット』!」


喉笛が剣にかき切られる直前で。

イスティはバッと、両手を開いて無防備な姿となった。何かの構えでも無ければ、作戦でもない。そのまま進めば絶対に、彼女の喉は切り裂かれて致命傷を負う状態のまま。


びたり、と。イスティの突進が止まった。空中で、金縛りにあったように。黒い鎖が彼女の身体にまとわり、そしてまた残骸の椅子と石畳に括られて彼女を必死に支えていた。


「この…っ!」


ヴァンは剣を拾い上げて、その状態のイスティに切り掛かろうとした。だがイスティは既に、何の抵抗もしなかった。

ただ、じっと彼の目を見つめるだけである。


少年はそれに、金縛りにあったように動けなくなった。

イスティの身体に纏わる鎖が、自ずと解けていく。

無表情でいた彼の顔が、ひどく歪んでいた。

葛藤と心の苦悶に歪んだ、精悍な顔。



今だ、と。


ハイレインとイスティが目配せをした。

刹那。イスティはヴァンの横をすり抜け、奥に走っていく。身を潜めていたハイレインはただ銃をホルスターに仕舞って、ヴァンへと近づく。


電撃のような二人の動きに反応しようとしたヴァン。だが、瞬間にハイレインの細長い手足が雷鳴のように動いた。

膝を逆向きに曲げんとする下蹴り、体勢を崩した腕を取って極めて、ダークナイトの顔面を地へ激突せしめた。



「ごあっ…!クソ、離せハイレインッ!」


「ドクターを付け給え、分別知らずの餓鬼」


「…『クロー』…エっ…!」


クローズ、瞬間移動の呪文を唱えようとした瞬間に。顔を石畳に叩きつけたその手を翻してハイレインは、彼の舌を思い切り掴み引っ張る。

魔術には、解号になるスペルの名前を唱えるのが必要だ。元来魔術師はそれを妨げる存在に最大限警戒を払うものだが…さすがに素手で舌を掴まれることは予想していない。


(やっぱり…

魔術を使う相手との、ヒトとの戦いに慣れている…!)


ならば、と。

ぶちっ。小気味いい音と共にヴァンの腕が根本から取れた。先まで縫合されていた肩は強い力を込められてそのまま千切れ取れたのだ。ただそれの代わりに、ハイレインからの束縛からは逃れた。


ハイレインは捕縛に固執せず、それを認識して即座に距離を取り、再び銃をホルスターから取り出す。片方が千切れ、片方がひしゃげているヴァンは、それでも無理矢理にひしゃげた方の腕で剣を構える。


銃と剣が、それぞれ相手に構えられる。

ちらり、と横目で背後を睨むヴァン。

走り去っていったイスティの姿は既に無い。

今から追えば間に合うだろうが、しかし。

目の前の医師がそれの問題だ。



「……邪魔をするな、ドクター」


「そうはいかないな。

私の目的は彼女達を先に行かせることだ」


「…オレは、あんたのこと。

そこまで嫌いじゃなかったよ」


「そうか。私も少年を好いていたぞ」



「だけどいつかこうなる気がしてた」


「同感だな」



再び、銃が雷火を放つ。

避け得ることの出来ない銃弾を胸部に受けつつ、それでもヴァンが前に奔る。距離を詰めて剣を振るうが、瞬間ハイレインの腕はまた素早く動いて銃底で顎、首、腹を強かに打った。

だがその代償に、ハイレインはその全身に黒い血を浴びる。だんだんと手先の自由が効かなくなっていることに気づきながら。



「…フム。ダークナイトの血による侵食…

それの極致は、血を潜り込ませた対象の自己化。

血を浴びせた相手を『自分にしてしまう』というおぞましい生態があると聞いていたが…確かに、非常に不愉快だな」



互いに、時間を稼ぐ必要があった。それはそれぞれの待ち人の為でもあり、そしてまた、目の前の死闘の雌雄を決するために。だからその会話は、二人にとっては時間稼ぎ以外の何でもなかった。



「…この、旅路で。

魔女の瘴気をばら撒いていた犯人はお前か?ハイレイン」


「ほう?なぜそう思ったのだ、少年」


「魔女の瘴気がばら撒かれた現場、その全てに居た人間はあんたしかいない。二つ目の村、カーディラルでも先んじてあんたは行っていた。瘴気を撒ける人間はあんたしかいないんだ」


「……残念ながら、不正解だ。

さすがにそこまで堕ちてはいないよ、少年。

だが…ククー、やはり君は私の本質を見ている」



ハイレインは、震える手が落ち着き黒い侵食に適合しつつある。ヴァンはもう片方のちぎれた腕を無理矢理に接合して、石畳の破片で突き刺して固定をしている。

それぞれがそれぞれの時間を稼いでいる。



「魔女を復活させてから、今度こそ完璧に始末する必要がある。今度こそ、完全に消滅させる。その為ならばなんでもしよう。私がそういう人間であることを君は知ってくれているんだな。

ふふ、それをこそ嬉しく思うよ」


「……」


「そう、私は救えない罪人だ。

そして君も、ローラウドも」


「今この教会にいる全ての者は咎人だよ。

一人、残らずな」



時間稼ぎが、終わった。


互いに再び剣と銃を、構える。

直後に、雷火が鳴り響いた。






……




「はっ、はっ、はっ…!」



…私が走り出してどれくらい時間が経ったろう。この長い地下道を走って、限界が来て脚を止める。壁に手を付いて、土に汚れた手で汗だくの顔を拭った。ぼろぼろと、流れるものは汗だけではない。


大粒の涙が、とめどなく流れていた。

でもそれは、悲しみの涙ではない。


あの瞬間の喜び。

私が飛び込んだ剣先を、止めようとした時の必死な彼の顔。私たちの捕縛に使おうとメモライズしたであろう魔術を、二つも使って私を助けたあの時。剣を振りかぶるふりだけをして、そのまま動けなかった彼を見た時の、歓喜の涙。


彼は私を裏切ったのだと思った。

だから何をしてでも、折り持ち帰り、正そうと思った。

だけれど違った。

彼はまだ私の事を、大切に思っているのだ。

それを認識した、喜び。

口元がだらしなく横に広がってしまう。


だからこそ私はまだ走らなければならない。

ヴァンは私を守らんとする騎士としての役割を捨てたわけではない。であるのに、ここを通さんとするには、きっと訳がある。

この先にはきっと、私が苦しむ何かがある。

穢れた真実が、存在する。


彼が、私の騎士が私の為に私と敵対することを選ぶなら。そしてそれが彼にとって、苦渋を噛み潰したような顔になる要因ならば。

私は彼の苦しみを取り除いてあげたい。

汚いこととものを彼に押し付けるのではなく。

二人で一緒に、背負っていきたい。


だからこの先にあるものから目を逸らしてはならない。このだらしのない笑顔も、まだ抑えなければ。



(…ヴァン…あなたはいつだって傷を隠そうとする。あなたが何を抱えて、何を知ったのかは私にはわかりません。だけど…)


(だけどあなたが私との約束を反故にしていない限り。いいや、たとえそうしても。私は、私はあなたのために…!)


地下の道は、そろそろ終点を迎える。

私の予感が、この先には見たくない何かがあるのだということを伝えるけれど、私はそれを見据える。

足止めを引き受けてくれたハイレイン。

友人のままでいたいと言ってくれたダルク。

そして、私の騎士に、少しでも相応しい者であるべく。


終点にあった扉を、開いた。

そこにあったものは。



「うえ、ぺっ、ぺっ。

最悪だよ、多くて、しかもまずいなんて。

生臭くってえぐみがあって、ほんと最悪」


「…っと。

チッ、ヴァンめ。足止めが下手すぎだ。

大体、イスティに甘すぎなんだよあいつはもう。

それならボクにだってもっと優しくねぇ…」



「ま、いいや。遅かったね、イスティ。

ちょうど夜食が終わったところだよ。

もしよかったら、キミも『これ』食う?」


どちゃ、と何かが投げられる。

なぜここにダルクがいるのか?

それも分かりませんでした。

だけれどそれよりももっと目を惹くものは。

今目の前に投げ出されたぼろきれのような肉片。まだ蠢いて、母を、と人が、とうわごとをぶつぶつと放つ肉塊。


私が怒りを向けていた筈の宿敵の変わり果てた姿。


そして、全身を新鮮な返り血に塗れた私の友人の、いつもと変わらない笑顔が私を茫然とさせた。これは、どういうことなんだろう、と。


こんな、姿。まるでローラウドを喰らっていたかのような様子。これまでも何度も何度も、『げてもの』を食べたような口ぶり。

こんなことじゃ、まるで。

ダルク。あなたがまるで、それのようじゃないですか。

私たちが、追っていたそれ、そのもののようで。



「そう、と言ったら?」


私のそんな迷う心を読むように。

ダルクが声を挟む。


「そうだ、と言ったらどうするんだい?イスティ・グライト。キミが求めている、何かの勘違いという答えは来ないでさ」



「そうだ、ボクが『魔女』だ、と。

…そう言ったらどうするつもりなんだい?

未来の聖女サマ?」



歪んだ笑みが、私を足元から落ちるような感覚に陥らせる。奈落に落ちていくような感覚がある。息が苦しくなり、力が抜けていく。恐怖か動揺か、歯の根が揺れる。


だけど、それでも。

私が諦める理由にはならない。

へこたれてはならない。



「……そうだ。それでいい」



涙を切りながらメイスを構えた私の姿を見て、ダルクは満足そうに微笑んだ。先までの歪んだ笑みは、消えていた。

私には、その優しい微笑の理由が理解できなかった。

どうしても、どうやっても。



「おいでよ、イスティ。

そこのボロ雑巾とお揃いにしてあげる」



影が、蛇の形に蠢いた。

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