歪んで拗れてひねくれて
書斎にて。
エルシオン・グラントーサはただ魂が抜けたように座っていた。もし謀殺者が差し向けられていればその無防備に寧ろ罠を疑うのではないかというほど。
考える。
今、さっきまで話していた者たちの素性はまだ明らかになっていない。偽の情報を売り、錯乱させようとしているだけじゃないとも、限らない。
こちらが調べた情報と一致しているものも多い故、全くが嘘とは考え辛いが、敵対勢力が味方と偽ってこちらの信頼を得ようとしている可能性も、0ではない。また真実を織り交ぜた虚言は、信じられやすい。その手の意図が仕組まれてないとも限らない。
そう猜疑したその上で、エルシオンは安堵の溜息をついた。自分たちのように権力や立場などの何ものにも囚われず、それでいて魔女と敵対している者がある。魔女を信じ、それを止めんとするものがいる。その事実が心の重圧を相当に和らげてくれる一因だった。
ほう、とため息をついた。
瞬間にノックの音。それも、乱雑な。
扉を開けようとして、ぴくりと一瞬止まる。なにやら嫌な予感がした。だが開けない訳にもいくまい。
「どうしたのだ、騒がしい」
「し、失礼いたします!それが!昨夜の出来事がこちらにようやく伝わりまして…!」
伝令に遣わされた兵士が膝を曲げる。
電書魔でも無ければ、長ったらしい手紙でもない。それはつまり異常な事態を表していた。つまりは、そうしてあった。
「馬鹿な。…ダークナイト、だと?」
伝えられた内容はそう。
王都にてダークナイトが存在した。
そしてまた、それを捕らえられはしなかった。
そんな、単純な内容。単純すぎて、ぐにゃりと天井が落ちてくるようだった。
「……ふ、はは。
これで我の発言を皆も信じるようになるだろう。
魔女災害だという、戯言を。
我を狂人を見る目で眺める貴族どもも…」
「へ、陛下…如何いたしましょう」
力無く座り込みながら、芝居がかった様相で独り言を曝ける。そうしてから、歯を食いしばり、自らの頬を思い切りはたいてから凛然と立ち上がり、一息に言い切った。
「徹底的に洗い出せ。持ち物の検査を怠るな、認識阻害の面を持つ者は全て投獄しろ…いや、仮面を廃棄している可能性もある。全ての旅人、ここ数日内に来た者に採血検査をしろ!黒い血を出す者が居れば即刻殺害しろ!最優先で、だ!今すぐに全員に伝えろッ!」
「は…はっ!」
逃げるように走り去る伝令の足音を聞きながら、王は書斎を一度改めて眺めた。再びここに籠ることが出来るのは、相当先になりそうだと一人で笑って。そうしてから目を閉じて。
そして、眼を見開いた。
民草を守る決心とともに。
「既に王都に紛れ込んでいたのか。
ダークナイト…
…『魔女の尖兵』め」
…
……
「…ぷはぁ!し、死ぬかと思いました…
緊張とかなんとか、色々…」
「ン、イスティは緊張しいかな?なんにせよもう終わったんだから、リラックスリラックス」
「殆どはダルクのせいですよ!?
なんですかあの手紙も態度も!もー!」
「アハハ、どうどう」
牛の雄叫びのような不満の声を上げるグライト嬢と、それを諌めるふりをするアーストロフ少女。私はただそれを尻目に一つのことを考えていた。さっきまでの会話とも関係ない、ただ一つ。
「まったく…ドクターはどうでしたか?
と、言っても緊張はしてなかったのでしょうけど」
「ふむ、素晴らしい内容だったよ。さすがは王都の蔵書量だ、為になる本がたくさんあった」
「…はあ、なんだか私が馬鹿のようじゃないですか…」
がっくりと、肩を下げるグライト嬢。
そのコミカルな仕草に、私はマスクの下で微笑む。初めてグライト嬢と出会った時よりも、彼女の表情はとても柔らかくなったと思う。それは、この旅が作用してくれているのだろう。
「ただいま帰りました、ヴァン!
…ヴァン?」
だから、古びた宿屋に私たちがまた戻ってきた時。
店主が殺され、いる筈の少年がいない時。戦った形跡もなく、自主的に彼が付いていったのだろう、と私が彼女らに説明した時に。
私たちはまず驚いた。
ヴァンの独断専行による無謀そのものへの驚愕。
そして。
だぁん。
私が驚いたのは、イスティ・グライトの激昂にだった。机に拳を、繰り返し叩きつける姿。手から血が滲み、さびれた机は壊れた。そんなような事をしても、尚彼女にはそれらは眼に映っていないようだった。
初めて見る激昂。ラウヘルの虐殺の時も見せたものは、哀しみが色濃かった。カーディラルの村の時ですら、庇護の心と義憤。だからここで二人は初めて、グライト嬢の激昂を見た。
牙を剥き出した、ただ混じり気のない怒り。
「ヴァンは…ヴァンは!ヴァンは私の、私の騎士なのに…何故、なんであんな咎人に。なんであんな穢れた奴に…っ!なんで!」
「…なんで、私以外の誰かに付いていくのッ!?」
それを見ての、各々の反応。
ダルク・アーストロフはくつくつと、心底愉快そうに笑い。ドクター・ハイレイン。つまり私は、ただゆっくりと納得をした。何に対するそれらなのかは当人以外わからない。
「………追いましょう。
ローラウドを追い、ヴァンを奪還します」
「勿論だ。そうする事は確定事項。ローラウドの追跡はマストであり、そしてまた魔女を殺すにあたり少年の戦力は如何せん捨てがたいものだ」
そうして、私たちの荷物を探る。
まず探すのは少年の荷物。剣以外は触られた形跡もないその荷に、中にあるべきものが、ない。やはり彼は優秀だ。
「やはりな。彼はただ同行しただけではなく、私の渡した通信機を持っていっている。会話のする隙こそ無さそうだが…音による情報と、盗賊ギルドでのくだんの槍の場所を探れば彼らの居場所はわかる筈だ」
「ならばドクター。場所の特定をお願いします。即刻です。ダルクは買い出しを。次に町に寄る事がどれだけ先になるかも分かりませんから。私はその間、荷を纏めておきます。いつでも出れるように」
「…落ち着きな、イスティ」
「ッ!なぜダルクは落ち着いているのですか!?どうしてそのままで居られるのです!ダルクにとって、ヴァンは大切な人ではないのですか!」
「大事だよ?彼が居ない世界に意味はないくらい。だからその上で落ち着けって言ってるんだ」
口論を背に、発信と地図を照らし合わせて確定させていく。そしてまた、少年が送る音を聞く。
奴の持ち帰った武器の場所も。
そして、聞こえる声も。
魔女狩り教団、その場所を表していた。
「…ククー。随分と都合のいいことだ」
誰も聞かない独り言を、私はつぶやいた。やれやれ。帰省をこんなに望まないままする事になるとはな。
…
……
野宿で、不寝番をする。
王都からはかなり離れたろう。
これ以上を進みたがった猪聖女がいたが、馬がへばっていたからどうしようもなくここで休憩だ。
火を見つめて、ボクはただぼうとしていた。
その視線の隅に動く気配を感じた。
「ダルク・アーストロフ」
「よう、ドクター・ハイレイン。
随分他人行儀な呼び方だね。
いつもの洒落た呼称はどうしたんだい?」
「グライト嬢は?」
「寝てるよ。
無理矢理寝かせた、に近いけど…
あのまま動き続けたらあの子が保たない」
「そうか。感謝する」
感謝、を表しておきながら。
ハイレインの様子はまるで別なようで。
これはなんだろう。どちらかというと、警戒か。
ボクに対する、疑い?
何の?今更、数えきれないじゃあないか。
含み笑いをした。
「…随分と落ち着いてるじゃないか。
ヴァン少年は君にとって大切な者のはず。
もっともっと、取り乱すと思っていたが」
「そりゃあ知っていたからね。先に行く事と、ローラウドに付いていくことも。話はしなかったけど、彼は目で教えてくれた。ま、ボクとヴァンの友情の成せる技ってとこかな?」
くつくつ、と。また笑う。
勘違いしないでほしい。焦燥や怒りはボクだってあるんだ。だけどそれよりも、笑うのはどうしても。
「くく、はは。あの怒る様子を見るにイスティは知らなかったみたいだ。ボクには言ってあって、彼女には言っていなかった。くっくっく、悪い気分じゃあないね」
「…君は、性格が悪いな」
「おや今更?
いいよ別に。お前も最悪だろうハイレイン」
「ふむ、心外だな。私は君のように溝水を煮詰めたような性根になった記憶はないが…」
肩を大仰にすくめる姿を見て、辛うじて冗談だったと分かる。そういう所だぞ、と言って互いに軽く笑った。
ああ、なんて忌々しい事だ。
こいつと冗談を言い合う時が来るなんて。
「ローラウドは精神に異常をきたしてる。
瘴気の影響と、それ以外でもだ。
少年が酷い目に遭わされるとは思わないか?」
「あいつはそんなやわじゃないよ。それに、そうあっても怒ることはあっても責めはしない。できる理由もない。その道を選んだのはヴァンなんだし」
「…なにより、彼を一番酷い目に遭わせてるのはボクだ。だからそんな権利はないんだ」
そう言い放って、ボクはハイレインから酒を強奪した。どうせスキットルを持っていると思ったよこいつは。
蓋を開けて、ぐいと飲む。
歯が抜け落ちそうなほど辛い。
「悪酔いするから二度と、と言っていなかったかい?」
「空腹感よりマシだからさ」
ヴァンが横から居なくなっても、ただ全身を軋ませるように存在する空腹感。何をしても落ち着かなく、背中から響くように脊髄を刺激する食衝動は、まだボクの理性を食い尽くすほどではない。
「…常々思っていた事を今聞こうか、ダルク。
キミは何者だ」
「言えない」
言わない、ではなく、言えない。
それはハイレインが一度言ったことの意趣返しだ。そしてまた、この発言はまた、彼女らの会話をボクが聞いていた事を表してもいる。
そうとも、ボクは地獄耳なんだ。
「言えない、のは。信用されないからか」
「違う。ボクの正体の是無はハイレイン。きっとお前と敵対する理由となる。明かされれば、そこにあるのは殺し合いだけになる。だから言わない」
「……」
「…目下の目標は、ローラウドの討伐。それでいいじゃないか。魔女の征伐はその後でいい。利害は一致するし、ボクだってそれを誤魔化すつもりはない」
「…そうだな。目的の為の遠回りも悪くはない。
だが覚えておけ。私は絶対に魔女を殺す。
何があっても、例え相手が誰であっても、だ」
ぱち、と焚き火が爆ぜる音。
どちらもが静かになった。
火の粉が夜闇に消える始終を眺める静寂を、また崩すのはハイレイン。金属音、彼女は懐から小ぶりな銃を一つ取り出した。いつも使っているものとは別のもの。
それの銃身を持ち。
そして、ボクに差し出したのだ。
「…何のつもりだ?」
「一つだけ頼みがある。もしも、この先私が正気を失うことがあるならば。この銃で私を撃ち抜いて殺してくれないか」
「へえ?じゃあ、まさに今撃つべきかな」
そう返すも、ハイレインはただ差し出したままに微動だにしない。これは彼女のわかりにくいジョークではないようだった。何しろ、フルフェイスのマスクを被っているからわかりにくいんだ。
「…それはボクにしか出来ないことか?」
「いや。
今起床してるのが君だから丁度いいと思ってな」
「あっそ。なら受け取らないよ。
アンタの後始末をしろだなんて反吐が出る」
「そうか。残念だ」
あまり期待はしていなかったというように、銃を仕舞わんとする。その瞬間に、背後からし出した気配。ボクはそれに一つ提案をする。
「…イスティも、こっちに来ないかい?
立ちんぼだと疲れるだろう」
そう言うと、火の光が通らない闇の中からすうとイスティが姿を現す。うっすらとついた隈が、彼女のコンディションを表している。
「すみません、盗み聞きをするつもりはなかったんですが」
「隠したい内容というわけでも無いから別に構わないよ」
「…すみません」
「だから謝らなくても」
「さっきの事、です。
…取り乱して、ダルクに当たってしまった」
おや、しおらしく謝ってくるイスティ。どうやら話を聞いていたのは、ボクが酒を飲み始めたあたりくらいかららしい。それとも、優越感とマウントを曝け出したボクの発言を聞いた上でちゃんと謝っているのかな。
「…彼のことになると、冷静さを欠いてしまうんです。理性の部分では、もっと冷静にと思っているのに。このお腹の奥のほうで。彼のことを思うとどうしても…言い訳でしか、ないのですが…」
「大丈夫、大丈夫だよ。
気持ちは、すごくわかる。キミはヴァンに…」
「…いや、うん。なんにせよ。ボクは以前も言ったことだけどさ、キミとは友達のままでいたいんだ。だからそのままでいさせてくれよ。
勿論、そっちがいいなら、なんだけど」
「…!はい。私からもお願いします、ダルク!」
笑顔で手を握り合うイスティとボク。
ただ、笑顔ではあっても、彼女の顔はどうにもいつもよりも憂いを帯びている。能天気なままでは、いられなくなったのだろう。
それは、さまざまな意味で。
「……さて、ドクター・ハイレイン。貴女はどこかで、自らが狂うと懸念しているのですね」
「ああ」
「だから、そうなる前に殺して欲しいと」
「ああ」
「ならば」
がちり、とイスティは彼女の銃を取り上げた。
その様子は、日課のボクらの武器を『瘴気祓い』する時のような日常の仕草でありながら。それでいて、どこかが異なった。その動きに、ボクらが固まったのは何故だったろう。
「ならば、これは私が預かります。
それは貴女を撃ち抜くためではない」
「ただ貴女が、正しい道に戻ると信じて。
その時に、再びこれを渡すためです」
ああ。
先ほどまで、しおらしく謝っていた、ただの感情に振り回される少女だった存在は、今、目の前で何一つ予兆もなく変化をした。
予兆も合図もなく、ただシームレスに、彼女のその姿は見紛いようのないほどに神聖たるものに変わっていた。
目を擦り、実在と同一性を疑うほどに。
自らの正気とさっきまでの光景を疑うほど。
彼女は、今は『聖女』だった。
イスティ・グライトの二面は、それでいて一つ。
あどけない少女であり、そしてまた、彼女は。
歪み、拗れ始めた、聖者でもあるのだ。
懐に銃を仕舞い込んだイスティ。
だが、その神聖は長く続かなかった。
くう、と腹の音が鳴ってしまったからだ。
急に、恥ずかしそうにする少女に戻る彼女。ちょっと早すぎるけど、朝食にしようかと提案すれば、笑顔を見せてくれる。
その笑顔は、しかしやはり憂いを含んでいる。
彼女は成長した、と言うべきか。もしくは。
……
歪み、拗れ始めてしまった運命と彼女。
秘密と秘匿を、そうしきれない時も近い。
暴かれる時は、いつになるだろう。
それでも。ああ、願わくば。
ボクは彼女と友達のままでいたいと思った。
そのままでいれたらと、強く願った。
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