プレスト・フォルテ





…その後。

よる中逃げて、逃げて、走って。もうここなら大丈夫だろう、と仮面を取って剣を仕舞えるほど完全に撒くことができる頃には、もう朝日が差し始めていた。魔術のメモライズは出来ないが、今日くらいはきっと大丈夫だろうと自らに言い聞かせる。


ずっと、彼女の手を握っていた。

咄嗟に取って走ったその手は、いまだに繋がれている。気恥ずかしいようだが、そんな事を言ってる場合でもなかったから。

それに手を痛いほど握っているイスティ。

よほど、怖かったのだろう。

追われる状況も、ローラウドのその襲撃も。

きっと彼女には恐ろしかったに違いない。


だから大丈夫か、とぼうと虚な目を浮かべる彼女に声をかけたら。彼女は、ぱあ、といつも通りの太陽の笑みを浮かべて頷いた。


「はい!ヴァンがいてくれれば大丈夫です!」


ああ、とそんな笑顔を見ながら僕は再三に思う。

君を絶対に、穢してはいけない。

より一層強く、イスティを守りたいと思った。



さて。

ボロ宿屋に戻った時。

僕たちしか客がいない広間には、ダルクとハイレインが居た。部屋で寝ているかと思ったが、彼女たちは律儀に待っていたようだ。


「やあ、まさか朝帰りとはな。

随分スキャンダラスなご帰還だな、2人とも」


「首だけになって帰ってくるよりはマシだろ。

生きて帰って来たのを嬉しく思ってくれよ」


「ああ、それは勿論。

無事でいて本当に良かったよ少年」


じっと、ダルクは何も言わずにこっちを眺めている。あのお喋り好きが珍しいな、と思って見つめ返す。よく見ると、それは眺めるというよりは睨むというようなものだった。


「…で、どうだ。男女の一線は超えたのか?」


……僕にまともな血が通ってれば。

きっと耳まで真っ赤になっていたと思う。なんでかって?横にいるイスティがそうなっていたからだ。そして、そのイスティより僕はずっとずっと動揺していたから。

 

「え…え、えええ!!?」


「な゛、何言って…あ、あんた、あんたな!バカいうな!ほらだって、僕らはずっと逃げていたんだぞ!そんな暇があるわけないだろ!!」


「ククー、クク!まるで暇があったならやぶさかでないような言い方じゃないか!」


「……」


最後の沈黙は、ダルクのものによる。

イスティはただ悲鳴以降、俯くのみで何も言わないし、僕はそのハイレインの追撃に呆れて、口をぱくぱくと開閉することしか出来なかった。そうしていると、つんと鼻につく刺激臭に気がついた。

この匂いには覚えがある。というか、そうだ。

ダルクの睨むどころか、妙に据えた視線。

こいつらまさか。


「……さては…ハイレイン!あんたら酒呑んでるな!こっちが必死こいて走り回って撒いてる真っ最中に!」


「おや。いいじゃないか、自費で出した酒だ。

そこまで非難される謂れはないぞ?ひっく」


「朝から酒を飲み下すことについての倫理の問題を、なんでオレが説かなきゃいけないんだよ!あんた大人だろ!ドクターだろ!?」


寝不足に頭が痛む中大声を上げる。

それを受けて愉快そうに笑うハイレインの横で、酔いが回り切ったらしいダルクがごんと机に頭をぶつけた。

…結局、疲弊しきった僕らの休憩や酔いつぶれたダルクが起きるまでで、何が起きたかなど話し合いはかなり後の事となった…


そうして。数時間の後にようやく真面目な雰囲気になることができた。このパーティ、ひょっとしたら相当ずぼらかもしれない。



「さて。では改めて。こちらであの後何があったかを話そう。その後、そちらの話も聞かせてくれ。

情報を擦り合わせようじゃあないか」


そうして、彼女たちのあの後の話が始まった。

あのオークションに出ていた手がかりを見つけ、それを出品した者へと話を聞きに行こうとした後の話。

二人は、盗賊ギルドのオークション管理をしている者へ『非常に穏便にインタビュー』したらしい。それにより懇切丁寧に教えてくれた話によると、それを出品した者は、さっき貴方たちが一緒に居た者だ、と。それを取り返しに来たのだと思い、焦ったのだと。


案の定、その後出品者が集まる場所に行くと、そこには出品者の死体の山、山、山。その中には、腐ったジャックの死体もあった。



「……なんて、痛ましい…

それに、つまり…これもジャックさんに化けたローラウドの撒き餌であった、ということですか。そうなると今回も…収穫はなしですか…」


「いいやイスティ。今回ばかりは違うんだ。

…っつつ。ああもう、酒なんて二度と呑むか」


得意げに言いかけながら、頭を怠そうに叩くダルク。

いつもの半分ほど、口数が少ない気がする。

これくらいでまあちょうどいいかもしれない。


「イスティを釣る為に餌を急造して、焦ったんだろう。今回の奴の瘴気はボクかイスティなら辿れるようなものだった。なんというか、鮮度が良すぎたからね。だからそれを恐れたローラウドはあの槍を回収したんだけども…」


「それを読み切った私が。発信機を付けた、というわけだ。ククー、こうまで上手く行くとは思わなかったがな」


成る程、確かにあの場で衛兵が来た時。

何故そのまま暴れず逃げたのか疑問だった。あの人…いいや、奴の実力なら皆殺しにするくらいは簡単だろうに。奴の作った自作自演の餌を持ち帰る為に、それを優先したのだろう。


「うーん…さすが、二人!

私はお二人頭脳チームの賢しさに感嘆するばかりです」


「…チームってボクとハイレイン?

ゲェ、ひとまとめにされるの嫌だなぁ」



そうして、僕らが話す番になった。

と言っても、起こった事自体は大したことじゃない。

ただ奴と交戦して逃してしまったというだけ。


だから、一つ。

言うべきである事実。分かってしまった事実を話す。

ローラウドの。ロウ、姉さんのことを。


「ッ…!」


「きゃあっ!?」


鴉じみたマスクが揺らぐ。

その急激に、イスティが悲鳴をあげる。

ドクターは急激に僕の胸ぐらを掴み腕を上げ後ろに引いた。拳をぎちぎちと音が立たんほどに握りしめて。


と、思えば。

ハイレインはそのまま自らの頬をその手で叩いて、そのまままた着席した。何かをぶつぶつと呟いてから、ため息をついて。


「…ふう、まだ少し残っていた酔いがあっという間に冷めたよ。礼を言うぞヴァン少年」


「…どういたしまして。いいのか、殴らなくて」


「それをしてもただの八つ当たりにしかならん。…し、今もし君を殴ろうものなら、私はアーストロフ嬢に殺されてた」


ぞっと、ダルクを見た。

さっきまでの怠そうな顔はどこへやら、恐ろしい目をしながらハイレインの脊髄にナイフを突きつけていた。恐ろしい目とは、殺意や憎悪の有無ではない。ただ何の感情も表さずそれをしているという事だった。


「あはは、冗談だよ。

だからそんな目で見ないでよ皆」


さっきまでとは変わって。

すっかり冷めきってしまった雰囲気。

それを変えようと、イスティが口を開く。


「に、しても!

ヴァンのお姉さんというのは本当なのですか?

私にはどうにもまだ、信じがたいというか」


「少年がローラウドの弟?

そんなこと、あり得る筈がない。

だってその…年齢計算が合わん」


「へえ…ヴァンのお姉さん?

ボクそれ、初耳だなあ」



ぴくり、と。

イスティの発言に呼応するようにして出た二人の発言。

僕にとって、気になる発言が二つ出た。

それを問いただそうとした、瞬間の事だ。


『伝令、伝令!

ワレ勅命ナリ、勅命ナリ!』


「ひゃあっ!?

…な、なんだか私さっきから驚いてばかりな気がします」


「いや、オレも驚いたよ…勅命ってことは、まさかもう謁見が許されたのか!?」


扉から入って来て、伝書魔は内容を伝えてからそのまま溶けて消えていく。内容はつまり、僕らに謁見が許された為直ちに姿を現せということであった。


「…え、ええと…」


「お、説明が欲しげだねグライト嬢。

王都では手紙の代わりに伝書屋がいてね。魔力と客の血、もしくは送って欲しいと願った者の血を使って使い魔を作り出して確実に相手に伝える事が可能なのさ。王家にはお抱えの者もいて、今のはそれだ」


「なるほど。

ははあ…この世には色んな人がいるものですね」


「ふふ、なんだかじじむさいよイスティ、それ」


「な!せめて『じじ』はないでしょう!

私は女の子なんですよ!」


再び暖かくなった雰囲気を見て、ほっとする。僕の中にあった疑問も、それを見ているとまた後でで良いかと、後回しになってしまう。

そうして、皆で謁見の準備をしている最中。

僕はぴたりと手を止めた。

目を閉じて、暫く考えてから。言った。


「…いや。僕は…オレだけは行かないほうがいいかもしれない。昨日、衛兵に見られたんだ。認識阻害の仮面はちゃんと付けてたけど…少しでも怪しいと思われたら、危ない」


そう言って、ダルクに目配せをする。

あいつはただそれだけで分かってくれる。

そっと片目を閉じて了承を表している。


「ふーん…まあそれもそうか。もし処刑言い渡されたらみんなで急いで逃げるし、荷物も纏めておいてくれよ、ヴァン」


「はは。そん時はお前が囮になって二人は逃がせよ?」


「はぁー!?イスティはともかくなんでハイレインもなんだよ!ていうかこいつなら溝鼠よりしぶとく生き残れるだろ!」


「む。鼠はどちらかというと繁殖力が強いわけであって適応力や単体の生存能力に秀でてはいないぞ。それを言うならばどちらかというと虫の一種の…」


「そういう話じゃないと思いますよドクター…」


ぎゃーすか言いながら、三人はそのまま謁見に出ていく。最後に、イスティが僕の手をもう一度ぐっと強く握って名残惜し気にしていたことは、嬉しかった。ただ握る力の強さは加減してもらいたかったけど。


「では、行ってきますね?

ゆっくり休んでてください、ヴァン!」


「ああ、いってらっしゃい!


……」



…僕が、謁見に行かない方がいいかもしれないというのは口実だ。実際、それはあるかもしれない。

だがそんなことは言い訳で、今ここに来ているこの足音と、あからさまに僕だけに教えるこの音を聞き取っていたからだ。



こつ、ぎい。

古びた木の床を鳴らす音。

その音を鳴らすは、高慢そうな女性。

僕が会いたくて、会いたくなかった人。


ふう、と息を吐いた。



「…いらっしゃい。

ずいぶん早い再開になったね。ロウ姉さん」


「うん。昨日ぶりだな。

…さて折角の再会だ。

茶菓子でも出してくれ、私の可愛い弟よ」







……




こうして私たち三人はそうして王城へと歩を進めました。

中の光景は、また挙動不審になるほど素晴らしいもの!城の中庭には真っ白な石が敷かれて、庭木や灌木が綺麗に並びたつ。何より、天井の高いこと高いこと!

ヴァンが来てくれなかったのは本当に残念だけど、その分良い結果を持ってこないと、と改めて気を引き締めないと遊覧気分でどこかに飛んでいきそうでした。


そんな風にしていると。ふと、案内をしてくださった方が玉座とは別の方面に案内をしている事に気づきました。ただ、聞くこともできずに執事の方に付いていく。そうして着いた先は…


「…ん。く、ああああ。

いや、書斎で失礼。それと不恰好を見せたな」


そこには、本を目隠し代わりに眠る男の方。20代後半か、ちょうど30にさしかかったくらいの方というほどでしょうか。

最初に見た感想としては、思ったよりもお若い方なんだな、ということでした。普通のシャツと書斎という場所も相まって、とてもそう高貴な方には見えない。だけれど、目の前にいるのは紛れもなく。


「まずは自己紹介をしようか。

わたしはエルシオン・グラントーサ。

一応はこの国の王をしている」



ばっと、膝をつく横の二人。私もそれに合わせてさっと膝を付きました。脚の方向が間違ってないかしらと不安になりながら!


「ああ、いや…これでは書斎に呼んだ意味がない。気軽に話したいと思ったんだ。膝を付かないでくれていい。皆、そこの椅子に座ってくれ」


「は、しかし…」


「なら国王命令だ、皆で座りたまえ」


そう言われれば、私たちに断る事ができるはずがありません。私は出来るだけ敏捷に椅子に座りました。

ダルクとドクターの二人は、いつもの調子。

礼儀は損ねない程度に、それでも緊張もなく動きをしている。二人を見習いたいな、と思った。そう纏めたらまたダルクは怒るだろうか。


「さて、まずは単刀直入に。

我への手紙を書いたのはこの中の誰だ」


「わたしであります、国王陛下」


一人称を変えて答えるのはダルク。そういえば、謁見を望む手紙を書いたのはダルクだったっけ。その顔は、いたずらっ子のような笑顔に満ちていて、私は何やらそれにぞっとしました。


「ダルク・アーストロフとは君か。

ふふ、我は驚いたよ。

『私達の謁見を一週間の中に行え。さもなければ一生を後悔に苛まれることとなるだろう』…国王に脅しをかける者がいるとは」


「なっ…だ、ダルク!?なんてことを!」


「いいじゃない。結果こうやってしていただいてるんだし」


「さて、では親愛なるダルクよ。

聴かなければ後悔するような内容とはなんだ。怨言か、はたまた財宝の在り家か。満足させなければ首を刎ねてしまうぞ」


ああ。陛下は多分冗談のつもりで言ったであろうそれが私にはまるで冗談として通用してない!

そっと、首の辺りが冷たくなるような錯覚に囚われていくようで、助けを求めるようにドクター・ハイレインの方を見ました。彼女はなんと書斎の本を勝手に読んでいました。

…さっき思った、二人を見習いたい、というのは取り消すことにします。


「ええ。陛下に於きましても史料官が好むような美麗な長い修飾は聞き飽きている事でしょうし、結論から。

ラウヘルが滅びました」


「何?」


「私とこちらにいる『瘴気祓い』のイスティ・グライト。それだけを残しラウヘルの防魔前線基地は全滅です。皆、魔物に喰われました」



冷たい、沈黙。

まるで私だけがそれを浴びてるように、ただ私だけがだらだらと冷や汗を掻いて、目を瞑りました。ヴァンは荷物を纏めておいてくれてるでしょうか…なんて無意味な現実逃避をしながら。



「…それなら長い方がマシだったな、畜生ッ!

どうなってやがるんだ、貴様は!」


基本は温厚な、方なのでしょう。

聞いた話も、王都の治世の全てからも陛下が人格者であることを教えてくれる。それでも激昂する程の内容。

それほど、ラウヘルはアルター防護の最前線であったのだ。



「〜〜〜っ!…クソ、すまない。これはただの八つ当たりであるとわかっている。だがこちらも忙しいんだ。ああ、忙しすぎる!妙な魔物の群生の発見に現実の見えないレジスタンス共の反乱、おまけに怪しげな宗教団体の台頭!何がいい加減に王政を明け渡せだ!いい加減にしてほしいのは我だ!」


がしゃあん、と本棚を殴るエルシオン様。そうしてから痛そうに拳をさすり、その手でまた頭を掻きむしる。明らかに暴力や八つ当たりに慣れていないその様子は、どちらかというと傷ましさを感じた。


「なぜ、なぜ滅びた!

どういう理由があった!」


「魔女災害です」


「ま、じょ?」


…止めるのが、間に合わなかった。

ああ、それはまずい。

ただでさえ、怒っている人間が。何故滅びた?と聞かれて全部魔女がやりましたと言う人間を見たらどう思うだろうか。



「はは、はははは。

そんな冗談が通ると思うか」


「じょ…冗談ではないのです!エルシオンさま!」


だけど、私もそう反射で言ってしまった。

魔女災害が冗談ではない。そうだと、まるで被害に遭った方たちまで否定されるようで、私にはどうしても納得できなかった。苦しんだ人たちの、それすら否定されるなんて許せないと。思ってしまって。


「…魔女災害は、魔女は存在します。

私達はそれを見てきました!それを止めようとしてきました!それを言う機会を与えてください!私、イスティ・グライトは、せ…」



ぐ、と怖気付いて喉がつまる。

瞬間に脳裏に浮かんだのは、私の騎士。

彼は、私のその道のりを肯定してくれた。

それを裏切るわけにはいかない。



「…聖女見習いとして!希望します!

魔女を斃すべく、戦うべきなのです!」



再び、暫くの沈黙。

その後に、響く声。



「……ああ、そうか。

つまり君らはそれを本気で言ってるのだな?

国王を侮辱したものは一族郎党首を落とされることを知った上でそのようなことを言っていると、いうわけだな?まさか…」


ああ、やってしまった。

完全に、取り返しがつかない。

ただそれでも、言いたいことは言った。

だから私にはもう悔いはない、と目を瞑る…


「…まさか、まさかだよ。」



だから、その後に向けられた言葉は。

予想のどれからも遠いもので。



「まさかこんなところで。

私と危惧を共にする者と出会うとはな」


「え?」


「君たちは、真に魔女を信じているか。各地のそれらが、魔女によるものだと確信しているのか!」


「え、ええ。はい!」


「…よかった…

私は間違っていなかった。

何度、自分が狂ったのかと思った事よ。

幾度嘲りを向けられたものか」


唖然。

口を上げて素っ頓狂な顔をしてるだろう私。

ただダルクはこうなるとわかっていたように、悪戯っぽい微笑みを絶やさず。そしてまたハイレインは読破して本を置いた所でした。


「ダルクよ。君の言う通りだな。これを逃したら生涯後悔する所だった。私は、無二の理解者たちと出会う事がなくなっていた」


「陛下のお力となれる事、恐悦至極と存じます」


時間を置いて、ようやく理解が追いついてくる。そして、次に喜びが。なんということだろう。才に溢れた方、眉目秀麗にして才色兼備と誉めそやされる村民の評価は嘘ではなかったのだ。


この国の王は、正しく、そして一人で。魔女の被害と気付き、それに悩み戦い続けてきたのだ。

そう、魔女被害と思われる各地の事件を個人で書き記したものを、書斎の奥から取り出したエルシオン様の姿を見て、私は確信した!


この人は、味方だ!






……




「…なるほど。ローラウドという者が…クソッ、更にややこしいな。我が一人で調べる事ができるものにおいては特に限りがあるというのに…

…おっと、さっきもだが、『クソ』という言葉を使ったのはここだけの話にしておいてくれ。爺やに聞かれると話が長いんだ」


「では、代わりに。

一つ是非聴きたい事がございます」


「おや、ハイレインくんだったかな、きみは」


「ドクター、と。名前の前に付けて下さい。

王と言えども譲れません故に」



ボクはそれを聞いてギョッと、驚愕で笑いかける。

どれだけ図太いんだこいつは。エルシオンも一瞬眉を顰めたが、その後含み笑いをしてから、敬称を付けて呼び直した。


「魔女災害は起きている。それは確かです。ローラウドが撒き散らす瘴気も、奴が生み出しているわけではなく存在するのものを各地にばら撒いてるにすぎないのですから。で、あるのに。そうにしては被害少なすぎる。魔女が本当に降臨しているならば、今頃この大陸は焦土となっていてもおかしくない筈…

これを、陛下においてはどのように思われますか」


「ああ、君は確かあの教団の…通りで詳しいわけだ。そしてそれについては、うん。我も考えて一つ仮説を立てていてな。各地で被害がでている事から違うだろうと却下した仮説だったのだが…ローラウドという狂人の存在を知ってまたその説が有力になってきた」


「と、申しますと」


「魔女は、今は行動を収めて潜伏してるのだと思われる。何かしらで眠らなくてはならないほどの傷を負って、休眠しているということだ」


これは、驚いた。

この王様は本当に賢いらしい。

ノーヒントで、そんなところまで辿り着くとは。

ボクも、それに些かびっくりだ。


「休眠…ですか?それは、そんな、簡単に出来ることなのでしょうか?だって、その…魔女が眠るところなど、見つけられてそのまま退治されてしまうのでは…」


「そう、それだイスティくん。

だからつまり、魔女には記憶を改竄する力があるのだと我は考える。『ずっと昔から友人だった』とか、『肉親であった』こと、『誰かと親しかった』という、偽りの記憶を植え付けることができるのだと」


「あ!それは…童話の魔女の描写、ですね。

人心を惑わし、記憶を変えて移り住む…」



なるほど。童話に書いてあったことを根拠とするのはちょっと頼りないけど。元々魔女がよほど物好きな教団くらいしかまともに調べやしないものだから仕方ないと言えるだろう。

なんにせよ、結果的に正解なんだし。


「そしてそれも、休眠する前の最後っ屁。それこそ、一人や二人などの少数に、そして一度きりの改竄だ」


「それをされたものをローラウドは庇っているのかもしれない。その為に、わざわざ自らが注目されるようにしているのだとしたら」


「…ク。さすがに、突拍子もないと言わざるを得ません」


「言うな、ハイレインくん。

私も誇大妄想ではないかと常々思っている」



帰り際のこと。

エルシオンは言う。



「君たちが魔女を征伐することを祈る。

そしてその暁には…ああ、イスティくん。

きみを聖女として推薦しよう。

ただの口約束故、信頼ができぬだろうが」


「〜〜〜ッ!いえ、十分です!

このイスティ、粉骨砕身の覚悟で粉砕します!」


「…粉砕をしてしまったら駄目ではないか」



そうして書斎をボクらは後にした。

聖女、魔女。

馬鹿馬鹿しい、と背を向け、見えないように嘲った。







……




「驚いたよ。

こうも正面からくるものだとは思わなかった」


「私もお前がいなかったら来ようとは思わなかったよ。…ヴァン、この菓子しけっているぞ。もっと良いのはないの?」


「それが一番いいやつだよ。我慢して」


つまらなさそうに茶菓子を腹に収めていく、ローラウド。その舌は、恐ろしいほどに黒い。瘴気にまみれたものの、狂ったものの証座。僕はそれに目を閉じて、さっき手に取った剣を握った。


「どっちで呼んだ方がいい」


「どちらでもいい。今のお前が私を敵のローラウドと見做したいのならば、そうあればいい。私をお前の姉だと思いたいのならかくあればいい。私が強制することは無いよ」


「…ロウ姉さん」


僕は、それを選んだ。

それ以外を選ぶことが出来なかった。この状況がそれを選ばせたのか、ずっと探していた彼女との関係が、それ以外の選択を許さなかったのか。


「本当に、姉さんなんだよね」


「お前がヴァンならそうだ。

私は、可愛い弟と暮らした一人の姉だ」



やはり、間違いでもなければ過ちでもない。

目の前の不倶戴天の敵は。

鬼のように人を殺したこの外道は。

僕と暮らした、人を見下しがちで高慢で。それでいて、矛盾したように優しくて懐の広い、姉だったのだ。

なんで、こんなことに。

なんで僕の前から姿を消したのか。

あなたは何者なのか。

聞きたいことはいくらでもあった。

だけど聴かなければいかないことから、聞く。



「何を、しにきた?

他の3人が居なくなるのを、待っていたな?」


「何をしにきたか、と聴かれたらこうさ。

私はお前を勧誘しにきたんだ」


「ヴァン。お姉ちゃんと一緒に来て」


ずくり、と感傷と過去が心臓で暴れた。

引き裂かれるような痛みを抑える。



「…やはり狂ってるんだな。そんな取引に応じるわけないなんて、そんな簡単なことすらわからなくなってるなんて」


「ふう。まだ気づかないのか、ヴァン。

やっぱりお前は、頭が悪いな。

そこが、可愛いんだけど」


「魔女は、私などではない。

それでいて、お前のすぐ近くにいるじゃないか。

私はお前を、魔女から引き離しに来たんだ」



魔女が、誰だって?

僕の近くにいる。

そして、それから引き離しに来た、だって?

そんなの、まるで。

まるで、今ここにいない3人が。3人の誰かが。



「ふふ。『それ』の先を知りたければ…

私と一緒に来てくれ。

そう言ったら、お前はどうする?」


「…僕、は…」


嘘だ、とわかっている。

否。そう思おうとしている。

嘘なのではないかと疑っている。であるのに、心のどこかでそれを真と思う心がある。


怖い。

僕は、この身体になってから初めて恐怖を感じた。それは目の前のロウ姉さんに向けた即物的な恐怖というよりは。

3人のうちの誰かが、魔女だと言われたら。そしてそれが狂人の戯言ではなく、真実としたら。

僕はどうするべきなのだろう。

どう、感じるのだろう。

それが、何よりも怖かった。


だけど、それから逃げるわけにはいかない。

魔女を突き止めるのは、それでも必要だ。

何故なら。


(…私は、聖女になります!)


脳裏に、君の姿が浮かぶ。

僕は君の騎士になったのだから。

だから、それの為に、止まることは許されない。

自分で、自分を許す事ができない。


だから、目を閉じて、決心した。



「…僕は、卑怯者だ。

ついていくにあたって、策を講じている。当然、ロウ姉さんに不利益になるような事を、だ。それでもいいのか?」


「不出来な弟の悪戯くらい、許すよ」


「…なら、行こう。

僕はあんたについていく」


「そうか。

ヴァンはお姉ちゃん子だもんな」


「……うん。本当に、そうだね」



…ちきり、と背嚢に通信機を忍ばせる。

これが気づかれることも時間の問題か。

だが少しでも彼女たちと連絡を取る事はできる。


この先、どうなるだろうか。

僕にはまだわからない。わかる由もない。

だけど、だけれども。選択をした。

故にこそ、選択を一つした。



僕は、ローラウドの誘いにまんまと乗った。

毒を呑み、皿に残る物はなんだろう。

それは全てを嚥下した者にしかわからない。



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