淡き正体を暴きて
純朴な少女と、それを護る少年の話。
微笑ましく、見てる者にほころびを思わせるような物語。きっと彼らを見た者は、英雄的で優しい姿を思い浮かべる。
それは、ひどい勘違いだ。これは純朴な聖女見習いと、それを護る嫌われ者の騎士の、心温まる旅路などではない。
それは、それらの正体はもっと、もっと…
…
……
ぎん、ぎ、ぎり。
おんぼろのランタン光のみが光源という暗闇、そして閉所。その中でただ重い金属音と、鈍い火花の色が五感を刺激する。暗順応した目でようやく少し見えてくる彼らの戦いは壮絶なものでした。
ヴァンはよく、自分をこけおどしだ、さほどでもないと卑下する。だけど、彼の自意識と周囲の評価は乖離している。
ローラウドは、身体を自在に変形させる。どのようにも変わり、単体と戦ってる気すらしなくなるほど。それを凌ぎ続ける剣の腕前。それに、魔術の使用。彼は強い。それも相当に。
「ぐっ…!」
だがしかし、ローラウドがそれを上回る。
ヴァンを相手にして、黒い血を何やら危険と見做すやすぐに身体を細く、固く、そして突き刺すよりも打撲するように変形させて私たちを攻撃していく。ダークナイトというそのものについて既に知っていたのもしれない。
二体一と思い、慢心した訳ではない。だがきっと、奴にとっては複数戦こそが得意なものであるのでしょう。きっと、これまでも。暗躍していることに気づいたものを、こうやって殺めたのだと。
ぐっと、唇を噛んだ。
この人は、こいつはどれだけの数を殺めたのだろう。
紋章持ちも、奴が呼んだと聞いた。
そうする為に、どれだけの人を食わせた?
ぎり、とメイスを握る手に力が入る。
「ふん…不可解だな。ダークナイト。お前はそこそこ強い。だけど紋章獣を一人で倒せるようなものでは、断じて無い」
「無駄口を叩いている場合かよ、外道!」
「なあに、どうせ死ぬんだ。最期くらい天才の私の考察を聞いていけ。手加減しているわけでもなければ、実力が足りなすぎる…となると…あの時、『呪いの巫女』まで近くにいたのか?あの場に?考えづらいが、それしか無さそうだ。違うか?」
私には、内容はよくわからない独白。
ただしかし、それで少し期待した奴の集中力の欠乏は無かった。攻撃は一層、苛烈なまま。精彩を欠き始めたヴァンの防御をすり抜けて、私の方に攻撃がいくつか飛んでくる。
「どうやらその外耳と…五感のいずれかを捧げたか。その程度の犠牲で紋章獣を狩るとなると依然として恐ろしいことは変わらないな」
黒い舌をべらべらと動かし思考をまとめる余裕の面。少しだけ、恐ろしい内容が聞こえたけれど、それに集中力を割かれてはいけない。必死に、気づかないフリをした。
「きゃあっ!」
「イスティ!クソッ…!」
「はあはは、どうした騎士さま。
そこの贋作を守るんじゃないのか?」
びしり、とローラウドの変形した小槌が私の脚を打って、跪く。骨こそ無事そうだけれど、単なる打撲としてそれは強烈。
にったりと嬉しそうに私を見下すローラウド。
それを見て、私達は。
心の中で、会心の笑みを浮かべた。
「…あんた、オレの知り合いに似てるよ。きっと賢いんだろう。状況を読み取る力も、そうしながらオレたちを圧倒する実力も、増やした手足を平然と操る化け物じみた処理能力も、凄いと思う」
「なんだ?小僧。命乞いか」
「テメェがしな」
「『捕らえ』て、免罪の蝶ッ!」
「!」
刹那、私の服の下から現れた大量の光の蝶がローラウドを襲う。反応は早く、更にもう数本の手足を出さんとした。
だがその動きを、ヴァンが影に剣を刺して止める。
影を操り動きを止める、シャドウの魔術。
さっきまでは、暗闇で無かった影。それは今、私が発生させた蝶が光源になって出来上がらせていた。
「…ほんと、あんた、オレの知り合いに似てるよ。
自分がなまじ賢いから、すぐに他を見下す。慢心しすぎなんだ。イスティを偽物と見下して、オレに守られるだけの存在と思って、服に隠して蝶を生成してるなんて考えなかっただろう」
私の蝶はローラウドに纏わり、形を変えて巨大な錠の形になって彼を路地裏の壁に縫い止めた。シャドウの魔術と、光の鎖。その二つは完全に奴を封じ込めた。
「……ッ、動かないでッ!
貴方を、衛兵に突き出します!
然るべき罰を、受けてください!」
気づけばそう叫んでいた。
メイスを突きつけて、息も荒くそう宣う。息切れの由来が、蝶を産み出した故の疲労なのか、怒りなのかは自分でもわかりません。
ただ、驚いたようにこちらを振り向いたヴァンの仮面の顔が、いつもより無機質に見えました。
光で照らしたローラウドの姿は、目を逸らしたくなるほど醜い。性別も何の生物なのかもわからないほどに身体をぐにょぐにょに展延した姿は、まるで存在してはならない存在。悪魔のようで。
そしてまた、そんな顔でも。
余裕綽々に不気味に微笑んでいるのが、嫌だった。
「はあ、はははは!
これはこれは、突き出すと来たか。
面白いなあ、贋作。お前は本当にそうできると思っているのか?わたしを捕らえようと、鉄の錠を付けるか?鋼の錘を付けるか?そこから抜け出せないと思うのか?本当に?」
どきり、と息を呑む。
それは、無理だろう。今でも、聖力と魔力の二重の雁字搦めでようやく動けないようにしているだけ。引き渡しても、その先でこいつは殺戮を繰り返す、だけでしょう。
「違うね。『聖女さま』。
お前は言い訳をしてるだけだ」
「殺したいんだろう?おれを。
頭を潰したいんだろう?私を。本当はその槌を、ぼくに振り下ろして振り下ろして、ぐちゃぐちゃにしたくてたまらないんだろう?」
「〜〜ッ…!黙れ!私はッ!」
「下がっていてくれ、イスティ。
これ以上、君がこんなのと話す必要はない」
そっと、横で聞いていた私の騎士が手を差し伸べる。何も、言い返さなかったわけではない。何も私は言い返せなくて。
ただ、ヴァンの言う通りに後ろに下がった。この感情は、私の身勝手な怒りからくる殺意なのか。それを否定するのすら、できなくて。
「もう少し早く下がらせてやりな、小僧。
でないと、いつかお前のお姫さまが誑かされるぞ」
返答はせず。
ヴァンは粛々と自らの手首を深く斬りました。
そこからはぼだぼだと黒い血が流れ落ちる。
「…ふん…おぞましいな。
ダークナイトなんて死に絶えたと思ってたよ。
だが巫女も騎士もまだ居たなんてな。まったく、私よりもよほどよほど、災厄を呼び込む存在だ」
「ずいぶん詳しいみたいだな。
ならこれから、何をされるかもわかるだろ」
初めて、ローラウドが表情を変える。それは恐怖というよりは嫌悪感に近い表情だったけれど、それはどちらにせよ、ヴァンのやろうとしている何かに、対策が無いと言うことを表していた。
「イスティ。君に今からやることはできたら見せたくない。先に、ダルクたちの方に行って──」
「はあははは!違うなあ『聖女さま』?
お前はもっと穢れている。周りのだれもが認めないし、お前自身が認識できてないほどに、ずっとずっとな!」
「……最期に聞いておきたい。
なんであんたはそこまでイスティを狙う?
彼女がお前に、何かしたか!」
隠し切れない怒声と血の流れた腕をローラウドにつきつけて、ヴァンはそう脅すように言った。嫌悪を更に強くして。それでもローラウドは冷笑した。そうしてゆっくりと口を開く。
「何かしたか、と聞かれてもな。
なあに。安心しな?貴様自身は悪くないよ。
そう、あんたは悪くない。だから─」
「「だから、神さまのせいにしな」」
まったく同じ言葉の、重なり。
その声は予想だにしない所から来たものでした。
ローラウドが口にしたその芝居がかった台詞。
それに重なる声は、誰か第三者が来た訳ではない。
ヴァンが、口走ったのです。
それは、誰にとっても予想外で。
私も、ローラウドも。
そして、ヴァン自身もまた、狼狽をしていた。
「…は…?」
「…なんで…それをあんたが言う。
なんで、その口癖をあんたが口走る。
確かに知り合いに、あの人に似てるとは思った。だけど、そんなわけあるはずが無いだろ。無い、はずなのに……」
ヴァンは、そう震えていた。
震えて独りごちて、仮面を取った。彼が、何よりも優先して付けているそれを。彼の顔には、驚愕と恐れが隠し様がなく表れていて。
そして黒い涙が、頬を伝っていた。
「…ロウ、姉さん…?」
ローラウドが、動きを止めた。
身じろぎ一つしなくなり、認識阻害の仮面を外したヴァンの顔を穴が空くほどに見つめる。からり、とヴァンの剣が影から引き抜かれる音。話しているうちにあれを外す工作をしていたのだろう。
だけれど、そうしてシャドウの呪縛から解き放たれ動けるようになっても、ローラウドが逃げる事も危害を向けることも、なかった。
「…なぜ…その呼び方を知ってる?
違う。なんで今それを呼んだ。
その、呼び方をするのなんて……」
ぐにり、と姿が、変わる。光の鎖のその中で、化け物の姿が人に戻っていく。初めて見た時の髭が生えた男性の姿でもない。翼を生やした姿でも、ジャックさんの姿でもない。
それは一人の女性の姿。
妙齢の、ドクター・ハイレインに似たような姿をした、ブロンドの髪。神経質そうな、鋭利で聡明そうな顔。今や困惑に満ちた、顔。
「…なんだ、なんだよ、そんな姿…
…ヴァン?ヴァンなの、か?
まさかそんな…」
「なんで…こんな、こんな姿になった。
なんで、ダークナイトなんぞに。
どうしてそんなおぞましい姿になってる!?
どうして、どうしてこんな事になるッ!?
ふざけるな、ふざけるな畜生、畜生!」
初めて。
ローラウドの、黒い舌が悪辣と冷笑以外の感情を口から出した。それは怨嗟と怒り。そして、間違いなくあるもの。
思いやりと、優しさだった。
「…いや、なんでもいい。ヴァン。お前が生きてるなら、なんだっていいんだ。無事と言うべきかわからない。けど、それでいい。そうだ、父さんや母さんは。ダルクは元気か?お前の友達の」
声を震わせながら優しく話しかけるローラウド。
たじ、たじと手を引いて、後退りするヴァン。
その顔には、未知、不安。それら全て。
それに由来する、恐怖があった。
「母さんたちは…うん、元気、だよ。
ロウ姉さんは、そんな、なんでこんなことを…
いや違う、なんでそんな、姿に…?」
その、よろめき惑わされる様子。
ふらふらと見たことがないほどに動揺する姿。
何にも、どんな苦境にもへこたれない、ダークナイトのそんな姿。初めて見る彼の憔悴しきった顔。
私はそれらに。
無性に、腹が立った。
「…そうだ、ヴァン。
あの時みたいに、私と、私たちと一緒に─」
光の拘束を抜けて、伸ばす腕。
ヴァンはびくりと震えてから、その手を取った。
ゆっくりと、畏むように優しく…
べき。
「…ぐッ!」
気付けば私はローラウドの腕にメイスを振り下ろしていた。小枝を踏むような音が、腕から響いた。一度ならず、二度、三度。こいつが、この女が腕を引くまで何度も。
暫くして、メイスを引いた。
呼吸は、自分でも不思議なほど落ち着いていた。
「ヴァン。こんな痴れ者に騙されてはいけません。惑わされてはいけません。貴方がこんな穢らわしい者と血縁者であることなどあり得ない。こんな罪人と関わりがあることそのものが、大嘘です。動揺させる為の、騙す為のものでない筈がない」
「それに、何より…ヴァン。貴方は私の騎士です。
私の、騎士であると誓ったはずです。
ならば私を害する者は、倒さなくてはならない。
そうでは、ないですか?」
そんな言葉が、私の口から出たことに驚いた。
それでも言わずにはいられない。
思った感情は抑え込んで閉じ込めた。お腹がくるりと痛くなるほどに抑えて、抑え込んで。
それでも、口からまろび出たのがこれだった。
「……そうだ。そうだったな。
ありがとう、イスティ」
ああ、仮面を外しているからこそ、わかる。
彼はきっと、彼に浮かんだ迷いを断つために私がこのような、らしくないことを言ったのだと思っているのだと。
だけれど違う。ただ私は、ぐるりと蠢く。私の腹部から迸る何かの初めての感情に、振り回されているだけなのだと。
「邪魔を……」
「……するなこの失敗作の!
存在そのものが、聖女様の冒涜の!
腐れ蛆虫の偽物如きがァッ!!」
ローラウドの考えていることの全てが理解できなかった。だが、今のこの怒りだけはわかる。それは、自らを邪魔するものへの根源的な怒り。ただ、誰かといることを脅かされた時の、虚栄にも似た激怒。仮面を付け直したヴァンから、視線を逸らしてはいないことから一層、理解できる。
「おい何の騒ぎだ!?私闘は禁止されて…
…ひぃっ…だ…」
「ダークナイトだ!?ダークナイトがいるッ!
誰か来てくれ!報告と…いや殺せ!今すぐ!
誰か早く来い!頼む、頼む!」
「!」
その、大音声に惹かれてか。一人の衛兵が来ました。そしてその上でその衛兵が目を付けたのは、光に縫い止められたローラウドでもなければ、へし折った腕の返り血を浴びた私でもない。
ただ、仮面を危なく付け直した、彼を見て。
遠目にただ見るだけで。
ダークナイトを、駆除の対象と認定した。
そう逃げるように報告をしにいった衛兵を見て、ヴァンは仮面の下でくぐもった舌打ちをした。
「…くそ、まずいな。逃げるぞイスティ」
「えっ、でも!」
「ロウ…いや、ローラウドなら逃げた!
あいつが、オレが知っている人なら、羽どころじゃなく、鼠にでも変身することができる筈だ!だからもう、追えない!」
はっと、視線をさっきまで罪人を縫い止めていた場所に向ける。そこには本当に、誰もいなかった。奴は一瞬、ただの一瞬衛兵に視線を持っていかれた間に、こそこそと逃げおおせたのでしょう。
そして、そんな事を忘れるほどに。私は走り出すあなたに取られた手を、温かく感じました。私の手に伝わる、体温。
ヴァンには普通の血が流れていない。
故に体温はないはずだ。
だから、その手の温度は。
さっき握ったローラウドから伝わったものだ。
そう思うと、私には彼もそのまま穢れてしまったような気がしてならなかった。私は、彼の手をさらに強く握った。
私の憧憬に。
私を守ってくれる最高の騎士に。
私が■■いたいあなたに。
こびりついた汚れを、落とすように。
薄汚いわたしたちの敵の残滓が残らないように。
…
……
私は、あのローラウドを穢れた存在だと思った。
どうにも、払拭出来ないほどに、怒りを抱いた。
それとの関係を全て否定したかった。
そして何よりも。
私以外に。よりにもよって、そんな存在に。
ふらりと惹かれる姿に、歯が軋んだのです。
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