故に貴方は恐れられ
『や、少年』
『…今度は何の用だ、ハイレイン。
というか普通あんな不穏な別れ方した翌日に来るか?
どういう神経をしてるんだ、あんた」
『いやすまないね、色々と忘れてたことがあって。
まずは、これを渡しておく』
『これは…通信機?
こんな貴重なものを持ってたのかあんた…
いや、そうじゃない。なんでオレに」
『…後出しに、なるようだがね。魔女の容態は幼稚だというプロファイリングは変わらず、だが。私は…ここの村の惨劇自体は、魔女の仕業でないのではと考えている』
『…!?ここまでの仕業が、か?』
『ここに来て調べて、その疑念はより深まり。
そしてまたおそらく。黒幕の正体も知っている』
『それは誰だ?今言え!今から殺しに…』
『いいや。それは、私一人で行く。迂闊だぞ?もし私がそいつと共犯で、君を各個亡き者にしようとしている痴れ者ならばどうするんだ』
『…だが…』
『その通信機に合図を送る。だからそれと共に、村を、グライト嬢を守れ。それがそいつの、黒幕の鼻を明かす最良の手段だ。
勿論、信じるも信じないも君次第だがな、少年』
『俺は…俺は確かにあんたの善性を、人間性を信頼してない』
『そうか』
『だが』
『だが?』
『……だけど、あんたのその、目的の為になら何でもする、冷徹さと合理性を俺は信じる。魔女とそれに連なるものの殺害に俺たちが必要である故に、協力を申し出ているのも、信じる』
『オレはあんたを仲間だと、信じてやる』
『…!ククー、ククク…そうか、そうか。仲間と来たか。いいな、少年。最高の響きだよ』
…
……
ハイレインからの『合図』は、予想の数倍、早く来た。おかげで準備が直前まで終わらず、危うく犠牲が出るところだった。
本当は、ぎりぎりで内心死ぬほど焦っていたけど。間に合わなかったらどうしようと、ばくばくしてたけど。
それを、敢えて隠してかっこつける。
「君を、君たちを守る。
オレはただ、その為にこの場にいるんだ」
フォッグの魔術でバジリスクを目眩ししたは良いものの、やはりと言うべきか効果は薄い。だがそれでも、最低限やるべき事の時間は稼げた。それは、こっちに近づいてきたダルクとの会話。
「ヴァン、ボクはどうする?」
「こっちはいい。ハイレインの方に行ってくれ。
…代わりに、『捧げる』」
「!…嫌だ」
「言ってる場合か。じゃなきゃ全滅だぞ」
「…二人で逃げよう』
「ダルク」
「……冗談だ、よ」
ダルクは消沈した顔で、諦めて胸の隙間から一つのナイフを取り出した。それは食事用のものでも戦闘用のものでもない、儀礼用の物。僕はそれを受け取って、両耳を切り落とした。仮面を掛ける所が無くて不便になりそうだけど、まあ仕方がない。
ダルクはそれをごくりと飲み込んでから、言う。
「…血肉の元に契約は結ばれた。
さあ、ダークナイト。何を望む」
「目の前の災厄を殺せるだけの力を」
それだけをして、ダルクは僕から離れていく。
影の中に溶けるようにその場所から消えた。
すぅ、ふう。両耳があったところに感じる新鮮な痛みを誤魔化すように深く深呼吸をした。
どれだけ、もっともらしい理由をつけようが。
僕はただの人殺しにつきる。それにしかなれない。
どうあろうと、何になろうと薄汚い人殺しだ。
「…全員、ここから消えろ。さもないと僕がお前らを皆殺しにする」
だから、そのそれが、村の人々を逃すのに役に立つのならば、それに勝るありがたいことはない。僕が薄気味悪い人殺しであるというそれが、この場にいる人たちを助けられる事実であることのなんと嬉しいことか。
「…ヴァン…」
「君も下がっててくれ、イスティ」
「私だって、戦えます!」
「君にこれ以上、こんな姿を見せたくない」
「………ッ!」
さあ、観客がいなくなった所で。
出し惜しみは無しだ。そうしている余裕も無い。
『儀式』はしたが、それでも負ける可能性は高い。
バジリスクと眼が合った。
身体が石になったように強張る。
視線に射抜かれた蛙のように動けなくなる。獰猛な視線には、今や確実な敵意と殺意を孕んでいる。
だから僕は、恐怖と緊張に強張った手で。
自らの首をずぱりと半ばまで切断した。
びたびた、と周囲に振り撒かれる黒い血。その中のほとんどは地面に吸われ、それ以外はバジリスクの身体に当たってその身体に吸い込まれていった。
相手が人であったなら、異常行動を怪訝に思って行動を止めたかもしれない。だが相手は怪物。そのままに襲いかかってきた。
「!」
飛来してくる事はわかっていた。それでいて、軌道をほんの少し逸らすことしかできなかった。そのような速度で恐ろしい質量の尻尾が僕の方に向かい、剣を持っていた右腕を刎ねて、飛ばした。
ぐらり、と首が頼りなく揺れる。
「ぐっ…」
黒血が更に舞い、吸われていく。
ブラッドの魔術で、地面に染みた血から棘を作り出す。そのまま刺し穿とうとするが、バジリスクはそれを避けすらしない。血の刃は、その鱗の前にただ弾かれるのみ。
腑を裂かんと、巨木のような前脚が襲いかかってくる。
クローズを唱え、影の中を通ってからがらに退避。
だが逃げた先には既に、バジリスクの巨大な体躯。
違う、先読みはされていない。ただ単に、こっちを視認して飛んできたのだ。あまりのその速さに、待ち伏せされたのだと勘違いしただけで。
鉤爪が、僕の身体に深々と刺さった。
それは、背中から貫通するくらい深く。
そのまま地面に叩きつけられる。全身の骨が粉々にならなかったのが不思議な程の勢い。
「ごっ…!」
やはり、強い。
強いなんて、ものじゃない。
影を歩くことすら踏み躙るような敏捷性に、血の刃を嘲る鱗の強靭さ。人の握る剣を馬鹿にしたような、ただただ大きく強い力。それこそが魔物であり、魔物という理不尽の最たるもの、紋章持ち。
やっぱり。ハイレインに事前に言われ、『準備』をしてこなきゃ勝ちの目は全く無かっただろう。
「……悪いな。予想通りだ、鳥頭」
爪が深々と刺さっている。
それはつまり、僕はこの怪物から逃げる事はもう出来ず。
そしてそれは、こいつもまた僕から逃れる事はできないという事。残った左腕で、腹部に刺さる爪をがしりと掴んだ。
「『クラプティ』!」
さっき、散々に撒き散らした血から。
家々の壁から。
僕の、身体から。
黒い釘が尖端に付いた鎖が解き放たれた。
それらは全て、バジリスクの身体に纏わりつき、あるものは刺さって、あるものは弾かれる。深々と突き刺さった僕の身体からその鎖は放たれている為に、飛行して逃げることも出来ない。
準備とはつまり、これ。村々に張り巡らせた、禁呪の準備だ。
爪に刺さったこいつを、突き放せばいい。そう奴が気づいた時には、魔物の身体は血の鎖で雁字搦めになり、動かないようになっていた。
…このクラプティという魔術は禁呪。恐ろしい力と引き換えに、使用した人の命を奪い去る術。
だからここで、僕は死んだ。『僕』は。
代わりに、『オレ』が意識の前面に出る。
死んだ片方の続きを、行うように。
我ながら、いかさまじみた動きだ。
だが、こうでもしなければ勝てる相手ではないのだ。それに、命を賭した生贄の鎖であっても、紋章持ちを捕らえることができるのは一瞬だ。人一人の犠牲で御することが出来るならば、つまりそれは人間にとっての厄災なぞなり得ないのだから。
実際、鱗まで見えないほど雁字搦めだった筈の鎖は溶け壊れ、内側から裂かれて解き放たれれつつある。
(捧げて正解だったな)
こいつを甘く見ていた気は微塵もない。
ただ、それでも。この鎖をこうまで簡単に壊していく様を見ていると、ぞっとする。過剰かもと思えた行動のただ一つでもしていなかったらオレは今頃、バラバラに殺されていただろう。
ひたり。さっき撥ねられた腕が、バジリスクの翼に張り付いた。そしてその張りついたままに、蜘蛛のように動き出す。黒血が蠢き出す。動けないバジリスクの身体に滑り込んで入っていく。
ぐず、と身体に刺さった爪を無理矢理に引き抜く。
かえしが付いたそれを抜いたせいで、大きな穴がぼっかりと3つも空いたが、それでもまだ身体は動く。
バジリスクが、動けば動くほど勝ち目はなくなる。
その基本性能の高さに、翼による奇襲。何よりも、飛んで、攻めてのヒットアンドアウェイを続けられたら、どう足掻いても翼のないオレたちに勝ち目はない。だから、人間がこいつに勝つ術として出来る限り動きを奪う必要があった。
ぎぃ、ぐるる、というような。
言語化出来ない小さな悲鳴とともに、バジリスクの翼がもぎ取れた。血を入れられ、黒く腐った翼はそのまま泥のように溶けて落ちる。
ただそれでも、まるで恐怖する素振りはない。自分の身体が理解できない異常に見舞われようとも、それでも魔物の目に浮かぶのはただ敵愾心のみ。
命を一つ使ってまで拘束し、血を撒き散らして侵食して、翼を落とし、身体の動きを鈍らせた。捧げる事で自らの力を底上げした。そうすることで、ようやく。
ようやく、こうしてまともに戦えるようになった。
ここまではただの前提だ。なんとか、同じ土俵に立つ為の尽力。腕ごと刎ねられ、遠くに行っていた剣を残った左手一本で構える。
刹那。ばきばきばきと、鎖を内側から砕き解き放たれる獣。杭を振り回して鬨の声を挙げるバジリスク。
咆哮の衝撃に、肌がびりびりと揺れた。
「!」
飛来する、尻尾。今度は見える。
半身に避けて、それを切る。そのまま跳躍し顔を突き刺さんとするが、前脚で叩き落とされた。息が出来ない程に痛かったけど、それでも即座に立ち上がる。潰さんと振り下ろされた前脚を避け、振り向きざまにそれを切った。浅い。
ぐちゃり。
嘴が、オレの脳天を突く。
ばかりと頭が割れるが、中身はただ黒い液体。
骨の下にあるものも、ただどろついた液体。
だからまだ、まだ動ける。まだ。
長剣のような爪が顔を深々と裂く。代わりに剣を突き立てる。鱗がぼろぼろに砕けて、黒色に腐っていく。返り血の分だけ、腐らせる。
気づけば、オレに残っている四肢は左腕だけだ。
だけれど、刎ねられた脚が、腕がそれぞれで動いて獣を襲っていく。飛び散った血が、ずるずると動いてバジリスクに纏わりつく。
痛い。痛い、痛い、痛い。
痛い、けど。
「…ふふ、ふふはは」
びたり、と。
バジリスクの動きがようやく止まった。
魔物の表情などわからないが、それでも。
「お前のからだ、もらった」
…
……
「……ごめん、誰か」
「腕を、拾ってくれないか。くっつけることはできるんだけど、生やせはしないから」
ああ、この、目。
この村の人々は聡明だ。自分たちを助けてくれたのはわかっている。
感謝すべきなのも、わかってる。さっきの脅しも、ただ自分達を避難させる為のものだと。
それでもなお、湧いてくる生理的嫌悪と恐怖。
それが、どうしても拭えない遠巻きな視線。
村人はそれぞれが、そういう視線を向けていた。
後ろで自殺しているバジリスクの死体と、腕と脚を拾い上げ、ぐちぐちと無理矢理くっつけた姿を、見比べるようにしながら。
ああ、やっぱり、なんだかな。
いつものことではあるはずなのに、どうにも。
この瞬間が、一番へこたれそうになる。
「ヴァン…ああ、ヴァン、ヴァン!」
「やあ、イスティ。
…ごめん。こんな姿を、君には見せるつもりは無かった」
脚と、腕を拾ってきてくれたのは、僕の聖女。
そっと頬を撫ぜるように傷を癒しながら、泣きそうな顔で彼女は僕の名前をずっと呼んでいた。ただ彼女が、その視線を向けてないことだけ、唯一救いだったかもしれない。
「やっぱり、駄目だなあ。もっともっと、かっこよくイスティを助けたかった。もっとかっこよく、倒せたならよかった。なのに結局…はは、こんなのになっちゃった」
もっと、ただ魔術の力で圧倒する実力があればよかった。剣術で、全てをたたき伏せる英雄的な戦い方ができればよかった。なのに、出来る事はこんな、気持ちの悪い戦い方だけで。
ああ、なんというか。
だからせめて、かっこつけたいんだ。
せめて少しだけでも、格好つくように。
「そんな事ない…そんな事、ない!ヴァンはかっこいいです!誰よりも、何よりも!ぼろぼろになってまで私を、私たちを助けてくれた。見せたくない姿になってまで、それでもみんなを助けた!」
「誰が、なんと言っても!私は、私は!
ヴァンはすごく、かっこいいって…!」
そのまま、言葉にならず、ぼろぼろと泣きじゃくるイスティ。その涙は僕が傷ついたことへの罪悪感か。感極まった感情の何かは、わからない。だけれどその涙は、とても嬉しいもので。彼女がただ、僕の為に涙を流してくれている事が、全ての慰めになって。
「…ありがとう、イスティ。ありがとう」
まだ動かない右腕を置いて、左腕で嗚咽する彼女を抱きしめる。それに応じるように、彼女がぐっと僕の身体を抱擁した。
ただ、村には。勝利を祝っているとは思えない静寂だけが立ち込めていた。
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