それでもあなたを信じて
寝ずの番を、ただしていた。
そうすれば必ず奴が来ると確信していた。無根拠や思い込みではなく、この村の中央へ来るという推理とそれに至る根拠があったからだ。
「…やはり来る、か」
日の上がらぬ薄暮の内に聞こえるは少女の足音。荒れた小道を歩く、未熟な体重の小慣れた歩き様。
顳顬を引き攣らせて、私は振り向いた。
そこには薄く桃がかった、白色の髪の毛をした少女の姿。手に、その童顔で可愛らしい印象と不釣り合いな無骨なメイスを握り、白い服を纏う起伏の薄い身体。
「おはようございます、ドクター・ハイレイン!お早いですね?」
反吐が出る。怖気がするほど気持ち悪い。今にも痰を吐きたくなる感情を押し留めて理性で会話をする。そうだ。ここで罵声を浴びせようが何にもならない。私は動物ではなく、人間なのだから。
「やあ、君も早いな」
「はい!まだまだ、祓わなければなりませんから!
ドクターも往診でしょうか?」
「それもだが…君に、用事があってな。
少しだけ人気の少ない場所に行かないか?
もし、聞かれると不都合なのだ」
「?わかりました。ヴァン達にも内緒ですか?
付いていけば良いですか?」
「…ああ。すぐ終わる」
奴を伴って歩き出す。初めは困惑して、どうするかと迷っているようだったが次第に私の背中に着いてきた。
優しげな態度の真似事が気色悪くて、背筋が逆立った。
こちらに着いてくることを判断した感情の中には、もし私が何かしら危害を与えようともどうにかできるという、驕りもあったのだろう。
だから、こうも簡単に背中も取れた。
だからこうにも、無防備な背を見せたのだろう。私はただその慢心と驕りを刺し殺すように、それでいてゆっくりと、緩慢な動きで。
首に、注射器を撃ち込んだ。
ぶつりと嫌な音を立てる巨大な針を奥に奥に入れて、中身を万力。込めて注入した。
「……が……な…ぜ…」
「黙れ。黙れ、黙れ」
その口で言葉を喋るな。
胃がむかつく。背筋が凍る。指先が震える。
だから二度と喋れなくなれ、と、そうあれかしと。
私は銃を取り出した。
がぁん、がぁん、がぁん。
雷火の音を、響かせて。
…
……
…どこかから漂う、火薬の匂い。
そしてまた、火が弾ける音。
それらでボクは目を開けた。
まだ日も登らないような時刻。
だのに、この火薬の量は、なんだ。
いいや、そもそも火薬を使うような者はこの村にはいない。唯一持って、ボクらと共にいた、あの女医以外は。
嫌な予感が、びりと身体を貫いた。
これは、なんだ。
この予感は、最近味わったもの。
ラウヘルの滅びた時と似ているような感覚。
(……まさか)
ボクは身辺整理もしないままに走る。
向かう先は、火薬の匂いの先ではない。ボクの鼻でそこを辿る事は容易だが、まずは確認をしなければ、ならない。
ボクが向かう先は、イスティの礼拝場。ここに来てから、いつも彼女は朝に村中央の、慰霊碑の前で祈りを捧げているんだ。
そこに来るという事は、誰でも知る事が出来る。
それは勿論、あのドクターもだ。
(…この場で、イスティがもし居なくなったら)
イスティが消えたら。
ヴァン達にこの場の瘴気をどうにかする手段は消える。そしてそうなれば、ここの村人は掌を返してボクらを責めるだろう。それだけならいい。だがその噂が伝播し、ダークナイトそのものに悪評が行くとなるかもしれない。立ち行く先に災厄を振り翳す怪物、と。そうなればヴァンは、更にこの世界に住みにくくなる。
そんなもの、ふざけるな。
だからイスティは絶対に失えない。
もし、何かがあったならば…
「おや?
おはようございます、ダルク!
今日も早起きですね!」
「おお、どうも英雄一行!あんたの名前はダルクか。いやあ、あんたら全員まだ若いのに大したもんだ!」
……そんな懸念を、神が嘲笑うように。能天気に朗らかな笑みを浮かべるイスティがそこにいた。周りには、いくらか寛解した村人の一部と、もう一人ボクに馴れ馴れしく話しかけて来た奴。
こいつは確か、そうだ。入り口にいた傭兵の。
「あ…ああ。おはよう、イスティ。
その、なんだ。元気そうで何よりだ」
無事であったことへの安堵や、その発言に何も他意は無い。だが、正直なところ驚いたというのはそうだ。
ボクは少なくとも、最悪の想像をしていた。
この場に居る人間が鏖殺されるはマシで、もっともっと。『魔女の瘴気』がばら撒かれた地獄絵図になるくらいは。
であるのに、ここにあるのは平和な朝焼け。
それは、それでいい。
ボクの予想が外れてたらむしろそれがいいんだから。
だけど終わってない問題が二つある。
一つ。あの、確かに臭った火薬の匂いは?
それを放ったと思われるハイレインは?
二つ。ボクが感じた、嫌な予感はなんだ?
忌々しいことに、ボクのこの嫌な予感が外れた事はない。何かがあるのは間違いないはずだ。ではそれは何だ?
「…つかぬことを聞くけれど。
イスティ。キミ、今日朝そこを歩いてなかったかい?」
「!ああ、それ!俺も見た筈なんだよ!
イスティちゃんが朝早くどっか出てくの!」
「?いえ、私は今日ここに直接来ましたが…?」
「……」
食い違う証言。誰もが嘘をついてるわけではない。
当然だ、皆は皆、真実しか言う意味がない。
臭いを嗅ぐ。
微かな火薬の残臭と、同様の薬品の匂い。
そして、それを塗りつぶす匂い。
「腐敗臭…!」
どこからだ?
その襲来は、ぎりと歯軋りをする程に近い。
さっきの、片方の疑問には答えが出た。
嫌な予感は、何から来るものかという問い。
「…な…!
ダルク!これは…この、翼の形は!」
「成程…嫌な予感の正体は、こっちかッ!」
…
……
注射器を打ち込み、脳天に針を撃ち込み。
そうされてのたうち回り続ける少女の姿。
いい加減に耐えきれず、マスクを外し痰を吐きかける。
「ハイ…レイン…なぜ…」
「…なぜ、わかった?」
………私は、一度も。
『こいつ』をグライト嬢と呼びかけなかった。
当然だ。これが、そうな筈がない。
こんな薄汚い屑が、イスティ・グライトであるものか。ぎしりと、倒れながら顔を笑顔に歪める眼前の、イスティの見た目をした者に、私は更に4発、撃ち込んだ。
「がぁっ!はっ、はは!痛い、痛い!」
反吐が出る。
薄汚い、瘴気と血の匂いを匂わせやがって。
こんなのが彼女を騙る事。反吐が出る。
そいつは、ただ立ち上がり飛び退る。
猿の如く、体勢を立て直すその姿を眺めた。
「…ふむ。魔物も一滴で毒殺するようなものなのだがな。やはり貴様には毒そのものが効果がないようだ」
「おいおい、そんなもの大量に撃ち込んだのかよ。
容赦が無いにも、程があるだろう?」
ぐき、ぐきと身体の形をみるみる変えていく目の前の少女。身体の質量すら変えて、全身を駆動させる姿は、生物を冒涜したような薄汚い咎人の姿だった。無精髭を生やした、30代前半の壮年の男。しかし彼にとっては見た目とは何の意味もなく、ただそれらしくあるからそうしているだけなのだ。
私はその怪物に相対すべく、手に持ったマスクを置く。
「やはり貴様か、ローラウド」
「『ドクター』を付けろよ、小娘」
ローラウド。
私の怨敵。
ローラウド。
魔女を殺す為の、私の最大の障害。
「…半信半疑ではあったよ。慎重に姿を見せない貴様が、このような迂闊な行動に出るとはな」
「あの女が幅を利かせてるのを見てな。
頭がおかしくなりそうだったんだよ」
あの女。それが誰を指しているかということは、さっきまでこいつが何に姿を変えていたかで、すぐにわかる。
「グライト嬢のことか」
「ああ、そうさ。ふざけやがって、聖女さまの『偽物』如きが。浄化の真似事をして、祭り上げられるだと?気色悪いたら無い。だから奴の姿で、瘴気をばらまくつもりだったんだが」
「ククー…そのような身勝手な怒りに馬脚を表す間抜けに翻弄されていたとなると私の価値も低くなる。そう失望させるな、ローラウド」
瘴気を、ばら撒く。
ローラウドはそう言って大きいタリスマンを取り出した。それは私たちがこの村に来て、掘り出したものと同じ。ヴァニタス少年が実行犯に尋問して聞き出した、人為的に埋められた神聖物。
なるほど、この村はハズレだ。この村の惨状はつまり、魔女そのものではなく、模倣犯のこいつの仕業だったようだ。
「それに、違うね。
偽物の聖女だと?違う。彼女は本物だ。
少なくとも私はそう信じた。
そしてそれを信ずる者も他にいる」
魔女の偽物。
聖女の偽物。
偽物だらけのこの村の出来事。
それらを思い返して、尚思う。
「本物か偽物かなど、無意味な問いなのだよ。
信仰こそが、聖を真に聖なるものにするのだから。
魔女の仕業と信じた者が、魔女災害となる。
聖女の御技と信じた者こそが救われる。
そして私は、グライト嬢を信ずる」
「ハン。紛い物のお前らしいな。紛い物のお前が紛い物の聖女を用いて、紛い物の救いを振りまこうというわけだ、この人もどきが」
「黒い舌と唾液を撒き散らして喋るな。
口が臭くて、不愉快極まりない」
がちり、と銃を装填した。
中身を薬針から銃弾に変える。
私の信条から、これは出来れば使いたくないが。
「さて、ローラウド。此処で殺してやる。この村以外にも、幾つ貴様の野望で人々を瘴気塗れにした?その報いを、今ここで払わせる」
「おお、流石は紛いもの。
相変わらず、愚かも愚かだな。
お前は本当に、俺がお前にのこのこ着いてここに来る際に。何も保険を残して来なかったと思うのか?」
べろり、と
口の内側から何かを取り出す。
それはまた、十字架を模したようなエムブレム。
違う、あれは十字架では無い。
あれは、紋章。見たことのある、紋章だ。
「………その紋章は、まさか」
見たことのある紋章。
『紋章持ち』。
そしてその紋章を持った魔物を、私たちは見た。
つい、最近に撃退したあの魔物。
「さあ、戻ってあのニセモノを守りにいけ。でないと、お前の大事な大事な聖女さまが死ぬぞ?」
そう、勝ち誇るローラウドの下卑た笑み。
私はそれを見て、哀しくなった。
そうしてから、耳元に手を当てた。
「……ああ。こっちには来なくていい。
ここは私一人でいい。
だから、そうだ。そっちに向かえ」
「ああ。その為に、君はそこにいるのだろう。
私の事は放っておけ」
「グライト嬢を救え。少年」
それだけを言って、通信を切った。
そうしてからローラウドに立ちはだかり。
銃を向けてから嗤う。
「ふふ。そうか。貴様は知らないかローラウド。
私にはな、まだ切り札があるのだよ」
「私にはな。仲間がいるんだ」
…
……
バジリスク。
それは、一個兵団が居なければ勝てない災厄。
紋章を持った怪物。
なぜ、どうして。何故ここに。
そういった質問は、受け付けない。
それほどの圧倒的な暴威。
単純な、力という嵐。
それが、『紋章持ち』なのだから。
「…皆さん、逃げて!ここは私が!
私たちが食い止めるから、その間にッ!」
私はそう叫びました。
勝てるわけは、ない。私たちの実力を過小評価するわけではないが、それでも、バジリスクには、ダルクと私だけでは絶対に勝てない。だからせめて、その間に逃すしか。
そうした判断からの発言。それはしかし、誰の耳にも届かない。否。届いた上で、誰も従いはしなかった。
皆はただ、悲壮な顔つきで、それでいて決心した顔で。
それぞれの近くにある少しでも武器になりそうな何かを握りしめていました。脚を震わせて、石を持つ方。農具を持つ人。
そして、槍を構える傭兵の方。
「な……ッ!なんで、なんで…っ!?」
「……嫌なんだよ、イスティさん。
あんたらに救ってもらった命を、あんたらを犠牲にしてまで生き延びようなんて思わない。それなら、俺らは、あんたと共に死ぬ。
せめて一緒に戦って、あいつをぶっ倒してやる!」
違う。
気持ちは嬉しいが、無理だ。そんな、非武装の人間が何十人も居たところで、どうにかなるような敵ではないのだ。
それはただ、崖に身を投じる自殺でしかない。
「や……やめて、やめて!やめてください!
みんなにげて、逃げてください!頼みますッ!」
「クソ…ッ!だめだ、イスティ!こいつら話を聞きゃしない!どうあっても、ボクらはこのまま戦うしかないぞ…!」
ダルクが必死の形相で叫ぶ。
死なないでほしい。
助けた命を、助かった命を、私を、私たちを守るために差し出してしまうなんて、そんな悲しい事があるだろうか。そんな、むごいことがあっていいだろうか。そんなの、絶対に嫌だ。
私は、みんなを救いたい。
ここの村人も、ダルクも。これから先にこの紋章に殺されるであろう人々の全ても。なのに、それをそうする手段がここにはない。
(助けて……)
私に、頼ることができる手段はもうない。
いいや、一つしか、ない。
ひとつだけ、ある。
ある日、あの時。汚れ仕事を任せてしまった時から、あなたの目をまともに見る事ができなくなっていた。
あなたにばかり頼るのは申し訳ないと思った。
傷だらけの貴方を、更に傷だらけにしたくない。
本当にそう思って、だから貴方に合わせる顔もなければ、頼ることもしないようにと、思っていたんだ。
「……助けて…」
それなのに。
それでも。
助けを求めようとすると絶対にあなたの顔が浮かんで。
私の頼りになる人は、あなたで。
「助けて…!」
心の底から、あなたを信じて。
私を絶望から救う、黒い騎士。
ダークナイトの、希望を。
だから、その名前を叫ぶ。あなたを信じてしまう。
信じて、叫ぶ。
「……助けて、ヴァン!」
刹那。
黒い煙が村を包んだ。
そうして、全てが目が眩んだ直後。
飛び込んだ翼の音と、肉を抉る音。
そして、鋼が切り裂かれる音がした。
「……ああ、勿論だとも。
その為に、オレは今ここにいるんだ」
煙が、晴れた。
目の前には、刻々と美しい漆黒が居た。
漆黒の、騎士。
私を守る、ダークナイトの姿があった。
ひゅぱり。
剣が、残像とともに振り抜かれた。
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