ダークナイトは穢れて




「…おいおい、どうなってんだ?一瞬だぞ?ほんの少しクソしてる間に、なんでこんなことになってやがる」


「なんにせよ、私たちがやるのは報告しかないでしょ。…そろそろ引き時かもしれないわね」


「元々、臭い仕事ではあったけどな」



そんな風に話していた男女二人。

一夜の英雄譚。聖女の祈りにて浄化された村を見下し一望できる崖の上で密談をしていた、そんな二人。


はっ、と。異様な気配に振り向いた。

それは生き物であって、生き物らしくない。では無機物かと言われたら、それも違う。

影だけがそのまま独り歩きしているような、生き物の気配がしない男の気配。認識阻害の仮面を被り、ただ無言に近づく黒づくめの服の男。


それに異常を感じたんだろう、直ぐに腰元にあるロングソードに手を掛ける。やはり、というべきか。隣にいるボク、ダルクにはあまり目をくれていない。

一応存在としては認識しているようだけども。


「どうする?ヴァン」


「片方は任せる」


「はいはい」


ずるりと、黒い剣を取り出すダークナイト。

その様子に相手方の男は、怯んだのか、はたまた、機先を制さんとしたのか。どちらにせよ剣を胸元に構えて突撃した。


黒騎士は、躱さない。

ぶちぶつり。服と皮膚が裂かれる音がして、男の剣がヴァンの胸元に深々と突き刺さる。


「持ち運びしやすいダガーでもなく、取り回しやすい槍でもなく、ロングソード。偶然通りかかったってことでもないなら、当たりか」


貫通するほどに刺さった剣を眺めながら、それでも平然と話し出す黒づくめ。だのに男はそれ以上動くことができない。剣を引き抜くこともできなければ、そのまま振り回すことも。

ヴァンの黒い返り血を浴びたその男はただ、激痛に顔を歪めながら、ダークナイトに抱擁されていた。力はこもっていないが、しかしその腕から逃げ出せない抱擁。捕縛というよりは、引き摺り込むような。



「ダルク。片方でいい」


そう言われて、肩をすくめてからボクは懐から2本の刃物を取り出す。両手に1本ずつ持った、食卓用のナイフ。


明らかに異常な様子の相方を見て、狼狽している怪しい女。『良い仲』だったのかもしれない。まあ、本当にどうでもいいことだ。

片方でいい。

それはつまり、生け捕りは一人でいいと言うこと。ヴァンが捕らえた男の片方でいいということを、表している。


すぱり、と切れる音。



「…今回はそっちなんだな」


「いつもは喰わせるんだけど、今回は目立ったら良くないしね…にしても嫌いなんだよね、ナイフ。疲れるし、汚れるし、なにより血って不味い」


「なら飲むなよ、気持ち悪い」


「飲みたくて飲んでる訳じゃないんだよこっちも」


さて。そうして話すボクたちの足元には痙攣して動けなくなった男一人だけが生きている。

一度胸に深々と突き立てられた剣は、根本から融けて落ちる。柄だけの剣と、ヴァニタスの身体に刺さったままの剣身に別れた様子を見てから、男の目はまた恐怖に蠢いた。



「……お前は今から、10回まで無傷で話せる」


「何故ならお前が発言する度オレはお前の指を1本切り落とすからだ。

どうあろうと、なんであろうと」


「ただ唯一、お前が質問に真実を答えてると判断した時だけ落とさないでやる。だから精々、オレたちに本当を言ってくれ。

そうした方が痛くないとは思うし…オレだって、そんな酷いことはしたくないんだ」



恐怖、というデモンストレーション。それを相手に味合わせて、骨髄に染み込ませるためには、どうあっても悪趣味に加害的になる。

出来る限り低い声を出して、恐ろしげな拷問の内容を語るヴァンから、ボクは目を逸らす。仮面の下の歪んだ顔を想像し、眉を顰めた。



「し、しら…俺、俺たちは知らないんだ、本当に!ただ、瘴気を蔓延させる為にあれを地面に埋めておけばあとは見てるだけで良いって…!そしたら、前金含めて全部俺らにくれるって…!」


「あれ、とは?」


「わからないんだよ!何か、チャームみたいなタリスマンみたいな…渡されただけで、本当に説明は無かったんだ。嘘は吐いてない!吐いてないんだ!吐いてないんだ!!」




「そうか。

それじゃあ、どの指からがいい」









……





「おや。全部喋ったのに殺すんだね」


「全部喋った、から。殺したんだ」


「ハ、そうだね。

…キミも随分染まってきちゃったね。

そういうのはボクに任せていいのに」


「嫌なことだからって、お前にばかり押し付けてられるかよ。そんなの、格好悪いったらありゃしない」


そこまで、淀みなくしゃべったと思えば。ヴァンは仮面を取って、げろげろと激しく嘔吐し始めた。それらも全て、墨のように真っ黒な液体だ。息を乱しながら、口を拭って仮面を付け直す。その付ける直前の彼の顔は、どうしようもなく沈んでいるようだった。


「…ストレスで吐くくらいなら、やめとけよ。そっちのが格好つかないんじゃないのかい?」


「そうだな。でもほら。

今はイスティたちの前以外で格好つく必要はないから」



そう、彼が嘯いたことに一瞬動きが止まって。そして彼にそんな事を気づかれないようにボクは口元を吊り上げて、喜劇役者のように大振りに手を広げた。



「…おや。じゃあじゃあ、ボクには見られちゃってもいいのかい?」


「はは。ダルクにはもう、手遅れなくらい格好悪い姿を見られてるだろ」


「それはまあ、確かにそうかもね〜」



そうじゃあない。ボクが言いたかったのはそんな、他愛のない会話ではなく、君の発言がどういうことかという懸念だったのに。その発言の意味は、つまりどういう彼の意思なのか、ということを。

それを見たヴァンが、どう思ったろう。

ボクを見て、また話し始める。



「……イスティの祓いの様子を見て、絶対こんな事はさせちゃいけないと思ったんだ。でも聖女になる行き道は綺麗なものだけではない。何かを救うには、何かを穢さなきゃいけない」


「だから汚れは、僕だけが背負うものでいい。未来の聖女が必要とする穢れを、騎士として全部背負いたいと思った。

僕はあの瞬間に。全ての村人が死に絶えて、親しい人が狂い、内臓が軋む地獄に、それでも立ち上がるイスティを見て…」



僕は、彼女の道の為なら何を殺してもいい。

そう思ったんだ。




「……なあ、キミは、本当に…」


『本当に』なんだろう。

ボクは彼に何を言おうとしたのか。

きっと言語に出来ないもの。

彼のそれは、果たして本当に正しいものなのか。それは村を救うには果たして正しいことなのか?正しくあるべきですらないのか?ただそれを口にしていいのかもわからない。


だから口を噤んで、笑みを浮かべて、まーたカッコつけて。と、笑って見せた。キミの気持ちが少しでも晴れるように。



「…なあ。折角なら『僕たち』に訂正しておくれ。

ボクは、キミと一緒にその汚れを背負ってあげる。

嫌われ者ならボクも一緒だ」


「あ、あー。

感謝なんて必要ないよ。だってほら」


「……『トモダチ」だろ?」



どうあっても、ボクは連れ添うだけだ。

永劫が尽きるまで、ずっと。






……




村の人々を治療し続けて、私はただ家々に寄りかかって息を整えていました。蝶を出し続けるのは流石に難しくて、頭が湯立ちそうだけれど、そんな泣き言を言っている暇はない。まだ動かなければならない。そうしてメイスに手を掛けて立ちあがろうとした瞬間。

ドクター・ハイレインに目元を抑えられてそのまますとんと、座らせられてしまう。


「交代だグライト聖女。

君に先に倒れられては元も子もない」


「しかし…!」


「しかし、ではない。少し仮眠を取れ。

でなければ無理矢理眠らせるぞ」


「……わかりました。

あと、ドクター。私は聖女ではありません。

まだまだ、何も救えないただの子どもです…」


そうだ。結局私には救えないものばかりだ。既に死んだ者を生き返すことはできない。自らの手で家族を食い殺した者が失った正気を、取り戻させる手段も無ければ、心の傷を癒すことも何もできない。

私は無力だ。

そう、村を駆けずり回って思い知らされた。


「そういうところが、らしいのだがな」


ぼそりとドクターが呟いて。

そうして姿を人混みの中に消した。彼女の配合した薬で精神に異常をきたしてる人たちを安らがせたり、無理矢理にでも眠らせているようだ。私にはできないアプローチは、本当に頼りになる。



(……休まなきゃ)


そう思って、人のいない所へ歩く。

私を頼りにする人がいる。私を『聖女』と心の支えにする人がいるから、疲れて休む姿を見せてはならない。

偽物の聖女でも、それでも支えのままでいたいから。

目の前が揺らいでいく。歩くのもままならない姿を自省して、なるほど確かに、ドクターが休めというのも無理はない、と笑う。

がくりと膝から力が抜けて、転びかける。

その私を、誰かがそっと支えてくれた。


黒い服、黒い剣、全身が黒い男の人。

真新しい傷口の断面まで、黒い。

彼はいつ見ても、怪我をしている。



「あ、その…ありがとう、ございます。

…お帰りなさい、ヴァン」


「うん、ただいま」


とても近い距離で、改めてそう会話をするのはどこか新鮮で、恥ずかしい気がして顔を逸らしてしまう。

すると、ヴァンは寂しそうな顔をしてからそっと私から離れた。そう、されてから気づく。彼の身体には赤い血が沢山付いている。彼の黒い血とは別のもの。


「あら、ダルクは?」


「先に行って休んでる。

ハイレインの手伝いするのはごめんだ、らしい」


「あはは、らしいですね」


少しの間の沈黙。

何かを言わんとするような、言えない間。



「…その。傷、深いですね。

待ってください、すぐに治します!」


「大丈夫、どうせすぐに治るから。それにイスティも疲れてるだろ。温存してくれ」


……私は、世間知らずで何も知らなくて。

能天気で頭の回転も遅くって気楽で。

だけれどそれでも、ヴァンの身体に付いている赤い血が、どういう意味なのかということくらいはわかる。ドクターが先程掘り出して見つけていたもの。人為的な跡が残っていたものと、それへの対処の必要。

だから、それに礼を言う訳にもいかない。

だけれど彼に何かを言おうとして、喉が詰まる。

それを見かねたように、ヴァンが口を開いた。

真っ黒な眼が、こっちを真っ直ぐに見据えて。



「…イスティが汚れる必要はない。

君の穢れは、全て僕のものだ」


「!そんなの、私は…」


「でも必要だ。この村は今、聖女さまの到着によって湧いている。その喜びはこの村についた傷を和らげてくれてるんだ。だからそれに瑕疵があっちゃならないんだ」


言おうとしてることはわかっている。

私だって、そうあるべきだとは思ってる。

でも、それでも。



「必要になったら呼んでくれ。それまでは村の隅の方で大人しくしているよ。これ以上村人を怖がらせたらよくない」


「もし、イスティも僕が怖くなったら言ってくれ。極力姿を見せないようにするから」



大丈夫、いつものことだ、と。

ヴァンはその後に付け加えて言った。

それを、特に悲しまずに言った。

何か感情を左右させたり、怒ったりぎこちなく笑ったり、そういったものを、一つもなく。ただいつも通りするように。

それは、その発言は彼にとっての日常とでも言うように。それを日常にするまで、どれほど忌まれたのだろう。どれだけ、恐れられたのだろうか?


私は無力な子どもだ。

だからそれをどうすることができる訳じゃない。

だからこれをしたのはただの、私のわがまま。



背を向けた彼の背を、静かに抱いた。

ゆっくりと、包み込むように。



「ええと…あまり、僕の血に触っちゃだめだ。今は毒とまではいかないけどかなり、痛いぞ」


「こんな痛み。

ヴァンの、足元にも及びません」


「僕は斬られたりしても、あまり痛くない。

そういう身体になってる」


「そういう、意味ではなく…!」


確かに、彼の血に触れる私の腕はじゅうと焼けていく。それは確かに、かなり痛いと思う。だけれど、それでも離さない。

ただただ、ヴァンを。私のともだちを抱きしめる。



「…私は、貴方が怖いだなんて思わない」


「絶対に、ぜったいに思わない!

だから、だから、そんな…」


「…」


「…そんな悲しい事を言わないで…」



そうして、抱きすくめる内に。視界がだんだんと暗くなっていく。どんなことが目の前にあろうと、誰が居ようと。疲労と、痛み。祓いの疲れが身体を蝕んでいたのはただ事実で。


だけれど、少しだけ待って。

まだ少しだけ、彼を。私の騎士になると言ってくれた彼に、伝えたい思いがあるのに。言葉が、あるのに…



「……ありがとう、イスティ」


「でも僕は、そんな目を向けられる人じゃない。

僕は、せめて少しでも。

君の、君たちの前でかっこつけたいだけなんだ」



夢現、どちらかわからない夢の狭間で。

そんな風に語る姿が瞼の裏で聞こえた気がした。




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