魔と蝶は舞って



「助けて…何か、パンの一欠片でもいいんです…」


「お恵み、ください」



決して。

『それ』を哀れんではならない。

決して、愛を与えてはならない。

たとえどんなに見窄らしかろうと、見るも無惨な有様であろうと。同情を抱いたり、哀れに思ってはならない。

何故ならば、『それ』は災厄の徴。

世を喰らい善意を犯す邪悪の存在。


ああ。

暴食とは、何一つ言葉負けしない。

欲望を喰らって善意を喰らって全てを糧にして。


魔女は、咲く。






……




団体行動の常では、よくある事だが。

一つの団体の中でもまた別れて話をする状態になるものだ。今はまさにそういう状態であって、ハイレインとイスティ、そしていつものようにダルクと僕が二人ずつで話しているような状態になっていた。

後ろから、歓談する二人を眺めて不思議な気持ちになっていた。



「どうにも二人は仲がいいみたいだね」


「ああ、そうだ…

ってどっから持ってきたんだそのパン」


「さっき小腹空いたから買ってきた」


「そうやって買い食いばかりするから金が無くなってくんだろ、全く」


「まーまー細かい事言わない。モテないぞ」


「うっせ」



気づけばもぐもぐとパンを食べ歩きしているダルクに呆れる。こいつから財布をとりあげた方がいいんだろうか。

まあ、それは置いておいて。



「イスティはこう…外交的だからわかるが、ハイレインがイスティにああまで友好的なのは意外というか、ちょっと薄気味悪いな」


「どうせ上っ面さ。すぐに本性を出す」


「…お前な…

逆にドクターの何が気に食わないんだ」


「ヴァンだって彼女を怪しんでるだろう?あくまで利害が一致はしているつもりだが、それが嘘かもしれない。そもそもあいつが言ってることのどこまでが本当だ?」


「……」



…僕も怪しんでいる、疑っているのは確かにそうだ。

確かに僕らはハイレインの情報を以て僕たちは旅の方針を定めることが出来た。どん詰まりになりかけていた現況を助けてもらった立場であることに間違いはない。


だが、『出来過ぎ』じゃないだろうか。

ハイレインは、いつから僕らの話を聞いていた?

途中から乱入し、都合の良い話を、一番良いタイミングで話しかける、その瞬間をどこまで待っていた?どこで、ここにいるとわかった?


彼女の言う通り、偶然かもしれない。

だが、もしくは、だ。

もちろん考えすぎならそれで良い。

そしてその上で。



「『疑ってる』のと、『険悪である』ことはまるで別だ。むしろ疑うならば態度を悪くせず、にこやかに取り繕っていた方がバレにくく済む」


「……ふん」


「それくらい、ダルクにはわかってるだろ。

それとも美人さんだったのに嫉妬してるのか?」


「ハン、するかよ。

キミがあいつに惚れるなら別だけどね」


「なんだよ、それ」



脈絡のなく出た僕の名前にくすり、と笑う。そうした僕の顔を見てダルクはまた、ようやく眉間に寄せた皺を軽くして表情を緩めた。ふっ、と微笑む姿を見て、少しだけ安心した。



「……別に理由があるわけじゃないよ。まあ、なんだろうね。どうにも受け付けないんだよ。生理的に無理というか」


「あれか。同族嫌悪か」


「同族!?どこが!

ボクとあいつどこが似てるってのさ!」


「理屈屋で、図々しいところ」


「はぁーっ!?」



「少年。それと…ダルクくん。

仲睦まじいところ済まないが止まってくれ」



いつものような僕らのじゃれあいは、ハイレインにかけられた声でぴたりと止められる。改めて鴉じみたマスクを被り、声がくぐもったその様子と、つい最近に見た彼女の素顔がどうにも結びつかないようだ。



「あの先だ。あれが件の村だ。

やはり瘴気が濃い。濃すぎる、と言っていい。

私はマスク、君らは職業上大丈夫だが…

グライト嬢の準備がまだだ。待機を頼む」



そう言われて、遠くを見渡す。

村が薄ぼんやりと見えて、それでぞっとした。


瘴気の色は基本的に非常に薄い。かなり濃い場所であっても目を凝らさなければ見えないというのが普通だし、それこそが厄介な原因の一つでもあるのだから。


今のこの場所は、明らかに暗い。死毒の色、紫に黒を織り交ぜたような色が見るからに充満している。

それが、どれほど異常なことだろうか。

避けて行ける範囲でない広範囲の、高濃度。



「…ハイレイン、そのマスクだけで大丈夫か?」


「ドクターを付け給え少年。なに。私のことなら心配無用だ。私も、まあマトモではないからな」


「へえ。ボクらのように、かい?」


「ああ、その通りだダルクくん。頼りにしているよ」


「その『くん』付けをやめろ。不愉快だ」



…まだ村に着いていないのに空気がどんよりとした気がする。やっぱりできる限りこの二人は接触させない方が良いな。



「すみませーん!お待たせしました、です!」


そんな空気を払ってくれたのは、少し遠くで準備をしていたイスティだった。彼女は特に装身具をつけてるわけではなかった。だが代わりに、さっきまで無かった、きらきらと光るものが彼女の周りを纏っていた。


「…それは…すごいな、イスティ」


「そうですか?えへへ、照れちゃいます。もしヴァンたちが瘴気に侵されても、私がばんばん祓っちゃいますからね!」



にっかりと太陽が照らすような眩しい笑み。

なんとまあ、底抜けに優しくて明るい子だろう。

この陰険他3人組に爪の垢を分けて欲しいくらいだ。


「何か失礼な事を考えてないかい、ヴァン」


「何故こちらを見たんだ?少年」


「……」



……やっぱりお前ら似たもの同士だよ。







……




さて。そんな風に二人にねちねちと聞かれながら僕たちは歩いて行き、ついにその村の前にたどり着いた。


遠くから見ても凄まじい光景だったが、近づくと更にぞっとする景色だ。紫の霧が立ち込めて、全ての色彩に紫が混じったような様子。家々の壁、地面、何もかもが、その色の絵の具しかなかったかのように。



「止まれ!」



その警告は、当然僕ら4人のものではない。

村の、入り口に立っている人が出した声だ。精一杯に張り上げたであろうその声は、だのに聞き取りづらい弱々しい声。


「誰か知らないがこれ以上寄るな!

じゃないとてめえらは死ぬぞ!」


「ほお、ここまで熱烈な歓迎をされるとはね。

まあ待っててくれ、私が先に行こう」



絞り出すように警告をした様子に、イスティと僕は止まったというのに、ダルクとハイレインは構わず進んでいる。

その中でもハイレインは先導して、ぺらぺらと誰に訊かれるでもない講義を垂れ流している。



「さて、君が私たちの足を止めたいなら今の言葉は逆効果だ。古来より人は理由無しにするなと言われているものこそしたくてたまらなくなるという研究結果があってだね。だから理由があるならばまずそれを明確にしてから故に来るなと言うべきだ。余談だがこの現象についてはよく演劇や物語のテーマにもされていて──」


「なんだ、なんだ!ラリってんのかこいつ!

畜生来るな!来るな、こな、来ないでくれッ!

じゃないと俺、俺はまだ…」



…初めは、門番らしき男はその講釈を垂れる姿に悪い意味で圧倒されているのだと思った。だが、違う。

まだ、まだ、と壊れたラジオのように繰り返し始め。そして手に持った槍を取り落として顔を風刺画のように歪める。そのような順序で、目から正気が消えた。



「食い、クイクワセお、が、がが、あがががガ!」


が、ぁん。


それは瞬間のことだった。

牙を向けて飛びかかろうとした、男。

その腹部を、ハイレインの銃が撃ち抜いた。


「…やはり魔女の瘴気にあてられてる。どれほど前からだろうな?だが彼はまだマシな方かもしれん。まだ会話ができる状態なんて、素晴らしいぞ」


「ど、ドクター・ハイレイン!?

まさか…殺してしまったのですか!?」


「私とてそこまでヒトデナシじゃない。

ちゃんと薬針を打ち込んだから安心してくれ」



ほっと、イスティが肩を撫で下ろした。

そして撃ち落とされた男に急いで駆けつける。

彼女の肩周りの白色の光が一層煌めいた。



「荒療治だが、弱い毒を打ち込んだ。これで無理矢理食欲を減衰させる。そうすればまともな会話が出来るようになるかもしれない…が、まずは治療が必要か」


「…ふむ。グライト嬢、済まないが遠くへ。そうだな、処置できる場所を用意してくれないか。隔離病棟のようなものが必要だ。使用されてない小屋を見つけ、彼を連れて行ってくれ」


「はい、わかりました!」



そう言うや否やイスティはぐいと男を背負って猛然と駆け出した。…男一人を軽々と背負ってあの速度で走るのはすごいな。



「待て、イスティ!

それならオレ達も付いて行ったほうが!」


「ダメだ、ヴァン。

ボクらは此処に居ないとダメ」



がしりと、ダルクが反射的に追おうとしたオレの袖を掴んだ。何故、と聞こうとして。


オレは、自分が自意識の中で『オレ』になっているのに気が付いた。それは、戦いの予感がして、『僕』が奥に引っ込んだという事。戦いの臭いがして、『オレ』が表に出てきたという事。



「ッ!伏せろ!」



刹那に叫んだ。

袖を掴むダルクの頭を抱えて二人で転がる。

ハイレインもまた、思案せず即座に屈んだ。

それが、オレ達全員の命を救った。さっきまで首があったところに、その巨大な錨のような尻尾が通り過ぎて行ったのだから。



「……ダルク。これを見越してか?」


「嫌な予感がしただけだよ。

…やっぱ全員で逃げた方がよかったかなあ」


「逃げ切れないだろ、こいつ相手じゃ」



それは、魔物だった。

だが、ただの魔物では無い。

アルターで変幻した動物でもなければ。

『世の淵』の、怪物でもない。



「助かったぞ、少年」


「礼は後だ。

紋章持ち相手ならどうせ死ぬかも」


「ならなおのこと今言わねばじゃないか。

死んでしまったら礼を言えないだろう」


『紋章持ち』。

それはどういった仕組みなのか、どういった悪魔の悪戯なのか。ある特定の魔物だけが頭蓋に紋章を与えられ、抱く。

その紋章を与えられた魔物は全てが同じ見た目になる。

その紋章を抱いた物は、全てが同一の個体。

記憶が連続しないだけの、同一存在。


そいつの名前はバジリスク。

蛇の顔と鳥の翼、毒剣の牙と鎧の鱗。

そして見たものを竦ませる眼を持った怪物。



「クソ、ずっと疑問だったんだ。

ラウヘルの死体はどこにやった?血の量からして、皆殺しに遭ったのは確かだった。なのになんで死体の数があんなに少なかった。魔女に捧げられるわけがない。であるのになんでって」


「その疑問が解けたよ。全部こいつが食っちまったんだ。で、今度はその美味しい狩場から逃げたボクら4人を…」


「……追ってきたって事か。

食べ残しは勿体無い、って!」



目を睨む。

こっちを見ている。すくんで縮み上がりそうだ。

それを誤魔化すように、仮面を取り出して着ける。

認識阻害の仮面に今は意味がない。

だけれどオレが、ダークナイトであれるように。

恐れてはいけない。

オレが、恐怖を与えなければ行けないんだ。


一つ、二つ、深呼吸をする。

バジリスクはこちらを見ている。

どれから食べようかと悩むように。

そうしてからまあ、胡乱なほど綺麗に。

魔は飛び舞った。



「ダルク、ハイレイン。こいつを撃退するぞ」


「ああもう!来るなり重労働だなぁッ!」






……





「…まあ、なあに。そこまで絶望的な戦いでもない。デザート感覚で餌をつまもうとしたら急に抵抗してきた感じだ。だから、軽い怪我をしたら足を止めて帰っていくだろう」


「軽い怪我をしたら、ね。

で、ドクター。このでかい図体の化け物にとっての軽い傷ってのは、ボクらがどれくらいやんなきゃいけないのかな」


「……精一杯やってみようじゃないか」



畜生、この役立たず。

さて、参ったな。バジリスクの身を守る鱗を削ぐには、もっともっと良い剣か専用の器具が必要だ。それが無い今としては、傷を与えられるのは奴の目や口などの粘膜を狙うしかない。

言うは易し、行うは難し。例えば飛び回る蠅が動く人間の瞼に止まることができるだろうか。


なら、ええい。一か八か。




「時間を稼げ、ヴァン。

『溜め』て、やってみる!」


「了解。…ハイレイン!」


「ダルクくんの方に行かせねばいいのだな。

なら足止めをしてみるとしよう」



言うや否や、ハイレインは弾を装填して撃ち出した。それはボクの目にも映らないくらいの神速。普通ならば避けられないものだ。だが、その図体でなぜそんな事が出来るのか、と思う程に。バジリスクはハチドリのように翼を動かしてそれを『避けた』。


「チィッ…!」


そのまま翼をはためかせて滑空する紋章。

向かった先は当然、発砲をしたハイレイン。ただ単純な質量の突撃ゆえに、その突進を受ける術も、避ける術も無い。

咄嗟に身を縮めて防御態勢を取る彼女。



「『クリエイト』、『シャドー』!」


だがそれを止めたのは、バジリスク自身の影。

ヴァンが魔術を叫び、足元の影を遠隔で掴むと、魔物の姿がぐらりと横にずれて、金縛りをしたように動かなくなった。


影を、糸を引き絞るように持ち引き止めるヴァン。それを結び続ける彼の両手からはぼたぼたと凄まじい勢いで黒い血が落ちる。

存在の質量に押しつぶされるように、その引き絞り留めるヴァンの手指は裂けていく。



「ほほお、影を操る魔術!すごいな、高等魔術だぞ!ヴァニタス少年、君は珍しい魔術ばかり使うなあ!今度解剖…」


「ほざいてる暇があるなら撃てッ!

もう数秒も保たないぞ!」


「ながら、装填していたんだよ」



がしり。

ハイレインがバジリスクに再び銃口を向けた。

その発射口に不思議な薬品をまぶしながら。


「とっておきの調合だ。

死なんまでも、痺れておくれよ」


ぶちり、と影の縛りが解けた瞬間。

その一瞬前の刹那に雷火が8回鳴った。

身体が自由になる寸前の胴体に全て撃ち込む。

鱗を貫いた針はその内の2つだけだった。


だが。明らかに動きが変わる。その即効性の毒に訝しむバジリスクの足元に、ヴァンが滑り込んだ。


「『ブラッド』!」


彼の左の掌は指が千切れかけて暫くは使えそうにない。だが代わりに、そこから流れる黒い彼の血を、紋章の獣に振り掛けて、そしてそれをぱきぱきと固めた。そうして動きを止めようというのだ。


きっと、それだけならすぐに脱する。

ハイレインの毒だけなら、すぐに治癒する。

だがその二つは、合わさることで紋章の獣をその場に数秒、留めることに成功した。


「このまま、死んじまえッ!」


ヴァンが残った右腕で剣を握り、突き刺して黒を流しこもうとする。だが、それは欲張った末の悪手。

どずり。

その攻撃の隙を突かれて、ヴァンの腹部に尻尾が深々と突き刺さった。かえしのついた、錨のような鋭い尾。



「少ね…ごあっ!」



4つある翼に、毒は周りきらなかった。

翼の一つに強かに頬を打たれたハイレインは遠くに吹き飛んでそのまま地面に叩きつけられる。


だが、それはむしろ都合がよかった。

憔悴して声を出す余裕も無かった。

だから、ボクの前から二人がタイミング良く退いてくれたのは、まさしく天運が我らに味方した、としか言いようがない。


命懸けの数十秒。

なんとか間に合った。



「……『喰らい、尽くせ』っ!」



バジリスクの首筋に、『それ』が貪り付いた。

首の面積の8割を食い尽くし、千切り食う。

鱗をなんともせず、噛み砕いて。


それでも、それなのに。バジリスクはまだ生命の躍動を失っていない。首筋に絡みつくものを猛禽じみた爪で掴み取り、そしてきっと、ばらばらに引き裂いた。


「…ぐっ、がァ…!」


ボクの胴体から血がぱたぱたと落ちる。

クソ、役立たずめ。

左腕の皮を全部捧げたのに、その体たらくか!


だが、その首のダメージはバジリスクにとって、ようやく看過できるものではなかったらしい。よたつき、まだ戦える内にどうするか悩んでいるようだった。


まだ戦いこいつらを食うか?

まだ力を隠してるかもしれない。

そうして、重傷を負ってまで食べたいものなのか?

リスクと、リターンを天秤にかける知能。

今回ばかりは、ボクらはそれに救われた。


ばさり、と翼を広げて飛び去っていくバジリスク。

その風圧だけでボクはぐらりと後ろに倒れた。



「……なんとか撃退は出来たようだな。

クソ、マスクが壊れたらどうしてくれるんだ」


「マスクくらい、良いじゃないか。

オレは腹に風穴が空いたんだぞ」


「その程度で死ぬような身体してないだろ、キミ。いぃ、左腕がすっごいヒリヒリする。誰か包帯持ってないか」



不幸自慢をするように、傷を何故かアピールするそれぞれ。その様子がなんだか滑稽で、皆でふふっと笑ってしまった。


ふと、遠くから猪の走るような音が聞こえてくる。魔物じゃなかろうなと目を凝らしてそっちを見た。

…猪と言ったら失礼だったな。まさかあの音がイスティが必死に駆けつけてくる音だったとは。



「助かったよ、ヴァニタス少年。それに、ダルクくん。もし私が一人で戦っていれば此処で確実に死んでいただろう」


「礼はいらないよ、ドクター。

ボクらはあくまで自己防衛しただけだからね」


「…それと…この際言うけど馴れ馴れしくファーストネームで呼ばないでくれ。くん付けもよしてくれ。鳥肌が立つ」



ああ、ようやく言えた。血を流して頭が回らないからか、逆にそれを簡単に言えた気がする。ヴァンがなにやら、少しにやついてボクの顔を見ていた。なんだその顔、ムカつくな。



「…アーストロフ。ダルク・アーストロフだ。

性別は…少年、と嬢呼びを交互でやってくれ。

それでいいだろう」






……





「二人ともしっかり!しっかりしてください!」


「い…イスティ…そんな泣かなくていいし、急ぐ必要も無いって。オレたちは、ほら、知っての通りすごいしぶといから」


「ああ、もう!私自身に腹が立ちます!

どうして肝心な時に私はいつも居ないんですか!」



私が、能天気に3人はゆっくり待っているかなと歩いている時!みなさんが紋章持ちの、しかもバジリスクと戦っているなんて!なんて役立たずなんだ、私はもう!ぽかぽかと自分を叩いても何も解決しないので、とりあえずみなさんの治療を進めていく。せめて、せめてこうしてみんなを癒さないと申し訳なさすぎて。



「………!」


「どうしましたダルク!?まさかまだ左腕が痛みますか!?それならもう一度…」


「え?いやいや、完璧に治ってるから安心しなよ。

そう、完璧に…」



治したはずの左腕をぼうと眺めるダルクを見て、早とちり。ここでようやく、私は落ち着きを失っていることを自認しました。

…深呼吸を何回かして、落ち着いて。

そうしてからさっきまでの恥に顔を赤くして。



「……はぁー…すみません、色々。しかし本当に、みんなが無事で安心しました。でも、まさかたった3人で紋章持ちを撃退してしまうなんて!私はもしかして英雄と旅してるのかもしれません!」


「は、はは…英雄て…」



そう、そうだ。

さっき興奮していたのは自責と自分への怒りだけでは無い。彼らに対する興奮もあったのだ。

紋章持ちの魔物は、専用の装備を持った中規模団が1つ合っても倒せないことのある程の災厄。それをまさか、旅の待ち合わせの道具だけで、たった三人で撃退してしまうなんて、まるで英雄譚のようで!




「…オホン。治癒に感謝するよ、グライト嬢。

だがそろそろ村の方に行かねばいけないな。

先ほど介抱した男は何か言っていたか?」


「!はい。村の皆も是非とも助けてやって欲しいと」



は、とまた正気に戻る。興奮は、また後で。今はそんなことをしている場合ではないのだから。


そうして、さっきの彼から聞いた話を私は伝えました。

彼はあの村に住んでいる者では無い、流れの傭兵だったけれど、在中している内にあの瘴気が立ち込めて。

それに憑かれた村人全員が、次々と壊れていったのだという。食欲に憑かれて、なんでもいいから目の前に映るものを食べようとして憚らなくなった。

それは石だろうと、犬だろうと。

家族であろうと。



「…むごいね」


「ええ。…唯一正気を保てていたさっきの傭兵の方は、ここにくる人間が更に犠牲にならないよう、門番をしていたのだそうです」


「で、そうして必死に我慢してたとこにハイレインが不用意に近づいたと」


「なんだ少年、視線が冷たいな。

それと、ドクターを付け給え」




…この村は、既に傷を負っている。

それは一体どういうことか、わかっている。ここで祓って、瘴気を取り除き、皆の正気が戻るかどうかは五分五分だろう。それに戻ったところで、自らが狂気のうちに犯した罪に耐えられないかもしれない。


病巣を取り除いても、身体が治るわけじゃない。

それはわかっている。だけれど、私は。



「……村に行きます。

村で、みんなを治しにいきます」



私はそれでも、救いを捨てきれない。



「ああ。オレは騎士として君に着こう」



その手を取ってくれた、彼の泥だらけの手。

それは私には、すごくきれいなものに見えた。






……





「なあ、ヴァン。そういえばキミ、イスティの本気。見たことなかったんじゃない?」


「ん?…確かにメイスを使っての戦いは見た。

あと、瘴気祓いも見たけど…本気、は無いな」



「ね。実はボクも。

だから今更、なんだけどね」


「……さっきは、驚いたよ。治癒魔術は使える者こそ多い。だが怪我も痛みもなく傷を治すとなると、そうできる人間は極、極々少数。なのにイスティは、それをいとも簡単にやってのけた。気づけば、完治していたんだ」



「なあ、ヴァン。

これは本当に今更だけど。イスティは」



「……超が3つ、つくくらいの一流だ」







……




魔術は、謎の多いものだ。何が使役されているのかわからない。何が物理に干渉しているのかも、何もかもが確たることはわからない。故にそのわからない全てを総称して、ルーンと俗称してある。

そしてそれを便宜的に形づけ当て嵌めたものを魔導書として纏めて、凡人はそれを覚え、メモライズすることによってようやく仮初に操れるようになるのだ。


だがしかし。ルーンを理解し掌中に収める、凡人ではないもの。それにとっては、その限りではない。その者の求める形にその何かを変えることが出来る。魔導書に定められた形以外に、出力を作る事が出来る。


故に口にする解号は、その人物が定めたものに変わる。否、その人物が定めた、とも違う。力場そのものとの対話が彼らの祝詞になるのかもしれないし、そうですらないのかもしれない。結局のところ、その理論を言語にして伝えられる魔術師は誰一人として居ないのだ。

だから魔術は、謎だらけなのだから。



村の真ん中。

イスティ・グライトの肩の周りに飛び回る光が紫色に浸食されていく。白色の光は黒紫に染まっていってしまう。

だけど慌てず。それを尻目にイスティは唱える。

誰も知らない解号。

選ばれし者が唯一唱えられる祝詞。

唱え続ける。肩に飛ぶ光を撫でて。

その、光は。よく見れば蝶の形をしていた。


最後に、唱える。



「蝶よ、花よ。

楽園の白めきを、無垢の翼に」

「…われらの罪禍を背負っておくれ」



「救いあれ。『免罪の蝶』」




咲いた。

その、表現だけが相応しい。

彼女の全身から光が咲いた。


咲いた光が形となって、光の蝶々が瞬き、きらめいて飛び回っていく。光色の、白めいた楽園の蝶々が紫煙を飲み込むように。蝶の翅が黒く染まって、次々に朽ちていく。その数倍のスピードで、更なる光蝶が産み出されていく。彼女の全身から。

翅が黒くなる度にその周囲の瘴気は全て蝶が吸い取っている。そのすべての瘴気を吸い取り、尚飛ぶ。


咲いて、開いて、飛んで、きらめいていく。

きらめき砕けて、白い光が陽の光を浴びて反射する。

楽園の白めきが、絶望を浄化していく。

極楽の白が、紫の悪夢を消し去っていく。

聖なる光景。神々しさすらある、光。


祈っていた。

その光景を見ていた、村人はただ自然と。

神など居ないと絶望した者も祈りの手を取った。



聖女さま。

誰かがそう呟いた。

僕も、そう跪きそうだった。

彼女は、さっき僕らを英雄だと誉めそやした。

何を言っているんだ。とんだ、勘違いだ。


この中でいちばんの化け物は、ダントツで彼女だ。



暫くののち。

イスティは激しく息切れし、滂沱のような汗を垂らしながら。それでもにこりと太陽のように笑った。



「……みなさん、ご無事ですか?」



祈りの静寂ののち。

村中から歓声が上がった。



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