朝日に向かって走る
「やあ、お帰り」
僕らの帰還を迎えたのは、血塗れのダルク。ただその平然とした顔から、それがダルクの血ではないということは分かった。ただ代わりに、僕の傷を見てああ、と憐れむような顔をしていた。
「またこっぴどくやられたね。その調子じゃどうもボクのアテは外れてしまったみたいだ…こんなことならボクも着いていくべきだったな」
「いや、僕だけで十分だった。
…それにお前がいなかったから苦戦しただとか、そんな情けないことを言うつもりはない」
「そうかい。ボクはむしろそう頼って欲しいけどな。
で、ないと君はすぐそうやって身体を穴まみれにする」
そうしてから改めて、イスティに向き直る。
彼女の様子をじろりと舐め回すように見て、そして彼女の頬についていた、僕の血を拭った。黒い血を取って静かに口を動かす。
「イスティも、すまないね。かなりショッキングなところを見せてしまったんじゃないか?」
「え!?あ、いえ!その…はい」
「そうか。あはははっ!正直者だな君!」
「…勘弁してくれ、あれが精一杯だったんだ」
「わわ、違うんです、責めるつもりはなくて!」
そういう歓談を、少しだけして。誰かから始めたというわけもなく、ただ自然発生的に始まったのは、弔いだった。
葬儀が、誰のものというわけではない。ただこの村そのものの全てであって、また今斃して来た相手へのものでもある。
一つ、一つ全てに意匠を凝った物を作る事は出来ない。そしてまた、影も形もないものを埋めることもできない、形だけの墓だけれど。それでも3人ともが文句も言わずに、作っていってた。
彼女、イスティはこの村にとても馴染み始めていた。心を許し、笑顔を浮かべて日々を暮していた。だから、消沈して動くことも出来なくなってしまうのではないかとも思った。
だがそれは杞憂で、彼女はよく動いて、よく働いた。
笑顔すら見せて、必死に墓の為の素材を持ってきて。
「もう慣れてますから」
その杞憂を言葉にして聞いたら、そう返ってきた。
笑顔を浮かべていたが、寂しそうな笑顔だった。ただ一言であって、一言の中に収まらない感情と、諦観が見えた気がした。
慣れる。
その一言が出るまでに、笑顔が出るまでに、何をどのように見てきたんだろうか。
この世界が殊更に残酷というわけではない。
悪い事だけが降りかかる訳でも、ない。
それでも、しかし。
世界はいつでも平等に薄情だ。
「そうか。…イスティは強いな。
僕はいつまでたっても慣れる気がないよ」
「そうですか。
…やっぱり、ヴァンは優しいです」
「へー。楽しそうじゃーないか」
「うおっ」
そう、話していると。
ずいっと間に顔を突っ込んできたダルク。
明らかに面白くなさそうなその表情を見るに、一人だけ仲間はずれにされていたのが気に食わなかったのかもしれない。
「それでいいんだよ、ヴァンは。
ヴァンのそういう青い所に、ボクは救われてるんだ」
「なんだよそれ、皮肉か?」
「余す事なく本音だよ」
ダルクがそう、自らの言葉を噛み締めるように頷くと横のイスティもそうだと首肯した。優しい、と言われる恥ずかしさと二人の勘違いに、どうにもむず痒くなって僕は唇を噛んで背中を向ける。
本当に優しい人間が人殺しなんてするもんか。
僕は、オレはただ…
「さて。話は変わるが…どうする?ここに留まるのは色んな意味で危ういだろう。出来るだけ早く此処を出て、人里に行かなければならない。今すぐ出るかい?」
パン、と手を叩く音ではっと正気つく。
そうだ。
この村が滅びてしまったのは、もう確かだ。それへの悼みも済んだ。だから次は、どうするかを考えねばならない。
前線基地であるこの場所に留まれば、いつしか襲われて僕らは無惨に死ぬだろう。抑えるものもなくなったことだし、瘴気に蝕まれてしまうかもしれない。
だからすぐに出るべきか。
その上で、よく考えて、結論を出した。
「…出るのは明日の朝にしよう。
メモライズもしておきたいし、何より疲労が溜まりすぎてる。この状態で魔物に遭遇したら犠牲が出かねない」
「そうだね。村人の死体が無い事を考えると、とんでもない化け物がいる可能性だってあるし、せめて万全を期しておこうか」
「全部を喰らうような、巨大な魔物…
『紋章持ち』のような個体が居るのでしょうか?」
「それならまだマシじゃないか?
最悪のパターンは、あの洞窟でテッドが言っていた」
「……魔女、ですか」
「おや、テッドがそう言ってたのかい?というか、やっぱりイスティを拉致ったのはテッドだったんだね。
…そうだな。聞いた話も後で纏めて聴かせておくれよ。ボクの方は大した情報はないけど、まあついでに情報共有だ」
そうして僕らはあの洞穴であったことの一部始終を語った。瘴気に呑まれたテッドと、それに一度殺された僕。なんとかぎりぎり勝ったそれと、魔女の存在が彼をこうする一助になったこと。それら全部を話して、そして代わりにダルクの方の話も聞いた。
「……で、そうやって囲われたんだけど。魔物を調伏しきれてなかったんだろーね。無様なことにそのまま喰われていったよ。そんで仲間割れしてる魔物と黒幕を横からこづいて、ボクの方はなんとか生き延びたって感じ」
「よく、一人で無事でしたねダルク…!うう…私、真っ先に連れ去られて役立たずで恥ずかしい限りです」
「いやあ、あれは仕方ないよ。
ボクもヴァンも反応できなかったし」
しかし、と。またダルクが話題を変える。じっと僕らを交互に睨んでから、忌々しげに口を開いて。
「…魔女を倒して聖女になる、ねえ。
また随分と大変な事を誓ったもんだねイスティ。
すっごい命知らずというかなんというか」
「それにヴァン。
またカッコつけたがりのクセが出たんだろうが…
何をその場のノリで騎士になる宣言してるんだ。
どおりでなんかさっきから二人の距離が近しい気がしたよ」
「え…へっ!?そんな近かったですか!?」
「なっ、そんな事ない…よな?」
「けっ、既に息ピッタリかい。
ま、二人が仲良くなるのはいい事だけどね」
かあ、とイスティの顔が赤くなる。鏡などがある訳がないから自分がどうかは分からないけど、出来ればそうなってなかったと思いたい。だってここで照れてしまったら、凄く恥ずかしいじゃないか。
「…聖女、かあ。
言うまですらない、こそあどに注釈するような不粋かもしれないけど、一応それになる条件を復習してみようか」
「ああ、聖女になるには3種類の方法、だっけ?」
「まあ常識だよね。聖女として中央聖教会に認定されるには、3つの方法がある。一つは聖職者が死後、三つ以上の奇跡を起こす事。
まあこれはイスティ的には論外だ」
「そしてまた一つは、この世界を救う様な偉業を成す事。生前でなりたいならこっちだ。何かどでかい、世界を救うような何かをしないとね…
で、これがラスト。3つ目の手段。
それは『魔女』を封じること」
「…私、それを聞いた時は結局2つじゃないか、なんて思ってました」
「はは、魔女なんてお話の中の存在だものね。まあそうして、名指しになるくらい魔女ってものが恐ろしいってことだ」
お喋り好きな僕の友人は、そこまで言うと満足そうにすうと息を吸ってにんまりと笑う。
聖女。世界を救うようなことなんて、そうそう出来はしない。だから聖女になりたい、なんて夢はそれこそ幼児くらいしか抱かないものだ。それこそイスティのように抱きつづける者は居ない。
「よかったね、3つ目が出来て。
イスティ的にはチャンスなんじゃない?」
「…目的と手段を混同する愚か者になってまで、私は聖女にはなりたくはありません。魔女なんて、居ないに越した事はないんですから」
「……ダルク」
「…悪かったよ、冗談のつもりだったんだ。
イスティが怒る所初めて見たよ」
…
……
魔術。
大気に、世界に存在する「なにか」である、ルーンの操作を通称してそう言う。それが果たして何であるか、ということを理解した者はいない。その不明瞭の性質を理解し、観察して流れを生み出すその感覚を、普通人ならば一生を賭けても読み取ることができない。故に、その流れを恣意的に紡がれた、既製品のまじないを学ぶ。
それが、メモライズだ。
ダルクがメモライズをする姿を見た事は無い。
故にまだゆっくりと寝息を立てている。
またそして、イスティはオレより早起きをしているのにも関わらず、メモライズではなくただの祈りを捧げているようだった。
彼女もまた、才能がある側なのだろう。
それは今までの『祓い』でわかっていたことだが。
「よう。早いな、イスティ」
「あ。おはようございますヴァン!
…いつもはもう少しだけ遅く起きてるんだけどね。
えへへ、ちょっと寝れなかったんだ」
「緊張、か?」
「それもある。けど…」
けど、とバツの悪そうに首を傾げるイスティ。その顔にあるのは、どちらかと言うと罪悪感に近かった。
「…私、楽しみに思っちゃってるんです。
魔女を倒しに行くんだって、遊びじゃないのに。この村のみんなが居なくなってって、そんな笑えるものじゃないのに。
なのに、このヴァンと、ダルクと。
初めての友達との旅を楽しみにしちゃって」
「私、昨日ダルクに怒ったのに。そんなよこしまなものじゃないなんて、思ってたはずなのに。なのに直前になって、この旅にワクワクしちゃってる私自身がいるんだ。…ひどい話ですよね」
「ハハ、そんな事かよ」
オレは、それを笑い飛ばしてやった。
決死の懺悔だったろうイスティは、それに虚を突かれたように此方を見た。呆れと驚き、ほんのちょっぴりの心外を胸に。
「そりゃあそうだよ。旅が、楽しく無いわけがないだろ!
オレだっていつでもこの瞬間は楽しみだ。
何処かに行く事。誰かに会う事。
それに、友人と一緒に何処かに行ける事。
それが楽しみにならないわけないだろうが」
まあオレの友達と言える存在は、ダルクくらいのものだったけど。まあ、それも良いんだ。あいつとの旅がずっと楽しいものだったっていうのも確かな事だから。
「…楽しむことに罪悪感なんて必要ない。
失われた人に申し訳なさを感じなくていい。
亡くなった者が、それを望んでないんだから」
「どうせ、この先は辛いことだらけかもしれない。その度に受け止めてばっかりじゃ壊れちまうよ。だからせめて楽しもう」
励まし、なのか説教なのか。自分でも、したいことはわからなかった。ただ言いたい事はこんな風に、まあ大体言えたと思う。少なくとも、彼女がそれに謝る必要なんてないんだってことを。
「…はい。ありがとうございます、ヴァン!」
それをどう思ったかはわからないけど、でも少なくともイスティの顔に、迷いは消えた。ワクワクする自分に向けた自嘲のような、そういう感情は消えてくれたのだと思う。
そうなってくれたなら、満足だ。
「にしても…別人みたい」
「え?」
「あ、いえ!その…
ヴァンが、なんというか昨日までと別人みたいでびっくりしちゃいました。何か理由があるんですか?」
「ん…そこに関しても色々あるんだ。
それについても、いつか話せたらいいな」
…今話しても、ただ突飛すぎてわからないだろう。
そして何より、そろそろ朝日が上がりきる。
それはつまり、出発の時間だ。
「あ!準備、急がないとですね!」
「ああ。…げ、しまった。
また剣の手入れ忘れてた」
…
……
「どーうどうどう!
ははっ、元気だねぇ」
「うーん…
いいんでしょうか。こんな勝手に、馬まで…」
「まあどうせ他に人はいないんだし。
全員野に放つのだって可哀想じゃないか?
ならボクらが乗っていってあげようよ」
「…全く図々しいな、オマエ。
まあ、同意見だけどな」
馬にまたがる三人。
それぞれが一人、廃村になったこの村の財産であった馬を拝借していくことになったのだった。速度も、荷の作りも段違いにそれが良いと。
「さあ、出発だ。
準備はいいか、二人とも?」
リーダーを気取って、そう二人に問う。
イスティは、弾けるように頷く。
ダルクは、いつものようにニヤついて答える。
「はいやっ!」
鬨の声が朝焼けに響く。
…
……
そうして、3頭の馬が朝日に向かって走り出す。その日に向かう影は、輝きに反比例するように彼らの背に長く、長く伸びていた。
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