少女は絶望する




……不吉。予感、予兆。

そんなものは幾つかあったのかも知れない。

だけどそれに気づいた所で何の意味があったろう。

何があろうと、どうであろうと。

例え前兆があったとしたとしても、どちらにせよ。

崩壊はあっという間で、手遅れだったのだから。

何かが追いつかない程に。


それは、イスティが僕らと一緒に、またアルターに行った時のこと。彼女も忙しい身なんだし無理はしなくていいと言うのに、彼女は笑顔で元気に着いてきていて。まあ、彼女がそうしたいならいいじゃないかというダルクにそれもそうか、と頷いて。



そうしてから、戻ってきた時の、事。

異変にはすぐに気付いた。

気付かない訳が無い。あまりにも静かすぎた。

物音が一つたりとも村全体から聞こえない。

遊び回る子供の声どころか、誰かの声も、生活音も、どこかで何かを食べるような音すら全く聞こえない。


「…どういう…」


イスティが一言呟いて、そして笑顔を消した。びくりと跳ね上がるように、ダルクが声を上げた。



「イスティ。先に防魔の中に」



何かが、起きたという事だけが確か。

それも何やら尋常で無い事。

そしてそれが、非常に危険であること。

そしてまたこの中でイスティが最も重要な役割であり、それでいて戦闘能力はこの中では一番低い。だから避難を。

彼女自身、即座に理解して、そうしようとした。


だから彼女らに落ち度は無い。もしあるとするならば、警戒が足りなかった僕自身にある。



「は…むぐっ!?」



顔を隠した誰か。

それまで姿を隠していたのか、もしくは蜃気楼のように、疾風のようにその場に姿を現したのか。それがイスティの口を塞いだ。そうして、そのまま彼女は意識を失っていく。


「ぐむっ…!」


くぐもった悲鳴を上げて意識を失うイスティ。彼女の口を塞いだ布に、意識を奪う何かが染みていたのだろう。

ただ死んではいない。むしろそいつに殺すつもりは無いようだ。殺意があるならばさっきの瞬間に、首を折るでもどうとでも出来たはずなのだから。



「『ブラッド』ッ!」


反射的にその影へ攻撃を放つ。剣が吸った血を放ち、硬質化した結晶で敵を裂かんとする。

だがそれは別の影に遮られ、イスティを抱えた男には当たらない。別の影とは即ち、魔物の数々。そしてそれを使役する…


「……嘘だろ…」


見知った顔だった。

どいつも、こいつも、見知った顔。防魔前線基地のその中で、いつも楽しげに話していた探索者たちだった。彼らだって優秀で、何より善良な人間だったはずだ。それが、今は変わり果てた姿で魔物を使役している。



「……ヴァン!

イスティを追え!今すぐにだッ!」



ダルクの鬨の声。

ただ、言われずとも。僕は姿を消し始めていた最初の男を追わんとしていた。ただ目の前を遮る他の、元探索者が。



「…ここはボク一人でいい。

キミは彼女を追って助けに行くんだ」


「だけど」


「ボクは、イスティと友達になったんだ。

頼む。彼女を守ってやってくれ!」



「…!『クローズ』…!」



ダルクを信頼していない訳ではない。ただそれでもこの人数、魔物の数相手には、と。

そういう僕の迷いを見透かすようにダルクはそう檄を飛ばして、迷いを払った。


対象との距離を縮める魔術。

それで他刺客達の包囲網を一人抜け出す。

そうして先ほどの影の追跡をする。

そうだ、僕が今出来ることはそれだ。彼女を助け、そうしてからダルクの元に戻るんだ。


…追跡の中、脳内を整理する。

消え失せた村民。そして魔物に憑き動かされるような探索者たち。そして、『瘴気祓い』への狙いの早さ。これは、きっと。


最悪の事態だ。






……




「……行ったかな、ヴァン。

ごめんよ、ウソついちゃった。

だってボクまだイスティに友情なんて抱いてないもの」



「だから友達云々は、これの。

一人になるための言い訳だ」





……





…私が、目を覚ました先は不快な湿気が充満する空間。付近に充満する匂いは、血の匂いだ。

おぞましく嗅ぎ慣れた匂い。魔物の血でも無ければ、獣の血でもない。人の、雑食の匂いと湿気が充満していた。


伏せたまま、気を失ったふりをする。

だがそれを見透かされてか、もしくは元々そうするつもりだったのか、私を連れ去ったその方は私を乱雑に投げ捨て、腹部を蹴り上げた。



「ぐ…ぅっ!」


「醒めろ」



冷酷な声。人を生き物として見ない声は、しかし聞き覚えがあった。それは外道に堕ちた人間の声に聞き覚えが、というわけではない。もっと単純に、聞いたことのある声。ここ最近に聞いていた声だった。

疲れ、しわがれ、それでいて力強い声。


さっき、何を嗅がされたのでしょう。

目の前がぐるぐるして、立ち上がるのも難しい。それでも無理矢理に立ち上がって、彼の前に立つ。これだけは、彼に聞かねばならない。



「……なぜ、なんであなたがこんな事を。

なにか、意味があるなら仰ってください!」


「……テッドさん!」



そう、問えば。男は顔を隠していた布を取り外す。

そこにいるのはやはり、テッドさんだった。

彼は歪んだ笑いを浮かべて、そしてまた、彼の舌には…



(………っ!)



「は、ははは。

苦労したんだぜ、イスティさん。あんたが後任で来てよぉ、『祓われ』ちゃたまんないからよお。必死に普通のフリをして、これを隠してずっとアンタらが離れる時を待ってた」


「…その舌。真っ黒な舌は、そんな…」


「ひはははッ!良い顔をするじゃねえか!

聖女だの言ってた時よりよっぽど可愛いぜ!」



……瘴気の汚染。淵から生み出された悪気はそのまま、植物を、動物を変化して全てを魔のものにしてしまう。それに浸り続けたものはより濃く、強く変化をしていく。力あるものは力そのままに闇に堕ち、知を持つものは賢者のままに倫理が狂う。


それは人間も無論例外では無い。

軽い瘴気、短い間なら無事なまま。ただそれに、ずっと、祓われないまま、延々と浸かり続ければどうなるか。例えば『アルター』に入ってから、ずっと装備品に着いたままだった瘴気に、日夜浸り続ければ。それらを祓わないまま日々を過ごせば。


そうはなってしまわないために『瘴気祓い』がいる。こうならないために、そう最悪の事態にならない為に。

そうして、『舌先が黒くならないように』。

私はそれを常に気にしていたつもりだった。

全員を見て、みなさんを確認できるように。

だからいつも、口を開ける食堂にも入り浸っていた。


だけれどこれは。

テッドさんの確認はとうにしたはずなのに。つまりは彼が、彼自身がその意思を持って隠していたということ。隠す、何かしらの処置をしていたのだ。それはつまり、私がここに、この村に来た時にはもう既に彼は瘴気に浸かり続けて手遅れだったのだと言うこと。意図的に隠していたという事実。そうするほど、脳の変質が始まっていたということから。


瘴気に浸かり続けた人間。

それの症状の始まりは舌が黒くなる事から始まる。

だんだんと舌先が黒く染まり、そして最後にはそれが根元まで真っ黒になって、黒の絵の具が色を乗っ取るように口蓋全てを黒色に染める。

それで、ただ死ぬなら良い。

だけど、そうはならない。瘴気はそのものの力と知をそのままに、変貌を遂げさせる。それは人間も例外ではない。


汚染は最期には脳の変質を起こし、狂わせて脳髄からその人物の全てを変貌させてしまう。そうして、知能と意図を持って、自らの同族を殺さんとする殺人鬼になるのだ。

それこそが自分の快楽と信じて疑わない、狂人に。



「っ!他の村人は、どうしたのですか!」


「全員喰わせたよ。魔女さまの為にな」


「……ま、じょ」



魔女、魔女。

それを聞いたのはいつかのこと。いつかの変わった来訪者が。ドクターが、そのような事を言っていた。

魔女とは、昔話にしか存在しない名称。

ありふれた名称故に、久遠の過去の悪夢を思い出させないようにと、何かの名称に使う事すら赦されない忌み名。


ドクター・ハイレインは言っていた。

暴食の魔女が再び降臨したのだと。

与太話か、冗談かと思っていた。

魔女など、子どもを脅しつける作り話であると。

吐く息は瘴気、魔術で全てを枯らし、世界そのものを死滅させることのみを目的とする無敵の怪物。

ただ、不死者と同じだと思っていた。

本当に不死ならば何故今この世にいないのか。

本当に無敵なら、何故この現世にいないのか。


であるのに、この瘴気に堕ちたテッドさんは、それの為にと平然と言い切った。狂った故に、言い伝えを真実と思い込んだのだろうか。

違う。それはきっと現実逃避です、私。




「…はっ、ははは。あー、すっきりした。

俺の中に俺はもう一人いるような感じでよお。もう一人はずっとずっと耐えてたンだよ。殺しちゃだめだ、狂っちゃダメだってな。かといって俺が今消えたら纏めるやつがいなくなって破綻しちまう。だから後任の瘴気祓いが来たら、あのヴァニタスに全権を渡して人知れずそのまま自殺しようとしてた」


「だけど、感謝しなくちゃな。魔女さまの降臨が、俺らを俺らにしてくれた。俺が俺のままでいいんだってな。俺が生きる意味はこうやって魔女さまのために隷属すること。そんで、ついでに…」



どすり。

脚が、ダガーで刺された。

激痛が走り、気が飛びそうになる。痛みで気つけをされても、頭がぼうとするのは治らない。何かしら、まずい症状なのかもしれない。



「くう、ああああ…ッ!」


「ああは、ははは!こうやって、自分より弱いやつを痛めつけるのが楽しいってのをな!」



痛い。出血も、かなりしている。

根元まで刺されて、捻じられたそれは本当につらいもの。だけれど、もっともっとつらくて、嫌な事がある。

そんな私の傷などどうでもいい。



「…本当に」


「あ?」


「本当に全員殺めたのですか」


「ああ」



「受付のリセさんも、鍛冶屋のヘナーさんも、食堂のタイバーンさんも、探索者のハイネさんもラクサさんも、番人のパウドルさんも!全員、全員殺したのですか!」


「だからそうだっての。

あとは、ヴァニタスとダルクを殺してお終いだ。んでその後に、餌の役割を全うした後にアンタも殺す。それで一丁上がりだ」



死んだ。

全員、死んだ。

それは分かっていた。

私たちが戻ってきて誰もいない時。村全てに瘴気が立ち込めていた時。私の中の理性は完全に、思ったんです。『ああ、これはダメだ』と。もう、皆助かっていないだろうことはわかっていた。


なのに私は、とても未熟で弱いから。

まだまだぽんこつで、道も迷うから。

感情の部分でそれを否定したくて。



「あっ、あああっ。私が、私がっ…!」


「私がもっとちゃんと瘴気を祓えていれば!私が脳天気にしていなければ、テッドさんたちを、もっとちゃんと見ていれば…ッ!」




…それもただの現実逃避です。私がここに来た時には、もうテッドさんたちは汚染されていて間に合わなかった。魔女の降臨が理由だとしても、私にはどうしようもなかった。


だけれど、でも。テッドさんが優しくしてくれたことは嘘だと思いたくなかった。それは彼らに少し残っていた優しさだったのだと、思いたくて。騙すためのものではなく絞り出した正気だったと信じたくて。そしてもしそうなら、彼を救えたのではと思ってしまって。



「おいおいイスティさん。泣くのはまだはええって。

そら、来たぜ」



来た、という言葉。

それが何を示すかは分かった。

涙と薬品で歪んだ視界に映る真っ黒な戦士の姿。真っ黒な仮面を付けて真っ黒な剣を持った、私のともだちの姿。

いつもは嬉しいはずの彼の姿。

それが今は、来てほしくなくて。



「なあ。

あれを目の前で殺した時にもっと泣いてくれよ」



そう言って私の太ももからダガーを抜いて。そうして彼の元に向かっていく。真っ黒なひと。ヴァニタスの、元へ。



「逃げて!逃げてくださいヴァン!

私のことは諦めて、逃げて!」



彼は私を餌にするつもりと言っていた。

それはつまり、ここの場所に誘い込むということ。誘い込むということはつまり。相応の罠が仕掛けてあるということだから。そうしてもし、彼が目の前で死んでしまえば。そうなったら。




「…諦めないよ、イスティ。僕は君ほど才能も無ければ、ダルクほど強くもない。それでも、諦めたりするもんか」



しゅう、と身体から怒気を放ちながらゆっくりと歩いてくるヴァン。来ないで、逃げて。そう思っても彼はそう思うほどに私を助けようと近づいてくる。ヴァンはやさしいから、そうなるとわかっていたのに。




「よおテッド。…僕、あんたの事嫌いじゃなかったよ。だから殺さなきゃいけないのが残念だ」


「そうか?俺は気持ち悪くって堪らなかったぜクソガキ。さっさと死んで消えちまえよ」



中距離を保ったまま、二人が止まって。

そして二人ともが姿を消しました。代わりに見えるものは色付きの風と、それが交わるたびに鳴る鋼の音。


そして、それが止んだのは肉が裂ける音が鳴ってから。



「…っ」


「ヴァン!」



…テッドさんがここを纏めていたのは、その指揮能力だけに非ず、その単純な実力が彼らの中で最も秀でていたから。

それは恐ろしい実力を持つヴァンも、単なる剣術で上回るほど。黒い風の脚が止まった。テッドの剣が彼の腹部を捉えて、そのまま重い傷になっていた。


だが、ただでは転ばない。

剣術では上回られようと、それ以外のものがある。

ヴァンが刺されたままに魔術を唱える。すると彼の影はずるりと動いてテッドの影をそのまま縛りました。それに連動したように、本体の動きも止まって。



「ぐっ!?」



やった。

それがどういう術かはわからないけど、ヴァンがテッドさんの動きを止めて動けなくしたのはわかりました。

ヴァンも勝利を確信したのでしょう。腹を押さえながらもゆっくりとその縛り付けられた彼に向かっていって……



どず。

ヴァンの首から、太い針が生えた。



「………え」


「な……ごぼっ…!」




影に縛られ、笑うことも封じられているテッド。しかしきっと、それが無ければ笑っていたのでしょう。おぞましい、人を人とも思わない鬼畜の笑みを。瘴気で外道に堕ちた哀れな笑みを。



「……クソッ、やっぱり…

あの毒針を仕込んだのもあんたか、テッド!」



毒、針。

その言葉を聞いて思い出す。

初めて彼らと一緒に深部に潜って行った時。嫌な予感がして、魔物が放つ腕を折ってなんとか毒針を横に逸らした時だ。あれを仕込んだのがテッドさんというなら、あの時にはもう魔女が降臨していたというのか。


違う。思い出すべきことはそれじゃない。

あの時ダルクはなんと言っていたか。

『彼女は君の命の恩人だぞ』と。

それはつまり、当たれば命に関わるような猛毒というわけで。それが、そんなものが、首に刺さって。



「…がっ!ごぼっ!げっ…」



激しく、引き付けを起こしていくヴァン。

ひゅっ、ひゅっと息がどんどんと細くなっていく彼はそれでも私に何かを向けて口を動かしていて。

その、弱々しくなっていく姿があまりにも痛々しく。



ばたん。

ヴァンは、仰向けに。

呆気なく、倒れた。




「い、や…ヴァン、ヴァン…?」



「ああっ、ああああッ!

いやっ、いやあああっ!!」



「ははっ、あひゃははははッ!!」



影の縛りが解かれたテッドの高笑い。

そしてそれを上回る悲鳴は反響して、うるさいくらい私の耳に届いた。


まるで、他人事のように。

私の全身に絶望が響いた。

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