ダークナイト、不穏な気配と出会う





…僕は仮面を改めて付け直して深部に赴く。

イスティと別れて、その後の事。明らかに不審な存在の気配を感じ取り、無断のダイブだった。

すぅ、と板越しに吸う空気は薄暗くて濁った匂いがした。そんな匂いの中にただ少し刺激臭が入る。それは薬品のような匂い。劇物の瓶が、ただそこに置かれているような違和感の香り。


「……」



ざく、と土を踏みしだく。

痕跡を辿っていくと、ちぎられた植物。そして痙攣した魔物たちの姿が少しずつ増えていく。びくびくと動けないその身体に、小さな針が刺さっているのを確認した。

その先に、ただ一つ正常に動く人影があった。



「…ファントム」



魔術を一つ唱えて、近づく。

ざく、と一歩を踏み締めた、瞬間。

その瞬間に響く、だぁん、という強烈な炸裂音。

針が僕の額を狙い、そして通り抜けて消える。


(銃、か!)


珍しい武器に、思わず驚く。こんな武器を使う人間は今時、どのような人間だろうか。放ったその人物はこっちをじっくりと眺めながら立ち上がった。全身を灰色の革服で包み、すらりとした体付きに、元は恐らくは白かった外套を羽織っている。そして、その顔には…



「へえ。幻影の魔術か!

珍しいものを使うな、少年」


「…!」



少年。と、そう呼ばれたことに驚く。

僕の背丈がそう大きくない事は確かにある。だがそれ以外の情報は認識阻害で分からないはずだ。何故分かったのかと、警戒を新たにする。隠すつもりも無く、露わに。



「待て。私は怪しいものでは無い」


「…ああーそうだ、どこから見ても怪しい。

それに、気配を感じ反射で発砲したのも事実。

それについては謝罪する。真に済まない!

だが、襲いかかる前に話を聞いてくれ。私たちは人間だ。会話をすることで争いを収めることができるはずだ。そうだろう?」



そうだ。

そいつは、如何にも怪しい風貌をしている。

無許可無断に『アルター』に入っている事。

銃を用いている事。その革服の姿。

そして何より。

その顔に被った、口先の尖ったマスク。シュー、スコー、と音を立てる蚊じみた覆面を被るそいつは、明らかに不審者だった。

だが、僕は臨戦態勢を解いた。

それはそいつの言葉を信頼したというよりは、ここまで口が回る人間ならばこのまま聞き出せるかと思ったからだ。



「…君が人であるようで助かった。

では改めて自己紹介から始めようか」


「私の名はドクター・ハイレイン。

『魔女狩り教団』に属すドクターの内の一人だ。

暴食の魔女を追い、この前線基地周辺に来た」



魔女狩り教団。聞き慣れない筈の団体名を、しかし一度だけ何かで聞いた事があると記憶の片隅が疼く。そうだ、一度。確か、ダルクが笑いながら言っていた。


曰く、昔から存在する秘密結社のようなもの。

この世には存在しない『魔女』を追うことに躍起になり、現世への再誕の阻止を至上教義とする教会の教団の一つ。

胡散臭い眉唾のものではあるが、まあ古来からずっと結成されているから邪険にすることもできない、教会の鼻摘みもの。要は、不死者信奉なんかと同じような、トんだ奴らと。



「…オレはヴァニタス。

いや…ヴァン、と呼べ。それでいい」


「応、宜しくヴァン少年」


槍一つ分離れた距離で、ハイレインは握手のモーションをした。当然手が届くわけもないが、奴は虚空を掴んで振るふりをした。


「それで?その麗しい魔女狩り様がこんなとこで何をしていた?倒れてたあの魔物どもが魔女ってわけじゃあないだろう」


「毒針を作っていた」


「何?」


「…瘴気にまみれたものは、その全てを禍々しい存在へと変貌を遂げる。だからこそ、この『淵』の周辺は変貌させるモノ、『アルター』と呼ばれている。そこまではわかるね」


「…幼児への講義のつもりか」


「そう警戒を露わにしないでくれ。そうして変貌をした植物、草木からしか採れない成分があってね。そしてそれから作れる毒物でなくては魔女どころか強めの魔物にすら通らないのだよ」


そうして、そいつ。ドクター・ハイレインは針を取り出した。その先は緑色の液体に染まっている。あれが、今説明した毒を染み込ませた針なのだろう。成程、ここに来るまで見た痙攣した魔物はこいつが銃であの針を打ち出して無力化した跡だったようだ。そしてそれを見て脳裏をよぎったのはあの、毒針を放った魔物のことだった。イスティが決死で僕を突き飛ばした時の、あの毒針。



「……お前。魔物にそれを与えて『魔女』とやらを捕縛するための罠にしているのか」


「…ほう?」


「いつからここで活動をしていた?そのくだらない教義のためにどれだけ、俺たちのような探索者を殺めた。お前が、お前の都合で」


「待て、待て。何か勘違いしていないか少年?私はそんなことはしていないぞ。する意味もない。私達が戦う理由は『魔女』の再臨を止め、殺すことのみ。それ以外の犠牲など作らん」


「…と、それを信じる理由もないのはわかっている。いや、君の言い振りからして、恐らく魔物が何かしらの要因で私の針を放ってきたのだろう?そうだ、そうならば私が容疑者となるのは合理的だ。困った」



マスクの底でため息をつきながら、顳顬をとん、とんと人差し指で何度もノックをする動作。奴なりの、思考を回す時のクセだろうか。ドクター・ハイレインのその次の行動は、非常に単純だった。

銃を腰のホルスターに仕舞い、両手を上げて膝を付く。

降参。抵抗の意思無し、という意思表示。



「なんのつもりだ」


「さっきも言ったが、私はこの方面へと逃亡した『暴食の魔女』を追ってこの地に来た。それを狩るまでは無駄な消耗は控えたいのだ」


「オレとの戦いはその無駄な消耗になると?

…まるで戦ったら勝てるとでも言いたげだな」


「私が勝つよ。

私は魔女を狩るまでは死なないつもりだ」



膝を折りながら、それでいて勝気な発言。

成程。こいつは相当図々しく、そして負けず嫌いだ。ただ、それがこのような無様な降参をしている辺り、奴の目的がただ魔女の討滅であって、それに熱中していることは間違いないかもしれない。



「この降参は、打算でもある。

私を信頼できないというならば、私に次ぐ実力者であるだろう君が、私につきっきりでいれば良いだろう。そうすれば、君の目を盗みながら何かをすることなぞできん。もっとも、していないのだが」


「あ、そうだ。基地の方に連行するかい?そしてヴァン少年、君はそこに詳しいかい?それならそこの、取り分け飯屋を案内していただけたら嬉しい。ここ数日何も食ってなくて腹ペコなのだ」



…いや本当に図々しいな。

なんだこいつは。



「…わかった、いいよ。オレが連行していってやる。だが縄や武装解除は要らない。あんたを守りながら進むのは出来ないからな」


「あんた、ではない。正確にドクター・ハイレインと呼んでくれ。ドクター、という敬称を忘れずに」


「………ドクター・ハイレイン。

代わりにオレの質問に幾つか答えてもらう。

それに包み隠さず答えろ。嘘なら分かるぞ」


「ふむ、それだけで良いのか?

ククー、君は底抜けにお人好しだなヴァン少年」



笑う、ということを表す文上の言葉を無感情に読み上げたような笑いと、お人好しという僕への評価。そして、そうだ。少年、という呼称。どれにも、何やら違和感があって仕方がない。

このドクターは、どこか不吉で気持ち悪い。






……




「質問は2つだ」


「応。歩きながら行こうか少年」



「…1つ。その…『暴食の魔女』、とやらを追ったとお前は言っていたな。まさかとは思うが、『魔女』が既に降臨しているとでも言いたいのか?」


「答えはイエス、だ。世界が滅んでいないのは私たちの尽力のおかげだぞ?感謝するといい」


「…話にならないな。

まあいい、次だ。何故オレを少年と呼んだ」


「?立ち回りがまだ若いじゃないか。歴然だろう。君のような少年がしかし、そのような恐ろしい実力を持っていることは喜ばしいよ。強さというのは、間違いない取り柄というものだ」


「…俺の取り柄なんて大したこと無い。

強さなんて上には上が沢山いる。

オレの取り柄といえば…

精々、へこたれないくらいだよ」


「それは、それは。

実に羨ましいじゃないか。

本当に、羨ましい…」







……





…飯屋に辿り着いた時。僕らの目に直ぐに入ってきたのはあるテーブルの積み上げられた空の食器。そしてそのテーブルで未だに匙を進める、見覚えのある二人の姿だった。



「イスティ、君よく食べるねぇ。

その細い身体のどこに入っていくんだい?」


「え!そ、そんなに食べてます!?

今日はその、迷惑をかけないよう抑えてるのですが…」


「これでかぁ!

うーん、あの怪力はそこからも来るのかな」


「まじまじと見ないでください、ダルク!

それに貴女もいっぱい食べてるじゃないですか!」


「ボクはいつものことだからいーんだ」


がじり、と齧り付くようにマナーなど無く食べるダルク。そして、マナー正しくスプーンを動かし、それでいて止まる気配の無いイスティ。

僕は、それを暫く唖然として見ていた。



「おや、ヴァン。随分遅かったね?先に済ませてしまったよ」


「あ、ヴァン!お疲れ様で…ええと、その方は?」


輝く笑顔でこっちに語りかけてくる、二人。…ダルクの大喰らいは知っていたが、まさか彼女までこんな健啖家だとは思わなかった。僕だってそんな少食なわけではない筈なのにな。

と、イスティの質問に正気に戻る。

ああ、そうだ。ハイレインの事の説明をしなければ。あとついでにこのドクターに彼女達のことについても。

そうして、ドクターを見た。すると、奴は。



「き、みは…」


驚いた。このドクターにはまださっきに会ったばかりだから、人となりを知っているわけでは勿論ないが。それでも、このように狼狽する姿を、初めて見たからだ。

じっと、二人の方を眺めていた。そのマスク故、その視線が果たしてどちらを見ていたかはわからないが。



「…へえ、また変なのを連れてきたね?ヴァン」


ダルクが、眉根をぴくりと震わせて言う。

このように表情を崩すのは珍しい。



「…初めまして。私はドクター・ハイレイン。

魔女狩り教団に属している。

時にそこの…ダルクと言ったかな。

君はいつから此処にいるのだ」


「それ、答える必要があります?」


「聞いてから考える。答えてくれ給え」


「へえ。貴方の教義は場任せなものなのですか?それならば失望ものですね。過剰な裁判と迫害を行い抹消された『異端燃やし』となんら変わらない」


びりびり、と。

敵意が丸出しのダルクの返答。

僕はそれにも驚いた。あいつは、常に張り付いた笑顔で誰に対しても慇懃無礼な態度だと、そう思っていたのに。

そう思っていた、昔から。…昔?


「む。これは失礼した。君らを敵に回すような必要はない。教義に基っていないというのも至極真っ当だ。ここに謹んで謝罪申し上げよう」


「最も、戦ったとしても私は負けないが」


は、と。思案から戻らざるを得ない程の緊迫。

二人の間に立ち込める闘気。

座りながら睨めるダルクを、露骨に見下すハイレイン。直ぐにでも殺し合いが始まりかねない気配に、周りの空気ごと冷え込むようだった。


それを、中和したのは。



「ハイレイン、さんですか!宜しくお願いします!

あ、そうだ!お腹が空いてはいませんか?もしよろしければこちらのパンをどうぞ!ミルクもありますよ!」



…意図的にやったのか、はたまた天然なのか。それすらわからない底抜けに明るくて、空ごと温めてくれるような、女の子の声。

当然、イスティの声だった。



「ん…おお!ありがたい!是非とも頂くよ、レディ!いや、すまない。空腹だとどうにも頭に血が昇りやすい。冷静さを失っていたよ」


「それは良かった!ここのメニューはぜーんぶ絶品ですよ!ここのオーナーのタイバーンさんが料理がとても上手で…!」



そう、二人が和気藹々とメニューの話に移っていく姿を横目にして僕はダルクの近くに寄っていく。

彼は、またこれもあいつらしくなく。

頭を抑えて、頭痛に耐えるような素振りをしていた。



「どうしたんだ、ダルク。お前らしくない。

そんな食べてるのにまだお腹空いてたか?」


「…『魔女狩り』にはどうも嫌な記憶があってね。

ごめんごめん、もう大丈夫だよ。

ヴァンの顔も見ることができたしね」


「そっか。なら安心した。

お前が変だと、僕だって落ち着かないよ」


「おや。それを聞いたらボクは血眼になって平常心を保たなきゃあいけないな。ヴァンを心配させたくはないや」



二人で話している横。

また、イスティとハイレインが静かに話す。


「君は、とても良い子だね。そこの、ダルク少年…いや、レディか?にも見習わせてほしいよ、ええと…


「!申し遅れました、私はイスティと申します!」


「……イスティ、か。

まさか、こんな良い子に出逢えるとはね。

…まさか、こんなところでね」







……





「いや、良い雰囲気の村だった。

だが、ここに滞在する訳にも行かないな」



耳に当てる、小さな機器。

ハイレインはそれに話し続ける。



「ああ、うん。

『暴食』の行方はわからない。

近くに、あそこに居たとは思うが…確証は無い」


「ただもう長期調査も出来ん。

せめて居れたら違うのだけれど」


「ああ。あの村はもう駄目そうだ。

それこそあそこを生き延びるものがいるとしたら、そうだな」



「…それこそ。

魔女か、そういう類のものかもしれないな」



ハイレインは、通信機を切った。


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