第7話

 

 小夜さんと火花くんの初デート当日。

 もちろん僕もついてきて、物陰に隠れて覗き見ていた。

 二人のデートが上手く行くようサポートするのが僕の仕事だ。休むわけにはいかない。例え憧れのデートスポットに独りでやってきて、遊ぶことすらできなくとも。

 きらきらの遊園地。土日は避けて、平日に予定を合わせたというのに他の客も多い。遠くから人のはしゃぐ声とBGMが聞こえてくる。楽しげな空間だ。

 現地で待ち合わせをしている小夜さんの様子を遠くから眺める。彼女はとびっきりのお洒落をしてきたみたいで、春らしいレイヤードのワンピースに、ヒールのミュールを合わせてフェミニンにまとめている。メイクもばっちりで、いつもより華やかだ。

「だけど、遊園地にヒールって、ちょっと歩きにくいんじゃないかな、ねえ?」

 同意を求めてから気付く。僕に同行者はいない。僕のいつものパートナーは、今日はお客さんの隣を歩く予定をしているのだ。もやりと胸がざわめく。

(火花くん、遅いな……)

 彼は約束していた時間に五分遅刻して現れた。僕はその姿を見てひっくり返る。

(うわ、何て格好してるの!)

 いつものばっちり決まった服はぐちゃぐちゃに着崩され、髪はぼさぼさに寝癖が付き、髭も剃り残されている。僕は慌ててポケットから宝石を取り出し、彼に向かって魔法を唱えた。服の皺を取り、髪をセットし、髭もちゃっちゃと剃っておく。

(あぶなーい! あのままデートになんて行かせられないところだったよ!)

 彼女と合流する直前に何とか間にあった。彼女は綺麗に整った火花くんの姿を見て、「今日も格好いいね、暁くん!」とご機嫌そうに笑った。

「俺は格好良いか?」

 火花くんが、小夜さんに尋ねる。彼女は健気に頷いて、再び繰り返した。

「格好いいよ。どうしたの?」

「いや、それならいいんだ」

 一瞬辺りを見回すような仕草をした後、彼女にされるがまま腕を組んだ。

(あわわ……火花くん、くっつくの苦手なのに!)

 嫌がるかな、と思ったけれど、彼は大人しく腕を組まれた状態で歩き出した。

(我慢しているのかな、それとも悪い気はしてない?)

 僕は頭の中で考えてから、ちょっとむっとした。結局火花くんもスケベなんじゃん。僕に怒る権利はないけど。僕には関係ないけど。ただ、むかついた。

(惚れ薬、必要なかったんじゃないのかな……)

 そういえば、まだ彼女は火花くんに惚れ薬を飲ませていない。一日効果が保つから、デートの序盤に飲ませても、告白するまでに切れることはないはずだ。それなら早めに飲ませた方が、楽しくデートができるはず。ということは事前に伝えてある。

(うまく飲ませられるかな……?)

 今日は天気も良くて日差しがあって気温も暖かい。一緒に遊んでいるうちに、自然と喉が渇くはず。一瞬の隙を突けば飲み物に薬を混ぜることなんて……素人にできるかな。僕がアシストしてあげなくちゃいけないかもしれない。心配だなぁ。

 彼らのデート自体は素直に穏やかな雰囲気で始まる。予約していたパスを受け取り、入場して、乗り物を選ぶ。絶叫系は避けながら、穏やかな乗り物を二人で選んでいく。アトラクションの中にまで僕はついて行けないから、入り口に入るところまで見送り、外でお留守番。楽しそうで良かったなっていう暖かい気持ちと、ひとりぼっちで二人を眺めているだけで、何だか寂しい気持ちとで胸が詰まる。

(いつもはデートを見ているだけでも幸せになれるんだけどなぁ)

 今日は調子が悪いみたいだ。場所が悪いのかもしれない。いつもみたいに隣で茶々を入れてくる火花くんがいたら、寂しさも気にならないのに。なんて考えてしまう。

(だめだめ! 二人をサポートしなくちゃなんだから!)

 シューティングゲームから出てきた二人は、噴水の傍のベンチに腰掛け休憩を始めた。休憩するなら飲み物を飲むはず。惚れ薬を飲ませるチャンスだ! 僕はスマホを開いて小夜さんにメッセージを送る。

『惚れ薬は飲ませましたか?』

『まだです。機会がありません』

『飲み物を準備して、噴水広場にいてください。十五分ごとに噴水が上がりますから、彼が噴水を見ている間に飲み物に薬をいれてください』

 これでよし。

 小夜さんは、ベンチから立ち上がって飲み物を買いに行こうとする。それを遮って、火花くんが代わりに立ち上がった。微笑ましい。女の子を休ませて、男の子が代わりに買い物に行く場面はデートではよく見る光景だ。それを火花くんでも見られるなんて。

 ほっこりしながら、僕は時計を眺める。噴水が噴くまで、あと五分ほどある。

「おい、貴様」

「っわあ!!」

 突然背後からかけられた大声に思わず飛び上がる。振り向くと、火花くんがいた。

「どうしてここに!」

「それはこちらの台詞だ。……いや、予想はしていたが。やはり見ていたな」

「見てたよ! 何あの格好! デートに来るのにあの格好はないでしょ!」

 彼は「ふはは」と高らかに笑い声を上げ、整えられたスーツの端を指で摘まんだ。

「貴様が来ていれば、いい加減な服装で来てもいいかと思ってな」

「わざと直させたの!?」

「インチキ店がインチキをしないか確認してやったまでだ」

 彼は悪びれもしないで楽しそうに体を揺らしている。今日のデートが始まってから、こんなににこにこしているのはこれが初めてだなと気が付く。彼女と一緒にいるときも彼は笑ってはいるけど、悪戯っぽく八重歯を見せるような笑い方はしない。

「楽しくない?」

「楽しいさ。おかげさまでな。貴様は楽しいか?」

「……もちろん楽しいよ! おかげさまでね!」

 僕は拳を握り込む。いつもならもっと楽しいはずなのに、何だか胸がもやもやする。そんなことを火花くんに言ってもしょうがないから、僕は精一杯胸を張って強がった。

「それならいいんだ」

 彼はそう言って手の中でスポーツドリンクのペットボトルを揺らした。

「……ねえ、それ、早く持って行ってあげなよ。彼女、喉が渇いちゃうよ」

「そういう貴様は水分補給をしているのか?」

「僕のことはいいよ」

「そういうわけにはいくまい」

 そう言って彼は僕にそのペットボトルを押しつけた。

「これは貴様の分だ。仕事はまだある。脱水症状で倒れられたら適わん。飲んでおけ」

 僕はまだ水滴のついているそれを受け取った。ひんやりしていて、手のひらの感触が気持ちいい。キャップを開けて一口飲むと、体中に水分が染みこんでいく感覚がした。自覚はなかったけれど、僕も随分喉が渇いていたみたいだ。

「……美味しい」

「フン。貴様のことだから、自分のことは後回しにしているだろうと思っていたんだ」

「ごめん、ありがとう」

「貴様には期待している。ここから先もきちんと見ておけよ。目を離さずにな」

 彼は満足そうに微笑んで、軽く手を振った後、小夜さんの元へと戻って行った。

 僕は、嬉しい気持ちと同時に、もやもやした気持ちを抱く。

 僕のことまで気にしてくれた。優しくしてくれた。僕がいるのを気付いてくれた。

 目を離すなって何だよ。見ておけって何だよ。きみは僕のことが好きなくせに。

 二つの感情が混ざり合って、濁った汚い色になっていく。僕は頭を振った。

(こんなこと考えてる場合じゃない。僕は、二人のことを応援するんだから!)

 再び物陰に隠れ直して、二人の観察を続ける。ベンチにて合流した二人は、二言三言会話を交わして隣同士に座り、飲み物を開け。そのとき、噴水が水を吐き出した。

「……わ」

 高らかにBGMが流れだし、噴水から高く水が噴き出される。陽気な音楽に合わせて水が上下し、時刻を周囲に伝える。周辺にいたお客さんの視線が一カ所に集まる。僕も一瞬見とれてしまったけれど、僕まで見ている場合じゃない。小夜さんのことを見ててあげなくちゃ。視線を戻すと、彼女は火花くんの飲み物を手にしている。

 ――よし、作戦成功だ!

 音楽が収まり、パフォーマンスが止まる。何事もなかったかのように飲み物を手渡し、彼女は火花くんに笑い掛ける。あとは彼が口にすればこのデートはゴールに近付く。

 ざわり、胸がざわめく。

 本当にそれでいいのかな。僕はそれで本当に後悔しないかな。

 僕は膝の上で手を組む。解いて、指を組む。もう一度解いて、手を組み替える。

 飲んで欲しい。飲まないで欲しい。やっぱり飲んで欲しい。でも、飲まないで。

 僕の思いが彼に届くはずもなく、無情に、彼は笑いながら口をつける。

 さようなら、火花くん。

 本当にこれで彼の気持ちはおしまいなのだと思ったら、ほんのり涙が零れた。

 泣いている場合じゃない。

 歩き出した二人に向かって宝石を差し出す。僕は仕事をしなくちゃなんだから。

 透明な糸が僕の手元から発射し、小夜さんの細い足首に絡みつく。ミュールを履いたつま先がつんと見えない何かにつまずいて、彼女の体がよろめいた。

「きゃっ」

「おっと」

 火花くんが咄嗟に彼女の体を支える。すんでのところで転ばなかった彼女は彼の顔を見上げて、呆けたようにぽかんと口を開いた。火花くんは。

「……お、あ。すまない」

 見間違いではない。信じられないくらい真っ赤な顔をして彼女の体を引っ張り上げ、慌てたようにその手を離す。羞恥と喜び。僕の目には彼の表情がそのように映った。

「暁くん」

「すまない。本当にすまない」

「ううん、大丈夫、ありがとう」

 僕の胸には割れた鋭いガラスの破片で引っかかれたような痛みが走った。

 今までにこんな痛みを感じたことは無かった。初めての痛みだった。胸から血が出るような痛みが僕を蝕んで、初めて自分の仕事を恨む。

 そうか、これが。

(これが嫉妬っていう感情なんだ)

 泣き出したいような、怒り出したいような、強烈な不快感。僕は、初めて抱く感情に耐えられなくなり、その場を後にする。仕事どころではなかった。

(ごめん、ふたりとも)

 衝動に突き動かされて、目蓋に焼き付く光景から逃れるみたいに、僕は走った。


 行き着いたのは観覧車の前。今日のデートの最終地点。告白場所として決まっている場所だった。僕は回る観覧車の前のベンチに座って呆然としている。

(逃げ出して来ちゃった。僕……大事な仕事のはずなのに)

 手の中で、スポーツドリンクのペットボトルを揺らす。ちゃぷちゃぷと波打つ液体が飛沫を上げて揺れている。冷たさが手のひらへと逃げていき、少しずつ失われていく。

「僕、どうしちゃったんだろう」

 いつもはこんな風に気持ちが揺れたりしないのに。いつもなら、お客さんの幸せだけ考えて仕事に熱中できるはずなのに。今の僕の頭の中にはこれまで一緒に行動してきた火花くんの姿が、浮かんでは消えて再び浮かぶ。二人が上手く行くところを見ていると、胸の奥がじりじり灼けて痛みを帯びていく。

 このままじゃ、恋占い屋は廃業だ。だってお客さんの依頼が遂行できないんだから。

 僕は頭を抱えて俯いた。自分の欲が抑えきれない。こんなんじゃ、だめだ。

 やっぱり自分の気持ちは我慢して、少しでも早く彼らの元に帰らなくちゃ。

 ぱん、と両頬を叩いて、気合いを入れ直す。

 このデートが終われば僕の気持ちにも諦めが付くだろう。全てが終われば。

 顔を上げた瞬間、目の前に男の人が立っていることに気が付いた。

 火花くん。

 期待が過ぎったけれど、すぐに僕はそうじゃないことに気が付き、青ざめる。

「お姉さん。ひとり? ちょっと俺と遊ばない?」

 ナンパだ! 知らない男が僕の目の前に立ちはだかるように立っている。

 ベンチに座っている僕は、立ち上がるスペースの余裕もなく、追い詰められている。

「こ、困ります」

「でも一人なんでしょ? 一人で遊園地なんて寂しくない? 一緒に遊ぼうよ」

「寂しくなんてありません!」

 いつもならこんなのいとも簡単に振り払えるはずなのに、僕の目からはぽろぽろ涙が零れ落ちていた。

「寂しくないなんて嘘じゃん。泣いちゃってるじゃん。ね、慰めてあげるよ」

 男の人が僕の隣に体を滑り込ませて、肩を組んでくる。目頭にそっと触れる。

 ああ、今の僕の心の隙間を埋めてくれるなら、ナンパ屋さんでも良いかもしれない。半ば諦めたような気持ちで、肩に寄りかかろうとする。胸にちらりと過ぎる顔。

 火花くん。

「そいつに触れるなっ!」

 大きな声が轟き、体がびくりと跳ねる。ナンパ屋さんが僕から飛び退いた。

「なんだ! でっけえ声出しやがって!」

 振り向いた先には、肩で息をしながら立っている火花くんがいた。隣に人はいない。

「これだから、……べたべたするなら俺様の目の届かないところでやれ!」

「火花くん、どうして!?」

 彼は僕らの元へとずかずか歩み寄り、僕の肩を掴んで、男の人から引き剥がした。

「貴様が近くにいないことに気が付いて……探したんだ。目を離すなと言ったろう」

 ナンパ屋さんは僕らの様子を交互に眺めて、

「なんだ、連れがいるのかよっ」

 なんて小さな悪態をついてから、そそくさと立ち去っていった。

 火花くんはナンパ屋さんが去って行くのを見送った後、僕の顔をじっと見て、目頭をハンカチで拭った。綺麗にアイロンがけされた、真っ直ぐなハンカチだった。

「小夜さんは?」

「置いてきた。今頃ベンチで休んでいるところだ」

「戻らなきゃ、僕のことなんて構ってないで」

「戻るのなら貴様も一緒にだ」

「僕、もう戻れない」

 拭ってもらった傍から涙が溢れて止まらない。白いハンカチにしみが増えていく。

 火花くんは、困ったような呆れたような半笑いを浮かべて、僕の背中に触れる。

「今日一日どうだった。俺とアイツのデートを見ていて楽しかったか」

 僕は首を振る。

「苦しかった。辛かった。胸がずっと痛くて、いやだった。見たくなかった」

「そうだろう」

「本当は僕が隣にいるはずだったのに、って思った。僕……嫉妬してた」

「そうだろう。それでいいんだ」

 彼は、安堵の表情を浮かべて、僕の背中を擦った。彼の手のひらが温かかった。

「そうだといいなと思ってたんだ」

「僕、恋占い屋失格だ。もうできないよ。お客さんの幸せ、分かんなくなっちゃった」

 彼の両手が背中に伸びて、僕は抱き締められた。顔を胸元に押しつけられる。

「今のお前は確かに失格かもしれん。恋で人を幸せにすると謳いながら、実のところ、誰のことも幸せになんかできていない。俺のことも、小夜のことも、お前のことも」

「僕なんか……」

「人を幸せにする前に、お前自身が一番幸せでなくてどうする」

 胸一杯に火花くんの匂いが落ちていく。人の香りって、こんなに落ち着くものなんだ。僕はそっと彼の背中に両腕を回した。体温が心をなだらかにしていく。

「僕、キューピッドなのに。幸せになっていいの。幸せを望んでもいいの?」

「いいに決まっている。俺様が貴様のことを幸せにしてやる」

「でも……今のきみは、小夜さんのことが好きなんでしょう?」

 彼は惚れ薬を飲み、小夜さんのことを見つめた。と言うことは、彼の気持ちは彼女に向いているはずだった。どうして僕のことなんか気にしていられるんだろう。

「惚れ薬なんて所詮おもちゃだと言っただろう。人の心には魔力があるとも」

「言ったけど」

「おもちゃ程度で俺様の心の魔力には勝てなかったということだ」

 そっと離れていく彼の胸元から、大きな濃いピンクの宝石が転がり落ちていく。

「これが俺様から貴様に対する『恋』の気持ちだ。見ればわかるだろう?」

 それは内側で光を反射し、目映いほどに煌めいていた。手の中に光が溢れている。

「何度でも言う。俺は貴様が好きだ。これが俺の想いだ。受け取ってくれ」

 恋がこうして形になると、その存在感をどうしても受け入れざるを得なかった。

 僕はその宝石を胸を抱き、そっと頷く。

「わかった。僕、幸せになる。幸せにする。きみのことも、僕のことも」

「ん。それでいい」

 彼は僕の頭を撫でた後、ポンと両肩に手を乗せ、困ったように微笑んだ。

「さて。もう片方を何とかせねばならんな」

 彼の視線が僕の背中側へと向けられる。追えば、そこには小夜さんが立っていた。

 背中に夕日を受けて、足元に長い影を引き、彼女はそこに立っていた。

「暁くん」

 彼女は彼の名前を呼びながら、視線を僕に向けていた。僕を睨み付けていた。

「ごめんなさい、僕」

 彼女の怒りを受けて、僕はふらつきながら立ち上がる。彼女の元へと近付いた。

 こんなに強烈な怒りを自分に受けることは初めてで、気持ちが引けていた。

「ごめんなさい。あなたの依頼をお受けすること、できなくなりました」

 冷たい視線が僕の頭の先からつま先までをなめ回す。氷のような眼差しだった。

「あなたも暁くんが好きだからってことですか」

「……はい。そうです」

 小夜さんが右手を振りかぶる。僕は思わず目を瞑り、体を縮ませる。

 ぱしん。

 軽い破裂音がその場に響いた。来る、と思った痛みはない。恐る恐る目を開ける。

「暁くん……っ」

「すまないな、小夜」

 真っ赤に頬を腫らした火花くんが、悲しげな目をして、僕の前に立っている。

 彼の頬を叩いた小夜さんは、はっと息を呑んで顔を手で覆った。

「先に惚れたのは俺なのだ。悪いのは全て俺だ」

「私が、私の方が……ずっと好きだったのに」

「悪い。貴様のことはただの幼馴染みだ。これからも、この先もな」

 彼女の目元に涙が滲む。

 小夜さんは、顔を隠すように背けてから、足早にその場を立ち去った。

 彼女の姿が完全に見えない場所に行ってしまってから、僕はぽつりと言葉を溢す。

「本当にこれでよかったのかな」

「……気になるか?」

「そりゃあね。彼女は僕のせいで失恋しちゃったわけだし」

「全て俺のせいにしてしまえばいい。貴様が悪いわけではない」

 そう言って彼は僕の体をきつく抱き締めた。

 少し息苦しかったけど、嫌な苦しさではなかった。

「最近失敗続きだし、お店畳んじゃおうかな」

「それならうちに嫁に来い。上手いケーキを食わせてやる」

「どーしよっかな。……そーしよっかな」

 もちろんそれは冗談のつもりで言った言葉だったのだけど、彼が僕を見つめる視線があまりにも真剣だったから、僕は内心それでもいいかな、と思ってしまっていた。

 星硝子はどうしよう。彼女は元々一人で生きていた魔女だから、僕がお店を畳んでも一人でやっていけるかもしれない。今度聞いてみようかな。

「あまり悪い冗談を言うと本気にするぞ」

 彼が僕のおでこをつんと指先でつついた。じゃれるような仕草がくすぐったい。

「うーん、まだ迷うな」

「俺は貴様が恋占い屋を辞めるというなら都合がいい」

「なんで?」

 彼は照れくさそうな笑みを浮かべて僕の手を握った。指先を絡める。

「お前が他の客に浮気するのが心配だからだ」

「あっはは。……そんなの、しないよ」

 笑い合ってから、しばらく見つめ合い、僕たちは唇を重ねた。

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心臓と宝石〜瑠璃鈴の章〜 @nepisco

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