第6話

「う~ん、どうしよう~!」

 僕は悩んでいた。火花くんからの告白に、僕を相手にした依頼に、どう応えるべきか。恋占い屋的には、彼の告白を引き受け付き合う、という選択肢を選ぶことが一番簡単で正しい解決方法なのだと思うけど、その答えを選ぶには、僕の感情が伴わなかった。

「嫌いなわけじゃないんでしょう。お付き合いしてあげたら?」

 星硝子がお茶を淹れてくれながら僕に呆れた顔をした。彼の告白を受けた後、何日も僕がこうして頭を抱えているのを見てきたからだった。星硝子の淹れてくれた紅茶は、いつもの心安まる香りを漂わせていたけれど、僕の気持ちは晴れない。

「嫌いなわけじゃ、ないけど」

「付き合いたくはない?」

「中途半端なんだよね。こんな気持ちで彼と真剣にお付き合いなんてできないよ」

 僕はこれまでに何度も恋をして、身体や頭が熱くなるような感覚を胸に抱いてきた。胸がぎゅっと詰まるようなときめき。頭の中がふわふわするようなとびっきりの喜び。そういったものを僕はまだ、火花くんに抱いたことがない。火花くんと一緒にいると、楽しくてわくわくするけれど、それって僕の今まで知ってる恋とは少し違う。

「こんな気持ちで一緒にいたら、いつか彼を傷つけちゃうかもしれない」

「瑠璃鈴は真面目ね」

 星硝子が溜息をついた。ここ数日、僕も溜息ばかりついているけど、星硝子もずっと溜息ばかりついている気がする。彼女は笑顔がチャームポイントなのに。僕のせいだ。

「ごめんね、一緒に悩ませちゃって」

「いいのよ。弟子の悩みは師匠の悩み。一緒に考えましょう」

「もう僕は星硝子の弟子じゃないよ、独り立ちしたもの」

「うふふ。一人前になってもね、あなたは私の弟子なのよ。いつまで経ってもそう」

 彼女は嬉しそうに紅茶を啜る。こんなとき、僕は彼女の弟子で良かったと思う。

 普通の弟子は独り立ちしたら師匠と離れて自分の店を持つものだけれど、僕は未だに彼女と一緒に生活している。僕にも彼女にも、家族がいないから。頼れる相手がお互いしかいないのだ。逆に言えば、お互いのことを頼りにできる。それが僕の救いだ。

「こういうときこそ、新しい依頼が入れば頭の中をいっぱいにできていいのになぁ」

「あらあら、仕事に逃げちゃうの? 逆に頭がパンクしちゃうかもよ」

「もしもパンクしちゃったら、星硝子が穴を塞いでよ。空気も入れ直しておいて」

 まあ、と星硝子が笑う。僕も笑顔を返して、店先に顔を出す。

「言ってるところにちょうど良く、お客さんが来てるよ!」

 こちらに向かって歩いてくる顔には、見覚えがあった。火花くんの幼馴染みだ。

「小夜さん、こんにちは」

 彼女は僕の顔を見て、ぺこりと頭を下げた後、小走りでこちらに近付いてきた。

「恋占いをしてもらえるお店……というのは、こちらですよね?」

「はい。恋占い、やってます」

 ドアを押さえて店の中へと招き入れた後、僕は彼女のために椅子を引いた。

 彼女は不安げな顔でお店の中をきょろきょろ見回したと思うと、囁き声で訊ねた。

「暁火花は来てますか」

「え。いや……まだ今日は、来ていませんけど……」

 ぎくりとした。僕の悩みの種の名前がここから出るとは。

 彼女は安堵の顔を浮かべて、持っている小振りの鞄の持ち手をぎゅっと握り締めた。

「実は……占って欲しい相手というのが、暁くんでして」

「え!」

 星硝子の言う通り、本当に頭がパンクしちゃうかもしれない。そうなったら、本気で僕の頭を修理してもらう必要があるかもしれない。僕は冷静さを装う。

「えっと、お話を伺っても」

「はい。私と暁くんは、家も近くて、お菓子屋の子ども同士ということで、幼い頃から親しくしていました。お互いの家に遊びに行ったことも、一度や二度ではありません。私は幼い頃から、はっきりとした性格の彼に惹かれていましたが、彼の方は恋愛事には興味が無いようで、私の気持ちには気が付いていないようでした」

 ふんふん、と頷く。確かに彼の様子を見れば、気付いてなさそうだ。

「それでも彼が特定の誰かを選ぶことさえなければ、私には十分でした。彼が恋人さえ作らなければ、私は彼の一番……幼馴染みというポジションであり続けられたのです。小学校、中学校、高校、大学に入っても……私は彼の幼馴染みであり続けられました。私は彼にとって一番親しい友人で居続けられました。けれど、……それなのに」

 彼女は息を大きく吸って、一度吐き出した。声が震えているようだ。

「それなのに彼が最近、恋占い屋に通うようになったって聞いて、私は、信じられない思いでした。恋になんて興味がないと思っていたのに。彼には恋占い屋に相談してでも叶えたい恋があるって……そういう、特別な相手ができたっていうことなんですよね。私、許せません。彼の想いが叶う前に、私の恋を……お願いです。できますよね!?」

 彼女は勢いよく立ち上がり、僕の両手を掴んだ。僕は思わず仰け反った。

「わ」

「恋占い屋さん。彼の相手は……どんな相手なんですか!?」

「それはお客さんのプライバシーなので、教えることはできません!」

 僕は慌てて叫んだ。目の前の僕がその相手だなんて答えたら、叩かれそうだった。

 彼女の目は僕を見ているようで、僕を見ていなかった。爛々と輝く瞳は、まだここにいない火花くんのことしか見つめていなかった。目が、視線が、勢いが、怖い。

「そうですか。いいんです。どんな相手だろうと、どうだっていいんです」

「小夜さん」

「その相手よりも私が早く結ばれたいんです。一秒でも早く、私が彼の一番に」

「ちょ、ちょっと待ってください。僕は一応火花くんから依頼を受け取っていて」

 というか、告白をされていて。彼には想い人がいるのだ。

 矢印の向きが異なる依頼を受けたときには、仕方が無いけれど、早いもの順にさせてもらっている。そうじゃないと、依頼人みんなにフェアじゃなくなるからだ。

「僕は、火花くんの幸福を最優先にしなければならないという決まりがあるんです」

「その相手と結ばれるよりも、私と結ばれた方が彼が幸福になれるのにですか」

 ひゅ、と息が漏れる。それは僕が何よりも危惧していることだった。

「私と彼が幼い頃から、私の両親と彼の両親は親しい仲にありました。お互いの親が、将来的に私と彼が一緒になることを望んでいるのです。私の家は老舗の和菓子屋です。彼の家は新しくできたばかりのパティスリーです。私の家が彼の実家を支援することで、彼の実家は今より大きく栄えることになります、両親もそれを望んでいるのです」

 その一方、僕はしがない恋占い屋で身内のいない魔女だ。小さなお店だし、そもそも儲けを重視していない。お金持ちの彼は、実家のことを考えたことがいいはずだ。家を継ぐとか、子どもを作るとか、将来のことを考えた方が良い。

「それに何より、私は彼のことを心の底から愛しています。暁くんのことを、誰よりも深く知っている自信があります。彼と結ばれるために努力もしてきました。彼のことを誰よりも幸せにできるのは私です。私以外にいないのです!」

 僕はと言えば、火花くんのことを知ったのはついこの間のことだ。彼と出会ってからまだ一ヶ月も経っていないんじゃないかな。彼の家のこととか、何が好きなのかとか、なんで僕のことが好きなのかとか、何にもしらない。

 そもそも僕は彼のこと、まだ好きかどうかも定まっていないじゃないか。

 そんな僕が彼と結ばれて、彼を幸せにできるかどうか、なんて。

「……」

 僕には自信がない。

「わかりました。特例ですけど……小夜さんの依頼をお受けします」

 店の奥から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。星硝子が僕を窘めている。

 ……ごめんね。

「まずはお二人の相性を占うところから始めさせて頂きます」

 僕が水晶玉を取り出そうとした手を小夜さんが掴んだ。首をゆっくり横に振る。

「それはいいです。相性が悪いなんて言われたら、縁起でもないので。相性が悪くても叶えてもらうことができるんですよね、このお店では」

「え。えと……あの、はい。そういうサービスもやってます……」

 確かにそっちの方がメインにやっているとは言っても、一応占い屋なんだけど。

 水晶玉からメモに持ち替え、溜息を噛み殺す。お客さんの前だから。

「デートプランを考えます。彼の好みとあなたの好みを考えて、最適な行き先を」

「私、初めてのデートは、行きたいところがあるんです。告白もそこでします」

「初めてのデートで、告白までしちゃうんですか?」

「相手に先を越されたくないので、私が先に彼と恋人になりたいんです」

 できますよね、と念を押される。できないことはない。僕は渋々頷いた。

「惚れ薬を使います。彼に飲ませて、薬が効いている間に告白してください」

 ちょっと強引な手段だけど、これで上手く行った例もないわけではない。

 デートプランに告白プランも入れ込むとなると、大体道筋は決まってきてしまう。

「行きたいところというのはどこですか?」

 彼女が口にした場所は、都会の大きなテーマパークだった。僕の憧れの場所だ。

 いいなぁ、と口から漏れるのを我慢する。まさか最初に行くのが仕事でだなんて。

「彼は絶叫系が得意じゃないので、乗るものも大体決まっているんです」

 僕はメモを取りながら、火花くんのことを思う。はっきりしている彼のことだから、僕のような優柔不断な相手より、彼女のようなテキパキしている相手の方が上手く行く。僕は自分で自分を説得していた。彼女と上手く行けば、彼は幸せになれる。

 僕は火花くんを幸せにすると約束したんだ。だから、こうするのが正しい。


 プレゼンをするまでもなく、彼女との打ち合わせは進み、デートプランが決まった。後は彼女が火花くんをデートに誘い、受け入れてもらえば、最初のプランは完成だ。

 小夜さんは満足そうに退店していき、僕はようやく噛み殺していた溜息を吐き出す。と同時に店の奥から星硝子の溜息も聞こえた。

「瑠璃鈴」

「星硝子。ごめんね、あんなに一緒に悩んでくれたのに」

「いいの? 火花くんの依頼……告白はどうするの?」

「こうなっちゃったんだから、断るしかないよね。だって、それが彼らのためだもの」

 僕はお客さんを幸せにする義務がある。それは小夜さんもだし、火花くんもだ。

「そうだ、火花くんに、デートの誘いを断らないよう言っておかなくちゃ」

 僕への義理を立てようとして断られたら堪らない。僕はメールを開いて、少し悩む。火花くんと僕がこうして個人的なやり取りをするのも、小夜さんにとって不都合になる可能性がある。直接話した方が良いかも。

「火花くん、悲しむと思うわよ」

 顔を上げると、星硝子の寂しげな横顔が見えた。悲しんでいるのは、彼女も同じだ。

「ごめんね。だけど、僕じゃ彼を幸せにはできないから」

 火花くんには、僕なんかよりもずっと相応しい相手がいるのだ。その相応しい相手が『自分こそは』と名乗り出てくれたのだから、僕は祝福するしかない。

「僕なんかより、彼女と一緒になった方が火花くんも幸せになれるし、僕も幸せだよ」

 嘘じゃない。胸に空いた穴のような空しさもないし、僕は悲しんでなんかいない。

「それは本気で言っているのか」

 ドアが乱暴に開けられ、踏み鳴らすような足音と共に火花くんが入ってくる。

 むすりとした顔はいつも以上に不機嫌そうに歪められ、目は吊り上がっていた。

「火花くん」

「俺が誰と結ばれてどう幸せになるかなんて、貴様が決めることじゃないだろう」

 彼は剣呑な目付きで僕を睨み付け、お馴染みになった席にどかりと座り込む。

「おい、瑠璃鈴。貴様は俺の気持ちを無かったことにするのか」

「無かったことにするわけじゃないよ。だけど、真剣に考えて、きみがよりよい相手を選べるように、僕が身を引くべきだと思っただけだから」

「それを無かったことにしていると言っているんじゃないか」

 星硝子がお茶を火花くんのテーブルへと持って行く。彼はお茶の香りを堪能してから一気に飲み干した。熱いお茶のはずだから、そんなことをしたら喉が焼けてしまうのに。彼は構うことなどないように、フンと鼻を鳴らした。がちゃりと茶器が音を立てる。

「ごめん」

 僕は彼に向かって頭を下げた。

「きみの依頼は僕には受けられません。きみの気持ちには、僕には応えられません」

 頭を下げているから、彼がどんな表情をしているのかは僕にはわからない。けれど、彼が大きな溜息をついたことだけは聞こえた。

「好きにしろ。俺はもう知らん」

 短く言い放ち、荒々しく脚を組み替える。星硝子がお茶をもう一杯持ってきた。

 僕は顔を上げると同時に、彼にデートのプレゼンを始める。

「あのね、きみにそのうちデートの誘いが来るから、受けてね。行き先は遊園地だよ」

「フン、遊園地なんか人も多くて待ち時間も長いだろう」

「ファストパスを予約するから大丈夫だよ、楽しいよ、待ち時間長くないよ」

「相手のことを気に入るかどうかは俺の気分次第だからな。まあ気に入らんと思うが」

「それも大丈夫。あのね」

 一瞬相手を明かしてしまって大丈夫だろうかと懸念したけれど、結局デートの誘いが行くから遅かれ早かれわかるだろう、と結論づけた。

「相手は小夜さん。きみの友達だから」

「小夜が? アイツ、俺様のことが好きだったのか? フン……」

 満更でもない顔をしている。この様子なら大丈夫そうだ。

「絶対遊びに行ってね。僕からのお願い」

 膝をついて彼の両手を両手で包み込む。

「僕の幸せのために。きみの幸せのために。悪いようにはしないから」

 半分本音で、半分嘘だ。惚れ薬を使って心を操作することに罪悪感はある。けれど、彼の将来を考えて、それが一番良いのなら、僕はそうするべきだと考えている。

「ええい、やめんか! 人の告白を断っておいて!」

 彼は振り払うように僕の手を離してから、スマホをちらりと一瞥した。

 少し操作して僕に画面を見せてくる。小夜さんとのメッセージアプリだ。

「……これでいいんだろう?」

 デートの誘いに短い言葉で同意の返事を返したことを確認した僕は、笑う。

「ありがとう、火花くん。幸せにするね」

「その言葉は違った形で聞きたかったな」

 彼がよく整った自分の髪を、困ったような表情で、くしゃりと掻き乱す。

 これで良いんだ。

 僕は、じくじく痛み始めた自分の胸に、深く言い聞かせていた。


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