第5話
両手のひらに重くのしかかったピンクの宝石を眺めて、僕は溜息をつく。
こんなに大きな『恋』を火花くんが抱えていたことに、僕は驚きを隠せない。
言ってくれればいいのに。
誰に。いつ。どうして。僕の知らないところで。僕の知らない人に?
聞けなかった。いろいろな感情が僕の胸の中で絡み合って、こんがらがっている。
「あら、それ、使っちゃうの? 勿体ない」
星硝子も物珍しそうに僕の持っている宝石を眺めては溜息をついている。僕ら魔女にとって宝石は魔法を使うための大事な道具の一つでもあるけど、純粋に美しいと思って観賞する感性ももちろん持ち合わせている。この宝石は綺麗だった。だから、余計に。
「使いたくないよ」
「飾っておいたら?」
「だけど、僕がこれからしようとしていることは、これがなくちゃできない」
星硝子は、気の毒そうに僕を見つめた。この表情は見慣れている。僕が恋する相手の恋を叶えようと奮起するとき、彼女はいつもこの表情をする。言いたいことはわかる。
「痛々しいんでしょ?」
彼女は何も言わずに微笑んだ。
「わかってる。だけど、僕はこういう生き方しか、できないから」
もうすぐお店に一途くんがやってくる。僕はそこで、魔女の約束を破ろうとしている。星硝子もそれに勘付いていて、それでも何も言わずにいてくれている。
彼女はかつて、僕の師匠だった。そのときから、彼女は僕のやろうとしていることに深く口を出さずにいてくれた。それは優しさではなくて、彼女なりの厳しさなのだ。
「僕、がんばるよ」
「肩の力を抜いて。ほどほどにね」
彼女はそれだけ言い置いて、お店の奥へと引っ込んだ。やっぱり彼女は厳しい。
一途くんは、焦燥しきった暗い表情で僕のお店にやってきた。
「酷い顔」
「泣いたっす。一晩中くらい」
可哀相に。好きな相手に恋人がいたという事実は、そこまで彼を追い詰めたのだ。
僕も似た気持ちは何度も味わっている。失恋というのは、痛くて悲しい。
僕が彼を救えるかもしれない。僕は宝石を両手でぎゅっと握り締めて彼に言う。
「今日呼び出したのはね。僕がきみにできる最後の仕事を伝える為だよ」
彼は力なく僕を見上げる。彼は僕より背が低い。
「このお店に惚れ薬が置いてあるのはきみもずっと知っているよね」
「はあ。でもあれって、一時的な効果しかないおもちゃなんすよね?」
「うん。だけど僕らが使う魔法は、一時的にでも人の想いの形を変えることができる」
本当のことを言えば、一時的にしか変えちゃならないことになっているだけだ。
「だけど、僕は恋の魔女。人の想いを根本的に変えることだって、本当はできるんだ」
「それって」
「そう。雲母さんの好きな人をきみに変えることだって、僕になら、できる」
やり方はいくらでもある。僕は彼の目の前に、指を三本立てる。
「ひとつめ。彼女が恋する相手の姿をきみに被せて見せること」
それは一言で言えば成り代わり。彼女にとって恋人さんの代わりになるのだ。
「でも、それは俺のことが好きになったわけじゃなくないですか?」
「そうだね。だから僕はこの方法はおすすめしないかも」
雲母さんは一途くんのことを一途くんだと認識しなくなる。彼が自分の恋人であると錯覚しながら生きていくのだ。それは彼女を騙していることに他ならない。
「ふたつめ。彼女に惚れ薬を飲ませ続ける。一時的な効果でも、切らさなければそれは永遠と同じだ。きみにとっては大変なことかもしれないけど……あるいは」
「それでも、魔法がいつか解けたら。効かなくなったら」
「それまでに重ねた年月が、きみたちに本当の絆を作ってくれるかもしれない」
彼女にとって『好きな相手』として過ごした間の思い出が、記憶が、嘘を本当にしてくれるかもしれない。けれどそんなことは希望的観測で、もしもでしかない、けれど。
「もっと、ちゃんとしたのはないんですか!?」
「あるよ。みっつめ」
僕は一瞬呼吸を置いて、彼に宝石を見せる。
「雲母さんの心に強い魔法をかけて、きみのことを好きにさせる。形を造り替える」
一途くんの瞳に光が灯った、気がする。
「けれど、この魔法にはリスクが伴う。心は脆くて儚い。あまり強い魔力を加えると、彼女の心は砕けて壊れてしまうかもしれない。そうなると彼女は二度と恋だけではなく何の本当の感情も抱けなくなる。お人形になっちゃうんだ。もちろん僕ができることを精一杯して、そうならないように努力をするけど……可能性はゼロじゃない」
お人形の体に偽の恋の魔法をかけて、恋人ごっこをすることも、できなくないけど。
「俺のわがままの為に、雲母さんの心をがらくたにするかもしれないってことですか」
彼は俯いて、ぼそぼそと呟く。
「失敗すればね」
「そんなの、俺は」
「そうでなくても、きみは彼女の心の形を無理やり変化させ、偽物の恋を生やすことになることには違いない。彼女の心に生えた本物の恋を枯れさせるんだ。そのことは」
絶対に忘れてはいけない。僕たちは、禁忌を犯すのだ。
「……」
「どうする?」
「そんなの、できるわけないじゃないっすか」
彼はぽつりと言葉を溢す。僕は内心、ほっとしていた。
「諦める?」
「……順番を待つっす。今の彼氏と別れるまで……そんな日が来るかわからないけど、俺、その日を待ちます。雲母さんが俺に振り向いてくれるまで……努力します」
そう言ってくれるお客さんで良かった、と思うと同時に、僕には少し欲が出た。
一瞬迷ったあと、頭の中で言葉を探す。どれにしようかな。
「一途くん、あのね」
鼓動が速くなる。どくん、どくんと脈打つ音が直接鼓膜を叩いた。
「僕に、するのは、どう?」
一途くんは呆けた顔で僕の顔をじっと見る。意味がわからない、といった様子だ。
「僕、ね。一途くんのことが好き」
「俺が……?」
「初めてお店に来てくれたときから、ずっときみのことが好き。叶わない恋は諦めて、僕と恋愛できないかな。僕ならきみのことを幸せにできる。僕を好きにはなれない?」
彼は黙って僕を見つめた。
十秒。二十秒。体感時間はもっと長かった。
彼の顔にはじわりじわりと嫌悪が滲んでいく。眉が顰められ、視線が冷たくなる。
「今まで、そんな目で見てたんすか?」
「え」
「ありえない。気持ち悪い」
吐き出すように告げられた。彼は僕を軽蔑の目で見て、一歩二歩と距離を取る。
僕は一瞬返す言葉も出なくて、喉にいろんな言葉が詰まる。
「もう二度と店には来ません。お代もなくていいすよね、叶わなかったんだから」
彼は僕の答えも聞かずにくるりと背を向けて、店から出て行った。
「おっと」
お店の前に立っていた火花くんと軽くぶつかりながら、彼は足早に立ち去る。
僕は視界が滲んでいくのを呆然と眺めた。
ゆっくり近付いてくる火花くんの表情も、今はわからない。
「……どうした?」
「また、僕」
ほろりと零れる。頬を濡らして、顎を伝って雫が落ちていく。
「失恋しちゃった」
火花くんが、僕の元へと歩み寄ってきた。僕は無理やり頬を歪めて笑う。
「笑いたければ笑えば良いよ」
初めて会ったときみたいに、大きな声で笑ってくれれば気も晴れるだろう。
そう思ったのに、彼は笑わなかった。
「バカだな」
彼は僕の肩を掴み、体をそっと抱き寄せた。彼の体温が体中から伝わってきた。
「火花くん。笑ってよ」
「笑わない」
「僕っていつもこうなんだ、お客さんのことを好きになっちゃって、それで……」
「そうだな」
頭に大きな手のひらが覆い被さる。不器用な動きで、僕の頭が撫でられる。
「恋なんて、くだらないね」
「……」
「恋なんかしても幸せになんてなれないのかもしれないね」
僕は今までずっとそうだった。
他人が幸せそうに恋の話をする姿に憧れて、恋に恋して生きてきた。
同じように、僕も恋をすれば幸せになれるんじゃないかって、期待して生きてきた。
恋を叶えて幸せそうに去って行く後ろ姿を眺めて、羨んできた。
「くだらないね」
「貴様らしくないことを言うんじゃない」
こつん、とおでこに何かがぶつかった。顔を上げれば、それは彼のおでこだった。
鼻先が触れそうな距離に、火花くんの顔があった。綺麗な顔だな、と思った。
「次の仕事が待ってるぞ」
「次?」
「今度こそ、恋を叶えて幸せにしてやれ」
お店に誰かが来たのかな、と思って視線を巡らせる。店先には誰もいない。
お店には、僕と火花くんと、多分キッチンに引っ込んでいる星硝子しかいない。
「誰?」
身じろぎする僕の体を強く抱き締めて、火花くんが囁く。
「目の前にいるだろう」
「火花くん?」
「そうだ。俺様だ。次の客が待ってる」
僕は彼の大きな『恋』の宝石を思い出した。そうだ、彼にも好きな人がいるんだ。
「でも」
「幸せにするって言ったのは貴様だろう」
「インチキ店に払うお金はないって言ったのも、きみの方だよ」
「貴様にしか叶えられない」
困ったように火花くんが小さく笑った。それなら僕ももうちょっと、頑張ろうかな。
「わかった。叶えてあげる。相手はどんな人?」
「とんでもない利他主義で、自分のことなど顧みない、大馬鹿者だ」
心臓が、震える。
僕はちらりと火花くんの顔を盗み見てみた。彼は僕のことを見ている。
僕は目を瞑る。
「誰?」
「わかっているだろう。貴様に決まっている」
ゆっくりと体温が上がっていくのがわかった。僕のだけじゃない。火花くんもだ。
触れたところがゆっくり熱くなっていく。胸に触れる。心臓の音がする。
「貴様は客に恋をするんだろう」
「で、でも」
「俺にはしないのか」
温かい宝石が、手のひらに零れ落ちてくる。薄いピンクの色をした、大きな宝石だ。
「俺の恋を叶えろ」
「火花くん」
「それを貴様にやる。報酬は前払いだ」
僕は戸惑っていた。僕が相手の恋占いなんて、したことがない。
「ど、どうしたらいいのか、僕、わからないよ」
想ったことは数あれど、想われたことなんて、今までに一度も無かった。
「簡単だろう。デートコースは行きたいところを言えばいい」
「告白プランは」
「もうした。理想のシチュエーションがあるならもう一度やり直すが」
「でも、僕、男だよ」
「それがどうした。俺も男だ」
だから言ってるのに!
やんわりと肩を掴んで優しく抵抗をしてみる。彼はすんなり僕から距離を取る。
「ちょ……ちょっと待ってよ! 僕にも考えさせて!」
「わかった」
彼は僕の後ろ髪を一束掬って口付けをした。こうしてみると、キザな仕草が似合う。
「いくらでも待っている。急がない。急かさない。だが良い返事を待っている」
彼はにこりと笑顔を浮かべた後、くるりと踵を返して、店から出て行った。
僕は思わずお店の床にへたり込んでしまった。
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