第4話
数日後。本来ならば、今日も一途くんが店を訪れる予定の日である。数日前の失態に彼が怒って二度とうちのお店を使わない、なんてことにならなければ。
こんな悩みを抱える羽目になった当事者は、当たり前のような顔をしてうちのお店に入り浸って、星硝子とお茶会をしている。都合の悪いことに火花くんは星硝子の淹れるお茶を気に入ってしまったらしいし、星硝子も雑談相手をしてくれる火花くんのことが気に入ってしまったらしい。お客さんでもないのに毎日やってくる。暇なのかな。
僕はと言われれば、そんな彼のことをもてなすでもなく追い出すでもなく、放置する形で対処していた。今ではこの状態も見慣れた光景だ。
チリンチリン、とドアベルが涼やかな音を鳴らせば、店先には待ち望んだお客さんがひょっこりと顔を出し「ちーっす」と気の抜けた挨拶をくれた。
「こんにちは。良かった、来てくれたんだね」
「まあ、約束っすから」
彼はばつの悪そうな顔で頭をぽりぽり掻いてから、はにかむように笑った。
「あのね、また新しいデートの予定を考えておいたから、良かったら……」
僕は用意していたプレゼン資料を彼に見せ、概要を説明する。
「今度はみなと市の、水族館に行くのはどうかなって。水族館はほの暗くて、ムードもいいし……展示物もあるから話題は尽きないでしょ。それにここにはカフェがついててデザートが可愛いんだ。彼女さん、可愛いものが好きなんだよね。きっと喜ぶよ」
「……いいっすね!」
資料を読みながら、一途くんは歓声を上げた。手応えは悪くない。僕はほっとした。
「それなら」
「早速彼女を誘ってデートに行ってくるっす!」
「い、今から!?」
みなと市はここと比べればかなり都会な町だけど、電車で行けば三十分もあれば着く。無茶なプランでないにせよ、いきなりデートの誘いに乗って来てくれるのかな?
僕の心配をよそに、彼は資料を持ってお店を後にしてしまった。彼がいいなら僕から口を出すことはないけれど、ちょっと心配だな。
「せっかちなやつだな」
火花くんが呆れた声を出す。
「……そうだね、まあ都合が合わなければ、別の日に予定組むだけだろうから……」
それ以上にトラブルが起こることはないだろう。よっぽどのことが無ければ。
「ところで、思うんだが」
火花くんがお茶を口にしながら呟いた。
「何?」
「貴様、魔女と言うからには、人の心を変える魔法は使えないのか?」
そういう彼の視線は、店頭に置いてある惚れ薬に注がれている。彼の言いたいこともわかる。こんなまどろっこしいことをしなくても、魔法でちょちょいと人の心を変えてしまえば手っ取り早いんじゃないか、ってことだよね。
「そういうの、僕はやらないんだ」
「なぜだ?」
「この間、人の心には強い魔力があるって話をしたよね。僕たち魔女の使う魔法の源。奇跡を起こす魔法の力。それは人間固有の魔力で、僕たち魔女の魔法とは相性が悪い」
「相性……」
火花くんが自分の胸を小さく擦った。僕は頷く。
「うちの惚れ薬みたいに、ちょっとちょっかいかけるくらいのおもちゃならいいけど、本質情報を変えるみたいな強力な魔法を掛けると、魔力同士が反発し合って心が壊れてしまうんだ」
火花くんがぎょっとして胸を両手で押さえた。壊れる、なんて言われたら怖いよね。
「心が壊れると、人の心は魔力を……感情を発さなくなってしまうんだ」
「そんなの廃人じゃないか!」
「そうだよ。お人形になってしまうんだ。人の心って、強力だけど、脆くてね」
ガラスのハート、なんて言葉があるけど、実際人の心はガラスのように儚くて脆い。大きな力が加わるといとも簡単に破壊されてしまう。だから僕たち魔女の間では、心に大きな負荷がかかるような魔法を使うことは禁止されている。『恋の魔女』といえどもそれは同じ。禁止されてる魔法を使えば裁判に掛けられ……まあ、厄介な目に遭う。
「心そのものを変化させずに恋を叶えるって難しいんだからね。僕は立派な魔女なの」
「フン。ご苦労様だな」
「またバカにしてるでしょ。まったく……」
両手を腰に当てたところで、ポケットの中の携帯電話がぶるぶる震える。取り出して着信相手を見ると、それは一途くんだった。
「デートどうなったのかな?」
るん、と跳ねる心を抑えて電話を取った。
通話の相手は弾んだ声で僕の名前を呼ぶ。
『瑠璃鈴さん! 今日はさすがにだめっした、でも、デートはいけるって!』
「本当!? 良かったね! いつ行くことになったの?」
『明日っす! 俺、今から下見に行ってこようと思います。デート頑張りたいんで』
「いいね。……ねえ、僕がついていこうか」
それは恋占い屋としてのサービスの気持ちが半分、下心が半分だった。ついていけばデートのアドバイスができる。ついでに、僕が一途くんとデートできる。一石二鳥だ。
『え、なんで?』
「え、なんでって……ほら、こういう場所でこういう会話をすればいいんだよ~とか、アドバイスがしてあげられるでしょ? お客さん的には便利かな、って……」
『でも、瑠璃鈴さんは男の人っすよね? 男同士で行くの、ちょっとキモいっす』
無邪気な声でそう言われ、電話は無情に切られた。通話終了の電子音が虚しい。
「男同士はキモい、か……」
「どうした?」
火花くんが心配そうに席から立ち上がる。僕は軽く手を振った。
「何でもない。……僕が振られちゃっただけ」
「? アイツのデートの誘いは結局上手くいったのか?」
僕は一瞬考える。結果的には。
「うん、明日行くんだって」
「じゃあプレゼンは成功だな。俺様が祝ってやろう。甘いものでも食いに行くか」
「あら、いいわね。最近できたばかりのおすすめのお店があるわよ!」
星硝子の提案に彼は軽く首を振り得意げな顔をする。
「いや。いくべき店は決めているんだ。上手い和菓子を食わせてやる」
「ちょっと待って、それって僕ときみと二人で行くの?」
今しがた電話で言われた言葉が胸に突き刺さっている。
――男同士で行くのはキモいっす。
「そうだが?」
星硝子は静かに笑っている。彼女もついて来る気はないらしい。
「火花くんはそれでいいの?」
「は? 何を言っている」
「その、き……キモくない?」
だって二人きりでお出かけするの、本人がそういうつもりでなくても僕はデートって思ってしまうし、第三者から見て、どう思われるかわからない……し。
「バカか」
彼は短く言って僕の手を取った。手首を掴んで引っ張る。
「行きたいのか、行きたくないのか」
「い、行きたい。甘いもの食べたいよ」
「じゃあいいだろうが?」
わけがわからない、と言いたげに彼は首を傾げている。僕は内心ほっとする。
彼にとって僕とお出かけするのは普通のことなんだ。
それが何だかとっても嬉しくて、不思議な感情だった。
火花くんが連れて来てくれた和菓子屋さんというのは、大きなログハウス風の外観に今時のカフェのような内装の不思議な構造のお店だった。和菓子屋さんと言う割には、洋風の造りだ。お店に入ってすぐのところにショーケースがあって、ピンクや黄緑など色とりどりの生菓子が並んでいる。
「知り合いがやっている店なんだ。親子共々昔から世話になっている」
そういえば彼はパティシエの息子なんだっけ。お菓子屋さんのお友達が多いのかな。なんて考えていると、奥から一人の女の子が小走りに出てきた。
「暁くん! いらっしゃい」
「明星小夜だ。ここの店長の娘で、店を手伝っている」
「暁くんの幼馴染みです」
彼女は、僕を見た瞬間一歩踏み出して、火花くんの隣に並ぶように立った。牽制するような目で睨み、僕を遠慮する素振りすら見せずにじろじろ値踏みするように眺める。
「暁くん、この人は?」
「瑠璃鈴だ」
「恋占い屋の店長をしています。恋の魔女です。……えっと、魔女だけど、男です」
「……なんだ! 綺麗な顔をしてるから、女の人だと思っちゃった」
彼女はぺろりと舌を出し、僕たちを空いている席に通してくれた。おやつ時でもない午前中なのに店内はほとんど席が埋まってしまっていて、人気店なのだとわかる。
「おすすめは何かある?」
「練り切りだな。繊細な細工が美しい」
「じゃあそれにしよっかな」
「秋には栗ようかんや栗きんとんも売られる。その時期の方が良かったな」
彼はお冷やで口を潤しながら何気なく呟く。僕はほんの少し照れてしまった。
「栗が好きだって覚えちゃったんだ」
「覚えた。秋にも貴様を連れてくる」
「……火花くんってやっぱりモテるんだ。相手が見つかればすぐ恋人になれるね」
からかうつもりで口にしたのに、彼にはぴんとこなかったらしい。片眉を吊り上げているのを見て、咳払いをする。
「相手の好みを把握してるのって、ポイント高いから」
「貴様の好みしか知らん」
ぎゅう、と胸が締め付けられて、動揺してしまった。僕もお冷やに口をつける。
「……勿体ないから忘れなよ。将来できる彼女の為に、そのスペース残しといて」
「くだらん」
「くだらなくないよ! 彼女さんの好み知っておくの大事なことだから!」
「季節の練り切りセット二つ、両方玉露」
「聞いてる!?」
彼はちらりと僕の方を見てやれやれと首を振る。呆れたいのは僕の方なんだけど。
「もういいから。次のデートプラン考えなきゃいけないから」
「おい、貴様の祝いに来たと言ってるだろうが。仕事の話は一旦やめんか」
僕が近隣地域のデートスポットをまとめたメモを取り出すと、彼は渋い顔をした。
「いいの。僕が楽しい思いをするより、一途くんが幸せになってくれる方が大事」
「貴様のその利他主義には本当に理解が及ばん」
練り切りと玉露は思ったよりも早く届いた。五月だからか、練り切りは子どもの日をモチーフにした鯉のぼりや菖蒲の花、柏餅の他に藤の花を模した綺麗な細工が施され、食べるのが勿体ないくらい、見ていて惚れ惚れする出来映えだった。
「すごーい! 写真撮ってもいいかな!?」
「好きにしろ」
このお店、デートプランに組んでもいいかもしれない。女の子は絶対好きだもん。
夢中で写真を撮った後、勿体ないけれど、僕は一欠食べてみることにした。プランに組むならお味の調査は必須だ。映えるけれどマズい、なんてことになったら大変だ。
僕は菓子切りを手に取り、そっと菖蒲の花を半分に切った。断面も、紫と緑の境目がはっきりとしていて、芸術には疎い僕でもこれは芸術的だなって感想を持った。
一口含めばあんこの上品な甘さが口に広がって、思わず顔の筋肉が蕩けた。
「美味し~い!」
「そうか」
火花くんがにまにましながら僕を見ている。彼は藤の花に菓子切りの先を突き刺し、ぱくんと一口でそれを食べてしまった。なんて勿体ないことを!
「美味いか」
「美味しい! 僕、こんなに美味しい練り切り初めて食べたかも!」
「フン。軟派な感想だな」
「だってだって、本当なんだよ!」
二口目は、一口目よりも小さく切って口に運んだ。一気にぱくぱく食べてしまうのは勿体ないから。途中でお茶を口に含んだ。素人みたいな感想だけど、お茶にも合う。
大事に大事に食べていたつもりだけれど、美味しいものはすぐになくなってしまう。初めは五個もあったのに、気が付いたら残りは一欠片になってしまっていた。
「楽しい時間ってあっという間に過ぎ去ってしまうね」
「そうだな」
「ねえ、好きな人とデートに出かけているときも、同じ気持ちになるんだよ」
また『くだらん』なんて言われて鼻で笑われるかな、と思ったけれど、火花くんは、僕の顔をじっと見つめて小さく微笑んだ。
「そうだな」
僕は思わず叫び出しそうになった。ここが飲食店だと思い出し、必死に堪える。
「火花くんにもわかるの!?」
「何だその反応は」
「だって今まで恋人もいなくて……好きな人もできたことないんでしょ!?」
彼は呆れたように頬杖をついて僕の顔から目を逸らし、唇をへの字に曲げた。
「……わからんでもない、という話だ」
「本当!? ちょっとわかるようになったんだ!」
「ずっと貴様と一緒にいたら嫌でもな」
「それならもっと一緒にいれば、いつか恋が素敵なものだってわかるようになるね!」
僕は嬉しかった。あんなに頑なだった火花くんが、少しでも僕の気持ちに寄り添ってくれるようになったことに感動していた。彼に対して、僕のように恋占い師になれとは思っていないけど、彼が恋というものの美しさを知ってくれさえすれば僕はこの仕事をやってて良かったと心から思えるような、そんな気がした。
「おい、どうでもいいが、さっきから貴様の電話が鳴っているぞ」
火花くんは椅子に踏ん反り返るような姿勢で座り直して、わざとらしく欠伸をした。
「あれ? 一途くんだ、どうしたんだろう」
電話に出てみれば、先程とは一変、彼の声は重たく沈んでいた。
『瑠璃鈴さん』
「どうしたの? デートの下見に行ってたんじゃなかったの?」
『はい。みなと市の水族館、一人で来てたんす。そしたら、見つけちゃって』
「何を?」
彼は一瞬黙り込む。電話の向こうから、啜り泣くような声が聞こえてくる。
『雲母さんが……他の男とデートしてたんすよ。声かけたら……彼氏だって!』
「え……っ」
僕も信じられなかった。一途くんが言うには、相手は大学生だとか。
「本当に彼氏なの?」
『はい。彼氏さんにも雲母さんにも確認しました。付き合ってるって』
「それなら今までデートに付き合ってくれたのは何なの!?」
『そんなの俺が聞きたいっすよ~!』
その後もしばらく彼の愚痴を聞いて、僕が彼を慰めて、また唐突に電話が切れた。
「黒曜は何だって?」
火花くんは不機嫌そうにお冷やの氷を囓っている。僕は途方に暮れていた。
「火花くん……雲母さんね、彼氏いたんだって」
「そうか良かったじゃないか。黒曜一途は傷心中だ、優しく声を掛けたら貴様の良さに気が付くかもしれんぞ」
「そんな……喜べないよ。ううん、喜んじゃだめだよ」
と言いながら、僕は自分の本音に気が付いていた。
「だめ。だめだよ、だめなのに……僕、どうしよう」
僕は頭を抱える。高揚感が抑えられない。もしかしたら、という期待が止まらない。
「どうしよう、火花くん。僕、今とっても嬉しくなっちゃってるかもしれない」
「……」
「僕、恋占い屋失格だ。お客さんがピンチなのに……恋が叶わないかもしれないのに。僕、自分のことを考えてる。自分のチャンスかもしれないって思っちゃってる」
火花くんは静かに僕のことを見ている。幻滅されているかもしれない。あんなに人の恋を叶えることが大事だって豪語していたのに、いざ恋敵に恋人がいるってわかったらこんなにも浅ましく自分の欲求をむき出しにしてしまう僕を、軽蔑しているかも。
「実際、貴様はどうしたいんだ」
彼は未だ点々と残された練り切りを細かく切り刻みながら、つまらなさそうに言う。
「まだ手段があれば、アイツの恋を叶えてやりたいと思うのか?」
「……」
僕は胸に手を当てた。手段があれば。ううん、僕には、まだある。手段が。
「僕は……やっぱり、叶えたいよ。僕が恋占い師だからってだけじゃない。僕は本当に一途くんのことが好きだから。本当の本音で、一途くんに幸せになって欲しい」
「自分の恋が叶わなくてもか?」
「うん。僕のことはいいの。だって、僕は恋の魔女だもの。キューピッドだもの」
「フン」
彼は練り切りを刻む手を止め、しばらく瞼を閉じていた。何も言わずに時が過ぎる。一分。五分。永遠にも思える時間が過ぎていく。彼は、大きな溜息をついた。
「貴様がいいならそれでいいんじゃないか」
「え」
「今まで通り、貴様はアイツの恋を応援すればいい。お前の本音がどうだからと言って俺はどうでもいい。貴様が自分の仕事を全うするというのなら、それでいいだろう」
「……うん」
「はあ。本当にくだらんな。貴様の考えは、俺には一生わからん」
彼は細切れになった練り切りを全部まとめて串刺しにしてから、口に丸ごと放った。本当に勿体ない食べ方をするんだから。職人さんがこんなところを見たら泣くよ!
「それに、そうしてもらった方が、俺にとっては都合がいい」
「どういう意味?」
彼はにまりと歯を見せて、僕に笑い掛けた。
「俺が貴様と同じ立場なら、素直に喜ぶ。そういう話だ」
「?」
「貴様がこういうときにぐずぐず悩むやつだから、俺はそう思うんだ」
満足そうにお茶の残りを啜るのを眺める。彼の言っている意味はわからない。
「僕、できること全部しようと思う。ずるくてもいいから、恋占い屋の仕事をするよ」
「しろしろ」
「だから、きみの宝石をちょうだい。僕にとびっきりの大きい宝石を」
脆くて儚い心に触れても壊さないように、強い魔力が欲しい。
僕は火花くんの胸元に手を伸ばす。彼は拒まない。指先に温かいものが触れた。
「大事に扱えよ」
それは、とても大きくて、透き通ったピンクの色をした、『恋』の宝石だった。
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