第3話
白い洋風の造りにお屋敷のような窓がちらほら付いている店舗。乙女チックな内装のそこには、僕たち以外には女の人がたくさん来ていた。女子大生くらいのお客さんが、アフタヌーンティーセットに山盛りのケーキをのっけて美味しそうにつついているのを眺めて、僕はいいなあと思った。あんなに食べられないから、頼むつもりはないけど。
「おい。好きなものを頼め。いくらでもいいから。だから泣き止め」
席に着いたと同時に火花くんが僕の方へとメニューを差し出した。僕は栗のケーキを探したけれど、今の時期に栗は旬ではないから見当たらなかった。仕方なく、旬っぽい桜と抹茶のムースケーキとミルクティーを頼んだ。火花くんはコーヒーだけ頼む。
「まさか泣くだなんて思わなかった」
「僕もまさか自分が泣くとは思わなかったよ」
「俺様の失敗のせいだよな。それなら謝る。すまない」
「へえ、火花くんって謝れるんだね。フンってするのかと思った」
嫌味のつもりではなく、純粋にそう思ったから言ったのだけれど、火花くんは苦虫を噛み潰したような渋い表情をして「うむ……ぐぬぬ」と唸った。
「俺様にだって悪いことをしたと思えば謝る程度の分別はついている」
その顔があまりにも悔しそうだったから、僕は思わず噴き出してしまった。
「いや、ごめん。茶化すみたいなこと言って。そういうつもりじゃないんだ」
「……そう思われるということは、日頃の行いが悪いのだろう。肝に銘じておく」
銘じなくてもいいのに。僕も段々これが彼の個性だと思えてきたから、気にならなくなってきていた。彼の新しい一面を見られたのだと思おう。新しい発見ってところだ。
「お待たせ致しました。ケーキセットと、ブレンドコーヒーです」
トレイを持った店員さんが僕らの元へと近付いてきて、お皿と二つのカップを置いた。と同時に、火花くんの顔を見て、慌てたようにその場から飛び退いた。彼が有名人だと気が付いたのだろう。そそくさとバックヤードに引っ込み、奥でひそひそ話を始める。
「火花くんって有名人なんだね」
「大袈裟にしすぎだ」
「まあまあ。まほろ町って田舎だし、テレビに出てる人を見かけると芸能人だ! って騒ぎたくなっちゃうんだよね。ごめんね、許してあげてね」
彼はフンと鼻を鳴らすとコーヒーに口をつけた。どことなく思案げな表情だ。
「……おい」
「なあに?」
僕はムースケーキにフォークを差し込み一口ぱくりと食べながら、返事をした。
ムースケーキは豊かに香る抹茶の風味の中に、ほんのりしょっぱい桜の味と春の風の匂いがして、とても美味しかった。思わずもう一口、フォークが伸びる。
「どうしてお前は他人の恋愛なんかに一生懸命になるんだ」
「だから、前にも言ったでしょ。お客さんの恋を叶えたらみんなが幸せになれるから。お客さんは恋を叶えて幸せになれるし、僕もお客さんの幸せな顔が見られて幸せだよ」
「なぜ『恋愛』なんかに拘る。客を幸せにする方法ならいくらでもあるだろう」
僕はミルクティーを一口啜る。甘くて美味しい。
「僕ね、捨て子なんだ」
「捨て子……」
「小さな子どもの頃にママに捨てられて、星硝子に拾われて。魔女の弟子として働いて、魔女になった。ママとの思い出は、ママから聞かされたパパのお話ばっかり。どれだけパパが格好良くて、優しくて、二人の思い出が素敵だったか、そればっかり。パパとの恋愛ロマンスを聞かされて、僕はママがパパにどれだけ恋をしていたか知った」
「それでも、貴様は」
「うん……ママはパパに捨てられて、僕はママに捨てられた」
ムースケーキの上に乗った桜の塩漬けが、しょっぱい。ミルクティーを口に含む。
「……。僕、思ったんだ。パパがママを捨てたのは、僕が邪魔になっちゃったからだ。ママは『素敵な彼女』から『ママ』になってしまった。そしてママは、それに気付いた。僕が、パパとの素敵な恋を再開するにも、新しいパパと新しい恋を始めるのにもきっと邪魔になるって。だから僕を捨てたんだ。恋をするのにお邪魔虫って要らないでしょ」
「そんなの、貴様の親の勝手じゃないか」
「勝手だよ。でも、それでいいんだ。恋って邪魔者を排除したくなるほどにアツくて、煌めいていて、夢中になれるものなんだ。それほど人を熱中させるものなんだ」
「俺は恋のそういうところが嫌いなんだが」
ずぞぞ、と音を立てながら、火花くんはコーヒーを啜った。難しい顔をしている。
「僕は嫌いになれないよ。だって僕を生んだのは、ママがパパと恋をして結ばれたからなんだもの。恋がなくちゃ僕はこの世に生まれてこなかった」
「……」
「それにね、僕は思うんだ。捨てられたくなければ、僕はキューピッドになればいい。邪魔者にならなければいいんだ。人の恋をお手伝いして、結ばれる手伝いをするんだ。そうすれば僕は他人に必要とされる。僕は誰かの特別になれる」
他人の恋を邪魔する者は排除されるけど、キューピッドであれば、歓迎される。
「僕、魔女になるとき、星硝子に願ったんだ。恋を叶える力をくださいって」
だから僕は、『恋の魔女』になった。恋を叶える魔法を手に入れた。
「僕はこれからも人の恋を叶える手伝いをするよ。だって誰かに必要とされたいもん。僕にできることをするよ。他人の幸せを願うことでしか僕は他人の役に立てないから」
火花くんは、僕の顔をじっと見て何か言いたげな顔をした。
むっつりと閉じていた口にコーヒーを含んでから、ゆっくりと唇を開いた。
「やはり、恋愛なんてくだらん」
「またそうやってきみは」
「だが、貴様が自分を蔑ろにしてまで人の恋愛を構う理由はわかった」
彼は瞬きを一つ、二つ繰り返した。長い睫が揺れる。
「俺の両親も、貴様の親と同じように恋愛結婚だった。父が母に惚れて、求愛をした。母もそれを受け入れ、二人は仲睦まじく、そして俺が生まれた」
僕は黙って彼の話を聞いていた。
「だが、彼らの愛はそう長く続くものではなかった。父は母より仕事を愛し、仕事への情熱を優先した。父は大成したが、その代わり、母への愛を失った。俺への愛もな」
僕のパパも、ママより仕事の方が大事だったのかもしれない。何をしている人かは、聞いたことないけれど。ママはパパの仕事の話なんて聞かせてくれなかったから。
「俺の父は美形だ。母は美貌の人だ。それは今でも変わらない。そしてその血を継いだ息子・火花は……自分で言うのも何だが、美しい容貌を持って生まれてきた」
僕は火花くんの顔をじっと見つめた。今まで意識したことは一度もなかったけれど、言われてみれば彼は綺麗な顔をしている。品がある高貴な雰囲気を纏っている。容貌も整っている方だと思う。表情豊かな眉はきりりと凜々しくて、目元は涼やかだ。
「俺様に今まで『恋をした』と言って近付いてきた女は、大体二通りしかいなかった。俺に近付くフリをして、父に近付こうとする者。そして俺の顔にしか興味が無い者」
確かにこれだけ綺麗な顔をしていたら、顔が好きで近付く人もいるかもしれない。
「顔が好きでも、一緒にいるうちに中身が好きになってくることはあるかもしれないよ。今までのお客さんにもそういう人っていっぱいいたし……」
「生憎そういう輩は今まで出てきたことはない。きついだのわがままだの何だの言って勝手に離れていく者ばかりだった。誰も俺様の中身になど興味は無いのだ」
「そんなぁ」
僕は嫌いじゃないけどな。意外と生真面目で、真摯な彼の性格。
「どうだ。俺が恋愛なんてくだらないと言った理由もわかるだろう」
「なんていうか……うん、ちょっとわかった気がする。火花くんは、きっとまだ自分が素敵な恋に出会ったことがないから、恋の良さがわからないんだよね」
「貴様は母に似たんだろうな。頭が恋愛ボケしているから、散々な目に遭ったとしても何度も恋愛なんぞに夢中になるのだろう」
む。僕がむすりとするのに合わせて、火花くんもむっつりと口をへの字に曲げた。
「僕たち、解り合えないかも」
「そんなもの、最初からだったろうが」
ぎらり。睨み合い、そのうちどちらからともなく、噴き出して、笑った。
「まあいいか。興味ないって言う割に、火花くんは僕の仕事に対して協力的だよね」
「貴様の仕事に協力しているわけではない。貴様に協力しているんだ」
「どう違うの?」
「空回りする貴様が不憫だから手伝ってやっているだけだ」
「余計なお世話!」
にい、と笑うと、彼も大きな口を開けて笑った。そんな顔もするんだ。
笑いながら食べたムースケーキはやっぱりほんのりしょっぱかったけど、甘かった。
「……なあ、俺も両親のキューピッドになれれば、両親にもっと愛情をかけてもらえるようになると思うか?」
火花くんがそんなことを言い出したから、僕は自分のお店の商品を思い出す。
「うん、いいと思うよ。媚薬入りのワインを飲ませてみるっていうのはどう?」
「び、媚薬!?」
「愛情いっぱいの夜になると思うよ」
「いらんいらん! 息子にそんなものを盛らせようとするな!」
彼はほんのりほっぺをピンクに染めてだははと笑った。彼は随分ウブらしい。
「火花くんはさ、ご両親に放っておかれて寂しかったんだね」
手を伸ばして頭を撫でる。太陽みたいなオレンジ色の髪の毛はさらさらだ。
「ばか、そんなんじゃない」
「そう言って。顔真っ赤だよ~」
色を深めたほっぺをつつくと、彼はむっと頬を丸めてそっぽを向いた。照れたように耳までピンクにしちゃって、僕の指から逃れるように体を揺らしている。
「か~わいい」
「可愛くない。からかうな!」
照れ隠しに飲むコーヒーも、大人ぶってるように見える。可愛らしい。
「ねえ。もしも火花くんのことだけを一番に愛してくれる運命の人が現れたとしたら、火花くんは恋を素敵なものだって思い直してくれる?」
「フン。そんなやつが本当に現れるとしたらな」
「きっと見つけてみせるよ。だって僕は恋占い師だからね!」
火花くんは初めて会ったときはただのいけ好かないやつで、今も解り合えない関係で、僕にとってお客さんでも好きな人でもないけれど、なぜか今の僕は彼にも幸せになってほしいと思っていた。できることなら彼の幸せに僕も関わりたいと思っていた。
「ねえ、前も聞いたけど、火花くんは誰にも恋をしたことがないんだよね?」
「無い。予定もない」
「そしたら、好きな人ができたら僕にキューピッドをやらせて。幸せにするから」
また「インチキ屋になんて」って言われてしまうかな、と思ったけれど、彼は黙って僕の顔を見てしばらく悩んだ後、「できるものならな」と笑った。
「任せてよ!」
僕はムースをぱくりと食べながら、にっと笑い掛けた。
きっと僕にしかできない大仕事だ。そんな気がしていた。
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