魔女は苦悩する

「ダリアッドから、休戦協定の打診が来た」


 季節はいつの間にか夏を迎える。外で太陽が熱線を放つ中、執務室に吹く風は冷涼だった。日向と日陰の明暗を濃くした室内で、エルヴィスは椅子にもたれた。机の上には、書状が一つ。立派なそれこそ、彼の国からの休戦の打診だろう。


「あいつら、とうとう観念したのね」


 セラフィーナの口角が上がる。敵はとうとう魔女に畏れをなしたのだと確信して。

 しかし、エルヴィスがそれほど嬉しそうでないことが、気になった。


「……休戦には、条件があった」


 エルヴィスは重々しく口を開く。それから、向かいに立つセラフィーナを見上げて、哀しげに目を伏せた。


「君の命だ、セラフィーナ」

「……わたし?」


 セラフィーナは赤い目を瞬かせた。じわじわとエルヴィスの言葉が染み込んでいく。つまり、自分は死を望まれているわけだ。

 セラフィーナは皮肉げに唇を歪めた。


「こうでもしないと、あいつらはわたしの命を奪えないってことね。でも、だったらおとなしく降伏すればいいのに」

「だけど、セラ。事態は、あまり思わしくないんだ」


 エルヴィスの表情は曇っている。セラフィーナの胸中にもまた、暗雲が立ち込めた。


「このままでは、オルコットは負ける。セラフィーナ、君がいても」

「……だから?」


 セラフィーナは、机を強く叩いた。そのままエルヴィスのほうへと身を乗り出す。


「だから、ダリアッドと仲良くするために、わたしに死ねというの?」


 赤い瞳を燃え上がらせて、恋人を睨めつける。


「あなたは、それを受け入れるというの!?」


 エルヴィスは視線を逸らした。

 セラフィーナは愕然とする。この人は、セラフィーナを切り捨てようとしているのだ。

 脳裏にあの運命の日のことが浮かぶ。跪いてセラフィーナを乞う王子。あれは永遠のものだったはずなのに。

 その思い出に、ひびが入った。


「……ひどいっ! わたしと一緒に居てくれると言ったのに!」


 憤りが止まらなくて、セラフィーナは何度も掌を机に打ち付けた。天板を叩く音が執務室内に響き渡る。

 それほどの怒りを眼にしてもなお、エルヴィスは憐憫の眼差しでセラフィーナを見つめた。それがなおセラフィーナの怒りを掻き立てる。彼は今、同情だけして、セラフィーナを助けてくれる気などないのだ。

 セラフィーナを犠牲にするつもりなのだ。


「冗談じゃないわ! 誰が、どうして! あいつらのために死んでやるものですか!」


 吐き捨てて、セラフィーナは身を翻した。エルヴィスの執務室を飛び出す。

 静止の声は聞こえなかった。

 衝動に任せるまま、セラフィーナは宮中の廊下を走った。無駄なものなどない清廉とした廊下をゆるりと歩く文官たちが、鬼気迫る魔女の様子に驚いた様子で振り返る。だが、セラフィーナは構う余裕などなく、荒れ狂う風となって屋内を駆け抜けた。


 ようやく足を止めたのは、宮殿の庭園の一つに出てからだった。灼熱の太陽に炙られる緑はいきいきとしているが、他の色彩には欠け、華やかさには乏しかった。

 だけど、本当はわかっている。この状況を覆すすべこの国オルコットは持たないことを。


「でも、わたしは……」


 死にたくはない。せっかく日向の世界に出ることができたのに。

 魔法が使えるというだけでこそこそと生きていた時代。これほどの力を持っているのに、本来褒め称えられるべきなのに、どうして隠れていなければならなかったのか。どうして魔法の力を持っているというだけで死ななければいけないのか。

 人を殺したのだって、国の連中から乞われてしたことだ。呵責はないが、別に殺したかったわけでもない。

 なのに、そのオルコットが自分を切り捨てるのか。


「まだ決まった訳じゃないわ……」


 エルヴィスはきっとセラフィーナを助けてくれるはず。

 祈るように口にした言葉は、虚しく夏の大気に溶けていく。やりきれなくなって、セラフィーナは花期を終えたツツジの生け垣に身を寄せた。芝生に腰を下ろし、膝を抱えて縮こまる。

 ――このままここにいれば、エルヴィスは捜し出してくれるだろうか?

 そしてひどいことを言った、とセラフィーナに頭を下げて赦しを乞うてくれればいいのに。

 膝小僧に頭をうずめる。そんなこと、あろうはずもないか。


「この度の件、殿下はどうされるつもりだろう」


 少し遠く――おそらく回廊のあたりから声が聞こえて、セラフィーナは耳をそばだてた。噂が自分のことだと直感する。


「魔女のことか」


 もう一つ、別の声。


「正直に言えば、あの魔女の力は惜しい。確かに彼女を差し出せば、戦争は終わる。しかし、その後は? 終戦後、我々はダリアッドに対抗する術を失う。そこをつけこまれるかもしれん」


 オルコットとダリアッドの力関係は、セラフィーナの力があってこそのものだった。ダリアッドはセラフィーナに苦しめられている。

 反面、オルコットはセラフィーナによって守られている。セラフィーナを喪うことでこの国はどうなるか。それは火を見るよりも明らかだった。


「殿下もまた、彼女のことを惜しまれているようだったな」


 セラフィーナは息を飲んだ。本人から直接聞いたわけではない。だが、心は強く揺さぶられた。胸の奥が温かくなる。自分は、決してエルヴィスに見捨てられたわけではないのだと信じられる。


「だが、条件を飲まなければ、この国は……」


 誰かの声が沈んでいく。ダリアッドの戦略は、着実にオルコットの首を絞めている。息の根が止まるのも時間の問題であることは、確かだった。


「どうすればこの国を守れるのだろうか」


 それを最後に、誰かの声は止んだ。二人とも、回廊の先へ行ってしまったのだろう。

 セラフィーナは、相変わらずツツジの植え込みの陰に隠れながら、思考を巡らせていた。死にたくはない。けれど、前にセラフィーナはエルヴィスに約束した。わたしの総てをもって。それは、セラフィーナの命も含まれないか。

 約束を反故にするのか。唇を噛みしめる。セラフィーナは、自らの矜持と保身の間で葛藤した。

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