魔女は乞われる

 セラフィーナは捨て子だ。三歳か四歳の時、両親に森の奥まで連れられ、置き去りにされた。

 魔女だったからだ。気づけばセラフィーナは、火や水や風――万物を操った。

 魔女狩りは廃れていた。だが、魔法はまだ当たり前の時代ではなかった。だから、両親は娘を怖れ、けれど殺すこともできずに、森に捨てた。

 セラフィーナはその頃のことをよく覚えていた。待っていて、という両親の言葉を信じ、狼の遠吠えが聞こえる頃合いまで、じっと森の中で耐えていた。それこそ、通りすがった老齢の魔女が幼い娘を見つけるまで、ずっと。


 セラフィーナを拾った魔女は、彼女の境遇に同情してか、真摯だった。真摯過ぎた。セラフィーナが両親に捨てられたであろうことを、素直に語ってしまうほどに。

 だから、セラフィーナの中で憎悪は早々に育っていった。自分を捨てた両親を呪い、自分を受け入れない社会を呪った。呪わなかったのは、自分を育ててくれた魔女と、自分に従う世界だけ。養母の教育で、セラフィーナは思いのままに魔法を操ることができた。世界はセラフィーナの味方だったのだ。


『私たちは、世界から祝福されているの』


 養母の言葉は、セラフィーナの胸に刻まれた。セラフィーナの存在意義を支え続けた。親に捨てられたセラフィーナの自尊心を保ち続けたのは、養母の言葉があったからだった。


 それがより強固になったのは、養母が亡くなってからのことだ。セラフィーナは出逢ったのだ――運命に。

 狩りに出た王子が、森で迷った。

 護衛とはぐれた王子は、猛獣に襲われた。

 セラフィーナは、それを助けた。魔法で。世界に祝福された魔女の力で。

 命を救われたことを恩に着た王子は、その後何度もセラフィーナのもとに訪れるようになり。

 二人は心を通わせて。


『セラフィーナ、どうかこの私と共にいてはくれないだろうか』


 ついに王子は、彼女を乞うた。魔女と知りつつ、セラフィーナを望んだ。

 差し出された手を前に、セラフィーナは運命を悟った。王子だけではない。世界が自分を求めているのだ、と確信した。

 セラフィーナは王子の手を取る。彼の魔女として、世界に君臨することを選んだ。

 それから魔女セラフィーナは、エルヴィス王太子が選んだ英雄として、この国を守護し続けている。



 ◇ ◇ ◇



 滑らかなシーツの冷たさが、火照った身体に心地良い。ビロードのカーテン越しに半分に欠けた月を見上げ、快楽の余韻に浸りながらセラフィーナは満足げに息を吐いた。こんな贅沢な寝台も、こんな大きな窓がある部屋も、森に隠れ住んでいたときには想像もしなかった。


「セラ。何を考えている?」


 耳に甘やかな声が吹き込まれる。逞しい腕が、ベッドの上のセラフィーナを抱き寄せた。顔を傾ければ、月明かりに輝く白金の髪の隙間から、青玉の瞳が覗き込んでいる。


「昔のこと。あなたに出逢う前のことよ。あの時はこんな滑らかなシーツの上に寝られるとは思っていなかったから」


 森で生きていたときは、ごわごわとしたシーツだった。どちらかと言えばあちらの方が温かいのだが、セラフィーナはこの冷たいシーツのほうが好きだった。こちらのほうが、愛しい人の温もりがより感じられるから。


「……帰りたいかい? あの森へ」


 セラフィーナは、ベッドに手をついて上半身を起こした。赤い眼をしばたたかせ、表情を曇らせる恋人を見下ろす。


「まさか。どうしてそんなこと思うの?」


 エルヴィスは、長いまつげの目を伏せる。傷ましそうな表情に、セラフィーナの胸が騒めいた。


「君は、私の所為でその手を血に汚してしまった。あの森で暮らしていれば、戦場に出ることはなかっただろうに」

「わたしが選んだのよ」


 セラフィーナは断じる。赤い瞳に炎が灯る。セラフィーナは、ただの少女で在りたいわけではなかった。あの森に隠れ住む弱い人間ではいたくはなかった。魔女としてこの国に――この世界に君臨することは、セラフィーナが望んだことだった。

 それに。


「あなたはわたしを受け入れてくれた。愛してくれた。敵を何人殺しても、わたしの身体が血に塗れても、あなたはわたしを変わらずに抱きしめてくれる」


 そうでしょう?

 尋ねながらも、セラフィーナは確信していた。どんなことがあっても、エルヴィスからセラフィーナを手放すことはないと。エルヴィスにとって、セラフィーナはこの国の守護者であり、愛を捧げた相手のはずだ。たとえ彼が妃を迎えても、セラフィーナを傍に置くことだろう。


「ああ、もちろんだとも。今までも、これからも。私は君をこの手に抱き続けよう」


 エルヴィスの言葉に、セラフィーナは満足した。森に暮らしていたときとは比べ物にならないほど、自尊心が満たされていた。世界を手に入れた気分だ。


「どうかこの私と共にあってはくれないか、セラフィーナ」


 セラフィーナは、切なげに手を伸ばすエルヴィスの身体に圧し掛かった。顔の両側に手を置いて、熾火のように燃える赤い瞳で、恋人の青い瞳を見つめる。


「もちろんよ、エルヴィス。わたしがあなたを守ってあげる。あなたの願いは、総てあなたの魔女が叶えてあげる」


 だから私を愛して。

 吐息混じりに呟いてからエルヴィスの顔に頬を寄せ、セラフィーナは口付けを強請ねだった。

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