セラフィーナの献身

森陰五十鈴

魔女は降り立つ

 それは、まるでお伽噺の一場面。


 魔女。民衆に石を投げられ、火刑に処されて然るべきだった存在。

 今では魔女狩りも廃れはしたけれど、忌み嫌われて捨てられる存在。

 そんな魔女であるセラフィーナが。


「セラフィーナ、どうかこの私と共にいてはくれないだろうか」


 森の中にひっそりと佇む粗末な小屋。その前で、華麗な服を纏った男にひざまずかれているなんて。


 セラフィーナは信じられずに、目の前の青年を見つめた。艶があり、さらさらとした白金の髪。青玉のような瞳。絹のシャツに紺のベスト。麻製のトラウザーズの膝が、雑草生えた土に突いている。

 高貴な男――この国の王子様が、人々から排斥された魔女を相手に、服が土に汚れるのも構わずに。

 魔女であるとはいえ、見た目はただの野暮ったい少女に過ぎなかったセラフィーナの胸は、歓喜に打ち震えていた。

 深い陰を落とす木々の合間から差し込む陽光が、セラフィーナと王子を照らし出す。

 それはまるで祝福で。

 セラフィーナは、自分の運命を悟った。


「……はい」


 差し出された手を、セラフィーナは取った。男のものとはいえ、傷一つない綺麗な手。少女のものとはいえ、傷だらけのセラフィーナの手には、到底そぐわない。

 けれど王子は、そのささくれた手を愛おしそうに包みこむ。そして、甘くとろけるような笑みをセラフィーナに向けた。



 ◇ ◇ ◇



 曇天に、木枯らし吹き荒ぶ南の砦。そこから広野を見下せば、鈍色の鎧が敷き詰められている光景が目に入った。重装備の兵士たちが、剣や槍などの武器を構えてこちらを威圧している。所々に立つ黄色と朱色の旗は、隣国ダリアッドの国旗だ。

 この国オルコットは、今まさに南の国境からダリアッドの侵略を受けようとしていた。

 セラフィーナは、砦の歩哨からその絶望的な光景を見下ろして、鼻を一つ鳴らした。


「有象無象が、ずいぶん集まったものね」


 言葉は冷たく、敵を睥睨する赤い瞳はさらに冷ややかだった。戦場に相対していながら、その冷静さは十七歳の少女のものではない。

 不穏な風が、頭頂で二つに結わえた彼女の金髪を巻き上げた。顔にかかった髪を、セラフィーナは鬱陶しそうに手で払う。それから身体を半回転。眼差しの色を変えぬまま、敵兵の矢に怯えて縮こまっている自軍の兵たちを見下ろした。


「あなたたちは下がっていなさい。……じゃないと巻き込むわよ」


 不遜に言い放つ。兵士たちは、不安の中に戸惑いを宿した。その正体を知っているとはいえ、目の前に立つのはただの少女。彼女がこの状況を覆せるとはとても思えない。

 セラフィーナは、そんな兵たちの戸惑いを不愉快に思った。が、すぐに口角を上げる。今信じないのは勝手だ。後で自分がしたことを認め、たたえ、おそれるのであれば、それで良い。

 再び敵陣に向き合ったセラフィーナは、歩哨を蹴って胸壁に上がった。そして、後方のどよめきを顧みず、今度はせっかく上がった胸壁から飛び下りた。

 指先を小さく振り、風を纏う。見えない翼を宿したセラフィーナは、ゆっくりと冬枯れた広野に降り立った。

 幾百の敵兵を前にしても彼女は臆することなく、腕を組み、砦の門の前に仁王立ちした。白の法衣がはためく。その小さな身体を目にした敵兵たちの間に戸惑いが走った。セラフィーナはそんな彼らをつまらなそうに見渡し、薄紅の唇を開いた。


「今すぐ立ち去りなさい、野蛮人」


 声は、セラフィーナが指を一振りするだけで敵の隅々にまで行き渡った。不思議を前に、敵兵たちは混乱に陥る。セラフィーナはそんな彼らをせせら笑った。魔法も使えない、魔法を知らない凡人の集まりが、いっそ哀れに思えた。


「ここはエルヴィス様の国。お前たちのような奴らが足を踏み入れていいような国ではないのよ」


 エルヴィス・エレイノス・フォン・ガルディア。このオルコットを統べる王の嫡子にして王太子。セラフィーナが全てを捧げるこの王子。隣国の野蛮人が、いずれ彼が統治する国を荒らそうとするのが、セラフィーナは我慢ならなかった。本当なら、今すぐ全員焼き払っても良いくらいだ。それをせず、面倒にもこうして警告を与えるのは、ひとえにエルヴィスの意向だったから。愛しき彼は無駄な殺生を望まない。


「ずいぶん待たせると思ったら、出てきたのはお嬢ちゃん一人か? どういうつもりか知らないが、お嬢ちゃん一人で俺たちの相手をできるとは思えねぇなぁ!」


 だが、敵兵たちはエルヴィスの慈悲を理解しなかった。少女の魔法から立ち直った兵たちの中から、一人の男が下卑た笑みを浮かべて進み出た。侮りに、セラフィーナは顔を顰める。

 男は、聞き苦しい濁声を張り上げた。


「そんな細い体で何するつもりだぁ!? 俺たちをどうしようっていうんだよ!」

「……うるさいわね」


 セラフィーナは組んだ腕をほどいた。右手を前に突きつける。ちょうど、そう、遠くの男を突き飛ばさんとするように。

 そして実際、男は後方に吹き飛んだ。金属がぶつかり合う音と、人がもんどり打って倒れる音がする。どよめきが走った。魔女だ。オルコットは魔女を飼っている。

 セラフィーナの口元は笑みを作った。他人に畏れられるのは、気分が良い。そのまま引き下がってくれれば、なおのこと気分が良かったのだが。

 まあ、いい。


「見逃してあげようっていうのに、なんて愚か者」


 セラフィーナは天に右手を掲げた。広げた掌の上に、焔が灯る。焔はだんだん大きくなっていき、鳥の形を成した。

 敵陣に匹敵する大きさの巨鳥。熱が冬の大地を炙る。


「死んで後悔することね」


 セラフィーナが右手を振り下ろすと、焔の巨鳥が滑空した。大地に腹を擦り付けんとするように、前へ――敵の只中へ。

 悲鳴が上がる。肉が焦げる匂いが漂う。少女を嘲笑った男も、魔女に及び腰になった者も、オルコットの地を踏み荒らした愚か者は、みんな纏めて火に呑まれた。

 阿鼻叫喚。薄暗い冬の大地は、たちまち地獄へと変わった。


 鎧を纏う男たちが熱に踊り狂うのを一瞥してから、セラフィーナは踵を返した。砦の入口に立ち、門を開けるように呼びかける。

 重々しい音を立てて上がった鉄格子の下を、魔女は平然と潜り抜ける。

 途中、魔女が通り抜けるのを固唾を飲んで見守る兵士の一人に、セラフィーナは声を掛けた。


「捕虜はいらないわ。燃え残ったの、全部始末して」


 少女の背後で鉄格子が落ちる。

 その向こうでは、まだ地獄の刑罰は続いている。

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