第3話 若い僧の鬼退治

 随分と随分と昔、まだ男どもが刀を持って偉そうにしていた時代のことである。

 ある田舎の大きな寺に若い僧がいた。別に特別な信仰心もなく、しばらく前は刀を持って、刀のない人たちを相手に偉そうにしていたが、やがてそんな生活が馬鹿馬鹿しくなって剃髪した。それ以上の理由はない。

 寺は大きいけれどいるのは年寄ばかりで、この男の他には若い者は二人しかいない。皆、男からすれば反吐が出るほど模範的な坊さんである。彼らは日ごと心から精進に努めているわけである。

 上は年寄が鮨詰めに閊えているから、この中では多少歳を食っても若手でいられるわけだ。中でも壮年に差し掛かった僧が一人いて、彼はもう十のときくらいには輪の中にいるのであるが、年寄たちがあまりにも元気なので、いつまでも若手のままここまできた。最近は少しばかり若いのが来たために、多少なりとも偉そうにできるようになったが、それでも彼が下層に属することにかわりはない。いつもいつも眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。



 このあまりにも平和な寺をよそに、山の向こうでは鬼が人を食っているいう話が後を絶たなかった。寺の方では「関係なし」とあくまでも目を向けなかったが、ある日、檀家の一人が母親が鬼に食われたと駆け込んできた。この母親、熱心な信者であった。応対した中年の僧も、眉間の皺をさらに深めて悲しむ顔を見せつけたが、駆け込んできた方はそれでは納得せぬ。半日ほど訳のわからないことをギャンギャンと叫び続けていた。見かねた和尚が

「よろしい。手をうちましょう」

 と言ったものだから、もう、駆け込んできた方は感謝のあまりに、泣きに泣き、また半日ほど寺の前で大きな声を出し続けた。結局、丸一日、寺の玄関でわめき続けたことになる。この間、中年の僧はこの場を離れることを許されなかった。檀家が帰るころにはもう、疲れ果てて玄関先で寝込んでいた。

 さて、和尚が「鬼退治」を宣言してしまったからには、もう知らぬふりはできぬ。なにしろ今と違って嘘が許されぬ時代であったからだ。

 さっそく討伐隊が組まれることになった。そこで、あれよあれよと中年の僧が隊長に任命され、もう一人必要ということになった。そこでもう一人は若い僧たちのうちから選ぼうということになった。しかし困ったことに誰も志願せぬ。そこで和尚が

「これは信心が試されるぞ」

 と三人に迫った。真面目な二人はもごもごというだけで話は進まぬ。若い僧は若い僧で死ぬのは嫌だという思いは人一倍強い。これではいよいよ話が進まぬというとき、中年の僧は和尚には内緒でくじ引きで決めようと提案した。はじめは三人とも文句を垂れていたが、中年の僧が「これは信仰心がためされるぞ」というと、いかにもという様子で二人が承服した。いつのまにか、若い僧も同意したことになっていた。

 中年の僧の手の中に折り畳まれた三枚のちり紙が転がっていた。当たりは内側に赤い点がうってある。三人は剃髪した順にくじをひいていった。若い僧は最後である。先の二人がくじをひくのを見守ってから、若い僧は残りの一つを手に取った。内心、若い僧はほくそ笑んでいた。なぜなら、最初の僧の引いたくじにうっすらと赤い点が透けているように思えたからだ。

「ざまぁみやがれ」

若い僧は哀れな僧の緊張する姿を見て、あえて彼に微笑んだ。

「あけよ」

中年の僧が不愛想に言い放った。順順に結ばれたちり紙をほどき、開いていく。若い僧が最初にくじを引いた層を見て「哀れな」とほほ笑んだ。僧がくじを開いた瞬間息を吐くのが聞こえた。のと同時に

「残念」

 ため息交じりに呟くのが聞こえる。若い僧はしめたとばかりに仲間を気遣うのを装って、つかつかと哀れな僧のくじを奪い取った。

 見事な、真っ白なちり紙である。若い僧はそれを投げ捨てた。若い僧は見誤ったのである。懇願するような目つきで二番目の僧をじっと見つめていた。

 二番目の僧が恐る恐るくじをあけた。と同時にまた

「残念」

 今度こそはとくじを奪ってみれば美しいばかりの白紙である。信仰心の熱い二人が目が若い僧をじっと見つめた。若い僧は震える手でちり紙を開いた。

 まっしろな紙にぽっちりと真っ赤い点がうってある。美しいばかりの赤である。

 若い僧は首を垂れた。

「見事」

 新人の厚い僧たちは若い僧を讃えた。

 翌日、若い僧は野暮用を済ますと言い寺を出ると、町に行って肉をたらふく食って酒を飲み明かした。そして少し太めの女を抱いた。翌朝、酒臭い息をさせながら寺に帰ると他の若い坊主が咎めたが、若い僧が抜き身の太刀のような目でにらみつけると、押し黙ってしまった。


 

 そこからは早かった。中年の僧と若い僧はその日のうちに武装させられた。武蔵坊弁慶のような姿である。薄汚れた頭巾で顔を覆った姿は誰が見ても堅気の坊さんではない。

 武装と共にいくらかの握り飯を渡された二人はおっちらおっちら山に入った。

 山道に赴くと、思いのほか木々が開けている。鳥がガアガアとうるさく鳴きたて、風が草をないでいった。思いのほか山道は静かであった。半刻ほど歩くと中年の僧が青い顔で

「休もう」といった。若い僧は承諾した。中年の僧はちょうど良い岩の欠けに腰かけると、そのまま俯いて押し黙った。割合まだ若い僧は元気であったために、つかつかとあたりを歩き回っていたが、やがて腰にさしたる太いものに手をかけた。若い僧からすれば久方ぶりの太刀である。いや、しばらく前だってこんな立派な、黒塗りの太刀を持ったことはなかった。若い僧は二度三度、この腰に収まったこの太刀を優しくなでたが、ためしにひょいと鞘から引き抜いてみた。と、握っていた手が滑った。刀は腕をかわして、地面に真っ逆さまに突き刺さった。一瞬手首を失うかと思われたが、寸前のところで刃は向こうを向いていた。地面に太刀の突き刺さる鈍い音とともに、鳥が一斉に逃げ出していく。

 そのとき、中年の僧がにわかに立ち上がり、若い僧の前までにじりよると、しばらくにらんだ末に、「勘弁してくれ」と絶叫しながら頭を地面につけた。やがて二、三絶叫すると礼を述べたのちに走り出した。誰だって死ぬのは怖いらしい。

 後、この中年の僧は、坊さんであったことは忘れて大きな戦に参加し、軍功をあげ名を挙げたが、殿様の女房に手を出して切り殺されたらしい。

 とかく若い僧は一人になった。

 若い僧はとくに顔色を変えることなく中年の僧の走り去るのを見送っていた。木の上から目線を感じる。若い僧は匕首のような目線で返答した。ざざざと木が揺れるのが見え、恐る恐る猿がぽっちりと顔を出した。若い僧は鼻で笑うとそのまま進んでいこうとした。猿がたまりかねた様子で呻きだした。あっちに身をやり、こっちに身をやり、果ては頭を木にぶつける始末である。この猿はいよいよ気がふれたもののように見える。若い僧は目もやらなかった。やがて猿がばつが悪そうに

「おい、俺を無視するのか」

 と言った。若い僧はまた匕首のような眼を光らせる。足を踏み込み、低い体勢からぐいと睨み上げた。すると猿もどうにも参ったように見えて

「俺が悪かったよ。でもまあ、俺がこんなことをしているのには訳がある。ちょっと聞いてくれんか。」

 若い僧はこれが最後の話相手になるかもしれない思った。低い声で「うん」と頷いた。

 猿曰く、この幾月か奇妙な頭痛がして一向に鳴り止まない。これまでにもありとあらゆる

治療を試みたが、それは猿知恵、効果はない。もう打つ手もないので、こうなれば木に頭をぶつけ、のた打ち回っていた。こうするといずれは頭痛が止むのではないかと思った。若い僧が少し知恵を絞ってみると、原因は恐らくは心のためであると思った。

 若い僧曰く、悪い気ばかり持ち合わせていると、そのうちに体も変調をきたしてくる。しまいには体のいずれも弱りきって命を落とすかももしれない。このような奇行に走ると、よりいっそうに悪い気を増すばかりだ。といった。

 猿は全く納得したような顔つきでその話を聞いていた。そのうちに若い僧が握り飯を差し出した。若い僧がたまにはくだらない話でもしようやと言う。猿は快く了承した。

 こうして二人は夜が明けるまで飽きることなく話し続けた。

 一晩あけてみると、猿もどこか悪い気を捨てたような顔つきになって微笑んでいる。猿は何度も何度も駆け回り、手を叩いていたが、その様子には昨日の病人じみたものは一切孕んではいなかった。猿曰く

「お前と話せて気持ちがよかった。おかげで頭痛も消えうせたように思える。どうしても礼がしたい」

 そういって猿は若い僧の手に白い石をねじ込むと、ひょいひょいと木々を縫って消えていった。若い僧はその白い石を握りながら、この石にはどういった価値があるものかと考えてみた。何か値打ちのあるものなのかもしれないが、今はどうにもわからない。もしかしたら高く売れるようなものなのかもしれない。しかしこうやって見る限り、どうにも高く売れる値打ちのあるものには見えなかった。

「まあいいや。友達からもらったことに値打ちがある。」

 若い僧はそう言ってゆっくりと歩き出した。

 それからの山はあっけなかった。山を越えるのに一日もかからなかった。かからなかったが、山の向こうに鬼がいると思えば、なんとなく気が引けて、一晩無駄に山中で油を売った。      

 思い出すのは猿との一夜である。この世にあるうちには人間とはついぞ仲良くなれなんだが、物の怪の類とあれほど仲良くなれるとは思わなんだ。寺を出る前、肉をたらふく食い、酒を飲み、生まれて初めて女を抱いた。だが、ついぞ何か心が動くようなことはなかった。しかるに、自分は世の中に生きてはいけない人間なのだなと、そう思った。次第に死ぬことなんてどうでもよくなっていった。だが今はどうにも……若い僧は白い石を眺めて思った。ひとしきり石を眺めると、懐にしまってその日は眠りについた。



 山を下ると大きな岩が見えた。その前の平べったい岩に、噂通り異形の化け物が座禅を組み、つと目を瞑っている。岩と岩が観音様の像の台座ようになっていた。

 若い僧が目を凝らすとその化け物の姿がはっきりと見えた。

 盛り上がった山のような裸体を晒し、下には裙のようなものをつけているのが見える。髪は背中まで伸びて、そのうちに体毛と混ざり合って悍ましい。角が湾曲し天を睨み付けている。まわりには何かわからない衣が散乱していた。

 若い僧はずんずん近づいていった。鬼は依然、座禅を組んだままである。若い僧がやがて鬼の息遣いが鮮明に聞こえるところに来た途端、鬼はホオズキのような真っ赤な目を見開いた。僧はすかさず鋭い眼光で返礼した。しばらくの間、この睨み合いは続いたが、鬼はその大きな体をゆすぶって立ち上がった。巨体を揺らしてズンズン歩みを進めると。若い僧の胸倉をつまんで放り投げた。その衝撃で鎧にひびが入り、割れてしまったものだから凄まじい。若い僧は立ち上がることもできぬまま、鬼を睨み続けていた。また鬼の鈍い足音が聞こえる。鬼が若い僧の胸倉を再びつまんで持ち上げた。今度は口に運んで食いちぎってやろうという魂胆だった。

 そのときである。猿からうけとった白い石が俄かに熱を持って光りだした。鬼が苦悶の表情をみせると、それを追い詰めるように光もつよくなっていく。光が弱くなったのは、鬼が若い僧を離してからだった。

 鬼は非礼を詫び、再び禅を組んで岩の上に鎮座した。そして、二、三言葉を交わすと、次の如く語り始めた。

「俺は昔、ある寺の住職で立派な名前もあった。しかしな、寺を大きくしようと戦を二度も三度もやると、しまいに仏が信じられんようになってしもうてな、やりなおそうと思っていろいろな国を回っていろいろなものを見ててみたが、一向にこの詰まりは取れぬ。いや、飢えたり、切られたり、無残な人間の姿をみていると、なんだかもう詰まりは余計にひどうなる。腐って蛆がたかって崩れてしもうた子供の亡骸をみたとき、俺は本当にわけがわからなくなってしまった。どうして子供とわかったかというと、それは横で親がいつまでも、いつまでも泣いているからだ。俺は横に立って経を読んでやったが、それが何になる。死んだ人間も、生きた人間も浮かばれん。だからここで禅を組んで、わからないものがわかるまでここにいようと思った。だが長いこといても一向に詰まりは取れぬ。もう、何もかもが憎らしくなってくる。ここを行く奴らは皆、薄ら笑いを浮かべて俺を眺めてやがる。そんな奴らが憎らしくて、憎らしくてな。俺はあいつらをとことんまで恨んだ。俺の苦しみを知ろうともしない全ての人間を恨んだ。だから俺は今、ここで畜生になっておるのだ」

 と言った。鬼の視線は穏やかな様子で絶えず石のほうに注がれていた。

 若い僧はボロボロの鎧を脱ぎ、僧衣を放り投げ、刀を捨てた。そして裸同然の姿でそっと鬼の前に歩み寄った。

「俺もわからん。だから、一緒にやろう」

 若い僧が手のひらを合わせて言った。

 一杯どうだという口調だった。鬼も冷で一杯という口調で同意した。

 二人は腹からゆっくり息を吸い込むと同時に経を唱え出した。この際、内容などどうでもよかった。二人は必死になって唱えた。二人の経は山を越えて里や寺にまで届いた。

 短い時間は永遠に感じられた。唱え終わると、鬼が太い腕で目頭をぬぐうのが見えた。

 鬼はしだいに美しい様子に変わっていく。涙が身も心も洗った。そして天に上って行く。鬼はもう鬼ではなくなっていた。

 若い僧には天へと上ってゆく和尚の姿が、まるで観音様のように映ったのだった。


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