第013話 魔王、エリクサーを飲んだ『リンネの母』の豹変に恐怖する! その1
そんなマンションの奥から聞こえてきた喧嘩の声が聞こえなくなり、それに変わって甘い吐息が小さく聞こえだし、その声がどんどん大きくなってゆきクライマックスに達したのは……おおよそ十分が経過した頃。
ちなみにここで『えっ? 奥で何かエッチなことしてる!?』などと早合点してはいけない。
昔は枯れ木や草花がお化けや妖怪に見えていたように、現在では洗濯機や冷蔵庫、はたまたエアコンや空気清浄機などの家電の駆動音が喘ぎ声に聞こえてしまうことなど日常茶飯の事なのだから。
『はぁ……はぁ……はぁ……な、何なのよこれ……
いきなり体は光りだすわ、体のそこここが気持ちよくなるわ……』
『うう……母親の痴態なんて死んでも見たくはなかったよ……』
『あんたね! 死にかけてるお母さんに向かってその言い草はどうかと思うわよ!?
それでなくとも全身が軋むように痛いのに! こんな、痙攣しちゃうほどの快楽責め……あれ? 体が、全身が痛い……痛い……痛く……ない? どうして?
お医者さんからここまで進行するとモルヒネでさえそれほどの鎮痛効果は見込めないって言われてるのに……。
少し前まであった痛みも吐き気も体を包み込むような倦怠感さえ全部消えたみたいにスッキリしてるんだけど……』
『お母さんの治療のためにお兄さんが出してくれたお薬なんだから効くのは当たり前でしょ?
顔も赤みがさしてるし、くぼんでいた目も、こけていた頬だってふっくらしてるし……病気、本当に……本当に治ったんだね?
投薬の副作用で抜けていた髪の毛だって……ちゃんと……元通りになって……お母さん……お母さんっ……!!』
『リンネ……そんなにきつく抱きついてきたら苦しいわよ……
まったく、いくつになっても子供なんだから……
いえ、そうじゃなくて! えっ? お母さんの体……どうなってるの?
いったい何がどうなってるのよ!? さっきの毒……もしかして本物のお薬なの!? そんな、そんなのありえるはずがない……』
『ふふん、お兄さんは凄いのよ? それにとっても……優しいんだから。
そんなお兄さんにわたしがお願いしたんだから治るのは当然なんだよ?』
『お願いしただけで病気が治るならいまごろ日本中の神社は大人気の観光スポットになってるわよっ!
はっ!? 体が光りだすなんていう馬鹿げた幻覚作用、それにあの人が亡くなってから……むしろあの人に抱かれていた頃ですら……あの人以外に抱かれた時にも感じたことのないような、体の隅々まで愛撫され、絶頂されられたようなとてつもないあの快感……
あっ、お父さん以外の人っていうのはあくまでもお父さんと結婚する前の話だからね?』
『お母さんの過去の性事情とか何の興味も無いけどね!?
あと死んだお父さんがあまり上手くなかった宣言とか止めてあげて!?』
『……もしかしてさっきのは……強力な麻薬……それ以外考えられないじゃない!!
リンネ……あんたはなんて男と取引したのよ!?
そんな薬の対価は……報酬はあんた自身なのよね!?
ああ……娘が……娘が手足を切り落とされて海外の富豪に売り飛ばされる……』
『お兄さんはそんなことしないよ!! ……たぶん』
いや、猟奇的すぎるだろ!? 売り飛ばされるまではいい……いや、まったく良くないけど! どうして手足を切り落とす必要があるんだよ!
そんな海外の服屋で試着室に入ったら誘拐されてそのまま……みたいな都市伝説が身近で起こったらたまったもんじゃないわ!
あとリンネたんはちゃんと否定して? 信じるなら最後まで信じきって!!
『あんたは世間のことが何も分かってないからそんなことが言えるのよ!!
というかさっきお母さんの顔がふっくらしてるとか髪が生えたとか言ったわよね?
……そう、そういうこと……私だけじゃなく、私の可愛い娘まで既に薬漬けにされて……
そう、そうなの……今日の晩ごはんは二人仲良く吉○家ねっ!!』
『お母さん、混乱しすぎててちょっと何を言ってるのかわからないから一旦落ち着いて? あと病み上がりに牛丼はさすがにどうかと思うよ?』
『ふふっ、ふふふっ……大丈夫よ? お母さんはいつだって冷静沈着なんだからね?
リンネ、言いなさい、その男が今何処にいるのか言いなさい!』
『自分で大丈夫って言う人は、本当はだいじょばないんだよ?
どこって……お兄さんなら家の玄関で待ってもらってるけど』
『大丈夫、大丈夫だから。何があってもあなたは、リンネだけはどんなことがあろうともお母さんが守ってあげるからね?
そう、お母さんはどうせもう長くないんだから、悪魔と刺し違えてでも……』
リンネたん? さらっと人のことを売り渡すのは止めて?
お母さんの声のトーンが弱々しい病人のソレではなく、相打ちする覚悟を決めた歴戦の勇者のソレになってるからね?
室内の喧騒――二人の会話が途切れたかと思うと、次に聞こえてきたのは扉や引き出しを開け閉めする音……たぶん箪笥かクローゼットを開け閉めする音? が聞こえてくる。
『えっ? ちょっと待って!? なんなのこれ!! 若っ!? 私若っ!?
一体どういうこと……? 幻覚……これも幻覚……なのよね?
眼窩は深く落ち込んで頬も痩けて髪の毛も抜け落ちて、肌に艶も張りもなくなって……五十代どころか六十代にすら見えていた私の顔が……』
『それ、さっきわたしが言ったよね?
病気が治ったんだから元通りに……本当に元通りなのかな?
今のお母さんの顔って、わたしが幼稚園に通ってた頃のお母さんなんだけど……』
『幻覚、そんなのもはすべて薬物で見せられている幻覚……のはずなのに!
ああ……髪が……私の髪が……指で感じられるのよ……
ふふっ……ふふふっ……ああ……あのまま……変わってしまった姿であの人のところに向かわなくちゃならないと思ってたのに……
悪魔……あなたの連れてきた男は本当の悪魔だったのね……
こんな、こんな姿を、病気にかかる前の元通りの体どころか、若返ったこんな姿を見せられたら……
夢幻の姿だって理解ってても女ならあの薬に依存するしかないじゃない……なんて、なんて酷い……そして優しい……』
なんだろう? さっきの殺意あふれる空気から変化はしたんだけど……違う意味で恐怖を感じさせるこの気配は?
まぁ、どちらにしてもあまり歓迎できる雰囲気じゃないんだけどな!
あと、俺は悪魔じゃなくて魔王なので悪人以外には無体なことはしないからそこ間違えないで欲しいんだけど?
『リンネ、これからもその親切なお兄さんという人とは仲良くするのよ?
そして、あのお薬をまたお母さんのためにもらってきてちょうだいね?』
『特別間違ったことは言われてない筈なのに母親に売られた感が凄い!?
それにお母さんの病気は治ってるんだからこれ以上お薬は必要ないよ?』
『はぁ……どれほど効くお薬だとしても幻覚剤なんて二十四時間も持たないに決まってるじゃない……
そういえば悪魔……お兄さんって言う人は玄関で待たせたままなのよね?
お母さんもちゃんとご挨拶したいから先にリビングに通しておいて頂戴?
最悪あなただけじゃなくお母さんの体も差し出せば死ぬまであのお薬を……お薬……お薬……ふふふっ』
『お母さん!?』
えっ? 間違いなく精神に混乱とか狂乱のデバフを食らった人間とこれからご対面しないといけないの!?
普通に嫌なんだけど……このまままっすぐお家に帰りたいんだけど……。
よし、今日はこれから用があるって言ってここから脱出しよう!
……と思ってたんだけど……奥の部屋から現れた、かなりの困惑顔をしたリンネたんに、
「お兄さん! 頂いたお薬のおかげでお母さんの病気が治りました!
とりあえず本人が挨拶だけでもと申しておりますので……あっ、よろしければ夕ご飯……ご一緒にどうでしょうか?」
なんて頼まれたら断るわけにもいかず。
てか着替えて出てきたリンネたんのお母さん、実年齢は若くても四十歳前後のはずなのに見た目が二十代後半くらいなんだけど? 親子というより姉妹みたいなんだけど?
廉価版エリクサー、媚薬効果はもちろんだけど若返りの効能なんて一切ないはずなんだけどなぁ……もちろん依存性も無いからね?
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