第5話「桜の涙」
翌日。タイムマシンを調べていた秀哉は、うーん、と腕を組んだ。何かトラブルでもあったのかと和樹は聞いた。
「結論を言うと……今日中には未来に戻らないといけなさそうだ」
「えっ」
「ざっくり説明すると、燃料には時間を逆行する粒子が使用されているんだが、その力を最大限まで強めるためには地球の自転と公転の動きが」
「ざっくりでもわからないから説明は省略して」
「一言で言うと、燃料の問題でもう帰らないと戻るチャンスを失うってことだ。計算上ではもっといられる予定だったんだが、検証不足だった」
「なるほど……」
今日で帰る。そう思うと、「もう」か、という気持ちが湧いた。もう、帰るのか、と。
すると秀哉は腕を組んだまま、眉間に谷のような皺を刻んだ。
「困った……。逆キューピッド作戦が全然上手く行かないまま帰らないといけないなんて想定外にもほどがある。それもこれも和樹が思い通りに動いてくれないのが悪い」
「ま、もう諦めたらどうだ? 未来の俺とちゃんと話し合えばいいじゃないか」
「駄目だ!!」
その瞬間、秀哉はやたら力を入れて否定した。
「まあ。まあまあ見ていろ和樹。大本命を残しているからな。さすがに“彼女”を前にすれば、和樹も好きにならざるを得ないだろう」
「誰だそれ?」
秀哉はもったいぶりながら、人の名前をゆっくりと言った。
「都築 咲良だ」
「!」
和樹は言葉を失った。どうしてあの子のことを、と思った。
都築 咲良とは、和樹の小学校のときの友達で、初恋の相手だった。
しかし咲良は中学受験をして私立に行ったため、話す機会もぐっと減り、疎遠になっていた。
「……けど、あの子は」
ただ去年の夏頃、一度だけばったり出くわした。そのとき咲良は、実は恋人ができたのだと嬉しそうに報告してきた。それ以降、意識して彼女を避けるようになったのは事実だ。
「都築 咲良は、数日前に彼氏から振られている」
躊躇いに対して、予想していなかった真実が告げられる。固まる和樹に、秀哉は続ける。
「未来で同窓会があるんだ。そこに参加してきた和樹が言っていた。初恋の子と本当に久しぶりに会ったと。あのとき付き合っていた彼氏と上手くいっているか聞いたら、とっくに別れていると。春休みにお花見に行く予定だったのに駄目になったと。一人で桜を見に行ったけど、前日の夜に雨が降ったから少し散ってしまっていたと話していた、と。彼女の名前も、彼女が花を見に行った時期もちゃんと聞いている。詳細の日付は知らないが、前日の夜に大雨が降ったと言っていた。恐らく今日だ。今日の可能性が高い」
穏やかに、秀哉は笑って言った。
「行っておいで、和樹」
土手には、桜がずらりと並んで咲いていた。川を挟んだ対岸にも、淡いピンク色の花を咲かせた木が続いている。桜並木の途中で、木でできた簡素なベンチがあった。そのベンチに、一人の女子が座っていた。髪を肩くらいの長さまで伸ばしたその女子は、驚いたように和樹を見上げた。
「ひ、久しぶりだね和樹君……! どうしたの?」
「う、うん、久々。本当、偶然だね」
咲良の家の近くで、桜が綺麗に見えるところを順番に探していっていたので、偶然というのは嘘になる。座ると聞かれたので、和樹は頷いて、一人分空間を空けてベンチに座った。
自分が思っていたよりも、冷静な状態でいることが意外だった。去年の夏頃に会ったときは、心臓が口から出そうなほど緊張していたし、変に高いテンションを保ち続けられたほどには浮かれていた。しかし今の心は、目の前を流れる川と同じくらいに凪いでいた。
「あ、食べる?」
咲良は手に三色団子の入ったパックを持っていた。和樹は首を振って断った。そっか、と頷いた咲良も、食べようとしなかった。しばらく沈黙が流れた。
「……花見?」
ややあって、和樹は聞いた。
「うん、そう。お団子も買ったはいいんだけど、なんか食欲湧かなくて」
「何か、あったか?」
事情を把握しているので、ストレートに彼氏はどうしたか聞いてもよかった。が、失恋したばかりの心に踏み込みすぎるのは人としてどうかと思ったため、あえてぼやかした。
咲良は苦笑した。視線で迷いを表した後、「まあね」と言った。
「本当は今日、彼氏とお花見に来るはずだったの。でも、来られなくなって。振られたんだ、一言で言うなら」
「そう、だったのか」
「この歳で付き合うなんていくらなんでも早すぎるんじゃ、って友達も言ってたんだけどね。小学生でもう付き合っている子とかいたし、大丈夫って思ったの。でも今考えれば、秋ぐらいから連絡の頻度が目に見えて下がっていったから、前触れはあったんだよね。けどそのときは、びっくりするくらい気づかなかった」
当時は気づけなかった異変の兆候を、振られた今一つ一つ振り返ってみているのだと、咲良は説明した。
「二日前ね、お花見のことで相談しようとしてメッセージ送ったらさ、ここまで本気になられるとは思ってなかった、正直もう面倒臭い、連絡減った時点で察してほしかったって返事が来たのよ? 信じられる?」
「ひどいやつだな……」和樹は顔をしかめた。
「なんでそんなの好きになったんだよ」
「私もそう思う。けど、しょうがないんだ。好きになっちゃったら、理由なんていらないもの」
咲良は自嘲気味に笑った。そういうものなのだろうかと相槌を打ちながら、ふと和樹は思った。
自分はどうだったのだろうか。告白も何も、全部和樹からだったと言っていた。そこまで秀哉のことを好きになる理由がわからなかった。しかし、そういうことなのだろうか。未来の自分は、理由もいらないほど、彼を愛したというのか。
「なんで今考えているんだ……?」
「えっ、どうしたの?」
「あ、こっちの話。大丈夫」
「そう? あ、でも話聞いてもらえて、なんか気持ちが軽くなってきたよ。ありがとう」
「どういたしまして」
元気になるに越したことはない。和樹は微笑んだ。
「今はやっぱり、好きだった頃と同じように、彼のことばかり考えちゃう。何が良くなかったんだろうって。でも時間がすぎれば絶対薄れていくんだろうなって確信もあるよ」
「おお、強いな。凄い」
「振られた日と、昨日はずっと泣いてたけどね。笑えるだろうけど、私本気で彼との将来考えてたんだよ? お嫁さんになれたらいいなーって。彼が隣にいるってだけで、どんな未来の妄想も、いわゆるバラ色だったの。今は灰色通り越して真っ黒だけど」
「まさか、笑わないよ。それくらい真剣だったってことだろう? だからこそ、そんな真剣な気持ちを弄んだ相手のことを、やっぱりひどいって思うよ」
「だよねえ……。冷たくされてた時点で気づくべきだったんだろうけどね。そしたらきっと傷も浅かったはずだし。でもはっきり嫌だって言われるまでわからなかったなんて、本当に恋は盲目になるんだなって……」
「そう、か」
何か、引っかかった。和樹は無理にそれを無視した。
「後悔している、か? 付き合ったこと。今まで過ごしてきた時間のこと」
「それはない」
すぐに咲良は首を振った。
「後悔できるほど嫌いになれれば、もっとすっきりできるのになって思うけど。でも難しいんだよね。今まで一緒に過ごしてきた思い出はね、輝いちゃっているんだよ。不思議だよねえ」
相槌を打ちながら、また和樹の胸に何か引っかかり、頭は今と関係無いことを思考し始めた。どうしてと思うのに、止められなかった。
引っかかるきっかけとなったのは、咲良の元彼の態度についてだ。嫌いになった相手、別れたいと思った相手には、やはり直球で伝えるのが一番早いだろう。ではなぜ、秀哉は未来の和樹に対し、そうしなかったのか。それは和樹と付き合ったことによって消費してきた時間の全てを取り戻したいからだ。本人はそう言っていた。咲良と違い、時間を取り戻したいと願うほど、秀哉は和樹を嫌っているのだ。
しかし、では、なぜ。
秀哉の態度は、全然冷たくないのだろう。
和樹は、どうなのか。
秀哉のことを、嫌っているのか。もし嫌いなら、どうして、冷たくできないのか。気にかけてしまうのか。
そのときだった。ふと、目の端に何か見えた気がして和樹は顔を上げた。正面を見る。真っ直ぐ、対岸の桜並木の下を見る。
人が、一人立っていた。脱いだのか、腕に白衣を持っていた。あ、と声が出そうになった。
和樹は目を凝らした。川幅はそこまで太くない。対岸の人の顔を認識できるくらいの距離だ。
秀哉は笑っていたのだ。とても穏やかに、満足そうに笑っていた。
わずかな風でも、桜の花びらは一枚一枚、落ちていく。薄い花びらが散っていく。そのうちの一枚が、ちょうど、涙が落ちるように、彼の顔の前を通りすぎていった。
そのまま背を翻し、どこかへ歩いていく。
和樹はベンチから勢いよく立ち上がっていた。
「涙が落ちるように」ではない。あれは……。
「な、何? 何かあった?」
咲良が聞いてきた。ごめん、と和樹は言った。
「大切な用があったんだ。もう行くよ」
「あ、そうだったの。ごめんね。付き合ってくれてありがとね」
「咲良。こんなことを言っても、気休めにもならないだろうけど」
和樹は咲良の目を見て言った。
「付き合ってたやつが、偶然悪すぎただけだ。だから咲良の前にも、必ず現れるよ。咲良との未来を真剣に描けるくらい、大切に思ってくれる人が」
何度か瞬きした後。ありがとう、と咲良は嬉しそうに笑った。軽く手を振ってから、和樹は駆け出した。
次彼女と会ったら、友達として楽しく話したいと思った。
あの公園に向かうと、秀哉は和樹に背を向ける形でしゃがみ、タイムマシンをいじっていた。近寄ると、秀哉は振り向かないまま、「どうだったか?」と聞いてきた。
「ま、見た感じ上手くいってたみたいだったから心配無用か。やっぱり和樹のほうから好きだった相手だ、失敗するわけないよな。最初からこうしておくべきだった。初恋は実らないことが多いなんて聞くけど、絶対なんてないんだ。安心して、彼女を選ぶんだぞ」
「さっき、やっと気づいたんだけど」
和樹は言った。
「あんたって、言うほど俺のこと嫌いじゃないよな?」
秀哉の手がぴたりと止まった。すぐ、作業が再開される。先程よりずっと忙しない動きになっていた。
「どうしてそういう考えに至ったのかまるで理解できない。何度も言うが、和樹と付き合ったせいで俺の人生は変わってしまったんだ。だからわざわざ15年前まで来たんだよ」
「なんで泣いてたんだ?」
ぴたり。また、手が止まった。今度は止まったままだった。
「見えたんだ。目を凝らしたら。どうして泣いてたんだ?」
「……泣いてなんか」
「俺と咲良が付き合うことが嫌だから泣いてたんじゃないか?」
「違う。安心して泣いてたんだ。これでもう大丈夫だって。本当だ」
秀哉が振り向きかける。しかし、結局彼はこちらを向かなかった。
和樹はその後ろ姿に、ため息を吐いた。
「もう、逆キューピッドはしなくていいよ」
「……なんで」
「意味がなくなったから」
まさかこんな感情を抱く日が来るなんて、思ってもみなかった。昨日の自分に聞かせてやりたい。全然信じないことは明白なものの。
「俺、あんたのこと、嫌いじゃないよ。というか、割と好きになりかかっている。だからきっと、同じクラスになった今の時代のあんたのことを気にするだろうし、接点を持とうとすると思う」
びくっと。秀哉の体が跳ねた。そのまま、小刻みに震え出す。
「あんたは俺に不満があるんだろう。じゃあ今度は、その不満が少しでもなくなるよう、ちゃんと話し合う時間をもっと増やせばいいと思うんだ。自分だけの時間がもっと欲しいんだったら、その方向で接することをあらかじめ決めておけば、きっといい結果に」
「駄目だっ!!」
秀哉の、鋭い叫び声が上がった。
「駄目だ。絶対駄目だ。そんなこと、絶対あっちゃ駄目だ。なんで」
震える声が何度も放たれる。だって、と秀哉は振り返った。
「俺と付き合っていたせいで、お前は」
彼の両目の縁は、真っ赤になっていた。
「死んでしまうんだぞ!」
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