第2話「記念のセンニチコウ」
「というか、そんな回りくどいことをしなくてもさあ」
和樹は率直に思ったことを言った。秀哉は“自分と和樹が付き合う未来を変えるため、和樹に自分以上に好きになる相手を探す”と言い放ったが、よく考えるとそんな面倒をする必要があるだろうか。
「この時代にいる、“過去の秀哉”に会いに行って、俺と関わるなって忠告すればいいんじゃないの? 自分の言うことなら素直に聞くだろ」
「いいや。実は最初に考えていたんだが、それは駄目だ」
秀哉は首を振った。
「自分のことだからわかる。俺は俺の言うことを、絶対に聞かない自信がある! そもそも、未来から来たという話からして信じないだろう。不審者と断定して、当時制作途中だったレーザーガンで追い払われるのがオチだ!」
「なんで信じないって言い切れるんだよ? タイムマシンを開発したのはあんた自身だろう?」
「俺がタイムマシンを作りたいと考えるようになったのは高校になってからだ。和樹に連れて行かれて一緒に見た映画が時間旅行を題材としたものでな。その映画が本当に面白くて、自分の手で作ってみたいと思い立ったんだ。それまでは、過去も未来も正直どうでも良くて、作ろうなんて想像したこともなかった。つまり今の時代の俺とは、タイムマシンなど微塵の興味もない存在。そんな中で俺は未来から来たお前だなんて言ってくる大人が現れたら、迷いなく撃退を試みるだろう! 自分自身のことだからよくわかる!」
この時代にいる“秀哉”もとんでもない性格をしているらしい。和樹の中で、関わりたくないという気持ちがますます強固になっていった。
「というわけで、和樹の前に現れようと決めたんだ!」
「決めないでほしかった」
「これから和樹には俺と付き合う未来回避のために頑張ってもらう! 俺も逆キューピッドとして頑張るからな、二人で最悪の未来を変えよう!」
「今まさに最悪の現在を味わっているんだけども」
しかし逆キューピッドとは、付き合う未来を変えるとは、具体的に何をどうするのか。
タイムマシンが作れるくらいだし、そういう都合のいい機械でも持ち出してくるのだろうかと予想している間に、秀哉はタイムマシンを木と低木の間の陰に隠し、「では早速移動するぞ」と言ってきた。
「ど、どこに行くんだ?」
「辻野という女子の自宅だ。あ、時間がもったいないから歩きながら話す。彼女とも、次の中学二年生で同じクラスになる。その子から、和樹は中二のバレンタインに告白されるんだ」
「は?!」
和樹は先を進む秀哉を慌てて追いかけた。
「その子は和樹との間で起きたとある一件がきっかけで、和樹を好きになったそうだ。中三でも同じクラスになれるかわからないし受験があるしって、思い切って気持ちを伝えることを決めたのだと。が、しかし、和樹はバッサリと告白を断った。他に好きなやつがいるからその気持ちには応えられない、本当にごめん、と」
「まさか、他に好きなやつって……」
「そのまさか、だ」
秀哉は自分自身を指さした。和樹はなぜ、という疑問がすぐに湧いた。女子から告白された経験など一度もないのに、この秀哉のために蹴るとは……。
「が、ここで和樹が“はい”と答えていれば、当たり前だが未来は大きく変わる。ということで、次のバレンタインに告白されたときに絶対にOKしろ! ……という警告だけだと不安点が残る。というわけで今日、たった今、お前から彼女に告白しろ!」
「はい?!」
「さあついた! ここが彼女の住んでいる家だ!」
秀哉は、通りに面したある一軒家の前に辿り着くと、すぐ近くの電柱の陰に隠れた。
「彼女はアクティブな性格で、休みの日の昼下がりはほぼ外出するという情報を記録している。春休みの今日も、必ず出てくるはずだ! こうして張っていればいずれ……」
「待て待て待て!」
「うるさいぞバレるだろう!」
「いきなり告白しろとか何を言っているんだ?! 相手がどういう子かよくわからないのに、そんな不誠実なことできるわけないだろ!」
「とりあえず付き合い続けていれば情が湧いて好きになってくるだろ! 和樹はそういうやつだ、大丈夫だって!」
「それでも、今この段階では好きでもないのに告白なんてしたくないな!」
和樹は断固として言い張った。二年前、和樹の父親は浮気を三度繰り返し、離婚した。以降、母から何度も、和樹は一途にたった一人を愛し続けるようにと言われてきた。父親への軽蔑と母親の影響で、誠実な恋をせねばと決めている和樹にとって、秀哉の案は受け入れられないものだった。
しばらく言い合っていたが、話は平行線を辿った。ああ、と秀哉は頭を掻きむしった。
「こうなると和樹って絶対に聞かないんだよなあ……! もうわかった、じゃあ告白はしなくていいから毎日ここに来て辻野が出てくるまで張り込んで、で、彼女と話し続けろ! こうすればいずれ距離が縮まっていくだろ?」
「普通にストーカーじゃないか! 駄目だろ!」
「お互いの未来がかかっているっていうのに何を悠長なことを!」
そのときだった。急に秀哉が黙って家に顔を向けた。和樹も同じ方向を見ると、家の玄関から一人の小柄な女子が出てくるところだった。髪を下ろし、花柄のスカートを穿いている。
「辻野だ! よし今だ和樹、話しかけろ! 早く!」
「いや、だから何度も言ってるように」
直後。あ、と和樹は目を見開いた。辻野という女子が漁っていた小さいバッグから、ぱさりと白いハンカチが落ちたのだ。しかし辻野は気づかず、先を進んでいってしまう。
あー、と和樹はひたいを手で押さえた。これはもう仕方ない。電柱の影から出たのと、秀哉が背中を手で押してきたのは同時だった。
「和樹! 辻野は花好きだ! 花がきっかけで和樹と話して、辻野は和樹が好きになったそうだ! だから絶対に、俺は花が好きですって言うんだぞ!」
「あ、はい……」
わけがわからないまま送り出され、とりあえず和樹はハンカチを拾って落とし主を追いかけた。
はあ、と深くため息を吐きながら電柱に戻ったが、そこに秀哉はいなかった。どこに行ったんだと周囲を見渡すと、通りを挟んだ向こう側の花屋の前に、白衣のシルエットを見つけた。
「この時期だと少し早いか……?」
花屋を覗き込んでそう呟いていた秀哉は、走ってきた和樹に気づくと、眉を寄せた。
「なんだ、もうすんだのか?」
「あのさ、最初に言うんだけどさ。――駄目だった」
「は?!」
秀哉は店から離れると、どういうことだと和樹に詰め寄ってきた。
「なんか怪しまれた……」
「何をどうしたらそうなるんだ?!」
「俺は言われたとおりにやっただけだが……?」
辻野にはすぐに追いつくことができた。ハンカチを渡すと、行儀良く笑顔でお礼を返してくれた。ここで立ち去っても良かったのだが、和樹は仕方なく、秀哉に言われたとおり「俺は、花が、好きです」と言ったのだ。
「なんだその国語か英語の例文に出てきそうな台詞は」
「ハンカチを返した流れから花が好きですなんて、どうやっても自然な流れにならないだろ……!」
案の定、辻野は「は?」と、何を言ってんだこいつという顔で聞き返してきた。
が、向こうも花好きであるからか、すぐに「あ、そ、そうなんだ! どんな花が好きなの?」と繋いでくれたのだ。
ここで和樹の頭は真っ白になった。花なんて全く詳しくない。花、花、ハナ……と必死に頭を回らせた結果、「……桜??」と春の花の中で最もメジャーな名前を挙げた。
「桜! 綺麗だよね! もうじきお花見の季節だもんね! なんで桜が好きなの?」
「え? えっと……。……なんでだっけ……?」
「あ、そう……」
少女は愛想笑いをしながら、和樹が何か言う前に去って行ったのだった。
どうしてくれるんだ、と和樹は両肩を落とした。同じクラスになるという話が本当なら、あの女子にとって和樹の印象は、「いきなり桜が好きだと声をかけてきたのに理由を答えなかった極めて変な男子」になってしまったではないか。
「ナンパ目的かとか思われただろうな……。うわ最悪だ……。悪い噂立てられたらどうすりゃ……」
「和樹、桜が好きなんてどうしてそんな適当なこと言ったんだ? お前が好きなのはセンニチコウじゃないか」
「知るか! いやあんたのせいでこうなったんじゃないか! っていうかセンニチコウってなんだよ!」
「丸い花だ!」
「一つもわからん!」
和樹は携帯で調べることにした。画像検索をすると、ぱっと現れたのは、茎の先に小さい
「俺はこの花が好きになるのか……?」
「そう。センニチコウを育てたいけど花なんて今まで育てたことがないからどうすればいいかわからない。だから和樹は、花に詳しい辻野に相談したんだ。その交流がきっかけで、辻野はお前が好きになったとのことだ。真面目で誠実なところ……何より、センニチコウという一つの花に向き合っているときの、真摯で穏やかな表情を見て、好きになったと。告白のとき、そう言っていた」
「なんでそこまで鮮明に知っているんだ?」
よくよく考えたら、なぜこんなに事細かに和樹が告白されたときのやり取りを知っているのだろうか。和樹が、つまり自分が話したのか。
すると突然秀哉は顔を真っ赤っかにして、「今別にいいだろそんなことは!!!」と大声で捲し立てた。
「ほら、それより花! センニチコウだ! お前はこの花が好きなんだよ!」
「うーん……」
和樹は画像の中の花を見つめた。鮮やかな色をした丸い小さな花は確かに可愛らしく、綺麗だと思うが、育てたいと思うくらいの気持ちは湧いてこない。では、それだけ好きになる“何か”があったのだろう。
「なあ、俺がこの花を好きになるきっかけとかって知らないか?」
「きっかけ?」
「そう。きっかけを知ればこの花をもっと好きになりやすくなるだろうし、そうなればあの辻野って子と接点を持ちやすくなるだろうし。あの子と仲良くしてほしいんだろ? 何か知ってたら教えてくれよ」
「……」
秀哉は黙った。視線をさ迷わせ、正面より少し下を見ていたかと思えば、少し上空を見つめた。そのうち、頭に手をやり、うう、と小さく唸り始めた。何をそんなに迷っているのか。和樹は不思議に思った。
謎の葛藤の時間はふいに終わった。
「……まあ、仕方ないか」
言っておくけど、と。言いながら、秀哉は白衣の内ポケットに手を入れた。秀哉が取り出したのは、よく使い込まれた茶色のシステム手帳だった。
「今からする話は、感情なんて何も入れずに聞けよ? ただの事実以上でも以下でもないんだからな」
「……は?」
秀哉は手帳を開き、そこから一枚の写真を見せてきた。
どこかの家のリビングで写したものだろうか。写真には、三人の家族が写っていた。100と書かれたテストの答案を掲げて笑う幼い男の子を挟んで、両親らしき男女が、笑顔で写っている。目の前のテーブルにはご馳走やケーキの他に、端には花瓶が置いてあり、先程のセンニチコウの花が活けられていた。
「これって」
「俺だよ。真ん中の子供。小一のとき、初めて算数のテストで100点取ったときの記念写真だ」
「えっ、凄いな……!」
この歳で100点なんて取ったことがない。和樹は小学一年生のテストのとき、早く遊びたくてそわそわしていて、答案を全然埋められなかったものだ。
もう一度写真をよく見た。真ん中の男の子は、大きく口を開けて、溌剌とした笑顔を浮かべている。いかにも子供らしい笑顔だ。思わず和樹は笑ってしまった。
「なんかこの子、あんたと全然違うな。凄い純粋そうだ」
「……実際、この頃は純粋だったよ」
秀哉は写真を取り上げて手帳に挟み、手帳も内ポケットに戻してしまった。それは誇らしい記念の写真を扱うにしては、ぞんざいな手つきだった。
「算数が一番好きだったんだが……すぐに、学校で教える授業ではつまらないと思うようになっていってな。学校で出された宿題はせずに、中学や高校、大学の問題集を、参考書を開きながら解くのが趣味になった。テストのときも、答えは一切書かず、答案用紙の裏に、本で見た問題や、自分で考えた数学の問題やらを勝手に作って勝手に解いていた。授業中も、教科書じゃなくて、図書館で借りた分厚い数学書を読みふけっていた。注意されても、集中しているから聞こえない。取り上げられるまで全然気づかなかった」
「えっ、すご……」
心から、和樹は言った。
和樹は数学が一番苦手な科目だ。母からも、数学の成績が特に悪いとよく小言を言われた。みっちり家庭教師をつけるべきかしら、と提案されたこともある。家計のことと、単純に勉強をするのがとにかく嫌だからという理由で家庭教師の話は拒否し続けて、なんとか流れた。
そういう経験をした和樹からすれば、そこまで数学に夢中になれるなんてと、半ば信じられなかった。こんなに子供の頭が良かったら、あの写真の中で笑っていたお父さんとお母さんも、さぞ喜んだのでは。そんな考えが浮かんだのとほぼ同時だった。
「最初は怒られていたんだ」
そう言って、秀哉は肩を竦めた。
「ちゃんと学校の勉強をしなさい、ちゃんと先生の言うことを聞きなさい。勝手に数学をするな。何度も何度も、同じような内容の説教を受けた。問題集も本も、隠されたし捨てられた。俺を叱る裏で、両親は喧嘩を繰り返した。お前の育て方が悪かったんだって、お互いが同じことを言い合っているのが、毎晩聞こえていた。でも俺は無視して自分が楽しいと思う勉強を続けた。
そうしたら次は懇願された。お願いだから普通になってくれと。普通の子として育ってくれと。泣いて頼まれた。それも無視した。
すると最終的に、何も言われなくなった。向こうから話しかけてくることはなくなった。夫婦喧嘩もなくなって、二人ともほとんど家に帰らなくなった。俺は、やっと解放されたんだ」
淡々と話していた秀哉は、こちらの顔を見ると、苦笑を浮かべた。
「なんだよ、その顔」
「い、いや……」
「信じられないって顔だな? あのときのお前と、全く同じ顔じゃないか」
和樹は自分の顔を触った。さぞ、呆然とした表情をしているのだろうと思った。
「中二の4月の……終わり頃だったな。写真を落としたのを探していたら、和樹が事情を聞いてきて、一緒に探してくれた。先に見つけた和樹が、写真について尋ねた。そのときにこの話をした。お前、当時と変わらない反応してるぞ?」
秀哉の指摘したとおり、確かに、にわかには信じられない話だった。同時に、気になることがあった。
やっと解放された、とさっき彼は口にした。その台詞には心が籠もっていた。熱があった。嘘ではないのだろう。
だが同時にその言葉には、隙間風のような、寂しげな響きが混じっていた。その言葉は、本当に和樹の心の間に細く吹き込んでくるようだった。
「で、センニチコウのことだけども。写真にも写っていただろう? あれは、家族で育てたものなんだ。何か花を育ててみたいって母さんが言い出して、日曜日に家族で園芸センターに向かった。初心者向けの花でいいものはないか探していたとき、たまたま偶然目に入ったのが、センニチコウだった。道具だのなんだの買って、育て始めた。無事に咲いたセンニチコウは、花瓶に活けてリビングに飾られた。結構長く咲いていたよ」
秀哉は手帳を取り出した。が、開かなかった。閉じたままの、手帳の表紙を見つめていた。
「多分、一番最初に自分の手で育てたからだろうな。“一番最初”っていうのは、意味もなく思い入れができるものだ。俺は、あの家族のことなんてどうでもいい。本当にそう思ってる。それに、科学だけど、生物は苦手なんだ。……けどな、センニチコウだけは、どうしても、無関心になれないんだよ」
ふと、目を伏せた秀哉は、口元だけ上げて、静かに笑った。
例えば風に流れた雲が太陽を隠すと、ほんの一瞬、わずかに辺りが暗くなる。光が完全に遮られたわけではないのに、影が濃くなる。それと、同じような笑みだった。
「っていう話を、和樹にしたんだ。そこからお前は、この花に興味を持つようになった。どうだ? 興味湧いてきたか? ちなみに花屋にはまだ売られてなかったぞ? ……って、どうした?」
秀哉は少し顔を覗き込んできた。和樹は気まずくなり、目を泳がせた。なんだよ、と怪訝そうに聞かれる。その、と和樹は一呼吸置いた。
「誰がなんて言おうと……」
頭の中はぐるぐる回っていた。言いたいこと、聞きたいことが多く浮かんでいた。浮かびすぎて、もう何も言わなくてもいいのではとさえ思った。しかし、それは絶対にしたくないとも思っていた。
「数字を見るだけで吐き気がする俺から見れば、やっぱり数学ができる人って、格好いいって思う」
だから、とりあえず最初に思ったことを口に出した。
単純な感想を聞いた秀哉は、ぽかんと目を丸くした。それから、はは、と吹きだした。
「あのときと、全く同じことを言っているじゃないか!」
そう言って、秀哉はしばらく笑い続けた。大きく口を開けて笑う顔は、写真に写っていた子供のときの秀哉と変わりない、無垢なものだった。
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