未来からの逆キューピッド

星野 ラベンダー

第1話「未来からの逆キューピッド」

 閑静な住宅街を、永野 和樹ながの かずきはてくてく歩いていた。今日は風が強いので家にいようと思ったが、欲しい本の発売日だったため、外に出たのだ。


 購入した本の入った袋をしっかり抱えながら、和樹は春休みの残り日数を数えた。次の中学二年生では、どんな生活が待っているのだろうか。友達とクラスが分かれてしまうだろうか。新しい友達はできるだろうか。


 そんなことを考えていると、児童公園が見えてきた。迂回するより突っ切ったほうが家に近いため、そのまま入る。


 小さな砂場とブランコ、剥げた黄色のベンチが一つあるだけの小さな公園だ。遊んでいる子供は一人もいなかった。そこには確かに、人っ子一人いなかった。


 びゅう、と強い春の風が吹いた。思わず和樹は足を止め、目を細めた。


 その直後。


 大きなエンジン音と共に、何もない空間から黒いバイクが出現し、和樹の前で停車した。


 バイクに跨がっていた二十代後半の男がバイクから降りると、和樹の真正面で仁王立ちになった。そしてこう叫んだのだ。


「永野 和樹! 突然だが俺はこのタイムマシンに乗って未来からやって来た者だ!」


 パーツがやたらついたバイクから降りてきた、白衣を羽織って瓶みたいな眼鏡をかけた黒髪の男は、そう人差し指を突き付けた。


 和樹は携帯を取り出した。


「イチイチゼロ……」

「待て待て待て待て俺は怪しい奴じゃない!」

「119番のほうか……?」

「頭がおかしい奴でもない! いいから聞けっ!」


 和樹は後ろに下がった。五歩くらい下がった。本当はもっと下がって公園から逃げ出したかったが、それより謎の男が声を発するほうが早かった。


「更に驚くことを教えてやろう。実は俺は、お前の未来の恋人だ!」

「えっ?」

「彼氏だ!」


 不審者の男はばっと両腕を広げた。どうだと言わんばかりだ。それから、大げさに両腕を組んだ。


「この春休み明け、つまり中学二年生で。お前は、同じクラスになった、ある男と知り合う。才川 秀哉さいかわ しゅうやというやつだ。つまり俺だ。この名前、絶対に忘れるなよ。お前はそいつのことをどういうわけか好きになり、紆余曲折の果てに付き合い出しついには一緒に暮らし出すこととなる。凄いだろう? ……だがしかし!!」


 変な男は、かっと目を見開いた、ようだ。自信がないのは、男がもはや瓶みたいな眼鏡をかけているためだ。底が分厚すぎるため、目が小さすぎて全然見えない。


「俺はお前と付き合ったせいで最悪の人生を歩むことになった! お前は俺にとって史上最低最悪の恋人だ! ということでお前は絶対に、この才川 秀哉と付き合わないこと! 頼むから一言も話しかけてくれるな! 目も合わせるなよ! わかったな!」


 おかしい男は一気に言い切ると、仕事を終えたとばかりに気持ちよさそうに息を吐いて、バイクに跨がった。


「じゃ、和樹! もう会うこともないがせいぜい元気でな!!」


 奇天烈男は片手を挙げると、爆音でバイクを吹かしながら去って行った。バイクは公園を囲むフェンスにぶつかる寸前で、すうっと消えた。


 和樹は呆然としたまま、その場を動けないでいた。



 一分くらい固まっていると、最初にバイクが現れたのと同じ場所から、先程と全く同じバイクが出現して目の前で止まった。


「なぜ忠告を聞かなかったーーー!!!」


 男が肩をいからせて降りてきた。


「一切関わりを持つなと言ったのになぜ無視をした! 未来が何も変わっていなかったぞ!」

「うわっ、近寄るな不審者が!」

「不審者じゃないと言っているだろうが!」


 詰め寄ってきたので、和樹はすぐ近くのベンチの後ろに走ってベンチを盾にした。


「俺は、あんたが何を言っているか一つもわからない! 不審者じゃないってならちゃんと説明しろ! わかりやすく!」

「なんだと、俺のあの懇切丁寧な説明がわからなかったのか?! ああでもお前はまだ13歳だったな……。ふふふ、まだまだ子供ってわけか……。わかったいいだろう、子供向けに優し~く一から話してあげよう!」


 少しぶん殴りたくなったが、近づきたくない気持ちのほうが遥かに大きかったので和樹は我慢した。

 まず、と男は自分自身を手で示した。


「俺は才川 秀哉。28歳。今から15年後の未来からやって来た未来人で、お前の恋人だ」

「はい質問」

「なんだ、話の途中だぞ!」

「さっきも言ってたけど、恋人ってどういうことだ? あんた、どこからどう見ても男にしか見えないんだけど……」


 和樹は上から下まで、下から上まで秀哉と名乗った人物を見た。やはり普通の成人男性にしか見えない。


「ああ、男同士ってことに驚いているのか。まあ無理もない。けどこれだけは言っておくぞ。先に好きになったのも猛アタックをかましてきたのも告白してきたのも何もかも和樹からだからな」

「え?」


 好きどころか今の段階では、秀哉という男に一切関わりたくないと思っている。

 いやでもな、と和樹は考え直した。この男が適当にアホな妄想を並べて騒いでいるだけな可能性のほうがずっと高いのだ。


「お前はなあ、本当にしつこかった。ほんッとうに! 結局俺は根負けしてお前と付き合うことを決めた。なんなら三年か四年くらい前から一緒に住み始めた。同棲ってやつだ。これも和樹から頼まれて仕方なくな。で、同じ屋根の下で生活を共にしてきたわけだが……」


 ここで秀哉の周りに不穏な空気が漂い始めた。空気がぴりつきだしたのを、和樹は肌で感じた。


「お前とは本当に……本当に合わない! 合わなさすぎて逆に爆笑ものなほど合わない! 笑わないが! そもそも度のつく理系の俺と度のつく文系の和樹じゃ合うわけがないんだ!」

「えっ、なんで俺が文系だって……」


 和樹は昔から本を読むこと好きで、一番好きな科目は国語だ。しかしそれを初対面のはずの秀哉が知っているとは。まさか、と和樹は息を飲んだ。未来から来たというのは、真実なのか。


「付き合ってるときもな、喧嘩も多かったし腹立つこともしょっちゅうだった。だが一緒に暮らすと互いの“あら”が見えてきてしまうせいだろうな。更に言い争いが多くなった。和樹、お前は小言が多い! そのくせ変に気が強いから譲歩というものを知らない! 更に俺は俺で、筋金入りの頑固者だ! よって些細なすれ違いが簡単に衝突を生む!

 和樹、俺は何よりも研究と勉強が好きだ。どんなときでも仕事を最優先にするって最初から何度も言っているのに、出かける約束を、たかが五回連続で破ったくらいで不満を露わにするな鬱陶しい! 

それに俺は最低限人間の生活が保たれていたらいいっていう考えだ! なのに部屋を散らかしっぱなしにするなだのちゃんとご飯食べろだの徹夜するなだの風呂入れだの身だしなみに気を付けろだの、喧しい! 親か! 心配も度がすぎればただの余計な干渉になるんだぞ! 

あとそうだ、俺はいつでも研究のことだけ考えていたいしそれ以外の話は正直どうでもいいのに、ちゃんと二人で過ごして二人で話す時間が欲しいとかなんだその我が儘! お前は研究の話をするとぽかーんとした顔をするから気を遣って何も話さないでいるのになんという身勝手さ! 

そう、お前はいちいち干渉が煩わしすぎるんだ。恋人だからとお前は考えているんだろうがいくら恋人だからって人は人それぞれ、放っておいてほしいと考える人もいるわけでそれが俺という人間であり、では和樹は恋人として俺の意思を尊重するべきと思うがその心が致命的に欠けていて」


「とりあえず、あんたが俺に途方もない不満を抱えているのはわかった」

「15年分の不満はまだまだこんなものではないぞ!」


 ここまで好き勝手言われるほどのひどいことをしているのかなあ、と和樹は首を捻った。むしろ相手のほうが可哀想とまで感じる。そういえば相手とは自分だったか、と思い出す。


「いよいよ不満が爆発した俺は、もう過去からやり直してしまおうと考えた。和樹と出会ってからというもの、ずーっと何かにつけて喧嘩ばかりしてきた。鬱陶しい思いばかり抱えてきた。もういっそ別れたい。いや別れるだけじゃとても足りない。15年、和樹に取られてきた俺の時間を返しやがれと。その時間があったらできた研究や勉強があったのではと思うと実に惜しい! 今すぐ返せと! そこで俺は待てよ、と気づいた。和樹と俺が出会わなければ、その煩わしいだけだった過去の時間全てが消え、未来が変わるのではないか? そう考えたわけだ! なんという素晴らしいアイデア! 幸運なことに、俺はその願いが叶うだけの力を持っている。というのも天才なんだよ。ここがな」


 トントン、と秀哉は頭を指で叩いた。和樹は「へーーー」と言った。正直秀哉は、全く天才に見えない。災いのほうの天災と言われればまだ納得できたかもしれない。


「俺は、とにかく理数科目をこよなく愛している。物心ついた頃から絵本ではなく科学関連専門書を読みふけっていたほどだ。勉強の順位だって、理数科目だけに絞れば一位以外を知らない。その甲斐あって、今は国立大学の研究所で科学者として働いているんだ」


 そう言って秀哉が名前を出した大学は、和樹ですら知っているほどの、難関大として名高い場所だった。まじか、と思った。


「しかし俺ははっきり言ってそこの大学よりも更に頭が良かった。飛び抜けていた。だからたった一人で開発できたんだ。ここにある、タイムマシンをな!」


 腕を大きく振って、秀哉は背後に止まっているバイクを指さした。


 至って普通に見える黒いバイクに、煙突みたいなパイプだの電灯みたいなライトだの巨大な歯車だの細長いガスタンクみたいなものだの、様々な部品がくっついている。


「物置を改造して作った研究所で開発したんだ。仕事でやっている研究とは別に、完全に趣味で! たった一人でだ!」


 秀哉はぽん、と手でバイクを叩いた。

 次の瞬間、後輪のタイヤにくっついていた歯車がぼんと音を立てて外れた。風に吹かれてごろごろ転がっていく歯車を走って追いかける秀哉を和樹は目で追った。歯車をもとの位置に無理矢理くっつけた秀哉は、何もなかったように和樹に向き直った。


「ちなみに実用化はされていない。というより研究のことは誰にも言っていない。あ、和樹には話したが本気にされなかったな。つくづく腹の立つ男だ。まあそれより、なんで黙っているかっていうと、安全面や実用面など、様々な問題が残っているからだ。本来なら更に実験を重ねて、安定させていく必要があった。しかし俺はとにかく我慢の限界だった! 何が何でも和樹と付き合う未来を変えたかった! 一日でも、一秒でも早く! ということで俺は、リスクを承知で過去にタイムスリップしてきたというわけだ! 結果、無事に成功した!」


 それなのに、と秀哉は深く肩を落として両腕をぶら下げた。


「まさか最初の忠告を無視するとは予想外だった……。タイムマシンを二回起動する羽目になるだなんて。リスクもあるし燃料の問題もあるってのに。なんて綱渡りをさせるんだお前は! どれだけ嫌いにさせれば気が済むんだ?!」

「心配しなくても、俺は既にあんたのことが人として嫌いだよ。むしろなんで未来の俺はあんたが好きになったんだって、自分のことなのに全く理解できない」

「あばたもえくぼ、たでむしきってな」

「なんて?」

「他ならないお前が言っていた。いつだったか、なんで俺が好きなんだって聞いたらこのことわざを返してきた。意味を調べてみてなんだこいつって思ったぞ」


 自分がますますわからないなあ、と和樹は思った。むしろ未来の自分自身に嫌気が差してきている。


 「あばたもえくぼ」は好きになった相手の短所も長所に見えてしまうことで、「蓼食う虫も好き好き」は人の好みはそれぞれという意味だ。この秀哉という奇人変人にそこまで骨抜きになる理由がミリもわからない。


「まあもうとにかく俺の中であんたの好感度は地の底まで落ちているから、安心して未来に帰っていいよ。この時代のあんたとも絶対に話さないから」

「駄目だ!! お前、ここまで言ったにもかかわらずどうせ俺を好きになるんだろう?!」

「なんだそのナルシストぶりは」

「そうなったら最悪だ。三回目のタイムスリップなんてしたくない。何度も言うようにこのタイムマシンは試験段階でいつでも成功するとは限らないんだからな。だからな、和樹が俺以上に好きになる相手を、俺が見つけてやる」


 は、と和樹は聞き返した。ふ、と秀哉の口元が上がった。


「和樹との破局を確定させるためならなんでもするさ。いわば俺は……俺とお前との仲を引き裂く逆キューピッドってやつだ」


 逆キューピッド、と和樹は繰り返した。秀哉は大きく頷き、こちらを鋭く指さした。


「ということで永野 和樹! この未来からの逆キューピッドが、必ず才川 秀哉との恋を破ってみせよう! 覚悟しろ!」

「いや、もう必要ないって」

「では作戦開始だ!」

「だからいらないって」


 こちらの話が届いている手応えはゼロだった。ああ、と和樹は春の若干白っぽい青空を見上げた。大人しく家で過ごしていればこんなことにはならなかったのだろうか。春の嵐もびっくりの珍事に巻き込まれたのは、やはり自分が軽率に外出したせいなのか。どちらにせよ、後悔しても遅い。


 さっさと逃げ出したかったが、それはこの変な眼鏡をかけた男が許さないのだろうなとも感じていた。どう足掻いても逃げられなさそうだと。そう予感していた。


 はあ、と心の籠もったため息を吐きながら秀哉の顔を見る。この状況下で変テコな眼鏡をかけた姿を見ていると、理不尽かもしれないが、どうにも腹が立ってくる。


 すると秀哉が、むっとした声で「なんだ」と言ってきた。


「そんな睨んできて。随分と失礼な態度だな」

「……その変な眼鏡はなんだよって思ったんだよ。そこまでの近眼なのか?」

「いや、割と視力はいいぞ? 未来の和樹が、秀哉の仕事は視力を酷使するからってブルーベリーをたくさん食べさせてきたせいかもしれないが」

「じゃなんでそんな瓶みたいな眼鏡を?」

「単純に印象最悪になるだろ? こんなクレイジーなのが恋人だと思うと。ドン引きさせたかったんだよ。うわこんな人と付き合うとか絶対嫌だってなるかと。あと白衣もな、胡散臭さを演出したくて着てきた。どうだ胡散臭いか?」

「とっくの昔に印象最悪最低になっているからさ、もう取っていいよ。気になって仕方ない」

「そうか? まあ俺も目が疲れてきてたからな、そう言ってもらえると有り難い。あとこれつけていると逆に見えづらいんだよな」


 秀哉はあっさりと眼鏡を取った。晒された素顔に、和樹は思わず面食らった。


 変人そのものみたいなのをイメージしていたのに、秀哉の顔は、バランスが良く清潔感のある普通の顔だったのだ。科学者という職業を事前に聞いていたからか、知的そうな印象を受ける。

 思っていたより、悪い人の顔には見えないと思ったことに、自分で驚いた。


 けど人は見た目によらないって言うしなあ、と和樹は一人で頷く。


 そんな和樹を秀哉はじっと見つめていた。どうしたのかと思ったちょうどそのとき、ふっと視線が逸れた。

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