幽霊未満

上原げび太

果たして、私はこの世に存在しているのでしょうか。この疑問を私はずっと頭の中で反芻し、答えを見つけられないまま、胸の中で重みを増していく様を無力に見つめていました。

私には、友人のいる人間が、奇怪で、恐ろしくてしょうがありません。小中学、友達のいないまま九年間過ごした私には、人と仲良くする方法がまるで分かりません。親にも、教わりませんでした。高校に入ってからは、地獄の日々でした。同級生は様々な人々と関わってきた経験を持ってして、私を居ないものとして扱いました。自分と波長の合う人間を無意識に探し出す感覚が発達している彼らは、入学一週間も経たぬうちに居心地の良いコミュニティを設立し、ゆっくりと仲を深め、拡大して行きました。一月も経った頃には、完全に私はクラスの中で孤立してしまいました。私は、誰とも波長が合わなかったのです。人と関わる術を知らぬ、天涯孤独の臆病者の電波が、私を人から遠ざけました。


ある日の授業中、私はうっかり机から筆箱を落下させてしまいました。がしゃんと音を立ててシャーペン、消しゴム、物差し、蛍光ペン、様々な筆記用具が床に散乱してしまい、数人の生徒が私の方に振り向きました。私は、彼らが床に散らばったペンを、労るようにして丁寧に集め、私ににこりと微笑みかけながら渡してくれるのを期待しました。しかし、結局それは私のバカな妄想で、彼らは振り向きはしましたが、まるで気のせいだったとでも言うように、くるりと私に背を向け、授業に戻りました。その日は家に帰り、少し泣きました。いや、悲しむことではありません。当然のことです。誰にも無愛想な、私が悪いのです。私が人に怯え、愛を持って接しないから、悪いのです。このまま、一生誰にも愛されず、存在を認められないまま、死ぬのでしょうか。それもまた、当然なのかも知れません。現代社会に生きる人間として、人と仲良くなる術を知らぬ私は、居ないほうが良いのではないでしょうか。きっとこのまま大人になったとしても、物言わぬ腫れ物として蔑まれることでしょう。


夏になって、一学期が終わろうとしていました。これから始まる長期休暇に皆が浮き足立ち、遊びの予定を詰め込む中、私はその青春の空気から隔離されていました。私にとって長期の休みは、一日中寝ていられる日が続くだけで、大した喜びはありませんでした。

終業式の日、休み前最後のホームルームにて先生が生徒たちに、一人一人夏休みの予定を尋ね始めました。私は一番左の前から五番目の席に座りながら、自分の番が来た時に恥をかかぬよう、ある筈もない予定を考えていました。頭の中で海水浴と決まった頃には、私の前に座る高田さんが、沖縄旅行、と答えていました。次は、私の番の筈でしたが、先生は私の番を飛ばし、左から二番目の列の先頭に座る佐々木さんに予定を尋ねました。クラスメイト全員、私の順番が飛ばされたことに気づいていない様子でした。やはり、私はここに存在していないようです。先生ですら、私の存在を認めません。そういえば、この前の下校時、私が「さようなら」と挨拶をした時も無視しやがった!

私にはもう、学校生活に対して青春の期待というものは完全に消え去りました。夏休み、特に楽しい思い出は何一つ作れず、四枚の絵を描いて、後はずっと死人のように眠って過ごしました。


二学期...三学期...いつの間にか、私は二年生になっていました。地獄にもすっかり慣れてしまい、今では、自分を構成する重要なアイデンティティの一つでもありました。そうだ、私はこれでいいのだ。一匹狼の孤高を携え、寂しさの中で野垂れ死ぬ運命を享受した私の心は安らかなものでした。いや、嘘だ。そういう考え方をしないと、気が狂ってしまうから、自分の心を守るために、私は幸福をすっかり諦めたのです。私の心には常に罪人の意識と自己憐憫とが宿り、人間への恐怖は膨らんで、ますます世間からの遊離を感じていました。地獄は続く。ずっとずっと、私が死ぬまで続く。自殺も考えたことがありますが、人と満足に関わる度胸もない人間が、自らの命を断つ一歩を踏み出せる訳がありません。結局、業火に包まれながら生きていくしかない。しかし私もいつかは変わらなければならないのでしょう。

チャイムが鳴って、始業式が終わりました。昨日までは、新しいクラスで生まれ変わろうと意気込んでいましたが、実際に生きて、蠢く人間を目の前にするとすっかり身が竦んでしまって、まともに目も合わせられず、話しかけるなど、持っての他でした。

何も変わることなく昨日と同じ自分のまま、もうすっかり見慣れた帰り道をのろのろ歩いていると、後ろから二人の小学生が走って来て、私を追い抜きました。サイズの合っていないランドセルを揺らし、夕日に照らされながら、どんどん遠くに走り去っていく彼らを見ると、思わず目から涙が滲み出て、視界が歪みました。彼らを美しいと思う気持ちと、自分を惨めに思う気持ち、両方が私を苦しめました。なにが、地獄だ。私も、彼らのようになれるでしょうか。いや、きっと、なれます。彼らのように、人を愛そうと思いました。この気持ちは、明日になっても消えませんでした。


ある日の授業中、私の隣の人が、がしゃんと音を立てて筆箱を落としました。シャーペンと消しゴムが床に散乱し、蛍光ペンが一本、私の足下に転がりました。私を含む複数人が、彼の方を振り向き、ある人はシャーペンを、またある人は消しゴムを、私は、足下の蛍光ペンを拾い、にこりと笑って彼に手渡しました。彼は私達に恥ずかしそうに感謝を伝えて、そして皆、黒板の方向に座り直し、何事もなかったように授業に戻りました。

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幽霊未満 上原げび太 @hanabara0309

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