第23話 ビスタ・ドライドという男
帰り道、自分とマースは表通りを通っていた。
何やらあたりが騒がしい。この街は傭兵だとかが多いということは知っていたが、それにしても今日は少し様子がおかしい。
近くで佇んでいた老夫婦に聞けば、反王制派閥の人間が密会を開いていたそうだ。
それを憲兵たちが取り押さえる最中、すったもんだがあったそうで。
「いやねぇ。ほんと最近こういう話しか聞かないから」
自分はその話を聞いて人ごとのようには思えなかった。
少し急足で人だかりの中を駆けていく。
「シン様!?危ないですよ、ちょっと!」
マースの静止の声もなぜか自分の耳には入ってこない。
何かに突き動かされているような気がした。
この街で起こっている騒動に、自分は関係しているのだと何者かが暗に言っているような気がしてならないのだ。
憲兵が慌てふためていているのが遠目で見えた。
少し豪華な鎧を身につけた一人が他の人間に大声で指図している。
それに沿って周りの人間も慌てて駆けていく。
「いいか!死んでも見つけろ!ビスタ!ビスタ・ドライドだ!わかったな!?」
ビスタ、頭の中でその名前を連呼した。
〜〜
記憶を思い返せば、自分の生まれはなかなか稀有なものだろう。
自分は王政派閥の筆頭貴族の嫡男として生まれてきた。
父は王からも認められた優秀な男で、英雄と呼ばれ讃えられてきた。
対して自分は人質になってしまうことを危ぶまれ、親元を離れて暇を持て余す毎日を過ごしている。
そんな生活は退屈ではなかったが、窮屈だった。
周囲からの期待の眼差しとそのギャップに心の奥底で悩んでいたのだろうか。
王政派閥だ反王政派だと仕切りに周りは叫んでいがみ合う。
その渦中に、自分も立っている気がして気分が悪くなった。
自分は将来父の後を継ぐのだろう。
足のことは不安だが、それでも何とか克服して軍人になって、そして父の後を継いで。
将軍になれるかも知れない。医導官として働けるほど魔法の腕を磨いて、戦う衛生兵のような存在になれるかも知れない。
そんな子供の夢のような空想を思い描いたこともあったが、現実は至って残酷だった。
足もそうだ。
周りの目もそうだ。
母の心配する視線もそうだ。
環境もそうだ。
この国も、よくないんじゃないだろうか。
そう感じてしまった自分がいたことも、また事実だ。
色々な身分の人間が明日のことを心配し、苦しんでいる様を見てきたつもりだ。
昔自分がいたところは、どんな国だったのだろうかと想ったこともあった。
そんな自分は、いったい何をすれば良いのかと考えていた。
そんな中光明が見えた気がした。
この突飛な行動の答えは、そんなところだろう。
生きる指針が少しだけ定まった、と言ったところか。
まだ私にはわからないことも多い。
〜〜
暗い路地裏で、一人の男が血を流して座り込んでいた。
全身に大きな痣をいくつも作って、息を切らしながら何かを手のひらで作っている。
すぐに魔法糸を編んでいるのだとわかった。指先から小さく漏れる淡い光がそれを物語っている。
「……なんだよ」
底冷えするような声だ。
すぐに目の前にいるこの男がビスタと呼ばれている人間だと察した。
ボサボサに伸びた茶髪を無造作に後ろで編み、まともに手入れされていないだろう髭を蓄えた浮浪者然とした出立だが、只者でないことはすぐにわかった。
かなり鍛えていることがわかるその体格からもこの男の力強さが伝わってくる。
そんな男が魔力糸を使っている。
「あなた、医導官なんですか」
「……んだよ。お前、みてくれの割にいいところの坊ちゃんか?」
男は自分の足元を見遣りながら嘲るようにそう言ってくる。
「反王政派閥の密会をしていたと、聞きました。一体何を話していたんですか」
「お前みたいなガキにゃわかんねぇだろ。さっさと失せろ」
「ガキでも、貴族の息子ですから」
男はクスリと笑う。
「あぁそうかい。それじゃ、お前みたいな貴族のガキを殺す計画をたててた。これで満足か?」
「嘘ですよね」
「あん?」
「このララライ領でそんなことをすれば今以上に追い立てられるのはすぐにわかります。そんなことをしても意味のないことがわからないような人じゃないでしょう。あなたは」
この男の一派は、仮にも王政派閥の巣窟であるこの領地に潜伏していたような傑物だ。そんな人間がこんなこともわからないわけがない。
「お前、俺らのやってることに興味あるのか?」
「……興味はあります。賛同は、できないですけど」
「そうかよ」
男はぶっきらぼうにそう言い放つ。
彼の編んでいる魔力糸は一見整ってはいるが、ふらふらと力がなく漂っている。
糸自体の出来は一級品だが、操作ができていないということが目に見えてわかった。
自分はそっと魔力糸を使って彼の傷を縫う。
「貴族の坊やが、なんで助ける?俺らのやってることに賛成できねぇんだろ?」
「命がかかっているんですから、誰だろうと助けますよ」
彼の存在はおそらく重要なはずだ。このまま死なせてしまっていい人間とは思えなかった。
「……甘いな」
男の傷の縫合はすぐに終わった。旅の中で練習していた甲斐もあったということか。
しかし自分の縫合は彼の気には召さなかったようで、跡を見てしかめ面をしている。
「時間がありゃ、上手くなるコツとかでも教えられるんだけどな」
「こんな傷を治したのは初めてなんですよ。多少粗くても勘弁してください」
「まじか」
男の呟いたその一言の意味はわからなかった。
初めてにしては上出来だという意味か、それとも背後に迫る気配に対しての呟きか。
自分の背筋にひんやりとした感覚が広がる。最初は何か虫でも止まったのかと思ったが、どうやら違うということはすぐに察した。
自分の背後に、一人の人間がいた。
フードのついたボロ布を被った人間だ。自分と同じくらいの背丈だが、その手にはささくれた木刀が握られている。
そしてその木刀についた赤い跡が、その存在の危うさを物語っていた。
咄嗟にビスタの方を見ると、彼はひどく怯えたような表情をしていた。
色々と合点がいった。彼をここまで傷つけた犯人がここまで追ってきていたのだ。
問題は、あの人間から見て自分はどう思われるかということだ。
ビスタと何かを話していて、彼の傷を治療していた、身なりの整った子供。
まずい。
「……あなたは何者ですか。その木刀はなんですか?」
自分は何もやましいことはしてないはずだ。ビスタを治療したのだって、別に逃がすために直したのではないのだから。
「ビスタはこのままでは死んでいてもおかしくなかった。彼が死ねば反王政派の残党の所在も何もかも聞き出すことはできなくなる。無闇矢鱈と殺していい人間ではないはずです」
自分の言い訳を、やつは果たして聞いてくれるだろうか。
自分は杖を握りしめる。
そこそこ頑丈な杖だ。抵抗するくらいには使えるだろう。
「そっちこそ何?」
その布を纏った人間の声は高く、まるで女のようなものだった。
というか少女の声だ。自分と背丈だけではなく、おそらく年齢も近いのだろう。
奴が仮に自分と変わらない年齢の少女だったとして、そんな人間が大の男たちをここまで追い詰めた?
理解が追いつかない。
「何、と言われても……あなたに教える義理はない」
「そう。私難しいことよくわかんないから、簡単に教えて?」
彼女の言葉の意味を反芻する。
「……あなたの素性がわからない。自分からすればあなたは不当に彼らを追い詰めただけの殺人者だ。だから自分の素性を語ることを恐れている」
「だからもっと簡単に」
「…………あなたが怖いから、教えられない」
「なんだ。そんなこと」
少女は顔を常に隠していた。表情どころか人相すら窺えない相手だ。
自分は戦慄していた。
ひょっとしたら今ここで自分は殺されてしまうのではないかと。
「ビスタ。あの女の子は一体なんなんですか」
「……さぁ?俺らにもさっぱりなんだよ。突然やってきて俺以外の男どもを半殺しにしてきやがった。化け物だ」
ビスタは傷口を押さえながら起き上がる。
「やっぱり仲間じゃない、あなたたち。そんなコソコソ喋ってさ」
少女は一瞬、姿勢を低くして木刀を構えた。
咄嗟に自分は杖を構えて雑に魔力を流す。
杖の中の水分を利用して、おそらく飛んでくる攻撃を受け止めようとした。
少女が駆けたのが、やはり一瞬見えた。
目にも止まらぬ速さでこちらに走ってきて、木刀を振り下ろしてくる。
自分はそれを杖を使って全力で受け止めた。
杖が軋む感覚がしたが、耐えている。一体どこから湧いてくるのか、彼女の一太刀はその体格には不相応なほど強靭で重い。
彼女の一撃に、おそらく自分の足は耐えることができないということは悟っていた。
どうしようかと考える間もなく、自分の体は反射的に魔力を駆使していた。
「……ッ」
全身の血液が霧散するような錯覚を感じた。一時的に全身の魔力を足元に集中させてしまったから、体が拒絶反応を起こしているのだろう。
足にかかった無理な魔力が爆ぜているのを感じる。
「まさか、驚いたよ。私の一撃をその足で受け止めるなんて。ほんとびっくり」
気づくと彼女は数歩離れた先に立っていた。
自分は攻撃を防ぎ切ったらしい。
顔に嫌な汗が伝うのを感じる。
身体中の筋肉が弛緩し、立っているのも困難なほど疲労していた。
「次はどうする?」
彼女は不敵に、笑っていた。
あの一撃のためにフードを取っていたのだろう。彼女の隠れていた髪がたなびいている。
彼女は、桃色の髪をした美しい少女だった。
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