第21話 爺と孫

「よくぞきてくれた、リンベル・シン・サルバリヤータ殿。やや、おくつろぎくだされ」

そう言ってくるのは長いヒゲを蓄えた好々爺だった。

腰には一本の剣を携え、快活にしつつも目を常に座らせた不気味な男だ。

「……はい、ありがとうございます」

自分は彼のいう通り、客室に用意された椅子に腰掛けた。

そして念の為持っていた短剣を机へと置く。

「私はラーライル・ララライだ。以後、お見知り置きを」

好々爺、ラーライル……現ララライ公族家当主であり、元帝国軍将軍職後見人の肩書も持つ傑物だ。

父から聞いた話によると、彼は化け物だという。

豪快そうに見えて腹の奥では何を考えているのかわからない、そんな男だと。


「私ども一同、あなたの来訪を心待ちにしておりました。聞けばその年でさまざまな学問に触れ、魔法をも操れるとか」

「私はそんな大層なものではありませんよ」

「やや、左様ですか。それは失礼」

「……父から話は聞いております。ラーライル様が力を貸してくださると」

「ええそれはもう。シン殿のためであれば私、命は惜しくありませぬ」


この男の言葉はおだてられているのか、馬鹿にされているのかわからなくなる。

敬語になったり、そうかと思えば軍人のような喋り方をしたり……

はっきり言って信用し難い。


それから彼と少しこれからのことを話す。

ここに滞在する期間はおおよそ五年程度。その間はラーライルの養子という体で屋敷に居候することになる。

日中はマースや他数名から剣の稽古と多少の座学の授業を受けることになった。

「最も、シン殿は歴史についても教養が深いと聞き及んでおります。それゆえ学べることも高が知れているかとは存じますが……」

「構いません。私の得た知識など、所詮自宅で本を何冊か読んだ程度でしかありませんから」

「……左様ですか」

ラーライルの目線がギラリと輝く。

何か不満げな、訴えたいようなものがある眼差し。


彼はしばらくしてその場を立ち去った。


客室には誰もいない。

あの男の発言にはいくつか気になるところがあった。

なぜ自分が歴史だとかにも興味があることを知っていたのか、そもそも彼が自分のことを煽てる意味はあるのか。

ラーライルはララライ公族家の当主だ。いくら父が軍の中のお偉方だからとしてもあそこまで遜っては家の面子に関わるだろう。

彼はそれが考えつかないような人間には見えなかった。


その上あの男は自分がリンベルの屋敷でどう過ごしていたのかを知っていた。

自分があの屋敷で主に調べていたのは魔法について書かれた本と、伝記などの歴史に関するものが多かった。

そこまで知っているのは、おそらくあの屋敷では父を含めていなかったはずだ。


たかが軍族の跡取り息子を迎えるために、そこまで徹底的に調べ上げる必要があったとはとても思えない。


一抹の不安を抱えながら、自分はララライ公族領での一夜を過ごした。


〜〜


「ラーライル様。何か御用でしょうか」

一人の男がラーライルの足元に傅く。

小さな甲冑を身に纏った若い男だ。腰には剣を携え、伸ばした赤い髪を少し揺らしながら。

「ああ。少しあってな」

ラーライルは男の前に座ると、彼の肩にポンと手を置いて耳打ちしながらこう告げた。

「ラライカを連れて来い。シン殿に会わせてやりたいのだ」

男の表情が少し強張る。

「無理を承知で頼む」

「……かしこまりました」


ラーライル・ララライには一人息子がいた。カーライ・ララライという一人息子。


彼は若くして軍に入隊しいくつかの武功を挙げたが、先の魔工大国との戦争で戦死した。ラーライルはひどく焦った。

公族家にとって家を告げる男児がいないということはすなわち家の断絶を意味する。養子を取れば良いと思えるが、そうしようにもララライ公族の爵位だと王の許可が必要だった。

ララライ公族は現王、ひいては他の公族からの覚えがあまり良くない。軍に対して多大な功績を上げ、その家柄を確固たるものとしてきた弊害とも言えるものだった。

よく言えば公族であり軍族貴族、両方とパイプを確保してきたララライ公族家は、どっちつかずのハンパ公族として認識されていた。

養子を取らなければ家が断絶。妻の年齢を考えると新しい子供は作れる見込みはないし、妾を取ろうにもそれまで自分が生きていられる保証もない。


そんな折、カーライの妻が妊娠していたことがわかった。カーライの死から少し経ってのことだった。

ラーライルはその知らせを聞いて喜んだ。ここで生まれてくれたのが男児であれば今抱えている悩みが一掃できる。

カーライの妻はもともと体のあまり丈夫ではなかった女だったが、彼女はその勤めを果たしてくれた。

ラーライルのみならず、ラライカ領に住む人々全員浮き足立つほどの朗報だった。


それから半年後、カーライの妻は命を賭して出産した。

今でも覚えている。腹から出てきた子の顔を一目見た時の絶望は。


生まれてきた子は女児だった。

名前はカーライの妻の名前からとって、ラライカとした。



〜〜


「ラライカ様!危ないですよ!」

女中の声を無視して小さい女の子が木の上をスラスラと登っていく。

「うるさいよ」

「しかし、あなたの身にもしものことがあったら……」

「私がこんなことで怪我するわけないから。あっち行ってて」


その子供の女中を見る目は冷ややかなものだった。

この女中はいつもこうだ。何かをするたびに危ないからと止めてくる。

一度も危ない目に遭ったこともなければ、怪我もしたことがない自分に何を一体心配しているのか。

あっちに行ってといったが、彼女がこれで引き下がるような女でないこともラライカは知っていた。

しかし今日はどうも様子が違う。

昨日、帝都から客人が来たようで屋敷の中が慌ただしかった。

自分はそれが面倒でそこから抜け出したというわけだ。実際いても邪魔になるだけなのはわかっていた。


「明日の朝までには戻ってきてくださいよ」

「わかったから」


女中がそのまま屋敷の方角へと戻っていくのを見た。

木の上からの眺めはいい。細かいことが何も気にならなくなる。

自分の生まれが多少複雑なものであることをラライカは幼いながらに悟っていた。

家のごたつきに巻き込まれれば、自分はそれに流されるしかないことを悟っていた。



木の上から降りて街をふらつく。

周囲にいる人間が彼女を見るなりギョッとした顔をして半歩後ろに下がっていく。

一人一人がほんの少し距離をとる程度だが、それが何人にもなると彼女の周囲には異質な空間が出来上がっていた。

ラライカの髪はララライ一族に受け継がれた特殊な色をしている。

綺麗な桃色の髪だ。

花のように華麗で鮮やかなその発色は到底人のそれとは思えない色。

それを目立つように長く伸ばしているからか、ラライカが街を出歩くたびに周囲は彼女の存在と身分に気がつく。

ましてやその目付きが災いしてより一層周囲の人間と彼女の間には距離感があった。


彼女に取って街を歩くということは、針の筵を通ることに近かった。

ラライカがそういうことを気にするタチではないのが唯一の救いである。


街をふらつくといってもやることはない。

金を持たされているわけでもないし、何かやらなければいけないこともない。

だからこそ彼女は刺激に飢えていた。

何か人生が劇的に変わるようなことはないものか、と。


ただそれだけを祈る空虚な日々。

それが叶うのは、これから少し先のことになる。

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