第18話 グレイと杖

先生がいなくなってから半年と少しが過ぎた頃、レイシャが孤児院を出ることが決まった。

あいつは頭がいい。それもずば抜けて頭がいい。

孤児院での金勘定をレイシャがやるようになってから食事が目に見えて豪華になった。

小さい子供たちにおもちゃを買ってやる余裕さえ生まれた。

皆レイシャを褒めていた。

ただリッツと父さんだけは何故だか神妙な面持ちで彼女を見ていた。


レイシャが孤児院を出ることになったと知らされたのは、それから少し経った頃のことだ。父さんがいつからか話をつけてきていたようで、医務所向けに商品を卸している商会に奉公することが決まったらしい。


その知らせを、レイシャは嬉しそうでも、悲しそうでもない顔で聞いていた。

父さんが決めたことには、自分たちは逆らえない。

あの人は子供たちが逆らったからといって乱暴をしたりは絶対にしない人だ。嫌だと言えば、ならばこうしようとさらに大変な思いをして自分たちのわがままを聞こうとしてくれる人だ。

そうして父さんをすり減らしてしまうのは、もっと嫌だ。

だから誰も逆らえない。


レイシャはあと一月で孤児院を出る。たった一月後の話だ。

そうなればきっと、また先生に会うこともできなくなる。

最後に一目会わせてやりたいと思って、無理を通すために自分はサルバリット様の屋敷に一人で殴り込みに行った。いや、そんな物騒なことはできなかったけれど。


そこで知らされたのは、先生は既にララライという公族のところへといってしまったいうこと。

出てしまってからとっくに一週間は経っているらしい。

悔しくて涙が出た。

自分は旅立つレイシャに何かしてやれることはないのか、そう思った末のこの行動だった。

結果自分が彼女に言えるのは、先生と再会することはとても困難だという事実だけ。

あまりに彼女が不憫で、自分が何もできない子供だということを痛感させられた。


「グレイ君、だったね。シラ……シンのお母さんから話は聞いているよ。あの子と仲良くしてくれていたみたいで、感謝していると」

落ち込んだ自分を慰めてくれたのは、先生の父親であり、英雄と呼ばれているサルバリット様だった。

この目で見るのは初めてで、自分は嬉しさと失望が混じって目から涙が溢れ出した。

「レイシャと、一度でいいからあって欲しかったんです」

「……すまないね」

サルバリット様は、そう言っていた。

ただそう言い残してあの人は去ってしまった。

自分は何をすれば良いのかわからなくなって、フラフラと家に帰った。


その夜、リッツに怒られた。

あいつはいつもそうだ。自分が一番年が上だからって偉そうに叱ってくる。

その上言ってくることが全部正論だから余計に腹がたつ。何も言い返せなくて、腹にどんどん暗いものが溜まっていく。

レイシャもたまに怒られていた。

あいつはどういう気持ちでリッツの説教を聞いていたんだろうか。

自分より頭の悪いリッツから叱られる感覚は、どれだけ惨めだったのだろうか。


そんなことを考えてしまう自分が、より一層嫌いになった。


「グレイ、起きてる?」

扉の向こうからレイシャの声が聞こえてきた。レイシャにはまだ先生のことは伝えていない。伝えるなら今だと思った。


「起きてるよ」

「入っていい?」

「いいよ」

レイシャは静かに扉を開けて、ベッドに腰掛ける。

彼女の髪は少しごわついていて、癖毛も相まってかなり大きく見える。

ただこの時は少しサラサラしていた。

「グレイ、シンのところに行ったんだってね」

「そうだけど。どうかした?」

「シンはいた?」

自分は首を横に振った。

レイシャはそう、と一言いうだけだった。

「また会えるかな」

「わからない」

「……そう」

レイシャは悲しくないのだろうか。

この子が先生に惚れているのは、よくわかっていた。

先生と話しているレイシャはいつも楽しそうで、先生が少し動くだけで気を揉むほどに惚れ込んでいた。

先生は気づいていたのだろうか。

いや、あの人はああ見えて自分のことを出来が悪いと思っている節がある。

その上レイシャのことを妹のように扱っていた。惚れ込まれているとは考えているようではなかった。

鈍感というべきか、気付かないふりをしているというべきか。


「ララライっていう公族の家に行ったんだって。危険だから、って」

「公族領と帝都じゃ、かなり離れているからね。会うのは難しそう」

「行くつもりだったの?」

「まさか」

レイシャは自分の髪をくるくると指に巻き付けている。彼女の癖だ。

色々考えている時、レイシャはいつも髪をいじる。

「シンならいつかすごいことをして帰ってくるよ。それまで待つつもりだし」

「先生なら……そうかもしれないけど」

「グレイは会いたいの?」

「俺は、会いたい」

「そう」

レイシャは再び髪をくるくるといじっていた。

「リッツがね。先生の護衛になりたいって、護衛役の人に変わるようにねだったんだって。シンの護衛についた人、リッツの道場にいたお姉さんだったから」

「そう、なんだ」

「でもダメだって断られたんだって。リッツはまだ弱いからって」

「あいつがそんなこと言ってたのか」

「護衛の人、すっごく強いんだって。でも道場ではリッツの方が強いらしいよ。それでもダメだったんだよ」

「それじゃあ、俺はもっとダメだ」

「そうだね」

そう語るレイシャは悲しそうでも嬉しそうでもない、なんとも言えない顔をしていた。

涙を流したっておかしくないと思っていたのに彼女は落ち着いていた。


「私も、グレイも。先生のこと待ってあげよ?シンなら大丈夫だよ」

レイシャは自分のことを心配してくれていた。

先生のことを心配する自分を、彼女は心配していたのだ。


自分がそれにうなづくと、レイシャは部屋から出て行ってしまった。


彼女が座っていたところが、少し温い。

先生の次は、レイシャもいなくなってしまう。

リッツも、いつかいなくなる。

「俺は、どうすれば……」


グレイはそのまま眠りにつく。

レイシャが商会に奉公へ行くまで、あと一月。

「ッ!」

それまで、何もできなかった自分を悔いる日々が続いた。

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